79.〈砂痒〉星系外縁部―17『Ghost In The Realm―3』
「そっか……」
アタシの返事に、実村曹長はかるく頷いてみせると、「だったら何よりだ」と呟いた。
あ、もしかして……。
「もしかして、アタシのこと心配してくれてたんですか?……アタシがカテゴリー7、だから?」
おずおずアタシは訊いてみた。
こういう言い方は畏れ多いかもだけど、実村曹長ってば一応アタシの同室者だし。なにより、アタシが〈A・B・C〉プロトコル準拠の階梯七者だってことは、(たぶん御宅曹長経由か何かで)知ってるだろうし、だから、裏宇宙絡みのことどもに引っ張られやすい事情もわかっているんだろうしね。
案の定、
「まぁ、そうね」
実村曹長の返事は予想通りのものだった。
「おなじ部屋のよしみと言うか、室長だから。『大家と言えば親も同然。店子と言えば子も同然』よ。気に掛けもするでしょ。それに、まぁ、何やかやと気にしているのはわたしに限ったはなしでもないし」
「はい?」
予想通りだったんだけど、続けられた言葉が一部不明。
思わず首をかしげていると、
「ほら、あっち」と、懇話室のとある向きに顎をクイとしゃくってみせられた。
白い……、と、もとい、今はエメラルドグリーンだ。
全面、色鮮やかなエメラルドグリーンの海の色をした壁……と言うか、もうそのものズバリで南国の海の景色がそこには映示されている。
BGMと同じで、リラクゼーション効果による幽霊対策の一環ね。
水平線までもを見張るかせる碧い大海原と強烈な太陽の陽射し。
抜けるような蒼穹、それを背景として沸き立つ真っ白な入道雲。
そして、こちらに押し寄せては引きを無限に繰り返す波の列線。
あくせく働くのが馬鹿馬鹿しく思えてくるような、なんとも雄大かつノンビリとした風景映像で、そんなのに囲まれてたら、偽物だって頭じゃわかっていても、そりゃ、『幽霊が……』なんて鬱にはそうそうなれないって。
まぁ、でも、今はソイツは脇に置いといて、そんな陽気な壁の向こう側――裏側にあるのはこのフネの医務室。
実村曹長が顎先で指し示したのは、つまり、懇話室とは壁一枚へだてて隣接している中尉殿の城? 別荘? 詰め所? の事なんだろう。
要するに、兵員室室長の自分の他にも主計科科長の中尉殿がアタシのことを見守ってくれているよ、と、そう言いたいんだね。
でも、そっかぁ、実村曹長とか他の科のひとも気がつくくらい中尉殿、アタシのこと気に掛けてくれてるんだぁ。
「今、やよいのヤツが医務室番をしてるんだぜ?」
えへへ、なんか嬉し……、って、は? はぁ?
やよい?
やよい?
御宅やよい?
アタシの主計科の先輩で、実村曹長の同期の御宅曹長?
は? なんで? 同じ主計科だっても担当違うじゃん。
「いや、深雪ちゃんのカテゴリの件もあるだろうけどさ」
「……はい」
意表をつかれたって言うか、ビックリのあまり、声をあげそうになった口を実村曹長にふさがれる。
「今のこの状態になってから早々、艦長絡みでドタバタ騒ぎがあったろ?」
アタシの口に押し当ててた掌を人差し指だけ立てた、『静かに』のかたちにしながら実村曹長。
「はい」
話を振られて記憶がよみがえり、アタシはなんとも渋い気分になった。
たぶん、表情の方もしかめっ面になっていたとそう思う。
今の状態――ナルフィールドを二日間もの長期間展帳する状態、その発端というか経緯は戦闘詳報を作成していたからアタシも把握している。
とにかくグダグダでシッチャカメッチャカな展開の末に、なぜだか子供艦長がキレて(?)こうなった。
正直、理解不能。いまでも何が何だかわかんないけど、それはともかく、艦長曰くの、『二日間は全艦慰労休暇』とやらで、このフネの乗員そのほとんどが仕事がなくなった。
つ~か、出来なくなった。
で、
誰もがそれまでやってた仕事の後始末やら、再開に備えての前準備やらにそれぞれ取りかかったんだと思うけど、アタシ――主計科司厨担当のアタシだけは、逆に急ぎ足で懇話室へと向かったんだった。
そうなの。
あの時もアタシが懇話室管理の当番だったんだ。
こんなに忙しくなるとは思いもしなかったけど、乗員すべてが休みとなれば、懇話室利用者も増えるだろうから混雑する前に客を迎える準備をしとこう――そう思ったの。
でね?
それで懇話室に到着し、扉をくぐろうとしたらアタシの脇を、まさしく一陣の風の勢いで駆け抜けてこうとする影があるじゃない。
反射的にその襟首を掴んだら、それが子供艦長だったのよ。
その後のことは、ホント、思い出したくもない。
ワルガキ、ク○ガキと言うより、まるっきり、あれは猿だった。
『菓子の受領票をアタクシ様は持っている! だから、それらを食する権利があるのだ!』とか、『早くしないと飢えた獣どもが大挙押し寄せてくる。アタクシ様の取り分が減る前に、とにかく賞味をさせなさい!』とか、喚かれ、全身全霊をもって暴れられ、それでも、アタシが手を離さないでいると、まるで壊れたロボットか無いかのように、瘧にでもかかったかのように、子供艦長は痙攣というか振動しはじめた。
幸いにして、これまでの人生、身近に薬物中毒患者等とは接したことはなかったけれども、喩えるならば、まさしくソレ。
ぶつぶつぶつぶつ……、猛烈な早口で譫言めいた独り言をさえずりはじめ、ちょっと聞き取れた範囲であっても、
『ケーキ、シュークリーム、パイ、ミルフィーユ、ワッフル、ゼリー、クレープ、ババロア、タルト、マカロン、キャンディ、チョコレート、クッキー、プリン、チップス、お煎餅、落雁、カステラ、おこし、あられ、ボーロ、かりんとう、芋けんぴ……』
と、生菓子、干菓子、焼き菓子、蒸し物、発酵菓子、氷菓の類いと、およそお菓子の種類をすべからく網羅する勢いで言葉をたれながしてた。
もうね、まんま、禁断症状をおこした中毒患者そのものだった――菓子中毒。
さすがにビビった。いや、相手が最上位の上官だからではなく、どうにも常軌を逸したキ○チガイとしか思えなくって。
通常よりも更になにするかわかんない状態になった子供艦長をアタシ一人で相手をしなくちゃなんないの?――そう思って完全に腰が引けていた。
そうして、何分? 何時間? たったのか、押っ取り刀で中尉殿、それから他にも何人かの士官さんたちが駆けつけてきてくれて、それでアタシはようやく解放されたんだ。
でも……、
だからと、アタシがそこで安心安堵し、ホッと気を抜くことは出来なかった。
何故って、コツンコツンと機械のように精確に靴音を響かせながら、副長サンがやって来たから。
冷静そのものってか、もう完全に表情の無い顔で、手負いの獣みたく床の上に組み伏せられた子供艦長のことを見下ろすと、『飛行長、例のモノを』と一言いったのだった。
それでね? 副長サンから呼ばれて、後方に控えてた飛行長サン?――なんか坊主頭バリに髪がショートな女の人が、なにやら箱を手に副長サンの脇に立ったのよ。
そしたら、途端に子供艦長の様子が変わったの。
飛行長サンが持っていたのは紙製の箱――こう、三十センチ四方くらいの箱だったんだけど、それまでは罠に掛かった肉食の獣が狩人を睨みつけるようにしてたのが、目の玉が飛び出るくらいに瞼を大きく見開き、口からは、『ヒィ……ッ!』とか悲鳴をこぼして、またもそれまで以上の猛烈さでもって暴れだしたのよ。
その有様を見て、アタシはつくづく、火事場の馬鹿力ってあるんだなぁ、と場違いきわまることを思ったものだった。
だって、大の大人数人がかりで押さえつけているのを、ちいさな子供の身体で今にも撥ねのけそうにするんだもの。
恐怖。
裏宇宙で〈超・存在〉からの『圧』を喰らった時にも劣らぬ深甚な恐怖を感じてる、あれは顔だった。
「ナルフィールドの展帳指定に封印を掛けていらっしゃるようですが、解除法を教えていただけますか、艦長?」
そんな子供艦長にむかって副長サンが言うのよ――一見(一聴?)すると、スゴい優しい声と調子で。そして、菓子箱を子供艦長の目と鼻の先まで近づけて、ゆっくりゆっくり蓋を開けていくのね。
箱の中に入っていたのは、
「お饅頭……?」
箱そのものもそうだったけど、見るからに高級そうで、かつ美味しそうなお饅頭の詰め合わせだった。
「う……、ギャ……ウ」
子供艦長は、もう声もない。
恐怖のあまり今にも失神しそうになっていた。
『饅頭こわい』じゃないけど、きっと何かPTSDレベルのトラウマがあるんだろう。
そんな相手の口元へ、ソロリソロリと副長サンは箱から取り出したお饅頭を近づけていく……。
いや、戦闘詳報作成の過程で、艦橋内部のやりとりとかは知ってたからさ、アタシもさすがに副長サンを止めるとか、子供艦長をかばうだとかは全然ちっとも思わなかったよ? でもね、子供艦長は、言葉の通りに姿は子供。
それも(黙っていれば)天使のような美幼女なんだ。
絵面だけ見れば、大の大人が集団で、寄ってたかっての幼児虐待だよ。事案を通り越して、もぉ、犯罪。
「個人的な欲望を満たすため……、理由にもならない理由でもって作戦行動の円滑な遂行を阻害しようとする――そんな事は許されません。是非是非是非とも、フィールドを解除するためロック解除の方法を吐いてください、ねぇ艦長?」
そうして、ついに、ピト……、
お饅頭が唇にふれた瞬間にあげた子供艦長の悲鳴絶叫をアタシは生涯忘れることはないと思う。




