55.超光速航行―8『遷移―3』
「深雪ちゃん!!」
叫び声――ほとんど怒鳴り声な音量で名前を呼ばれ、
『誰か』に力一杯抱きしめられたのは、その時だった。
「やっと見つけたぜ!」
そして、別の『誰か』が発した深い安堵のにじむ声。
頭をグシグシ乱暴にかきまぜる遠慮会釈のない手の感触も。
ああ……。
「大丈夫だった!?」「大丈夫か!?」
仕上げのようにハモる響きに、身体中の力が抜けた。
前後から挟まれ身体の回転が止まって目眩もやんだ。
「中尉殿ぉ……、曹長ぉ……ぅ」
なにをどうするより早く、アタシは『誰か』たちの名前を呼んでいた。
どうしても思い出せなかった筈なのに、スンナリと唇からこぼれてた。
アタシと正面から向き合い、ギュッと抱きしめてくれているのは中尉殿。
そして、アタシの身体を後ろから、同じく抱きしめているのが御宅曹長。
今までどこにいたかはわからない。でも、今はここにいてくれる。幻……? ううん、そんなことない。肌につたわる感触は確かに現実。
現実ならぬ幻実じゃない?――ほぉっと安堵するメインの心以外の部分が、そんな益体もない揶揄めいた言葉を囁くけれども無視よ無視。
たとえ〈連帯機〉がかたちづくった触感像だろうと、それが中尉殿と曹長――ふたりの現し身である事実はかわらない。ほぉら、現実。
アタシは中尉殿の胸にすがりつく。裸? そう。その通り。〈連帯機〉が伝えてくるのは船内服の生地の感触ではなく、素肌のぬくもり。
もう大昔のように思える緊急遷移訓練の際、『どうして裸になる(錯覚を生じさせる)必要があるの!?』――そう思ったけれども納得だ。
理屈抜きで安心するから。
それが答。
航宙船乗りの人間としての感性、精神面へのサポート――それが単純にして唯一の正解、解答だった。
その証拠に、
(助かった……)
心の底から安堵し、身体のすべてが脱力し、霞がかったような意識のなかで、アタシはボンヤリそう思ってる。
中尉殿、そして御宅曹長の胸のふくらみ、引き締まったおなか、すべらかな脚――鍛えられた、でも、いかにも女性らしいまろやかな肢体を自分の前後に感じながら、緊張や孤独や絶望で石のように固くなってた身体がクンニャリ液化していく様を感じてる。
同時にカラカラに干上がっていた涙腺に熱感――潤みが戻って、どんどんどんどん水嵩が増し、とうとう最後は決壊しちゃった。
忌むべき『星』たちの姿がにじんでぼやける。
後から後から、瞳の奥から、まるで泉のように湧き出す水でクソったれな星々の像を霞ませ、そして見えなくさせていく。
気付けばアタシは、わぁわぁ声をあげ、完全に手放し――ちいさな子供みたいに泣きだしていた。
凍りつき、縮こまっていた感情が、ギュウッと圧縮されていたぶん、反動も大きく爆発していた。
怖かった怖かった怖かった……!
一人ぼっちで寂しくて怖かった!
命綱みたいに中尉殿にひしと縋って、これまでの窮状を嗚咽と涙で訴えた。
「よ、よしよし。も、もう大丈夫よ。大丈夫だから、ね? そんなに泣かないで……」
中尉殿のすこし焦ったような困り声が伝わってくる。
髪を梳くように頭を撫でてくれる優しい手の感触も。
でもダメ。それくらいじゃカケラ程にも効果がない。
アタシは泣き続けた。
たぶん、安堵が甘えに依存に変化した――そうした心理的な変化が理由だと思う。
ちいさな子供がころんだ時、大泣きするのはころんでしまった、その時じゃない。
お母さんに抱き起こされて、『大丈夫? ケガしなかった?』って訊かれた時だ。
自分をまもってくれる保護者登場に気が緩み、精神的に余裕ができるからだろう。
言うまでもなく、アタシは大人だ。
成人したばかりであっても、歴とした大人。
それが、ろくに物心つかない子供みたいに大泣きしてしまうだなんて恥ずかしい。
でも、仕方ない。抑えようがない。
あのまま独りきりでいたなら、死んでいた。
いや、単純な『死』よりももっと悪いのか。
その事がわかっているだけに我慢できない。
どうにも感情に歯止めがかけられなかった。
孤独と恐怖と絶望――死に直結する感情を、
絆と安堵と歓喜――生への希望とする為に。
だって、
中尉殿や曹長に見つけてもらえなかったら、アタシの『実存』は破壊されていた。
『実存』の破壊。
『人間』でなくなってしまう事。
『人外漢』に変異してしまう事。
『魂』の死……。
むりやり拡張され強化されている『知性』が、その意味するところを冷酷にアタシに告げていた。
人間知らない方が良いこともある。なのに余計なお世話的に『真実』を強制されていたのだった。
『今』の状態のアタシだったらわかる。
わかって……、わからされてしまう。
遷移――光の速さを超えるため、異なる宇宙に転移したAIが必ず発狂してしまうワケ。
艦載機の搭乗員をつとめるオトコたちが、正視に耐えないバケモノに堕してしまう理由。
それは、
この異宇宙に充満する……、いや、この異宇宙そのものたる『存在』と単独で向き合ってしまったから。
矮小な『個』に過ぎない『知性』が、『神』としか表現しようのない超越者と正対してしまったからだ。
言い方を変えるなら、それは、『自己』が圧壊されかねまじき『環境圧力』を被ったとでも表すべきか。
一種、淘汰圧のようなものとも言える。
それで『生命』は生き延びようとした。
『意思』などよりも根源的な自律的作用。
『世界』に在りつづけようとするちから。
それは言うなら、裏宇宙航法の真逆だ。
『宇宙』をかたちづくる普遍的な原理――『常軌』を歪めた結果、『常空間』から排除される。その作用を利用して光の速さを超越する詐術が裏宇宙航法であるならば、
『自分』が転移した先の異質な世界――『そこにおける常軌』になんとか適合し、生きながらえるべく示す自衛反応。それが即ち、自ら『自分』を改変してしまうこと。
つまりは、裏宇宙より帰還してきたAIが必ず『発狂』している理由であり、艦載機搭乗員たちがああいう感じの人外漢に『変態』してしまう原因に他ならなかった。
『発狂』というかたち、
『変態』というかたち、
『常空間』に住まう者たちの目からすると、それは異質で異常な変化でしかない。
その変化が不可逆なことも、『常人』からの嫌悪と忌避感をかう理由でもあろう。
『そうね、彼らのあの有り様は、ある意味自業自得と言えるけど、でも一方で、国への忠義に殉じた証でもある。だからこそ政府や軍の指導層は、彼らを単なる厄介者、あるいは被害者としては扱わず、特別な配慮を講じているの』
つい先日、中尉殿がおっしゃった言葉を思い出す。
『およそ他国じゃあ類例の無い階級を新たに創設してまでの体制構築。それに加えて、建造コストの増大、運用面でのやりにくさを承知してなお、お・瀆・尉・さ・ま・を載せること前提で造られる戦闘航宙艦――取りも直さず、こうした『事実』が、我が国、我が軍が、いかに戦力としての連中を重要視しているかを示している。そのことは理解できるだろ?』
くわえて御宅曹長の問いかけも。
ウン。
わかる。
今の状態だったらわかる。
わかってしまう。
だから、
アタシは、ただただ泣きつづけた。
泣きつづける、しかなかった……。




