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13 三つ子の指輪、あるいはホラーとファンタジーの境界線について


 寝る前に歯磨き、とパウダールームに向かうと、洗面台に見覚えのある三つの真珠の花があった。


 花の真ん中に金鎖が通してあり、ネックレスのようになっている。なるほど、真珠だけの状態だとなくしちゃうかもしれないもんね、と納得しながら、持ち主の部屋へ向かうことにした。


 もしかしたらもう寝ているかもしれない、と思いつつ小さくノックしてみると、嬉世きよちゃんはまだ起きていたようで、すぐに返事が聞こえた。


「起きてた? ごめんね、疲れてるのに。忘れ物届けにきただけだから」

「あ! ちょうど今、探してたんです。どこにあったんですか?」

「パウダールームの洗面台にあったよ。チェーン通したんだね、可愛い」

「ありがとうございます! 見つかって安心しました。これ、なくしそうだなって不安に思ってたら、ユエジンさんがチェーンをくださって付けてみたんです」


 疲労困憊だろうに、あちこち探したんだろう。クローゼットの中身や引き出しの中身がひとかたまりになっている。


「じゃあ、これで安心して眠れるね」


 おやすみ、と言って部屋を出ようとしたところで、嬉世きよちゃんが言った。


「あの、お、おねえさん。ありがとうございました」


 おねえさんっていうとこどもるの、天然なの? 可愛いが渋滞してますけど。


 そんな有頂天な内心を押し殺して、嬉世きよちゃんの言葉を反芻する。真珠を見つけたお礼はさっき聞いたような気がしたけど。


「ええと、どういたしまして?」


 何に対してお礼を言われているかわからない、と全面に出ていたんだろう。嬉世きよちゃんはふふっと笑って、私を書き物机の前の椅子に座らせた。


「みんな、武具がありましたよね? 実は私も、思い浮かんだものがあったんです」


 クローゼットの中身がひとかたまりになっているベッドの隅に座った嬉世きよちゃんは、秘密を明かすようにそう言った。


「え? でもあの時……」


 あの時嬉世きよちゃんは、何も思いつかない、と言った。思いつかないことを申し訳なさそうにしていた。


「はい。思い浮かんだものはあったんですけど、言いたくなかったんです。言いたくないなんて言い出せなくて、でも黙っているのも辛くて、あの時は心配かけてしまい、すみませんでした」


 頭をさげる嬉世きよちゃんの顔は、申し訳そうながらもどこか晴れやかだった。


「う、ん。でも、癒やしの力は手に入れたんだし、結果的に問題なしだもんね。良かった良かった」


 言いたくなかった理由を聞いていいものか分からず、当たり障りない言葉を返す。


 深入りしていいものか、特に社会に出てからはできるだけ人と浅い関係でいようと努力していたから、こういう時に逃げの姿勢を取ってしまう。


「私の武具って、多分、三つ子の指輪です」


 声を潜めて、世紀の重大機密を暴露するみたいに、嬉世きよちゃんが言った。


「み、つご……の、指輪?」


 すらっと口に出せた嬉世きよちゃんの度量の大きさに感嘆する。素面では口にできない。

 この世界のネーミングって、いい大人が口にするには心臓が試される。主に羞恥心とか。


「はい。三つの指輪です。それぞれに黒い石が入ってたんですけど、もしあればこの真珠に変わってたんだと思います」

「そういえば嬉世きよちゃんが初めて癒やしの力を使った時、この真珠がどこからともなく現れたんだっけ」

「そうです。武具がなくても、いいってことなんだと思います」

「……ほんとに不思議な世界に来たね、私たち」


 しみじみこぼすと、嬉世きよちゃんがふふっと笑った。それがきっかけだったように、するりと嬉世きよちゃんは本心を漏らした。


「私、武具を身につけるのが嫌だったんです」


 これ、きっとユエジンさんが聞いたら卒倒するんじゃなかろうか。


「三つ子の指輪って、こう、右手の親指と薬指、左手の中指につけるものなんですけど、つけたら外せなくて、両手が、なんて言うか自分の手じゃないみたいになるんです」


 一生懸命説明してくれようとしている嬉世きよちゃんには申し訳ないけれど、ちょっと説明についていけない。自分の手じゃなくなる? それもうホラーでは。


 私のなけなしの想像力だと、両手が勝手に動いちゃったり手のひらに牙を持った口が現れたりして、想像したことを猛烈に後悔した。


「お、おねえさん、大丈夫ですか?」

「それは、怖いね。嫌がって当然だと思う」

「……ちょっと誤解を生む表現だったかもしれません」


 申し訳なさそうに言ってくるけど、何だか可哀想なものを見る目なのは私の気のせいですか、嬉世きよちゃん。


「多分、おねえさんが想像しているようなものじゃないと思います。私の言い方も悪かったんですけど、両手にこう、膜が張るというか、とにかく普段の自分の手とは違う感覚なんです」

「うんうん、ホラーだよね」

「いえ、どちらかというとファンタジーの部類だと思うんですが。まぁ、不思議なことには変わりありませんね」


 ホラーという意見に食い下がりつつも、嬉世きよちゃんは話を先に進めることにしたようだ。


「自分の手じゃない、自分の指じゃないってことに、すごく抵抗を感じたんです」


 開いた両手をじっと見下ろしながら嬉世きよちゃんは静かに言った。手が、指が、そこにあるのを確かめるようにゆっくり握りしめている。


「指が、自由に動かないことが苦痛で。戻った時にもしこれまで通りに動かなかったらどうしようって不安で」

嬉世きよちゃんは、自分の手が大事なんだね。一瞬でも自分じゃない何かになっちゃうかもしれないって、怖いもんね」


 神のなさることだから、全て受け入れろというのは横暴だ。


 名前を奪われた私だってできれば抗議したいもん。幸い、口に出せないだけで私の中で名前は残ってる。それを幸いと言うこともできるけれど、そもそも名前を奪われるいわれはないんだから、正直不満は収まらない。


「私、ピアノをやってるんです」


 静寂の中、そっと嬉世きよちゃんがこぼした言葉は、宝物のように大事に大事にしてきたものをそっと見せてくれるような慎重さと、反応を恐れる不安が垣間見えた。


「だからできれば、手や指を痛めるような武具は嫌だなって思っていて、でもだからといって自分の手じゃなくなるものも怖かったんです」


 嬉世きよちゃんとは精々一日二日の間柄だけど、それでもこの奥ゆかしい子が「嫌だ」と口にするのは珍しいことなんだということは分かる。


「でもあの状況ではそんな気持ちは押し殺して、言わなきゃいけないって、思いました。私だけ逃げるわけにはいかないって、思ったんです」


 客観的に見ると流されているようでも、あの時の状況を考えると、嬉世きよちゃんの気持ちも分かる。救世主と崇められて、逃げ場をなくされて、お膳立てされた状況では流される方が楽だ。


「その時、ユエジンさんとおねえさんが言ってくれたんです。私の中にあるんじゃないかって。もう、持っているんじゃないかって」


 確かに言った。むしろユエジンさんがそういう流れを作ったようにも思える。


 うん? そういえば、ユエジンさん、あの時引っかかる言い方してたような……。


「そしたら、頭の中でイメージしてた三つ子の指輪が、急になくなったんです」


 もう絶対頭乗っ取られてるじゃん。怖いよ、この世界。


「半信半疑で力を使ってみたら、この真珠も手の中にあって、ああ、認められたんだって思いました」


 武具はそれぞれ主を定めるとユエジンさんは言っていた。武具というより、武具についてる石に認められることが重要なのかもしれない。


 そこまで話すと、嬉世きよちゃんは一つ息を吐いて私に向き直った。両手は大切な宝物を守るように、三つの真珠を握りしめている。


「だから、ありがとうございました。おねえさんのおかげです」


 癒やしの力は癒やし手には効かない。でももしかけられるなら、今みたいな嬉世きよちゃんの笑顔がずっと見られるのかもしれない。不安も気負いもない、心からの笑顔だ。


「良かった。嬉世きよちゃんが我慢しないで頑張ったからだよ」


 ふふっと二人で笑い合って、私は嬉世きよちゃんの部屋から引き上げた。


 自室まで進みながら、さっきの嬉世きよちゃんの話をもう一度思い起こしてみる。何かが引っかかるんだよなぁ。


 武具を身につけると、自分の手じゃなくなるかもしれないって、嬉世きよちゃんは不安だった。だから武具を着けるのは嫌だった。


 タイミング良くユエジンさんが言った言葉で、無事武具なしで嬉世きよちゃんは力に目覚めた。神様、結構柔軟に対応してくれるんだなって思いもしたけど。あの時ユエジンさん、何て言ってたっけ?


 ——ああ、そうだ。


 あの時ユエジンさん、「これならつけられそうですか」って言ったんだ。

 まるで、嬉世きよちゃんが何を忌避しているのか知っているように。


 途端にゾワッと背中の毛が総毛立った気がした。


 何でユエジンさんは知ってたんだろう。神官長だから? ご神託とかもらってるわけ?

 それとも、ユエジンさん自身が、神だから……?


 いやいやいやいや、ないないないない。


 …………ない、よね?


 こうして異世界生活二日目は、大きな謎を残して過ぎていったのであった。






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