108 王太子殿下の婚約者2
この凍えた大地に妖精姫の温かさが恋しい。いやでも、この状況で妖精姫現れたら、はるくんの怒りっぷりにドン引きしちゃうかもしれない。いやでも、と葛藤している内に、輪音ちゃんはパタパタと走ってきた。
「おねーさん、どう?」
どう、とは?
輪音ちゃんはなぜか近くまでは来ず、少し離れたところで止まったらしい。背後からかけられた声に振り向くと、そこには——。
「っ、な、ど……、かっ!!」
可愛い、と言葉にする寸前でいつぞやの再現か、口の前に手がにょきっと現れて言葉を封じられた。
「かわいい」
ずるい、それは私が言う台詞だった!!
「ほんと? 嬉しい」
にっこり笑顔の妖精姫が、輝いている。
戻ってきた輪音ちゃんは、どういうわけかさきほどまでの簡素なワンピースではなく、レースやフリルがふんだんに使われたドレスを身につけていた。
首元から胸元まで覆われたレースから透けて見える肌、ウエストラインは体のラインに沿ってほっそり絞られ、そこからボリュームのあるフリルが広がっている。
髪型も変えたようで、美しく編み込まれアップにしている。シンプルながらも華やかなヘアスタイルには、ドレスのレースやリボンに使用されているのと同じ素材のヘッドドレスが着けられていた。
どこからどう見ても、完全無欠の美少女である。
「か……かん、ぺき……」
震える声でそれだけどうにか言葉にできた。目にしたものが予想を遙かに超えていると、人は言葉にできないものなのだと、それは美においても変わらないのだと、私は初めて知った。
はっ、いけない、放心している場合ではない。
心の衝撃に体がついていかなくて、うまく体が動かせないながらも、どうにかギギギと首を動かしてメイドさんを探した。
アマヴェンナさんもそうだけど、輪音ちゃん付きのメイドさんも一人、護衛として今回同行している。
壁際に佇むメイドさんと目が合うと、深く頷いてくれた。心なしか、目が潤んでいるようにも見える。私も目を潤ませながら、何度も頷きを返した。
ありがとう、メイドさん。あなたと輪音ちゃんのおかげで、さっきまで落ちきってた気分が最高潮です。
「それにしても、この衣装どうしたんだ?」
「装備に加護をかけに行ったらね、メイドさんが丁度装備の点検してるとこで。いろんな備品確認しているうちに、これ見つけたの。今回の旅で晩餐会に呼ばれたときのためにって用意してくれてたんだって。可愛いねって話してたら、では着てみますかって言われて」
ぜひその場にいて、一緒にお着替えやお化粧の様子を見たかった。
「重くないの、それ」
こういうデリカシーのないことを言うのは、間違いなくとおくんである。
「重いと思うでしょ? これねー、見た目ほど重くないんだよ。何て言ったっけ、なんとかって言う生地を使ってるみたいで、それが羽みたいに軽いんだって。こんなに重ねても、全然重くないの!」
うきうき、キラキラ、溌剌とした妖精姫、ほんとに癒やされる。世界がバラ色に染まっていく現象って、ほんとにあったんだ。
「おねーさんに見せたくて! どう?」
笑顔を浮かべ、ボリュームのあるスカートを持ち上げて、その場でくるりと回ってくれるサービスっぷりに、私は危うく天に召されるかと思った。
「か、か……っ」
可愛い、と声に出す前にはっとはるくんの怒りの様子を思い出した。もしここでうっかり可愛いなんて言っちゃったら、またしても怒りを買うのでは? せっかく輪音ちゃんの登場で収めた怒りがぶり返すのでは?
ちらりとはるくんを伺うと、ばっちり目が合ってしまった。私の言いたいことが伝わったのか、だんだんはるくんの表情が険しくなってる気がする。
やっぱりそうですよね、輪音ちゃんに可愛いって言うのははるくんだけですよね、とすごすごと引き下がろうとしていたとき、はるくんの視線に気づいた。
何やら周囲の視線を気にして、さらに表情が険しくなっている。これは——。
あれだ、可愛い輪音ちゃんが周囲の視線にさらされていることに耐えられないという表情だ。
「輪音ちゃん、せっかくだから、その格好で一緒にお茶しよう!」
これは一秒でも早く部屋に連れて行き、周囲の目線から可憐可愛い輪音ちゃんを遠ざけねば。新たな使命感に、さっきまで感じていた胸の痛みはすっかりどこかへ行ってしまった。
「はるくんも一緒に!」
「え、嬉しい! おねーさんとお茶したい!」
提案すると、輪音ちゃんは手放しで喜んでくれる。天使か。天使だ。
「とおくんとユエジンさんも良かったら」
「おや、私も良いのですか?」
とおくんはやれやれと言った様子で肩をすくめているし、ユエジンさんは何だかうきうきしながらはるくんと輪音ちゃんの様子を眺めている。その視線が、孫の成長を見守るおじいちゃんのようで、何だか親近感が湧いた。
さぁ、では部屋へ、と移動しようと入り口に向かったところで、今度は騎士団長も交えて三人で話し合っていたらしい王太子殿下とサーシェリナさんが目に入った。
サーシェリナさんのお付きの人みたいな人たちも周りを囲んでいる。どんな話をしているのか分からないけれど、その表情を見るに、話し合いは難航しているようだ。
明日出発できるのかなとか、ユエジンさんをお茶に誘っちゃったけど、折衝役として中に入った方がいいんじゃないかとか、ぐるぐる考えながらも入り口にさしかかった。
そこを、涼やかな声が止めた。
「お待ちになって」
「……ユエジンさん、お茶にお誘いしましたけど、やはりこちらに残られた方が良いと思います。では」
ささっとユエジンさんの背中を押してサーシェリナさんへの供物にし、さっと踵を返すも、さらにサーシェリナさんの声が追いかけてきた。
「ねぇ、リーンフェルド殿下。わたくし、救世主さまにきちんとご挨拶申し上げたいわ。ご紹介いただけますでしょう?」
明日からの旅もご一緒するのですし、と言葉を続け、サーシェリナさんはお伺いを立てるように軽く首を傾げて王太子殿下を見上げた。王太子殿下との距離は、近い。それはそうだ、婚約者なんだから。
そう言い聞かせるのに、胸がもやもやした。上手く、顔が見れない。
「……救世主さま方、少しお時間よろしいでしょうか?」
わずかな逡巡ののち、王太子殿下はサーシェリナさんの希望を叶えるために動くことにしたようだ。はるくんの様子に緊張感みなぎらせる中、事情を知らない輪音ちゃんだけが一人わくわくした様子でサーシェリナさんに視線を向けていた。
ユエジンさんの背を押していた私は、そのままユエジンさんの背中を借りて隠れることにした。さっきみたいな修羅場になってご覧なさい、輪音ちゃんがびっくりしてしまうじゃないか。
なるべく穏便に自己紹介を終えていただきたい。救世主の紹介って言ってたし、救世主でない私の紹介はなしの方向で。そんな都合の良いことを願ってしまう。
「こちらはサーシェリナ嬢。この世界でも指折りの癒やし手であり、明日から、封魔の人柱が安置されている場所まで一緒に旅する予定です。サーシェリナ嬢、こちらはハルさま、トオさま、モトネさまだ。異世界からのお客人、決して失礼のないように」
「あら、リーンフェルド殿下、わたくし心得ておりましてよ。みなさま、サーシェリナですわ。そちらの……、トオさまでしたか? 癒やしが必要なら、いつでもおっしゃってくださいましね」
とおくんに癒やしが必要だと、誰かから聞いたのだろうか。それとも、癒やし手の人は癒やしが必要な人が分かるのだろうか。答えをそこまで知りたいと思っていない疑問を思い浮かべながら、時が過ぎるのを待った。
「リーンフェルドさま、あのお方は、なんとおっしゃるの?」
あのお方、とご指名をいただいてしまった。ユエジンさんの後ろに隠れるように立っていたけど、丸見えでしたよね。
みんなもいるし、王太子殿下も騎士団長もいるし、たとえ公爵家のご令嬢相手であっても、いきなり断罪されるようなことはないと信じたい。
ここは自分で自己紹介すべき? それとも、王太子殿下に伺ってるから、王太子殿下から言ってもらうべき?
「彼女は、名を隠されている。便宜上、おまけさまとお呼びしている」
迷っていると、王太子殿下がサーシェリナさんに言ってくれた。サーシェリナさんと目が合ったので、一応ぺこりと会釈しておく。
「名を、隠されている……? まさか、ご自分から隠していらっしゃるの?」
何だか雲行きが怪しい。なぜサーシェリナさんはいきなり鬼のような形相をしていらっしゃるので?
「もしや、ご自分が選ばれるとでも思っているのかしら?」
それは、彼女にとっては何気ない言葉だったのかもしれない。
けれど、確実に私の、一番触れて欲しくない場所を刺激した。
言葉の脈略も分からない、話題に見当もつかない。けれど、私が選ばれるはずがないという嘲りと侮蔑が込められていることだけは分かった。
「まぁいいわ。おまけさまね、そう呼ばせていただきます。なんて滑稽だこと」
ふふっと笑みをこぼしたサーシェリナさんの態度に、いつの間にか状況を察していたらしい輪音ちゃんが、一歩前に出た。
「ねぇ、何がおかしいの?」
きゅるるんっという効果音が聞こえてきそうなほど、可憐に輪音ちゃんは聞いた。
しん、と途端に静まりかえったのが分かる。誰も何も発せずにいる中で、唐突にはっと輪音ちゃんは我に返ったように姿勢を正し、すぐにくるりとこちらを振り返った。
さっと私の腕に手を掛けてくっついてくる。
なんというご褒美!
「いけない、一瞬我を忘れてた。こういうとき、冷静さを失った方が負けって、よく嬉世ちゃんが言ってたのに。言葉が通じない相手とやりあったって、時間がもったいないって。さ、早くお部屋行ってお茶にしよ?」
「そだね。ねぇ、もう自己紹介も終わったし、行っていいでしょ、王太子殿下?」
とおくんもかったるそうに同意し、王太子殿下に可否を問うだけ問うて、そのまま歩き出した。
輪音ちゃんに腕を組まれたまま、私もその場を後にする。最後に残ったはるくんの声が、低く響いてきた。
「これで二度目。サーシェリナさん、三度目はないから。おねーさん傷つけるようなこと言ったら、俺はこの旅にはもう協力しない。あんたのせいで、世界終わるかもしれないよ」
はるくんーっ!! それ、救世主特権すぎ! 絶対言っちゃダメなやつじゃん!!
「なっ、なっ、なんて粗野なお方なの!? 聞きまして、リーンフェルドさまっ!? あのような者が救世主だなどと、高潔さの欠片もないではありませんか!」
火を付けたように怒り叫ぶサーシェリナさんの声は聞こえたけれど、その声に王太子殿下がどう答えたのかは、聞こえなかった。




