罪には罰。
「それで、この街にいる俺みたいなやつに会うのはどうしてだ? まさか仲間に向かい入れるつもりか? 俺みたいに」
俺は、空になった発泡スチロール製の蕎麦の入っていた容器を、綺麗に半分に割った割り箸で無意味に、無意識に突きながら、とくに星呼のほうを向くことなくなんの気なしに聞いてみる。
「お前、割り箸割るのうまいな。人間なにかしら一つくらいは取り柄があるものだ」
自分の割った、かろうじて持って使うことができるそれと、俺が綺麗に半分に割った割り箸を何度も見比べている。
真意が何なのか? 俺の質問を無視してまで言うことなのか? なにをそこまで真剣に考察する必要があるのか?
でもそこがまた良い、と思ってしまう。
ツンデレという言葉があるらしいが、その意味を知らない俺でも、体験しているこれがそうだと思える。
外部からの影響が俺をこんなふうにしていくなんて。
自分以外の存在を受け入れることが、ここまで俺を侵食してくるなんて・・・。思考回路が徐々に、ではなく、急激に崩壊していくのをこれでもかと意識させられる。
でも、そのどれもが全て、自分が勝手にやってしまっていることだ。
その全てを楽しみ、慈しむことをしているだけのことなのだ。
恋という心理の真理を自分に問いているだけなのだから。
「昔、教えてもらったことがあってな。教えようか?」
「うるさい。私に出来ないことなんてこの世に一つとしてないのだ!」
「ないのだ!って、そんなにムキにならなくてもいいだろう」
「誰がムキになっているって? 勘違いするな。私は彼方をただ褒め称えているだけだが!」
そんなこと、こいつがする訳がない。思うわけがない。
「そんなことはどうでもいいから。会ってどうするのかって聞いてるんだよ。恥ずかしいことだから言いたくないけど、言わなければ俺が後々後悔するから言っとく。引き入れるのか? 俺たちの関係に?」
告白と捉えられていないか?
「関係」なんて言い方は、今の俺と星呼、それに、こいつ、というこの現状を壊すのではないのか?
プラスなのか、マイナスなのか、不安定な感情が、結果イコールゼロとなってこうして聞いてしまっている。
しかし、これもまた、自分が勝手にしてしまっていることなのだが・・・。
「恥ず! 恥ずいぞ! 私が彼方なら赤面通り越して、頭全体が熔解しているところだ。なんだ? どうした? 大丈夫か? よく顔見せろ! 熔解していないか?」
「なんですか? 頭がどうしたんですか?」
美しい音色が跳ねるように響く。ではあっても、緊張感のある、慌てている音が、コインランドリーに響く。
「ほんとに心配してるかお前ら」
疑問文でない問を二人にする。
少し時間を置いて気付く、俺たち三人はそれぞれ、誤魔化すという作業をしていたと。
そして俺は気付く、質問の答えを聞くことは出来ないと。
その日は少し車を走らせたところにある、この街には似てもに似使わない立派なホテルに宿をとることにした。
この旅で、夜宿を取るということはまちまちで、このところは、車中泊する日が続いた。
車中泊は俺にとっては地獄で、苦行以外のなにものでもなかった。
自分でいうのもあれだが、高尚な生活を最近まで過ごしてきた俺だ。
死ぬまでに車中泊という経験なんてすることはないと思っていた。
初めて車中泊する夜は興奮した。キャンプの延長のようでもあり、秘密基地で一夜を過ごすようなイベントに興奮した。
が、その興奮は一夜にして後悔に変わっていた。
今まで痛みを伴ったことのない部位からの悲鳴。
単純で、当たり前な寝づらさが生み出した寝不足という結末。
期待に胸踊らしさえした『車中泊』という、その日初めて知った言葉は、マイナスしか産まない行為だと思い知らされた。
けれど、バイオリンであるこいつにとってそんなことは別にどちらでもいいことだった。
運ぶ際に常に入れているオプロングケースには、外気の湿度の影響を受けないように湿度調整剤や、除湿乾燥剤が入っているし、近年のバイオリンケースの主流になっている、小型軽量で持ち運びのしやすいものとは一線を画す、木製で昔ながらの、バイオリンという楽器をしまうのは大きすぎる、名だけがケースという空間。
実際に入って一夜を過ごすことが出来るのならば、さぞ、居心地の良い空間でこいつは車中泊をしていた。
だから、ネックが反ったり、弦が切れるような、自分の体に不都合を起こす原因なんてあろうはずもなかった。
星呼も星呼で、こいつが今までどんな生活を基準として生きてきたのか知らないが、こんな生活を初めて一度も不満を口に出したことがない。
そんなだから俺が、意気揚々と不平不満を口に出来ずにいた。
星呼は、ただ、本当に、この暮らし(?)を楽しんでいるようにしか見えなかった。
車中泊にも勿論ノリノリで、一応世間体的には男と一つ屋根の下(?)で一夜どころか、何夜も朝を迎えるというシチュエーションなのに、そんなものに気を病むなんてことは皆無だった。
俺の寝不足の要因の一部にはそのことが含まれているというのに。
「やったー!」
俺は、久しぶりに一人で手足を思い切り伸ばして寝れることを、素直な言葉として音に出していた。
「やったー」なんて言葉を音にするなんて、子供の時以来だ。
バイオリニストとして生活していた時なんて「やったー」なんて思ったことすらなかった。
「一人って久しぶりだな」
あいつは、星呼が一緒に寝たいと、世間で流行っているという女子会をすると言って連れていってしまった。
思えば、俺の生活は、一人という空間には居ても、決められた時間配分や、急な電話の雑音に、四六時中、他人に監視され、強制的に関わられているような暮らしだった。
「・・・あの寝顔を今日は見れないのか・・・」
言って驚く。
二重の意味で。
「ここまでなのか、いや、そうだろうな。当然だろうな」
恋は盲目。
こうして目を瞑り、頭の中で音にする分にはいいが、もしも口から音として発していたらと思うと・・・。
「雑音と沈黙」
一人という時間が久々に思い出させた。
バイオリンを母親に勧められて、いざ弾き始めてからはいつも、毎日、常に思いしらされていた感覚。
『雑音』 自分にとって不都合で、想定外な、上手く物事を運ぶことが 出来ない事象。
『沈黙』 それらの状況が一向に改善しない状況。
誰にでもあるような感覚ではあるのだが、でも俺にとってその感覚は生き死にに影響を及ぼすほど重要なことだった。
物心つく以前は、『雑音』を感じると、同年代の子供達にくらべ、癇癪というには別の、次元の違うなにかで、普段は必要以上に大人しいのに、その豹変ぶりは、悪魔にでも取り憑かれているのではないのかと両親が不安に思うほど暴れ回った。
最終的に精根を尽き果てて『沈黙』するがごとく意識を失い、毎回その終演を迎えていた。
一般的にイヤイヤ期と呼ばれるそんな時期を終え、物心というものが付いてからは、豹変しまいと、両親を不安な気持ちにさせまいと、自分なりにその感情を制御しようと、内側へ、中へ中へと押し込めるようになっていった。
しかし、最終的には結局何も変わることなく、我慢の限界に達し、強制的に意識を無意識にシャットダウンしてしまった。
こうしていられる今が不思議なくらいだ。
どころか、子供のころから自分だけを信用しきた俺が、他人に影響されるまでになるなんて。
あの症状が改善し、今となっては完治しているともいえるまでになった。
「もしかしたら」
なんでこうなったのか分かりかけたところで、疲れ切っていた俺の意識はシャットダウンした。
それはあの時とは全く別のものだった。
翌朝、隣から聞こえる、まだ早朝と言える時間だというのに、昨夜には聞こえなかった、どう考えても子供が全力ではしゃいでいるとしか思えないほどの騒がしさで目を覚ました。
たまに聞こえる本来ならば、ルームサービスなんかに使うために備え付けてある電話の呼び鈴が、なんとしてもこの電話を取らせようと必死に鳴いている音を立てている。
「あのバカども」
急いで隣の部屋に行く。
鍵が閉まっていて中に入ることは出来ない。
未だ扉一つ隔てられた向こう側の別世界では、その騒ぎは収まることを知らない。
「おい! いい加減にしろ! ここはホテルの一室だぞ、コンサートホールじゃないんだ!」
一連の騒ぎ。
その内容は、あのバイオリンを勢いよく奏で、そこに、星呼の歌声が混ざり、相乗効果によって何倍にも響き渡る、ライブ会場へと変貌していた。
但し、普通の人間にとってはそうだが、俺からすれば、二つの大声の大合唱が聞こえている。
「お前までそうなったらどうしようもないだろうが!」
大の大人が廊下で騒いでいるのを、なにかあったのかと確認するために各々の部屋から客たちが廊下へと出てくる。
「おい! うるさいぞ! なに騒いでるんだ!」
「なに? なに? だれ? なにを騒いでるの?」
各部屋から出てきた客たちが俺に向かって怒号やら、確認やらをしてくる。
俺に向かってだ。
「お前の声が邪魔で聞こえないじゃないか!」
「なにもそこまで邪険にならなくてもいいんじゃない」
確信が確証へ変わる。
すでに、同階の客ほとんどが廊下に出て、俺に向かって避難の目を向けている。
明らかに常軌を逸しているこの状況を俺は数分理解することが出来なかった。
その原因が、諸悪の根源となっているものが、目の前ではあるものの、鍵の掛かった扉ひとつで遮られることによって起こってしまっている現状、もうどうすることも出来ない。
無駄だと分かっていたが電話も掛けた。もちろん出ない。気づいてすらいないだろう。
遠隔にでもあのバイオリンと会話でも出来ないかと、念という名のテレパシーというが出来ないかと試みる。当然出来る訳がない。
ありとあらゆる手を尽くそうと、この状況に俺の精神が参ってしまってる。
こんな時こそ意識をシャットダウンさせるべきなのだが、久しぶりにゆったりとしたベッドで熟睡した俺の意識のは、聡明さが全開になっている。
「まさか止めさせようとしているのか?」
「だめだ! あいつをなんとかしろ!」
「ちょっと待て、あの男見たことあるぞ!」
そこかしこから俺の行動を止めさせようとする声が聞こえてくる。これ以上この場所に留まることは無理だ。
俺は逃げるようにエレベーター前まで走る。
「1」と点灯しているのを確認すると、今度は非常階段へと走って移動する。
何故か運良く施錠がされていなかった7階の非常用扉を開け外へと出る。
階段を駆け下りると、久しぶりの全力疾走に気分も転換され、落ち着きを取り戻せてきた。
ホテルの駐車場まで降りてくるころには、2つの声は全く聞こえなくなっていた。
あの階にいた連中は明らかに二人の合唱を聞きたがっていた。
それを俺は止めさせようとした。
迷惑だと。騒音だと。なんでそんな風に思ってしまったのか。
あの空間に常識をもった人間は俺しかいないと。改善しなくては困ると。
でも、間違っていたのは俺だった。
その瞬間、『雑音』と『沈黙』によって引き起こされたあの症状の原因はは俺にあったんだと気付いた。
自分自身に汚点は無く、それ以外に原因があるとしか思えなかったあの頃の俺。
外の世界を遮断しているくせに、いざ、症状が発症すると辟易して逃げるように外部のせいにしていた。
自らの体重を支えることができない。
思わずしゃがみこんでしまう。
「痛っ!?」
突然の痛みに、そうは言ったものの、どうして頭痛なんて患わるのか不思議に思った。
あの頃は痛みなんて感じなかった。
その前に意識を無くしていた。無くせていた。
この痛みは罰だと、他人と自分は違うんだと訳の分からない自信で武装して満足していた罪を認めたからの罰なんだと、そう思うしかなかった。




