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星空を歩く


 半日と少し、ガタガタと揺られているうちに辿り着いたのは広野の先。

 高くそびえる山岳の、それをくり抜く不気味なトンネルの入り口。


 竜車──馬よりも遥かに速い高価な交通手段で(リッチや……)とエマは唖然とした──を降り、御者に礼を入れたところで、フェリクスはエマの手を取った。

 迷子にならないように、なんて言ってぎゅっと握られる。

 完全に保護者である。


 もう日も落ち、辺りは随分と暗い。トンネルの中は当然、右も左もわからないほど更に暗い。

 フェリクスは明かりを灯すこともせず「すぐ着きますから」と言う。

 見たところかなり大きな山だった。

 だというのにすぐなのか、と浮かんだ疑問に答えるように、


「空間が歪めてありますからね。酔わないように注意してください」


 なるほど。先程から妙な感じがするのはそのせいか、とエマは二人分の足音と握る手を頼りに足を進めながら思った。


 そして彼の言う通り、トンネルの終わりは直ぐにやってきた。


 広野から一転、山の向こう側には煌びやかな町が広がっていた。

 滑らかな石畳が続き、立ち並ぶ煉瓦造りの建物たち。中心に向けて地表はやや盛り上がっており、町から突き出るようにそびえ立っている時計塔の周辺に、大きな建物が連なっているのが見える。

 夜だというのに眩しいほどに明るく、そこかしこに浮かぶ魔術灯が町を華やかに照らしていた。


 王都も凄かったが、こちらも負けてはいない。

 エマは感嘆の息を零した。


「この盆地一帯がワーズなんです。建築系の魔術師のおかげで、わりと賑やかな町並みになっているんですよ」

「はい……驚きです……なんていうか、もっと事務的な、質素な場所かと思ってました」


 人も多いんですね、と通りすがる人々を物珍しく眺めながら言えば、


「中央機関以外は出入りが自由ですから、意外と普通の町とそう変わりません。ちょっとした貴族の遊び場のようになっていたり、研究室に入れなかった者や、一部地域には魔力を持たない者たちもいます」

「へぇ……」


 それはまた物好きな、と思うエマに、フェリクスは通り掛かったショーウィンドウの中を覗くように促した。


「こういったものを使えば、魔力はなくとも魔術の使用は可能です」


 フェリクスの指差す先を目で追えば、美しい魔石が飾られていた。奥底に蠢く魔力が誘うような輝きを放っている。


 たしかに、こういった魔力資源を使えば自分で魔力を生み出す必要はないが…そう思うと同時に、エマは値札を見て驚愕した。

 目玉が飛び出るほどの値段だ。


「如何せん手に入りづらいのが難点ですが」


 いやこれはもう手に入れる物ではなく店の飾り物と同等なのでは、とツッコミを入れたい。


「そのおかげで多くの者は果ての鉱山を掘り進める仕事に就いていたり、魔法士に魔力の供給をお願いしたりと、難儀な日々を余儀なくされています」

「な、なんというか……世知辛いですね……」

「それはもう、この世のどこにいても大抵はそんなものでしょう。それでも魅かれてしまう気持ちもわかります」


 けろりと言ってのけるフェリクスに、この人はどれだけの修羅場を潜ってきたのだろう、と思わざるを得ない。

 生まれは平民、今では魔法士のトップを担っているのだからそれはまぁ色々とあったのだろう。

 プロフィールは馬鹿みたいに簡潔なのに、設定は全く簡潔じゃない。

 身を持って『MLS』の粗を思い知らされる。

 肝心なところをないがしろにしている。売れなかった理由がよくよくわかる。


 そもそも物語は殆ど研究室内での出来事で進み、ワーズがこんなに広いなんてことを知りもできなかったのだ。

 情報が一部過ぎて、前世の記憶が大した役に立たない。

 とりあえず、粗相を働くことで死ぬ、そう予め教えられているだけというのは、


(つらい)


 多方面に文句をぶちまけたい。


「エマさん? どうし──」

「あら、サースティン先生?」


 背後から掛けられた声にフェリクスの言葉は遮られた。

 反射的に振り返った先には貴族らしい身なりの女性。

 嬉しそうに寄って来て「先日はどうも」と言いつつ、フェリクスの腕に擦り寄った。

 それを皮切りに、「先生?」「先生だわ」「ご無沙汰しております」などと口々に、わらわらと人が集まってきた。

 その勢いに押され、エマは見事に人だかりの外へと放り出される。


 何事、と狼狽えるエマだが、どうやら彼の薬に世話になった者たちなのだと、聞こえてくる言葉から把握した。


 しかしまぁ、寄ってくるのは見事に女性ばかり。

 噂に聞く色男ぶりだなぁ、とエマは違う世界を眺めるような心地でいた。


 女性台風の目となっているフェリクスと遠目に視線が交わる。

 ごめんなさい、そんな声が聞こえてくるような申し訳なさそうな顔に、大丈夫という意味合いでひらひらと手を振った。


 いくらでも待ちますとも。

 そんな腹積もりで道の端に寄っていれば、


「おーおー。また女を侍らせて、魔法士様は全く良いご身分だなぁ!」


 わざとらしい嫌味が、通りに響き渡った。


「令嬢方のお戯れを本気に捉えるなよ平民が」


 忌々しそうに言い捨て通り過ぎていく中年男性の背を、きゃっきゃと騒いでいた女性たちは口を噤んで睨んだ。

 しかし、それだけだ。

 誰も彼を咎めようとはしない。


 彼女たちも結局は感謝はあれど、心の奥底で彼の生まれを憐れんでいるのだろう。だから、誰も言い返すような目立つマネができない。

 少し気まずそうにしながらもまたフェリクスへと向き直り、「気になさらないで」という彼を気遣う言葉が聞こえてくる。

 エマは何ともいえない気持ち悪さを感じた。


 フェリクスは慣れているようで、はなから気にした様子はない。

 波風立てないのが無難であるのはわかる、が。


 ──ちょっとの風くらいなら、立ててもいいよね。


 エマはフゥっと宙に向けて息を吹いた。

 それは小さな風波となって、


「ぬわぁっ!」


 男性の髪を攫った。


 髪──ようは、カツラである。


 宙へと飛び上がったそれは、彼の手が届かない絶妙な高さの柵の先へと引っ掛かり、ハタハタと音を立てて風に靡いた。


 少しの静寂の後、どこからともなく誰かの吹き出す声が上がる。

 それが着火剤となり、辺りにいた人間が堪らずといった様子で笑った。フェリクスを囲っていた女性たちも、流石、いやらしい笑い方をさせれば天下一。見事な嘲笑である。


「ッ、くそっ!」


 必死に手を伸ばす男に誰もが目を奪われている間に、


「わっ! エ、エマさんっ!?」


 エマはフェリクスの手を取り、そのまま数十メートル上空へと跳躍した。


 ふわりと浮き上がって、下降することなく留まる。


「ジャーンプ! からの、お空のお散歩です!」


 エマはフェリクスの両手を握りながら、満面の笑みを浮かべた。


 消えるように攫ったのだ。下では戸惑う声が上がっている。

 だが、そんなものは気にせずスイスイと空を泳いだ。

 どうせ今はフェリクスのことよりも、それなりに著名である子爵の頭がつるっぱげだったことの方が余程興味を引くだろう。


 原因は気まぐれな風。自分たちには関係ない。

 であればさっさと退散するに限る。


 美しい町並みを見下ろして、エマは楽しそうにはしゃいだ。

 ぶっちゃけた話、すこぶる機嫌が良かった。

 文字通り浮いているわけだが、心も浮かれていた。


「酷いこと言うから悪いんです、いい気味です!」


 クスクスと悪戯っ子のような笑みを零すエマは、まさににょきにょきと悪魔的ツノが生えているようだった。

 出てはいけない一面が垣間見えているが、本人は全く気付いてはいない。


「エ、エマさん……! 僕、浮遊魔法とか、はじめてで、」


 珍しく焦った様子で言うフェリクスに、「ではしっかり掴まってください」とエマは両手をぎゅっと握り込んだ。


 物体浮遊の魔法は基本的なものだが、自身やその他生物の浮遊魔法は高度である。

 静物への干渉魔法と、生物への干渉魔法には大きな差がある。

 そもそも魔力切れで落下、なんてことになりかねないので普通はやらない芸当である。

 エマでさえ、長時間の浮遊は可能ではない。

 しかし今日ばかりはギリギリまでフライト予定だ。

 もう煩わしいのはごめんである。


「フェリクスさんは大変ですね。歩くだけで色々と寄ってきちゃうなんて」

「いえ、今日みたいなのは稀で……ていうか、さっきの風ってもしかして……」

「ふふ、スッキリしませんでした?」


 私はしました、と良い笑顔で言うエマに、フェリクスはポカンと呆けた。

 月の光と魔力の放出によってキラキラと濃紺の髪を輝かせているエマは、いつもとは違った独特な空気を放っている。


「意外です……六年越しに、エマさんの新しい一面を発見してしまいました」

「え?」

「実は棘持ちのお花さんだったんですね」

「は、はい!?」


 フェリクスの言葉に衝撃を受けたエマは、冷水を掛けられたかのように一瞬で平静を取り戻した。

 そして思う。

 粗相──したのではないか、と。


「わ、わわわわたし、死刑ですかね!?!?」


 途端に湧き上がる胃痛、悪寒。

 ビビりすぎて顔色まで悪くしてグルグルと目を回すエマに、


「まさか」


 今度はフェリクスが可笑しそうに笑った。


「エマさん、僕、研究以外でこんなに愉快な気持ちになったのは久しぶりです。空を歩くのも、とても楽しい」


 先程の女性たちが見たら卒倒するだろう破壊力の微笑みである。


「ありがとうございます」


 繋いでいた手が持ち上げられ、甲にキスが落とされた。


 星が散らばる夜空が近く、大きな月が二人を照らし、足元は煌びやかな灯が輝いている。

 そんなロケーションで、これだ。

 子ども騙しだろうとなんだろうと、照れるものは照れる。


 ボフン、と湯気を立てて赤面したエマは、ヨロヨロと高度を落としていく。


(た、戯れが……戯れが過ぎる……)


 主要人物の絶大なるオーラに気圧され、本来闇サイドであるエマは「ウッ!」とその眩さに目を顰めずにはいられない。


 顔の熱は地に足がついた後も治らず、そんな彼女を知ってかしらずか、「でも今後はあまり危ないことはしないでくださいね」と普段と変わらない調子で注意を入れるフェリクスに、エマは生返事を返した。

 真面目に付き合っていたら戯れによって葬られる気がした。


 そうこうしているうちに、ついに目的地へと到着──、


「してしまった……」


 エマは目前の巨大建築を見上げながら、途方もない気持ちで呟いた。


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