第32話 最終話
軍の到着を待つ中、ルミナスは一人で外の景色を眺めていた。完璧主義者のアリスがラザルの逃亡を防ぐため彼を念入りに縛り上げたのち、ルミナスの腕の傷の治療を行った。
魔術で身体は良くなっても内面はそうではない。
彼女はずっと物憂げな表情で佇んでいた。
「ルミナス。考えすぎても仕方ないぞ」
「分かっています」
ティルタニアという国は最初から魔王討伐を目的として建国された。その目的のために国民の心を一つにまとめあげる。その手段がティルタニア正教であり王家だ。女神やその眷属の話などは誇張した神話に過ぎないのだ。それとは別の手段を模索したのが初代アスタルト。彼の記憶が全てを教えてくれた。
ルミナス・カルディアもまた生き方を縛られていた。
「私は自分の行動で傷つく人がいることが怖かった」
遠く遠くを見つめる。
「だから甘えてしまったんです。物語の世界からやって来たような強いあの人に、甘えるべきじゃなかった。しっかりしなきゃいけなかったのに」
声は震えていた。
「私にだって何かできたかもしれないのに」
本人の意思に反して一滴が頬を伝い、はらりと落ちた。
「また何もできなかった。私は。また頼り切りで」
一度堰を切った涙は次々と零れ落ちた。
「あー非常に言いにくいんだが……できれば怒らずに聞いてくれると嬉しい」
アオイはがりがり頭を掻く。
ずっと話さないつもりだった。だがその顔を見たらそうは言ってられなかった。
「先代勇者って別に死んでないんだ」
「……はい?」
ルミナスは涙にぬれた目を真ん丸に見開く。
「死んだことにするっていうのが始めからの決まりでな。先代勇者は死んでない」
告げられた言葉を飲み込めないルミナスは完全にその場で停止した。
「正直に言うと俺なんだ」
「へ?」
「俺だ。ほら」
アオイは己の手に目を向ける。人さし指にはユリアがつけている見隠しの指輪と全く同じものがはまっていた。それを取ってみせると、ルミナスは何度も瞼を瞬かせる。
「ええっ!」
ルミナスは震える手でアオイを指差す。彼女はパクパクと口を開閉するがなかなか言葉が出てこなかった。そしてしばらくして……。
「えええええええええええええええええええええええええっ!?」
絶叫が響き渡った。
「勇者のお兄さん?」
かつてルミナスがよく使った呼び方をした。
「幻滅させて悪いな」
「め、滅相もない」
ルミナスはぶんぶんと心配になるぐらい首を横に振る。
「な、なんで教えてくれなかったんですか。私にぐらい教えてくれても」
「なんとなく?」
「なんとなくぅっ!?」
ルミナスは素っ頓狂な声を出す。
「わ、私がどれだけ悩んだか」
恨みがましい眼でアオイを見上げた。
「悪いな。俺はあの時に前の自分は全部捨てようと思ったんだよ。君は俺が捨てたものを大事にしてた。だから言わなかった」
夢を壊したくなかったと言うべきだろうか。
思い出を綺麗なままでいさせてやりたかったのだ。
「ようやく分かりました。貴方が先代勇者さまを馬鹿にするようにしていた理由が」
ルミナスは躊躇いがちに言葉を区切り、やがて問いを発した。
「……後悔しているんですか?」
「そんなことはないさ。後悔してるわけじゃないんだが……やっぱり何となく割り切れなかった。王侯貴族たちに裏切られたっていうかさ。我ならが女々しいけど」
それに、とアオイは言葉を続ける。
「何も変わらなかったんだよ。俺が頑張れば少しでも変わると思ってたけど、やっぱりそんなことはなかった。リュカの望みも果たせずじまいで、俺がやったことに何か意味があったのかって思ったんだ。何の意味もなかったんじゃないかって。やっぱり何かを変えられるのは、君みたいに上に立つ人間なんだよ」
権力、血筋、それは疎んでいたとしても、確かに強力な力なのだ。アオイにはないそれを彼女は持っている。リュカを失ったアオイが何もできなかったように、もし何かを変えられるとすれば彼女のような人間だ。
「そんなことないですっ!」
しかしルミナスはアオイの言葉を力いっぱい否定した。
「私は貴方に憧れました。私だけじゃない。みんな勇気をもらったんですよ。ティルタニアの平和は全部、貴方たちのおかげです。……もし私が何かを変えられるというのなら、それは貴方のおかげです」
飾らない言葉でぶつかってくるのを、アオイはただ黙って聞いているしかなかった。
「私が協力します。貴方だけで変えられないなら私も、それでも駄目なら力を借してくれる人をもっともっと探しましょう。みんなで一緒に変えれば良いんです」
ルミナスは握手を求めるように手を差し出した。
「一緒に、変えてください」
ルミナスは真っ直ぐにアオイの瞳を見つめていた。
その光景はかつての友と重なって見えた。
美しいとも危ういとも思えた。
変わって欲しくないとも、変わって欲しいとも思う。
だが少なくとも今は彼女の眩い表情を陰らせることはしたくはなかった。
「俺でよければ力を貸すぜ」
「ありがとうございます」
アオイが手を差し伸べると彼女もそっと手を握り返した。
この社会全体を変えていくのは生半可なことではできないだろう。だけど彼女とならばもしかすると、そんな予感があった。
手が自然に解けるとルミナスは更に距離を詰めてアオイの胸にこてんと顔を埋めた。
「嬉しいです。また会えて」
そして小さく身体を震わせて静かに涙を流していた。
その後ルミナスはしばらくの間泣き腫らしてしまった。
あまりに嬉しくて、泣きたくなんかないのに、こみ上げてくるものがあった。
軍が到着して、怪我を抱えたルミナスは心配した女王にあちこちに引っ張りまわされて、ようやく冷静になってくると、大胆な真似をしてしまったと恥ずかしさも生まれたが、それ以上にすっきりとしていた。
涙と一緒に心に溜まっていたものも流れ出してしまったのか、胸のつかえが取れていた。不安はこれからも付きまとうだろうが、少なくとも自分を認めてくれる人がいると思うと、それだけで心が温かかった。
ようやく自室に戻ったのは夜になってからだった。部屋で一息ついていると開いたカーテンの隙間から差し込む柔らかな月の光があることに気が付いた。真っ暗な空にはぽつんと月が浮かんでいる。
ふと、少し前にもこんなふうに見上げたなと思い出した。その時は自分と同じ、偽物であるように感じたものだ。
──偽物なんて言ってごめんなさい。
この闇夜に旅人の道を照らしてくれるのは彼女しかいないのだ。
何者かの光を受けていたとしてもその輝きは彼女だけのものだ。
重要なのは与えられたもので何を為すか。
それによって見え方も変わってしまう。行いによってそれは形作られる。
ならばルミナスは人を導く明りになりたいと思った。誰もが手と手を取りあって暮らせるような未来に向けて。恥ずかしいから誰に聞かせるわけでもない、きっと多くの者から甘いと笑われそうだが、それが偽らざる本音だった。
ルミナスは窓枠に腰掛けて、外の景色をしばらく眺めていた。
名残惜しむように残っていた春の桜も完全に花を散らす時期が訪れた。
花弁が風に揺られて空に舞う。水面には桃色の花が浮いていた。
桜が散れば今度は薔薇の季節がやってくる。満開には至らない未成熟な薔薇のつぼみが花開く頃を待ちわびている。見ごろを迎えたティルタニアの名高き薔薇はさぞや美しく咲き誇るであろう。薔薇は女性に例えられ、ティルタニアではこの時期に愛の告白などをするものだった。
被害受けた都市の後始末では忙しそうにしている人もいるが、すぐにまともとの日常に戻るだろう。アオイたちは疲れもあるだろうということで何日か休みを取っていた。
そのうちに聞いた話だが、ダグラスもゼインもフェルノート公に操られていたという理由で処罰は軽くなるか、恩赦が与えられそうだった。特にゼインなどはルミナスを守るためにも力を貸したのだと、ルミナス本人が訴えたおかげもあるだろう。
休日にてアオイはティルタニア正教の大聖堂がすぐ近くにある慰霊碑を訪れていた。つるりとした光沢のある黒い碑には名前が無数に刻まれていた。主に先の大戦で殉職した高級軍人などを祀るものだ。
この名の数だけの人生があり、そして終わっていった。
アオイの友の名もそこには記されている。
「一緒に来るの。初めてですね」
「そうだな」
この場所に彼が眠っているわけではない。それに結局は彼に何も報いることができなかったと思っていた、その思いが足を遠ざけた。
ただ今日だけはアリスと一緒に行ってみようかと思いたったのだった。
花束をそっと供える。他にも同じような人がいたのだろう。花束が添えられ、痛んだ人形や写真が飾られている。その傍らにアリスは跪いて熱心に祈りを捧げていた。
そんな彼女の横で、死者に祈るなんて柄ではないアオイはただ過去を懐かしむ。出会いや別れの時を。間違いなく島を飛び出して良かったのだ。そうでなければ人を憎んで生きていたかもしれなかった。
気が付けばアリスの祈りもいつの間にか終わっていた。
アリスの寂しそうな表情の中にかすかに後悔が垣間見える。その他の複雑な思いが絡む視線はアオイには理解できないものだ。苦しみの比重で言えばアオイなどより彼女のほうが遥かに重い。兄を失ったアリスはしばらく呆然自失の状態だったほどだ。
「アオイさんは」
「ん?」
と聞き返す。
「勝手にいなくなったりしないでください」
不安が入り混じった瞳でアオイを見上げた。
「可愛いやつめ」
低い位置にある頭に手を乗せる。普段こんなことをすれば手痛い反撃が待っているが、この時ばかりはアリスもされるがままだった。
「いつ気づきましたか。ユリアさんのこと」
アリスは気分転換のためか、話題を突然変えた。
「結構、早かったな。迷いの森の時ぐらいか」
なんてことないようにアオイは答える。
「見隠しの指輪はつけてることも隠さないと意味ないんだよな」
例えば触った拍子にこっそりと衣類や装飾品などにシンを付着させておくなどすれば簡単に看過できてしまう。その結果は……語るまでもないだろう。
「その効力を知る人からすれば変装してると分かってしまいますからね。……それにルミナス様とユリアさんって性格そっくりですもん」
昔からルミナスを知るアオイだ、最初のほうから二人は似ていると思っていた。もっとも彼女はまだ正体がばれていることに気づいてはいないはずだ。
「いつ言うんですか?」
「本人から言うまで待ったほうがいいんじゃないか」
「知りませんよ。あとあと拗れても」
アリスは呆れ混じりのため息をもらした。
帰り際になってアオイは足を止めてもう一度、慰霊碑を眺める。
「もう一度信じてみようかと思う」
──お前の時みたいにな。
からんころんと大聖堂の鐘の音が響いていた。アオイたちの新たなる門出を後押ししているようには音は踊り、空の遠く遥か彼方まで響いて溶けゆく。その空は戦乱が終わり子供たちがその命を謳歌できる世界にもつながっているのだろう。
ここまでお付き合いありがとうございます。
とりあえず切りがいいのでここで完結としておきます。
お読みくださってありがとうございます。
見に来てくださるみなさまが心の支えでした。
特にブックマークやポイントをくださった方には多大なる感謝を。
投稿は初めてですが、めちゃくちゃ嬉しかったです。
また別の話も投稿いたしますので、ぜひよろしくお願いいたします




