第21話
夜のしじまが室内に訪れていた。時刻は深夜、世界は静まり返り多くの者が泥のように眠りこける夜更けにて、アリスはパッと目を覚ました。
危険な場所での泊まりは交代で一人見張りに起きているのがルールだ。習慣から目が覚めてしまったのだ。もう一度眠りにつこうとした時にアリスは部屋の中に人数が一人足りないことに気が付いた。狭い村では男女別の部屋というわけにもいかず、一部屋で反省室のみなが少し離れた場所で眠りについていた。
一つしかないベッドにはユリアとレヴィが一緒に眠り、その他は地面に雑魚寝していたのだ。そっと身を起こしてローブを羽織る。戸を開け外に出ると冷たい夜風が体の奥までしみ込んだ。極力、音を立てずに扉を閉める。
ひゅんひゅんと一定のリズムで風を切る音が耳に届いた。その音はアリスの心に懐かしさをもたらした。音だけで瞼の裏には光景が浮かび上がる。
目を開ければ月明かりを反射させ闇夜の下で剣を振るう青年……アオイの姿があった。
──綺麗だった。惚れ惚れするほどに。
兄の姿と重なる。それはアリスの兄の剣術を再現したものであった。リュカが使うのは貴族が好んで学ぶ王国正当流の剣術。本来実用的な面から言えば劣っていると言わざるを得ない美麗さを追求した流派でありながらリュカは負け知らずの剣士だったのだ。
もっともそれは目の前の青年が現れる前の話だったが。それだけの実力を持つアオイならば当然アリスがいることは気が付いているだろうと思っていた。
「久しぶりですね。貴方が剣を持ったのは」
リュカがいなくなってからというもの、本当に大事な時に何度かしか見ていなかった。やはりアオイは驚くそぶりも見せずに淡々と答えた。
「さすがに目の前で死なれたら寝覚めが悪いからな。念のためだ」
「……兄の剣術だなんて」
アオイの使う剣術は恐ろしいほど冷酷で無駄のない剣、平民が好む勝利こそが全ての汚い戦術を許容するものだ。リュカとはまさに対極と言っていい位置にあった。アオイが上品過ぎるリュカの剣術に半ば呆れていたのを知っていた。
それなのに今さらリュカの剣を再現しているのは。
「後悔してるんですか?」
「いや。あいつの選択にケチをつけるつもりはないさ」
しゃ、と音をならす納刀は悔しいほど似ていた。
「……私は後悔ばかりです」
気の迷いかアリスは思わず口に出していた。
「あの人は身寄りのない私の家族になってくれた。……暗闇の中にいたら、どんな手であろうと縋りつきたくなる。私は幸せ者です。救ってくれた人が兄だったから」
縋っても救われないこともある、縋った手が血に塗れていることもある。目の前のアオイなどがまさにそうだ。どれほどの血に塗れた人生を歩んできたか。多少なりともひねくれつつも、今こうやってまともに生活していることは驚きに値した。
兄に救われず、そのまま暗闇にいたらアリスはきっと耐え切れなかった。
「私も貰った分だけ返してあげたかった……」
与えられた救い。それに少しでも報いようとだけ考えて生きてきた。リュカがいなくなった時は目の前が真っ暗になり茫然とした。だがその時に彼の最後の頼みが脳裏をよぎった。
『俺がいなくなったら、アオイを頼む』と。
思案に沈みぼんやりと視線を虚空に漂わせる。
「アリス。俺になんか構わなくてもいいんだぜ。好きに生きればいい」
「いいえ。私は好きでこうしています」
アリスはそれからずっと兄の願いに縋っていた。
面倒を見ているなど上から言える話ではない、本来アオイはどこでも勝手気ままに生きていけるだけの力があった。それをアリスがこの場所につなぎとめているだけだった。兄が愛したこの国をアリスもまた愛し、人々の平和を守りたいと思っていたから。
あまり夜更かしも良くない、アリスはそろそろ戻ろうと言葉を投げかけようとした。その時だ。
カンカンカンカン!
激しく叩き鳴らされた鐘の響き。本能的に恐怖を引き立てられる音だ。静寂を貫き狂ったように叩き鳴らされる。静まり返っていた闇夜の中に恐怖が伝染した。
「アオイさん!」
アリスは切迫した声を出す。
四つ連続する鐘の音、それは魔物の襲来に対する警告音だった。
アオイたちが寝所に飛び込むと視界の端で蠢く暗黒の影があった。暗闇を凝縮したような真っ黒な人型の固まりがいた。ゼインはさすが歴戦の戦士だ、警告を叫ぶ必要もなく眠りについた状態からでも即座に反応している。傍らに置いてあった剣を抜き放ち抜刀と同時に切りつけた。しかし、黒い人型は剣をするりと通り抜ける。
「こいつらは」
ゼインもアオイも同時に思考が正解へとたどり着いた。影の両手の指先が鋭く伸びる、それを振るう前にアオイは懐から取り出した小瓶を地面に叩きつける。
閃光が空間を真っ白に染め上げた。
数秒間、部屋を照らし続けた光が収まった時にはもう影は掻き消えていた。
「な、なんですか今のは」
寝ぼけ眼のユリアは声を上ずらせた。
「あれは魔王が生み出した悪魔の能力だな。シャドウデーモンって名前で大量の幻影を操る。どこかに本体がいるはずだ」
ユリアは頷いて他のチームに警告するため念話を開始する。レヴィは欠伸を噛み殺しながら髪の毛をサイドに結って、それが終わると「倒すには?」と質問した。
「幻影は闇属性のシンの固まりだからな。光のシンをぶつければただの影に戻る。北の最果てにある日の沈まない都市で数年太陽の光に晒した剣を使ったりすると効果抜群だ。あとはこれとか。太陽の石だな」
アオイが取り出した小瓶には太陽の石と呼ばれるものが入っていた。先ほどはそれに宿るシンを爆発的に解き放ち発揮させたのだ。素材を単発で消費してしまうため質の悪い触媒でしか使わない手段だった。
「他の方々と合流しましょう」
おちおち会話をしている暇もなかった。同行者を守らなければならない。
場所はダグラスの宿泊場所に移る。
道中で見かけた幻影を消し去り、村人の避難を助ける。そして到着した時に見たのは地面に倒れて気絶しているダグラスを貴族の男が介抱している光景だった。彼は軽くダグラスの肩を揺する。「ううん……」と唸るが目を覚ます様子はなかった。
よく気絶するやつだとアオイは場違いな感想を抱いた。
「なにがあった」
アオイは近くの手頃な正規の人間に問いかける。
「寝てたら警戒ベルが聞こえて。飛び起きて外に出たらあの仮面の男がいて……あんな化け物に敵うわけない。あんなの女王の剣の要請対象だ。少なくともうちの上位層がいないと話にならない」
相変わらず一人も殺していなかった。おそらくは内通者だけを生かすのは不自然だからなのだろうか。仮面の男の技量からすれば前回も今回も皆殺しにできていたはずだった。
「ま、また出たぞ!」
男たちが指をさす。暗闇に紛れて黒い影がぽつんぽつんと揺らめいていた。
「狼狽えるな。しょせんは使役魔だ。知能は低いし簡単な動きしかできない。ペアを組んで落ち着いて戦えば倒せる」
「分かった」
圧倒的に身分の差があるはずの彼らは大人しく頷いた。緊急時にまともに指示を出す人がいない場合、たいていは自信に溢れた態度で命令する人間に従うものだ。激しい恐怖につかれながら身分差に気が回るのは一種の才能ではないかとすら思う。
アリスに目を向けると以心伝心、彼女は一つ頷いて目を閉じた。
ふわりと光が舞った。その場にいた10数人の獲物に白い光が宿った。武器に属性付与をする単純な魔術ではあったが、それでも並の魔術師では2、3人が限度だ。
「こんな人数を一人で……」
驚きに目を見張るもの多数だった。
反属性の有効打を受けて一つまた一つと幻影は打ち消されていく。個体の強さにもよるが一体で百の幻影は生み出せる。まだまだ数は打ち止めではないはずだった。
「ダグラス様たち、なぜヴィスを簡単に逃がしてしまったのでしょうか」
おかしくないですか──とユリアは問いかけた。
「あれだけの神技使いがいて全く手が出ないというのも、不思議で」
「そうでもないだろ。俺はそれも当然だと思ってたぜ」
むしろユリアが嫌にダグラスのことを気にするものだと逆に気になるほどだった。
「神技は確かに強力だ。なら答えは単純。使う前に倒せばいい。神技ってのはかなり使い慣れてないと発動まで時間がかかるからな。そして間合いを詰めて乱戦に持ち込めば威力が高い神技は同士討ちの危険が高くて使いにくい。貴族の戦闘スタイルって基本は神技に頼った後衛よりの戦い方なんだ。しかも最近じゃ魔術も剣術も過小評価してるやつが多いから神技頼りで融通がきかない。元々は騎士とか探索者が全面的にサポートしてそれを支えてた。みんな神技使いの貴族ばっかりで固めてたらあのヴィスぐらいの腕があれば簡単にあしらえるさ」
疑問が解消されたのかされないのかユリアは顎に手を当てて難しい顔をした。
「終わりました」
正規の人間が律儀にアオイに報告を入れた。その言葉通り近場の影の幻影は全ていなくなっていた。まだ眠りこけていたダグラスに対して「いい加減起きろ」と何度か軽く顔を叩く。するとようやくダグラスは目を開いた。
「ここは……」
一瞬ぼんやりと周囲を見渡し、すぐに状況を思い出したようだった。
「くそ。姑息な手にやられた」
すぐに追いかけたいところではあったが彼らは足止めのために魔物を放っている。町中には戦えない一般人が数多くいる、幻影の本体もまだ残っている、もし魔物に襲われたらひとたまりもないだろう。ユリアはその結論に至り上司であるダグラスに呼びかけた。
「ダグラス様。急いで魔物の本体を倒しましょう」
切羽詰まったユリアの言葉を受けてもダグラスは悠然と腕を組んだまま動かなかった。
「我々の任務とは関係ない。放っておけばいい」
「そんなっ」
ユリアは悲鳴のような声をあげた。
「やつに物資を燃やされた。明日以降はもう捜索を続けられなくなる。カルディアがあいつらを押さえるのは今しかもう機会はないんだ。こんな場所で時間を潰している暇はない」
敵が遺跡内部にいることが分かれば出入り口を見張ればいい。多数ある入り口をすべて押さえることが可能なのは軍だけだ。だからダグラスとしては今ここで押さえるしか手柄を立てる機会がないのだ。
だがそれも怪しいものだとアオイは思っていた。ヴィスの神技、あれは戦闘用に使ってはいたがどう見ても本来は移動系のものだ。仮に遺跡内部で見つかっても逃げられる算段があるのかもしれなかった。
その場にいる全員に聞こえるほど大きくダグラスは命令を発する。
「全員。出立するぞ! 3分で準備を済ませろ!」
非情とも言える決断にユリアは凍りついた。そして、しぼり出す様にして言う。
「だけど、そんなのって」
「これは決定だ。異論は認めない」
「せめて我々だけでも残らせてください」
「駄目だ」
ユリアは縋るように声をあげるが、ダグラスはうるさそうに顔をしかめるだけだった。
「彼らが平民だからですか。平民ならいくら死んでも構わないと言うのですか」
ダグラスはうんざりした瞳でユリアを見据えた。
「侮辱はよしてくれたまえ。平民といえど尊い命だ。それは分かっているとも。きっと私はこの犠牲に大いに心を痛めるだろうよ。寝れない夜を過ごし悔恨に打ち震えると約束してもいいとも。必要なら謝罪の手紙でも出してやろう。だが、いくら辛くとも上に立つ者は時には身を削る決断が求められることがある。すべてはカルディアのためだ。私は正しいことをする」
まだ生まれてもいない犠牲者を語る。
レヴィは不快げに眉をひそめ、見るに堪えないと顔をそむけた。
──貴族ってのは相変わらずだ。アオイは落胆を隠そうとはしなかった。昔からずっと何も変わってはいなかった。自己保身の能力とプライドばかりは高くて融通が利かない。アオイはいくら剣を振るっても変えられない世界に嫌気がさしていた。その結果としてルミナスを激怒させた。
「俺は魔物を探しに行く。お前らはどうする?」
命令違反の常習犯であるゼインは助ける決断をした。彼の発言によって一斉にユリアに視線が集まった。このチームの行動責任は正規である彼女にあった。
「指揮官の命令に逆らうわけには……命令違反だなんて、そんなの許されないことです」
ユリアは視線から逃げるように俯き、青ざめた顔で呟いた。
「あんたは他の貴族と違うと思ったんだが。口だけなんだな」
「ち、違います!」
叫びは虚しく響いた。言葉を証明するためには行動することが求められていたからだ。ユリアの言葉を待とうとはせずにゼインは走っていった。
「どうするんだ。坊ちゃんに従うか、それともゼインを追うか」
「わたし」
ユリアは口を強く押さえて身震いする。目の端には涙が浮かんでいた。彼女がここまで怯える理由はアオイには理解することはできなかった。いったい何を抱えているのか。
アオイはそんな彼女に近づいて……。
「はっきりせい」と頬を摘まむ。柔らかい頬をぐにぐに引っ張った。
「うぅぅ。い、いひゃい」
ぱっと手を放すとユリアは信じられないといった表情で頬を押さえた。
「な、なにするんですか! 今考えてたじゃないですか!」
「分かった。俺が決めてやる。はい、行かないでいいな。これで決定」
「だ、駄目です!」
「じゃあ行こうぜ」
「う。そ、それはその」
声を大にしたかと思えば一転して口ごもる。
アオイにしてみればここは魔物の本体を倒す以外の選択肢はない。なぜならば、夜間の山道で馬を走らせるのは自殺行為であるからだ。何よりここは遺跡だ、危険度は跳ね上がる。もちろんヴィスやアオイ程度の腕前があれば可能だが、アオイにはそのつもりはなく、特に団体で追いかけるなんて無謀極まりない。一人が落馬すれば後ろの人間も危険だ。きっとそのことにすぐ気が付いて追撃が不可能であると判断するはずだった。
アオイの中には既に確固たる答えがある。それを教えてやらないのは……意地が悪いようだったがユリアの答えを聞いてみたかったのだ。
「ならユリアは俺らの独断って言えよ。そうすれば責任は逃れられるだろ」
ユリアは言葉の意味が理解できずにぽかんとして、そしてすぐに、
「馬鹿にしないでください!」
眉をつり上げて怒鳴り声をあげた。
「責任を取るべき者が部下に負担を押しつけるなどあってはならないことです! 私だってこの身を国と民に捧げる覚悟で剣を取ったんです。そんな卑怯な真似はしません!」
高い声で喚かれて、きぃんと耳鳴りがした。
「分かった。分かったから怒るなって」
笑ってしまうほど潔癖症だ。真面目の上に馬鹿がつく。
どうしてもやはり懐かしさを覚える。今は亡き友、リュカ・ウィルザーに似ているのだ。アオイは何度もこんなふうに彼を怒らせたことがあった。といっても彼はまだもう少し現実的なところはあったが。
「剣を取ったのは人を助けるためだろ。ならそうすりゃいいじゃねえか」
ユリアはしばし目を閉じる。
次に目を開けた時には覚悟を決めたのか力強い瞳になっていた。
「怒鳴ってごめんなさい」
まず謝罪を述べた。この辺りも律儀な性格が出ている。
「助けに行きましょう」
ユリアが言うとレヴィは確認のために問いかける。
「ちゃんと分かってるの? 行くってなるとユリアが責任をとるんだよ」
「ええ。みなさんの行動の全責任は私が負います」
こんなことをすればもう探索者を続けられないかもしれない。それだけの覚悟のもとの行為なのだろう。
ああ……美しいなとアオイは感じた。
厳しく自らを律するユリアのシンは曇りない輝きを宿しているかのように見えた。今までもこれからも、きっとアオイにはこんなにも真っ直ぐに生きることはできないと確信があった。
「私はダグラス様のほうを追います。あちらも補佐がいないと危険でしょう」
「任せる」
追手はアリスに任せて、迅速に行動を開始した。
カチン──と鞘から剣を抜き放つ。友の面影を感じる少女のために、今回ばかりは本気で手を貸してやろうと思った。




