10話 『意思疎通』
疲弊した体に鞭打って、馬車馬のように肉体労働をこなした俺はフラフラになりながら、我が家の前に辿り着いた。気力だけで動いているような俺に対して、精神的ダメージを与える一報が、「ピコン」という受信音とともにメールの受信箱に届いていた。
『厳正なる選考の結果、誠に残念ではございますが、今回は採用を見合わせて頂くこととなりました』
うん。もう慣れたよ。慣れたけど、今の俺に不採用の一報は核爆弾を投下したくらいに大ダメージだぞ。完全にノックアウトされてしまった俺は、玄関のドアを開くとそのまま倒れ込んだ。
「もう嫌だ。こんな生活いつまで続くんだよ……」
本当に限界だった。結婚しようと言い続けて、ちゃんと結果を出すと約束し続けて、ずっと期待を裏切り続けて来た。自分の不甲斐なさに涙が止まらない。本当に情けない。
こんな俺と一緒にいて、聖菜は幸せなのだろうか。
聖菜に捨てられる不安よりも、聖菜を幸せにできないのではないかと、自分自身に対して自信がなくなってきていた。
「ただいまーって、どうしたの!?」
「ふえっ!?」
声を殺しながら泣いていたところへ聖菜が帰って来たことに驚きすぎて、自分でも気づかないくらいに変な声を出してしまった。
「ふえって……。って、いうか……泣いてるし……」
聖菜は不意に出て来た変な声と俺が泣いていることが、ツボに入ったらしく、目に涙を浮かべお腹を抱えながら笑い始めた。
「そこ、笑うとこ?」
「だって、ふえっ!? って……ぷふっー!」
そんなに面白かったのかと思うほど、ツボに入っている聖菜を見ていると、自暴自棄になって泣いていた自分が馬鹿らしくなってきて、俺も笑っているのか泣いているのか分からない状態になっていた。
「ったく、もう訳分かんなくなっただろ……はぁ、意味わかんね」
「意味わからないの、こっちだから……ぶふっ!」
こりゃあ、しばらく笑いが治まりそうにないな。
聖菜のおかげで冷静さを取り戻した俺は涙を拭い、笑い転げている聖菜をテレビのある居間へ連れて行った。そこから1時間くらい笑い通して、落ち着いた聖菜に今日のことを話した。
「そうだったんだ。せっかく面接手応えあったって言ってたのにね。そこの会社が見る目なかっただけだよ」
「そうかな……」
「そうだよ! それにダッサイ求人誌に載ってたやつの面接は合格して、採用試験も大丈夫だったんでしょ! そっちのほうが凄いど!」
「まあ、異世界だけどな」
今日のことは話したが、命の危険があったことは正直に話せていない。ただでさえ、色々と迷惑を掛けているのに、余計な心配を掛けさせたくなかったからだ。
少し前に、安定した職に就くなら、消防士とか警察官とか自衛隊なんかを目指しておけば良かったと話をしたことがあった。その時、聖菜は「命の保証がない仕事は不安になるから、目指さなくて良かった」と、漏らしていたことがあったから、なおさら言い出せなかったのもある。
「異世界だったとしても凄いよ! もしかしたら、彩斗はこっちの世界じゃなくて、異世界で生まれるはずだったかもしれないね!」
「それはそれで、聖菜と会えなかったから、この世界で良かったかな」
ちょっと照れ臭かったけど、俺は本心を言った。
「は?」
「え?」
まさか、「は?」って返されるとは思わなかった。まず顔が怖い。俺はまた何か癇に障ることを言ってしまったのだろうか。ナイーブなところに、般若みたいな顔をされると何も言えなくなる。
「彩斗がいるところに聖菜ありだから、どこで生まれても出会うに決まっているでしょ!」
これはこれで、嬉しさと恥ずかしさで言葉が出ない。聖菜は本当に俺のことが好きらしい。
「お、おう。ありがとな」
「何でキメ顔? めっちゃウケるんだけど!」
「は? キメ顔してないから」
「してるよ! いつも、謎にキメ顔するのウケる!」
「してないから、普通の顔がキメ顔だったら、俺がカッコいいってことじゃん?」
「ないない」
それを真顔で言われると、反応に困る。
冗談を言ったつもりだったから、そういう返しがくると、俺が自信満々のナルシストみたいで結構気まずい。
テーブルに置いてあったリモコンにスッと手を伸ばし、無言でテレビをつけるとニュース番組が映し出された。
『本日未明、数分の間、人が姿を消すという不可解な事件が日本各地で発生しました。警察の調べによると、年齢や職業などに関連性はなく、唯一共通しているのが男性という点のみで、詳しい情報はいまだ不明。中には外傷などはなく、意識不明の重体になっている患者が多数いることから一部の専門家は、新種のウイルスや脳神経の異常によるもの。という声も上げていますが、姿を消した件との関連性が見えないため、事実関係を特定するに至っていないとのこと。明日には、日本政府から声明文を発表するようです。以上、臨時ニュースをお伝えしました』
そのニュースを観た俺と聖菜は絶句した。
人一倍臆病な一面も持っている聖菜は、得体の知れない何かが起こっていることに怯えていたからだが、その不可解な事件は俺が身をもって体験したことで、良く知っている。
少しの間、目に入って来ないバラエティ番組を眺めながら、呆然と座っていると、急に怖くなったのか、聖菜が俺の腕にしがみついてきた。
「ねえ、あれって彩斗も関係していたりする?」
昔からそうだ。聖菜は何かと俺に関しては勘が鋭い。
それに対して俺は嘘が苦手だ。聖菜に痛いところを突かれると、すぐに顔に出てしまう。今もそうだ、怯えながら俺の顔を大きな目で見つめる聖菜から、不自然に目を逸らして下唇を噛んでしまっている。
「……彩斗って本当に嘘つけないよね」
「ごめん」
「少しくらい嘘つけた方が良いよ。そうじゃないなら、全部話してほしい。隠し事されると前みたいに信用されてないんだって…………思っちゃうから」
「ごめん」
泣くのを我慢する聖菜に謝ることしかできなかった。その溢れ出そうな涙が、俺の身を案じてのことでもあり、もっと信用してほしかったという聖菜の本音だと分かっていたから。
「ほんと、彩斗は何もわかってないよね。これだけ一緒にいるのに、何もわかってない」
「ごめん」
「それがわかってないって言うの! 聖菜が聞きたいのは、ごめんじゃなくて、次からどうするか!」
そうだった。俺が何かをしたとき、聖菜はいつも俺を責めているようで、一度も本気で責めたことはなかった。
常に一緒に考えて、横に並んで歩くことだけを願っている。
俺はいつも自分のことで精一杯になると、一人で抱え込んで聖菜が考えていないのに、悪い方に考えて、先走って、聖菜を悲しませてきた。
俺は大馬鹿野郎だ。
申し訳ない気持ちでいっぱいになった俺は、ズボンのポケットからスマートフォンを取り出し、聖菜にも見えるように画面を操作した。
「ねえ、人が真剣に話してるのにスマホいじるの失礼じゃない?」
俺はそんなに常識知らずではない。怒っている聖菜も俺の話を聞けば納得してくれるはずだと、そのまま話す事にした。
「聖菜、次からは何でも話すよ。どんなに些細なことでも全部話す。だけど、聖菜出張とかであんまり帰って来ないし、連絡も取りづらいからさ、聖菜も分かるように日記を書くよ」
「日記アプリ?」
「そう、このアプリを2人のスマホにダウンロードして共有すれば、いつでも日記を読むことができるから、俺が現実世界に帰って来るたびに日記を書いておくよ。そしたら、安否確認もできるし、聖菜も安心だろ?」
「そういう冗談嫌い」
「え?」
「安否確認とか冗談でも言わないで」
「はい。次から気をつけます」
俺の悪いところは、一言多いところだ。特にこういう場面では、余計なことを最後に言ってしまう。もちろん、冗談で言っているわけではなく、聖菜を心配させないようにと考えての発言だ。
だけど、よく考えてみれば安否確認できるというのは、いつ何が起こってもおかしくない状況だと言っているようなもの。俺の意に反して、心配させるようなことを言ってしまっていた。
それから、俺は聖菜に頭を下げ続けたあと、今後についてのことをお互いが納得いくまで話し合った。ちゃんと採用試験で起きたことも、俺の知っていることはすべて、包み隠さずに。
「大体わかった。それで、彩斗はどうするつもりなの?」
話を聞いている間、ずっと不安そうな表情で聞いていた聖菜だったけど、今は何かを覚悟したような顔をしている。多分、俺が考えていることなんて全部お見通しなのだろう。
「俺、異世界での仕事を頑張ろうと思う」
「どうして? 危ない目に遭うんだよね?」
「うん……。でも、俺はもう逃げたくない。今の自分からも、目の前にある事からも……」
「それって、異世界の仕事じゃないといけないことなの? 他にもやれることはあるでしょ?」
「採用試験に合格したのは、俺のだけの力じゃなくて、他の人に便乗したり、聖菜のために死ぬ訳にはいかないって、自分だけの意志じゃない。結局俺は誰かに自分を結び付けないと何も決められないで、諦めてばかりだ。それだと俺はずっと聖菜に甘えている気がするし、これから先ずっと嫌なことは全部人のせいにしちゃんじゃないかって、そんな自分を変えたって気持ちもある。だから、最後までやり遂げたい。俺の味方も支えもない異世界っていうまったく違う世界で」
こういう話し合いは、いつも聖菜が正論で間違ったことは言わないから、大抵俺が受け入れて考えを正して終わるところだけど、聖菜は俺の真剣に訴える姿を見て、静かに目を閉じて、何か決心したように一度だけ首を縦に振った。
「異世界で働くなんて普通はできないことだもんね……。知らない土地で、誰も知っている人がいない場所で、頑張るって決めた彩斗を聖菜は止めないよ」
「聖菜……」
「でも、絶対に無理はしても無茶だけはしないでほしい。絶対に生きて帰って来る。彩斗が変われたって納得できたら、この世界で就職して聖菜と一緒に頑張るって約束してほしい」
「うん。約束、絶対に守るから」
約束は今まで何度破って来ただろうか、お金を貯めて2人暮らしをしようと約束したときも、結局の借金返済に追われていた俺はお金が貯められずに、聖菜に任せっきりで何一つできなかった。結婚もすると約束して未だにできていない。
もう、これ以上は約束を破る訳にはいかない。俺は絶対に異世界での仕事を完璧にやり遂げて、生きて帰る。そして、聖菜を必ず幸せにして見せる。
俺はそう固く誓った。
「よし! 彩斗は絶対に約束守ってくれるって、いつも信じてるからね!」
聖菜はそう言うと、俺に抱きついてきた。華奢な体で力いっぱいに、それでもどこか弱々しく、不安な気持ちを押し殺しているのが伝わってくる。
俺は黙って聖菜を抱きしめた。
愛する聖菜のために、必ず生き延びると何度も自分に言い聞かせながら。
それから俺と聖菜は、採用が決まったことをお祝いすることになり、家の近くにあった1皿100円の回転ずし屋に晩ご飯を食べに行った。外食なんて、ここ何年言っていなかっただろうか。
今日食べた寿司の味は、今まで食べた中でも格別の美味しさだった。
決意を新たにした俺と、不安になりながらも応援する覚悟をした聖菜は、たわいもない会話をしながら、採用祝いを楽しんだ。
ただ、金欠な俺は1円も出すことができない。それだけが後ろめたくも情けない。
――次は、俺が聖菜にご馳走してあげよう。
その帰り道、雲のかかる夜空の隙間から見える三日月と聖菜の横顔を眺めながら散歩をする掛け替えのない時間は、本当に幸せだった。





