11話 『試用期間』
嵐のように過ぎ去った異世界での出来事から、早くも1週間が経とうとしていた。
あれから異世界からのアクションは何もなく、いつも通りの日雇い生活が続いている。あれはやっぱり夢だったのかと思う日もあったけど、連日のように報道されている不可解な事件についてのニュースが現実のことだったのだと思わせる。
そう考えると、合格だと言われただけで本採用されなかったのかもしれない。
幸薄男と言われる俺には、ラッキーの連続だっただけに妙に納得していた。
今日は、日雇いの仕事でとあるデパートの建設現場に肉体労働をしに来ている。頭を使いながら体を動かすと、嫌なことを忘れられる。
「すみません! ちょっとお手洗いに行ってきます」
20代後半に差し掛かったせいか、最近やたらとトイレに行きたくなる。30代の先輩たちにそんな話をしたら、「まだまだ若いんだから、単純に水分の取り過ぎだろう」と、言われてしまうけど、異常なくらいにトイレに行く。トイレの便座に座って一息つくと、落ち着くという理由もあって、トイレに行く回数が多いけど、それは基本的に俺だけの秘密にしている。
――はぁ、やっぱり不採用になっちゃったのかなぁ……。
異世界の仕事など、忘れてしまえば良かったのに、普通の会社では得られなかった手応えと、期待が大きかった分、思いのほか心残りになっていた。
「ふぅ……よし! 終わったことを考えていても仕方ないし、聖菜を幸せにするって約束は絶対に守るぞ!」
俺は気合を入れ直して、大事な息子を振り回し、丁寧にボクサーパンツの中にしまい込んだ。今日の仕事が終われば、明日は面接の約束が2社入っているから、履歴書とか色々と準備をしないといけない。そんなことを考えながら、俺は仮設トイレの扉を開いた。
「改めて、試験合格おめでとう」
「うわっ!」
扉を開いた瞬間、鼻と鼻がぶつかるんじゃないかと思うくらいの至近距離に顔があるかと思えば、突然の祝福の言葉。驚きのあまりに俺は腰を抜かして、盛大に尻餅をついてしまった。
「またか……、皆そうだ。せっかく祝福しているというのに尻餅をつく」
「またかはこっちのセリフですよ! あと、尻餅をつくのは流行じゃないですから!」
「そうなのか? まあ良い、今日は時間がない。すぐに整列してくれるかな?」
妙にお馴染みになってしまった騎士とのやり取りに、少しだけ安心した俺が後ろを振り返ると、面接をした時と同じ殺風景な部屋の中に、綺麗に整列した多くの人たちの姿があった。見慣れた衣服を着ていることからして、俺と同じく試験に合格した人たちだろう。
あの試験の日とは大違いで、みんな真剣な顔をして静かに整列している。あれだけ死を覚悟するような試験なんて普通ではあり得ないし、恐らくニュースを観て、ここで何かあれば現実世界にも影響があると知ってしまったのだろう。
それについても、色々と説明を求めたいところだが、今の雰囲気だと大人しく指示に従ったほうが良さそうだ。
「了解です」
俺は色々と言いたいことはあったが、素直に列の最後尾に並んだ。
騎士が話し始める前に、少し気になって最後尾から人数を数えてみたけど、1列ごとに8人ずつ、10列に分かれて並んでいる。俺が採用人数を確認したときは20人を予定していると聞いていたのに、その4倍の人数がいるのはどういうことなのだろう。
俺がそんな疑問を抱いていると、
「再び突然の招集をしてしまって申し訳ない。皆も少しは疑問に思っているだろうが、今ここへ集められた者たちは、見事に試験に合格した者たちだ。だが、我々と共に戦う勇士を選定するために、試用期間を設けようと考えている」
と、騎士が思いがけないことを言い出した。
確かに通常の仕事であれば、3か月程度の試用期間が設けられているのが一般的だ。大体の企業は表向きには試用期間と言っているが、基本的にはその会社で働けるまでの研修期間のようなもの。大体は本採用として決定していることが多い。かなり問題がない限りは、ということになるはずだけど、ここは異世界でまったく知らない場所。俺たちの住む世界の常識が通用するはずがない。
既にそれはあの試験で体験済みだから、俺以外の人たちも分かっているはずだ。そうなると、ここでの使用期間は完全に俺たちを篩にかけるためのもの。
死ぬ思いをして採用されたと思っていただけに、皆少し動揺しているみたいだ。
こういうとき、真っ先に発言するのは恐らく、
「ちょっとええか?」
そう、この似非関西弁の痛々しいリュウオウと名乗る男以外にいない。しかし、もうこの騎士が大十字騎士長という役職のお偉いさんっぽいことは、皆が知っているのに、あの似非関西弁で大丈夫なのだろうか。
ちょっとどころじゃなく、俺はかなり心配して様子を見ていた。
「何か質問かね?」
騎士は表情一つ変えずに訊き返した。
「試用期間を設けるっちゅうことは、この中から当初予定しとった20人まで絞り込むっちゅうことでええんやな?」
ナイスだリュウオウ。まだ言葉も柔らかいし、知りたいことをしっかり訊いてくれている。本当にこういう場面で、リュウオウみたいな人がいると助かる。
そう感心していると騎士は答える。
「その通り。あの試験では、皆の覚悟を確かめさせてもらった。つまり、あそこで絶対に生き残るという意思を示さなかった者は、いずれにせよ、この先の戦いで命を落とすことになり兼ねない。しかし、その意思はあくまでもクレリックとして必要な本質を見るもの。ここから先は、皆がクレリックとしての実力を身につけ、力を発揮できるのかどうかというための期間というわけだ。理解して頂けたかな?」
「それならええんや。問題ない」
どうやら、通常の会社と同じような仕組みをとっているようだ。いくら人当たりが良く、やる気があったとしても、人には向き不向きがある。どれだけ頑張ったとしても成果が出せないようでは、ただのお荷物にしかなり得ない。
それに、今から俺たちがここでしようとしている仕事は、命に係わるようなことで間違いない。そうなれば、クレリックとして向いていない=無駄死にする。ということになってしまう。
無駄死といえば、試験中に食われた人たちってどうなったのだろうか。
現実世界で意識不明の重体になった人たちが、ここで食われた人たちだとするとここでも意識不明の重体になっているのかもしれない。こればっかりは訊かないことには分かりそうもない。
「他に何か質問があれば、今のうちに訊いてくれて構わない」
それは有り難い。食われた人たちがどうなったのか聞き出すチャンスだ。だけど、こんなに大勢いる中で発言する勇気が未だに持てない。
――誰か訊いてくれないかな……。
また人任せにしようとしていると「彩斗のこと信じてるよ」という聖菜の声が脳内再生された。
――だあああ! 俺は馬鹿なのか? 今までの自分と決別して変わるって決めたじゃないか! それなら、ここで勇気を出して質問することが第一歩だろうが!
他人から見れば、質問することくらい当たり前にようにできることかもしれない。
でも、意気地なしで他人任せにして来た俺にとっては、告白するくらいの勇気が必要になる。質問すると決めた瞬間から、心臓の音が聴こえてくるくらいに脈を打ち始めたし、尋常じゃないくらいに冷や汗も掻いている。
俺の人生の中では、これから何度でもありそうな一世一代の大勝負の最初がこれだ。ここで質問できなければ、俺はもう変わることはできない。
「質問はなしでいいのか? それならば、話を続けさせてもらうが――」
早くしろよ、俺。ここで質問しないでいつするんだよ。
俺の心臓は爆発寸前だった。息も荒々しくなるし、隣の人も「こいつ大丈夫か?」みたいな顔をして見ているし、早くしないと危ない奴として認識されてしまう。意を決した俺は、震える右手をゆっくりと顔の横まで挙げた。
「では、話を進める」
無情にも話を進めようとする騎士。当たり前だ、最後尾にいる俺が顔の高さまで手を挙げたところで見えるはずがない。
「カルディオ大十字騎士長! 質問があります!」
俺は馬鹿デカい声を出して、手を真っ直ぐ挙げて騎士にアピールをした。この密室で大声を張り上げてしまったから、周りの人たちは耳が痛いと少し不機嫌そうに俺の方を見ている。
それでも表情一つ変えない騎士。
「元気がいいことは良いことだ。それで、質問とは何かな?」
やった! これで俺は変わるための第一歩を踏み出したんだ!
声を掛けられただけで少し満足してしまっていた俺は、その場でガッツポーズして自分のことを「やればできる男だ!」と自画自賛して質問のことなど頭から抜けてしまっていた。
「エルシドさん、質問は?」
不思議そうな顔に代わった騎士を見て、ようやく我に返った俺は慌てて質問をする。
「あ、えっと、この間の試験でモフモフした白い生き物に食べられた人たちって、どうなったんですか? 俺たちの世界で意識不明の重体になっているかも知れなくて」
勇気を振り絞って一声掛けたおかげか、それとも騎士に声を掛けられて慌てて質問をしたおかげか、思っていた以上にスラスラと質問をすることができた。
しかし、俺の質問が悪かったのか、騎士の表情が険しくなっている。
「どうしても知りたいのか?」
圧力が半端じゃない。これは俺に訊くなと言っているようにしか思えない。
「どうしてもと言いますか、気になったので……あ、でも、知らない方が良いなら大丈夫です」
これは絶対に俺は逃げた訳じゃない。と、思っている。
あんな顔されて普通に教えてもらう方が普通じゃないはずだ。まあ、こんな時でも聞こうとするやつは決まっているけど。
「それは教えてもらわんと納得できんとちゃうか?」
ほらね。やっぱりリュウオウはそう来るよね。知りたいことだったから、助かったけど、この男の神経の図太さには頭が下がる。
「本当に知りたいのか?」
騎士は、かなり話したくないらしい。どんな職場にも触れてはいけない暗黙のルールみたいのがあるから、もしかするとそういった類のことなのかもしれない。
多分、こういう場合は絶対に引き下がらないと思うから、今回はリュウオウのまけかな。
リュウオウと騎士は沈黙のまま、顔を見合わせている。
「もうええわ」
最初に口を開いたのはリュウオウだった。
「どうせ、教えてくれんのやろ? それに死ななければいい話やし、はよ試用期間に入って実力つけなあかんやろ」
「確かに今は教えられんが、何れ時が来たら話そう」
どうやら、絶対に教えないという訳ではないらしい。もし、絶対に教えないとか言われたら、不信感が募り過ぎてストレスと疲労で過労死してしまう。良くても精神的に追い詰められて、うつ病で辞退することになり兼ねない。
「では、話を進めさせてもらう」
騎士は、険しい顔のまま話を再開した。
「ここに残って集まってもらった80人には、私を含めた4人の団長の下で訓練と実践経験を積んでもらう。皆の割り振りはこちらで既に決定している。名前を呼ばれたものは、順に指定された扉から各団長の下へ向かってもらう」
学校のクラス分けみたいなものか。やっぱり試験の結果内容によって力バランスを均等に割り振っているに違いない。だけど、某魔法学校のしゃべるとんがり帽子みたいに、こちら側の意見も考慮して割り振ってほしかった。
なぜなら、俺は絶対にあの大男の下で試用期間を過ごす自身がなかったからだ。
だって、あの大男は絶対に体育会系だし、精神論ですべてを片付けってしまうに決まっている。俺は学生の頃から体育会系の人間が苦手だから、本当に無理。
一応、どんなことからも逃げないって決めたから、もし大男のところに割り振られていたとしても、逃げる気はない。こんなことを考えていると、フラグを立てているみたいだから、考えない方が良かったのかもしれないけど、次々に名前を呼ばれて扉へと消えていく人たちを見ていたら、考えずにはいられなかった。
「リュウオウさん、君は3つ目の扉だ」
出来れば、あのリュウオウってやつとは一緒になりたくないけど、もしあの3つ目の扉が金髪美女のところなら大歓迎。やっぱり仕事に対してやりがいが感じられるまでの間は、少しくらい楽しみがないと続けるのが辛くなるし、それくらいのご褒美があっても良いよな。
そんなことを考えていると俺の番が回って来た。
「最後はエルシドさん、君は1つ目の扉だ。健闘を祈っているよ」
「はい! 頑張ります!」
リュウオウを無事に回避して、あとは金髪美女を引き当てることができれば俺の勝ちだ。まあ、ここで勝ち負けなんてないけど、ここでは精神力の勝負になりそうだから気持ち楽しまないとやっていけなさそうだから、あえて楽しむことにした。
――金髪美女。金髪美女。金髪美女。金髪美女。
俺は心の中でそう唱えながら、1つ目の扉を潜った。
――金髪美女カモン!
扉を潜って俺の目に入って来たのは、艶やかな金髪と見るものすべてを魅了する美脚の持ち主――
「これで全員だな。お前ら俺の下で学ぶ以上、全員合格しねえと許さねえから覚悟しておけ!」
――じゃなかった! フラグ回収おつ! 色んな意味で終わったな……。さらば金髪美女……。
こうして、異世界での試用期間が幕を開けたのだった。





