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忍者、異世界に行く  作者: 和尚
忍者、守る
30/44

忍者、助かる

「GYAAAA!!」

「うおおぉおっぉ!」

 シグマの両肩から生えている腕。それが頭上の枝葉を折って俺に襲い掛かってくる。垂直に落ちてきた二連の鎚を躱した。懐に入り込んで頭部に一閃、する直前で横に飛び出す。身体が地面とほぼ平行になる勢いでシグマから距離を取った。

 素早く態勢を立て直し視線を向けると、そこには二つの足と二つの腕(・・・・・・・・・)で巨体を支えるシグマが居た。

 巨大なハンマーさながらに振り下ろされた肩口の両腕。獲物を捕らえることが叶わなかったその二つの腕はそのまま体重を支える足へと変わった。自重という楔から解放された両前足で殴ってきたのだ。

 凄まじく早い対応、というより俺の回避を見越しての罠という様子だな。獣のクセに一端の戦術を使ってきたのか。

 先程までの勢いが嘘であったかのように冷静にこちらの見据えてくるシグマ。その隙のなさから、俺は米神から流れ出す血をそのままに構えを取った。

 『獅子の心(ライオンハート)』に全魔力を注いでいたせいで、シグマの鋭いパンチを察知するのが一瞬遅れてしまった。結果、シグマの一撃は俺の側頭部を掠めていった。

 まさか両前足で殴られるとは思わなかったしな。当たったのが爪じゃなかったのが幸いか。まあ肉体を全力強化していたから、あれほどの巨体の攻撃を受けても倒れずに居られたのだろうし。これがジンさんの一撃なら、掠っただけでも脳震盪間違いなしだ。

 ……そう考えるとどんだけなんだよあのオッサン。


 などという考えに気を取られていたのが分かったのか、様子見のためか静止していたシグマが急加速して襲い掛かってくる。動きだしに気付いた瞬間、スキルブーストを止めて通常時の身体能力と五感で回避し続ける。

 この状態ならスキルブーストさせなくても容易に回避することができる。合間を縫って通り過ぎる腕に一撃を加えていく。相対速度が最大になるように振りぬいた刃はしかし、シグマにダメージを与えることは出来なかった。体毛そのものの強度に、水分を含んでいることによって剣が表面を滑っていく。しっかりと踏み込んだ完璧な斬撃なら斬り捨てれるのかもしれないが、それは高望みが過ぎるというものだろう。

 身体能力に魔力を回していない現状では、体毛に覆われた肉体を斬ることは出来ない。ならばそこ以外の部位を斬ればいい。両肩部の両腕の連撃をすり抜け、待ち構えていた両前足の攻撃を掻い潜る。その先にあるのは熊の顔。そしてこちらを見据える、血走った剥き出しの両の眼。

 その両目を結ぶ線に沿うように剣を寝かせ、脇の駆け抜け様に『三日月』を払う。


 勢いに任せシグマと距離を取るように走り抜けたが、俺は先程のシグマの行動にただ驚いていた。

「GIYAAAっ!!」

 シグマの絶叫が森に響きわたる。その感情を表すように体全体を滅茶苦茶に動かし、周囲に暴威を振りまいた。

 熊から距離を取り、手応えを伝えた剣先に目をやると、そこには白いゼラチン質の欠片と僅かな血糊が付いていた。

 落ち着きを取り戻したシグマがこちらを睨めつける。強烈な怒りを宿す瞳はしかし、長年を共にしてきた相棒を失っていた。その怒りの源は片目を奪われたことだろう。こちらとしては左目しか奪えなかった事実に少しゲンナリしていたが。

 両目を切り裂ける軌道で振りぬいたが、シグマは残った後ろ足で回避行動に移り、刃から逃れようと大きな体を捩じらせたのだ。それだけでは避けきれなかったのだが、それを悟ったシグマはあろうことか、自分から刃に当たるように頭を振ってきたのだ。

 片目を犠牲にして片目を生かすという、驚愕の判断。どれだけ姿勢をずらしても両目を切り裂く軌道に剣を持って行ける自信はあったし、事実合わせきった。それを見て――というより感じてか――無傷の回避は不可能と断じたシグマは、あっさりと片目を捨てたのだ。

 獣らしからぬ、冷静すぎる判断。諦めが良すぎるともいえる、早すぎる決断。両目と片目を失うののどちらが嫌かは簡単に分かるが、訓練された人間でもそう簡単には出来ないことをこのシグマはやってのけたのだ。流石に痛みを堪えることは出来なかったので暴れたのだろうが、それだけでも十分すぎるほど驚嘆の出来事だ。

 体躯に見合った強大な力、一撃で絶命させうる鋭い牙と爪、そして驚くべき判断力。だが問題はない。先程と同様の手順を踏んで、残った眼球を頂くだけだ。少し遠回りになったが結果は変わらない。

 シグマの体勢が先と同じならば、な。

「ま、当然そうなるわな」

 俺は残り一つとなったシグマの眼球を見上げながら(・・・・・・)呟いた。

 四足歩行のままなら、俺とシグマの目線の高さはさほど変わらなかった。少しシグマの方が高いというぐらいで、見上げるというほどの差は存在しない。だからこそ、こちらも眼球を狙えたわけだ。

 しかし二足歩行となった今では事情が一変する。シグマの頭は俺の遥か頭上。剣を当てるには飛び上がる必要があるだろう。

 それを阻むのは四つの腕。両肩の腕は勿論、地の縛りから解放された前足はより自由にこちらを襲ってくるはずだ。それを掻い潜って高い位置にある移動標的を潰す、というのはあまり現実的ではない。

 それでは胴体を狙うのはどうだろうか。立ち上がったため的は大きくなったが、メリットとは到底言えない。胴体故動きは少ないからスキルブーストすれば斬り裂けるだろうが、相手は片目を差し出せる冷静な損得勘定が出来る獣だ。腹を斬った瞬間、頭に爪を叩きこまれるのがオチだ。そうなったら『獅子の心(ライオンハート)』を強化していても簡単にお陀仏しちまう。

 さて、どう戦うか?


 動き出したシグマは、完全に自由となった四本の腕でこちらを攻め立てた。上から降り続ける鋭く尖った爪の雨。素早く単純な連打の最中、決して頭を近づけはしなかった。

 先程と同じように、攻撃を躱しシグマへと近づいた。違うのは両者の頭の距離。股を潜り、反転しながら剣で両膝を斬りつけ、空けた片腕を股間へ伸ばす。

 睾丸や肛門でもあればそこを狙うつもりだったが、予想外に触感の良い濡れた毛に触れたのみだった。存在しないのか、ただ毛に覆われているだけなのか、とにかく局部攻撃は出来ないことは分かった。

 再び空いた距離は、すぐさま潰された。素早く振り返ったシグマが跳躍し襲い掛かってきたからだ。手応え通り両膝には何の影響も与えることは出来なかったようだ。だが好都合。飛び跳ねた以上、勢い余って頭が下がる可能性は十分ある。その時を狙う。

 勢いを乗せた剛腕が降って――こない。

「ぐおっ!」

 一言で言うなら、壁ドン。俺の傍に生えていた木にパンチを打ち込んだのだ。近くで響いた軋む音はその木の断末魔のようで、圧し折れていく様を空に弾かれながら(・・・・・・・・)見ていた。

 俺が上からの攻撃に備えているのを察知したシグマは、前のめりになりそうな体を木を使ってつっかえさせた。そして残った三本の腕で薙ぎ払う、と見せかけてその次の蹴りこそが本命の一撃。

 上と思わせて下。土を抉り根を削り、巨体を支える筋力を備えた恐るべき後ろ脚が迫ってきた。撓る腕を避けようと前に踏み込んでいたため、自分から当たりに行く形となってしまった。当然その足にも、細くも強固な爪が。剣でその凶器を防いだが、衝撃を殺すことは叶わず。下からの衝撃に足は大地を離れ、あえなく吹っ飛ぶハメになったのだった。


 高々と飛ばされた俺は、葉を茂らせる細い枝枝を折りながらシグマの方へと視線を向けた。五感を強化したいところだが、肉体強化を無くした肉体では細枝でもダメージを負うことは必至。通常時のままシグマを睨みつけるしかない。

 折られた木が落ちていく様を見ながらシグマを観察していたが、シグマは何も行動せずその場で佇んでいた。いや何もしていないわけではない。残った一つの目で何かを探しているようだった。そして一度ひくつかせ、あらぬ方向へと駆け出して行く。

「は?」

 空を跳びながらも思わず、呆けた声が零れる。枝葉に視界を邪魔されながらも、シグマは間違いなくこちらには向かってこず、別の方へと移動していった。

 追撃してくるものばかりと思っていた所に、まさかの行動。憎たらしくも冷静に攻め立ててはいたが、残った目には間違いなく怒りが宿っていた、と思う。流石に獣の心理など読んだことないから確信は持てん。もしかしたら三歩歩いて忘れる生体を持っているのかもしれないし、先ほどの蹴りで溜飲が下がったのかもしれない。

 どこかに下がってくれたなら好都合だ。勝てない相手ではないが、正直面倒くさい。手傷は負わせたのだから、あとでジンさんにでも駆除して貰おう。多分三人組に丸投げされるのだろうが。そもそもこちらはベルを賊から助けにきたわけで、あの熊と戦うのは予定外で――

「ちょっと待てよおい」

 手ごろな太さの枝に着地を決めて、急いで『虎の魂(タイガーソウル)』をブースト。シグマの向かった先に視線を、五感を向ける。

 その先で感じたものは、荒い息と足の音。汗と泥に塗れた少女の匂い。そして後ろに垂らした金の髪を跳ねさせている、一人の少女の姿。その背後を追いかける、両肩から腕を生やした奇妙な熊。


「マ、ジかよ!」

 全ての魔力を肉体強化に回し、動き出す。風景が後ろに引っ張られる。高速に動く視界の中で、適切な足場を選択し、最短距離を最速で駆け抜ける。

 ベルは俺の命令を忠実に守り、こちらを顧みることなく逃げてくれたのだろう。そうじゃなければ彼女の足の速さではあの場所に居ない。指示にはちゃんと従うという、訓練の結果が発揮されて本当に良かった。

 ベルはちゃんとこちらの指導通りに動き、命令通りに動いてくれた。満点の働きだ。

 だったら今度はこちらの番。俺が働く番だ。

 じゃなきゃ、ベルにバカにされちまうよ。


 熊はその体格に似つかわしくない速度で、しかも音を立てずに森を駆けていく。ベルとの差はみるみる縮まっていく。それでもこのままベルが足を止めなければ、俺の方が先に追いつけるはず。

 だというのに、そのベルの行く手を遮るように、一つの影が飛び出してきた。ベルを浚おうとしていた奴らの一味だろう。当然、ベルの足は止まる。

「クソ間が悪ぃな!」

 思わず悪態をついてしまうが、本当に最悪のタイミングで飛び出してきやがった。最善最速で移動しているというのはつまり、これ以上早く動けないということだ。このままじゃギリギリ間に合わない。先にベルと出会うのは、シグマの方だ。

 行く手を遮る男は剣を手に持っているが、殺すか捕まえるか迷っているようだ。ベルも走ってへとへとになりながら、短剣を抜きながら構えて対峙している。

 だが注意するのは前じゃない。

「シグマが来てるぞっ!」

 俺の声に反応する男とベル。こちらの方へと振り向き、その僅か数瞬後、シグマが姿を現した。

 勢いは留まることを知らず、全てを蹴散らかさんばかりだ。そして、シグマの一撃が放たれる。

 男はシグマに気圧され硬直し反応できず、そのままシグマの腕に裂かれ、ミンチとなって吹き飛ばされた。

 何もできずに男は殺された。ではベルはどうなったのか?

 シグマと接敵してからまさに瞬きほどの時間で、出来ることなど限られている。男のように何もできずに終わっても仕方がない。


 だがベルは違った。少し、ほんの少しだけ、横に跳んだのだ。轢かれてもおかしくなかったのに、ビビってた先程とは違い、ちゃんと反応して動けるというのは、大変喜ばしいことだ。

 ただ、当たらなかった攻撃(・・・・・・・・・)に当たりに行った(・・・・・・・)という点を除けば、だが。

 あの状況なら動いてしまうのも仕方ないだろうがな。何か出来るのに、何もしないという選択肢はそうそう取れないだろう。

「一点減点。九十九点ってところだ」

 まあ、多目に見てやろう。どうにか間に合ったのだからな。

 その少しの、俺に近づく形となったジャンプのおかげで、間に合わせることが出来た。

 右手を伸ばし、ベルの右腕を掴んだ。握りつぶさない様に気を付けつつ、ベルを思いっきり引っ張った。勢いよく地面に転がり傷が出来たかもしれんが、背に腹は代えられまい。脱臼しなかっただけむしろマシだろう。


「い、いった~」

「我慢しろ。後で薬でも塗ってやるから」

「いや、そんなこと言われても……って、エイナ、それ」

 ベルが俺の右足を指差す。その太腿の肉は抉れ、そこから血が勢いよく吹き出している。

 致命の一撃は回避できたが、その代償がこれというわけだ。

 子供の身体だからか、のた打ち回って泣き喚きたいぐらい痛い。いや当然か。

 勿論そんなことしていられる状況ではない。腕が四本ある奴さんが、こちらを睨みつけているんだから。

「だ、大丈夫なのエイナ?」

「そうだな。ハッキリ言って、結構キツイ」

 くそ痛いのは我慢ができるが、右足をやられた以上機敏な動きをすることは不可能。シグマの攻撃を捌いたり掻い潜ったりするのは、まず無理だろう。

 さらに悪いことが一つ。

「下がってろ、ベル」

「わか、っぅ、痛」

 ベルが脇腹を抑えて呻く。程度は分からないが、それなりには痛そうだ。シグマから逃げるにはかなりの重荷になる。ベルがこの場から去ることは難しくなった。

 逃げられないベルを庇いながらシグマを仕留める。流石に荷が勝ちすぎる。

 一人でやるにはな。


「ベル、すまんが手を貸してくれるか?」

「……アンタが私に頼みごと? 何? 血流し過ぎて死にそうなの?」

「どんな言い草だよ」

 俺が殊勝に頼みごとしたってのに、その反応はどうなのよ?

 顔が見えないが分かる。気味の悪いものを見るかのような表情をしているのを。

 だがふと後ろから笑い声が漏れる。 

「いいわよ。一体何よ?」

 危機的状況なのに、その返事はどこか楽しそうだった。

「どんな方法でもいいから、あれの残った目を閉じさせてくれ」

 顎で指す先にあるのは、こちらを捉えて離すことのないシグマの右目。

 要はシグマの視界を塞げということだ。

「それ無茶振り過ぎない!?」

 そういうな。俺もそう思ってるんだから。

「快諾してくれてありがたいと思っているよ。ほんとほんと。いやほんと」

「は、初めての頼みごとだから気を良くして引き受けたっていうのに。それ本当に私に出来ると思っているの?」

「期待はしている」

 一瞬でも気を惹ければ御の字、ということは黙っておこう。

「まあ、やってみるわよ。だからエイナ」

「ん?」

「死なないでね」

 言葉を残して、俺から離れていく。砂でもかけるのか魔術でも使うのか。何をしてくれるのやら。

 そしてどうやらシグマというのは空気が読める熊らしい。ベルが離れるのと入れ替わりに、シグマが迫ってくる。まるでベルが離れるのを待っていたかのようだ。


 五感強化に全ての魔力を回す。足を裂かれたせいでフットワークを殺され、さらには踏ん張ることも出来なくなった。攻撃に反応してから回避するのではなく、予め攻撃地点から離脱するようにして攻撃を凌いでいく。

 二足歩行となりシグマの全体が良く見えるようになった。腕の起こり、脚の運び、息遣い、視線の動き、その全てから先の先を読んでいく。

 肉体の強度を放棄した捨て身の回避。僅かでも遅れれば、僅かでも触れれば、今の俺の身体は呆気なく四散してしまうことだろう。神経をすり減らしていく、命掛けの綱渡り。

 しかし先に痺れを切らしたのはシグマのほうだった。振り上げや振り下ろし、薙ぎ払い、踏み付け、蹴り上げ。その悉くが当たらない。最初の対峙と異なりこちらが攻撃を仕掛けているわけではない。だがこちらは手負い。それは相手も分かっているだろう。なにせ自分が付けた傷だ。動きの悪い手負いの小物。そんな相手を仕留めきれず、翻弄されている。

 その苛立ちを晴らすべく、四本の腕で一斉に攻撃を仕掛けてきた。俺の動きの悪さと回避方法が分かっているのだろう。攻撃のタイミングと着弾地を微妙にずらし、逃げ場の先に、その更に先にも攻撃を繰り出す。

 予想外に転がり込んだ好機(・・)。

 五感の強化を取りやめ、元に戻った身体能力を使い力技で死地から抜ける。そして守る物のなくなったシグマの無防備な鼻っ面に向けて腰にぶら下げた小さな皮袋の一つを投げつけた。

 顔を捻り、目が潰れたほうで袋を受け止める。冷静に使えないもので身を守ろうとしたのだろうが、残念ながら意味がない。袋から漏れた無色透明な液体が顔を濡らす。

「GU? GURUU!?」

 シグマが肩から生える両腕で鼻を押さえながら、狼狽えたような声を漏らした。

 袋の中身はコットン婆さん直伝の、臭い消しの薬液。この薬は簡単に落ちることはなく、対になる薬液を使わなければ、ちょっとやそっとじゃ洗い流されることはない。効果も当然折り紙つきで、俺やカンタールといった獣人の鼻にも通用した。いわんや獣や魔獣にも、だ。

 これでシグマの嗅覚は潰せた。

「GURUULAALALっ!!」

 けどこの行為は――視界の半分と嗅覚を奪ったのだから当然なれど――さらにシグマの怒りを買った。

 頭部に攻撃が加えられない様巧妙に攻撃を重ねてきたが、ここにきてそれをかなぐり捨てた。

 怒涛の連撃。避けるの精一杯。だというのに、その回避が間に合わなくなってきた。超感覚で攻撃を察知しても、それに体が追いつかない。ラグが発生したパソコン、とでも言えばいいのか。

 このままでは遠からず殺られる。当然、そのような結果を待つわけない。

 『獅子の心(ライオンハート)』に全魔力を傾ける。同時に被弾覚悟で突撃するため、致命傷のみを避けるべく身体を曲げ、頭部を守る様に剣を構えた。

 丸めた身体をそのままバネに変え、シグマへと突貫した。シグマの腕が幾つか俺に当たり、そのうち一つは俺の左肩を掠めた。勢いは削がれたが、されど止まることなく。シグマの頭部に向かって斬斬撃、ではなく突きを放つ。刺さって抜けないことを考えて使ってこなかったが、ここに至っては出し惜しみなどない。

 迫る驚異の全てを掻い潜り、身体ごと飛び込んでいく。満を持して放たれたその突きは、シグマへと吸い込まれていき、内部へと進み、そして――

「GURRUAAっ!」

 ――その鋭い牙によって挟まれ、止められた。


 火花散り、頭がぐらつき、歯の欠片が飛んだが、されど刺さらず。刃は静止し、俺の身体も宙ぶらりんとなった。

 そんな隙だらけな俺を見逃す奴ではない。剣を捻り口をこじ開けた瞬間に吹き飛ばされる。

 身を捩ったがその甲斐なく、俺は木に叩き付けられた。強化された身体にさほどの痛みはないが衝撃で口から空気が漏れ、濁った音として周囲に響いた。

 それ以上に問題なのは、俺の左腕。シグマの攻撃は二の腕の肉を抉っていった。流れ出た血が腕を伝い、手先から滴り落ちる。

 片足のみならず、これで片腕も殺されたこととなった。

 事此処に居たり、俺一人で状況を打破するのはまず不可能となった。

 ベルを見殺しにすれば、俺の命だけは助かるだろうがな。

「ま、ありえねぇな」

 その思考をすぐさま彼方へと追いやり、シグマの動きを見据える。シグマは油断なく、されど大胆に歩を進めていく。知れず高まる圧迫感。

「エイナぁっ!」

 それを切り裂くように響くベルの声。狙ったわけではないだろうが、それは飛び掛かろうとしたシグマの機先を制するものだった。声の方へ視線を向けると、樹上からシグマの顔へと襲い掛かろうとしているベルの姿が。

「ちょ!?」

 目を閉じさせろと指示したのは俺だが、まさかベルがそんな手段を取るとは思っていなかった。無茶をするとは思っていたが、命を捨てるようなマネをするなんて。

 余りに余りな事態に動揺し、思わず動き出そうとしたところで見えたのは、短剣を手にシグマへと飛び掛かるマントを羽織ったベルの顔と、シグマから見えないよう木の陰に隠れているベルの顔が。


 ベルの狙いに気付いた俺は動き出そうとした体を止め、襲い掛かったベルはシグマの爪にあえなく切り裂かれた。裂かれたベルは姿を崩し、短剣が滑り落ち水分身のベルを象っていた水が塊となってシグマの顔へと降り注いだ。水滴ではなく、バケツの水を被ったような勢いに押されシグマは目を閉じた。さらにその顔には、水分身であることを隠すためのマントが覆い被さっていく。

 これにてシグマの視界は、完全に塞がれた。

「プラス二十一点。百二十点だ。満点以上の働きをするとは。驚いたぜ、ベル」

 俺の要望に完璧に応えたのだ。満点越えは当然だろう。

 マントを外そうとするシグマに向けて、全力で『三日月』を擲つ。僅かにカーブを描いた剣が回転して、シグマの顔面へと迫る。

 片目を潰され、鼻が利かなくなり、マントで視界を覆われた。されどその剣には反応する。未だ残された聴覚が、風切る音を捉え、剣を叩き落とす。

 引きちぎりながらマントを外したシグマが、勢いそのままに一つの目で周囲を見回し、俺の姿を探っている。荒々しさとは裏腹に、四本の腕は油断なく前方に身構えていた。

 俺は短剣を構えながら、シグマのその姿を見下ろしていた。

 剣を投げると同時に、跳躍。シグマの頭上を取る。木々に触れるか触れないかのギリギリの距離を滑っていく。今までの戦闘は下からの攻撃のみ。頭上への意識は薄くなっていたはずだ。

 ベルが隠れる木の枝に逆さとなって着地する。着地の音は立てていない。しかし獣の直感か、それとも直前のベルの行動が原因かは分からないが、シグマは頭上の俺の方へと視線を向ける。

 その眼球へ向けて、短剣を投擲。俺を射止める視線に沿うように走る短剣が、最後の目玉を食い破る。

「――――GYAAAAAっAAAA!!」

 絶叫。狂乱。四本の腕は暴れまわり、木に当たろうがおかまいなしだ。振り落とされないようにベルが幹にしっかりとしがみ付いているのを見ながら、枝を蹴った。

 暴走しつつも枝を蹴った音が聞こえたのか、再びシグマは頭上に顔を向ける。そして今までとは異なり、四本の腕でしっかりと顔面を守っている。

 俺はその傍らを通り過ぎて、地面に到達。そしてベルが落とした短剣を拾い上げると同時、地面を強く蹴る。枝を蹴り、重力で加速した勢いを反動に地面を蹴る。一本だけとなった足から嫌な音が聞こえるが、それを無視して強く、強く蹴る。

 最高速で下からシグマへと飛び掛かる。

 目を潰し、鼻を潰し、音を殺した。故に反応は出来ず。

「GRU、AA」

 渾身の力を込めた短剣は、無防備となった首へと深く突き刺さり、そして掻っ捌いた。

 

 狙い通りに、計算通りに、俺の一撃はシグマに致命傷を与えることが出来た。完璧な流れ。

「G、RUUAAAAAA!」

 唯一にして最大の誤算は、この攻撃でこいつを仕留めきれなかったことだ。

 何度目か分からないが、また振るわれた腕に吹き飛ばされた。地面に叩き付けられ、根の畝に引っかかる。

 立ち上がろうとしたが、力が入らなかった。鈍く奔る痛みから、左足も使えないことを悟る。

 短剣も手放し、武器は投げナイフのみ。

 万策尽きた、か。

「エイナっ!」

 ベルの悲鳴のような声――というか悲鳴か――が聞こえる。絶体絶命のピンチのように思えるだろうな。実際その通りだし。

 唯一、良い情報だと言えるのは、シグマもさほど長くはない、ということだろうか。首からの出血量からしてそう遠くないうちに息絶えるだろう。目も見えないから、足音を立てずに歩ければ逃げることも難しくないんだろうけど、そもそも歩けないっていうね。

 そのシグマは俺が倒れた音を頼りに、こちらへと近づいてくる。先ほどの叫びでベルの方へ向かうかもしれないと恐々としていたが、杞憂だったようだ。

「ベル! 俺がシグマにやられている間に逃げろ! 大丈夫、お前なら逃げ切れる!」

 俺が甚振られている隙に逃げることもできるだろう。まだ森には敵のスパイが居るかもしれないが、シグマ相手にここまで立ち回れたのなら、まあ大丈夫だろう。

「む、無理! 今のエイナを置いてくなんて!」

「逃げろっつったら逃げろ! あと声出すな! そっちの居場所がばれる」

 元からばれてる俺なら構わんが、お前がばれるのは困る。

 それでもベルが戸惑っている。何か口走ろうとしているの睨んで止めた。そしてそのまま睨み続けたら、彼女も分かったのだろう。一つ頷いた。

 それに満足し、シグマの方を見る。ゆっくりだが確実にこちらへと近づいていく。

 出来るだけベルから離れようと、片腕で地面を這う。

 移動速度が違うから俺とシグマの距離は縮まる一方だったが、それでもベルとは十分に距離を取ることが出来た。ベルもそれが分かったからから、静かに木の上から降りようとしていた。

 それと同時にシグマは俺の目前へと迫ってきていた。完全に射程の範囲内。俺は出来るだけ頑丈なサンドバックでいようと、全力で肉体を強化し、防御の姿勢を取る。

 そして腕を振り上げたシグマの姿をしっかりと見つめ、その体が穴だらけになったのを目撃した。

「GU……RA……LA……a」

 胴体のみならず、頭の先から足の爪先、それこそ高く上がった腕に至るまで、全身に穴が出来ていた。倒れていくシグマの巨体。

「……え?」

 ベルから呆けた声が聞こえたが、何の前触れもなく九死に一生を得たのだからしょうがない。

 俺は息を深く吐き出し、シグマの背後から現れた男に声をかける。

「今までどこに居たんだよ? ジンさん」

「な~に、ちょっとばかし酒と肴をな」

 槍を肩にかけ、適当な態度で、適当な返答をする、最強の男に。

 その頼もしすぎる姿を見て、大きく安堵の息を吐くのであった。

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