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旅立つ理由・3


 学校は村の中心部にあり、村役場と並んで立っている平屋の大きな建物がそれだ。年齢は七歳から十五歳までの子供が通うことになっている。モニールの人口は約百五十人。そのうち四十人強がこの年代にあたる。教師は四人で、基本は複式学級だ。


 ラルフは、教師の声をを聞き流しつつ、彼にとっては小さくなった椅子に座りながら頬杖をついていた。頭を埋め尽くしているのは、昨日のシーナの狼狽ぶりだ。彼女を泣かせるために軍に入りたいと言った訳ではない。


「はぁ」


 ため息が重苦しくこぼれ出る。そんな風に泣かれても彼女にとっては弟なことがまた辛い。いっそシーナに恋人ができれば諦めもつくのに、と思う。


 大体、今彼女に恋人がいないのがおかしいのだ。シーナは小柄で可愛らしい。そのくせ、動きは元気よく雰囲気も溌溂はつらつとして明るいので、学生時代から常に人気があった。彼女が働き始めてから、売上が上がったというのは市場の雇い主の談で、ラルフの同級生にも、シーナが好きだと公言しているヤツは数人いる。

 この辺りの結婚適齢期は十八歳前後で、シーナは今まさにその年令にある。誰もが、シーナが独り身を貫いていることには疑問を感じていた。

 原因の一つとして考えられるのはやはりラルフの存在だった。どういう訳か、シーナはラルフの世話を焼くことに生きがいを感じている。今やラルフの方が体も大きいのに、シーナはその事実を無視して、ラルフを小さな少年扱いしている。それで母親気分を満喫しまっているのだろう、というのがラナの年代の大人の考えだ。


 やがて授業終了のベルが鳴り、皆それぞれ席を立つ。


「ラルフ、ちょっと話があるんだが」


 教師に呼び出され、ラルフは一瞬ここ一週間あたりの自分の素行を思い返す。何かした覚えはないから大丈夫だよな? と思いながら教師についていくと、廊下の片隅で肩を組まれた。


「ラルフ、お前、軍に入りたいんだって?」

「はあ。まあ。あの、……どうしてそれを」

「昨日、ラナさんの酒場で聞いたぞ」


 教師もラナの酒場の常連だ。一人に言えば全員に伝わる村民性。ラルフは浅はかな自分の考えを呪った。


「ラナさん、心配してたぞ」

「でも、就職先として間違いはないと思います」

「まあ、就職だけを考えるならそうなんだがな」


 教師の右手がラルフの肩をポンポンとなだめだす。


「ラナさんは、本当の息子じゃないから心配なんだそうだ」

「……どういう意味ですか?」

「息子のように大事だけど、本当の息子ではないから、出て行ったら帰ってこないかも知れないかと思うと、怖くて賛成できないんだそうだぞ」


 ラルフがバタバタと働いている間に、いつの間にラナはそんな話をしたのだろう。教師の創作じゃないのかと疑ってしまう。


「……ラナおばさん、そんなこと言いましたか?」

「ああ。お前に聞かれないようにこっそりとな。なぁ、ラルフ。五年一緒に過ごせば、もう家族同然だ。お前はもうちょっとラナさんに甘えたほうが良い。どうしても行きたいのなら、ちゃんと年に何度か帰るって約束してやるんだ。親はな、子供の本当にやりたい事なら最終的には賛成してくれるもんだぞ」


 教師はそこまで言うとラルフの返答は待たずに歩いて行った。その背中を見送りながら、肩に残ったぬくもりに胸がきしむ。


 温かい家族の愛情が、家族を失った自分にまだあることが有り難い。それ故に、胸が痛んだ。シーナに気持ちを伝えることは、この家族関係を壊すことに他ならない。嬉しい分だけ、八方塞がりになった気分だった。



 ラルフが学校の帰りに市場の近くを通ると、仕事を終えて帰路についたシーナと出くわした。


「あれ、ラルフ。学校帰り?」

「シーナこそ仕事終わったの? 今日早くない?」

「今日はぜーんぶ売り切れたからもう上がっていいって。ね、一緒に帰ろうよ」


 シーナは楽しそうに笑って、ラルフの横を歩き始めた。小柄なシーナと大柄なラルフの身長差は頭ひとつ分より大きい。下を見ると彼女の結った髪が馬のしっぽのように揺れていた。無意識にそこに手を伸ばして、突然振り向いたシーナに驚き、心臓が飛び出しそうになる。


「ねぇ、で、考えたの?」

「わっ、何をだよ!」

「なにって、昨日の話よ」


 キョトンと小首を傾げるシーナがあまりにも無邪気に見えて、ラルフは自分の邪な感情が嫌になる。


「まだだよ、考え中。一晩で答えなんかでるもんか」

「ここにいればいいのよ。市場にも男手ほしいって話はあるのよ? ラルフなら力持ちだから歓迎されるのに」

「少なくとも市場だけはないよ」


 これ以上距離を近づけてどうする、と内心だけで突っ込む。シーナはラルフの考えが変わらないことが不満なようで、唇を尖らせたまま一歩先を歩いていた。


 しばらくは無言の時が続く。シーナの方は意地になっているらしく話しかけるまでは話すもんか、といった雰囲気を醸し出している。ラルフも半ば意地になって無言のまま歩くと、競うようにシーナが早足で歩いた。通常の歩くスピードから逸脱してしまった二人は、市場の喧騒を抜け、林に沿った通りにまで出てきた。

 背丈が違う二人は当然足の長さも違う。競争するように歩けば疲れるのはシーナの方だ。彼女の息が上がっていくのが呼吸音だけで分かるくらいなのに、意地っ張りな彼女は足を緩めようとはしない。自分から折れるしかないのか、とラルフがため息を付いたと同時、シーナがいきなり飛びついてきた。


「ラルフ! へ、蛇っ」

「え?」


 草の茂る木々の根本で黄と黒のまだら色をした蛇がゆっくりと動いている。蛇は動きを止めると警戒するかのようにこっちを見つめた。


「見てる! 怖い!」

「ちょっと待……」


 力いっぱい抱きつかれて、ラルフは蛇よりも理性の無くなりそうな自分の方が怖かった。落ち着けよ、と声をかけようとして、震える彼女に別の欲求が湧き上がる。


「……シーナ」


 堪えきれず、彼女の震える背中を抱きしめる。柔らかい感触が体に当たり、思春期の脳内はそれだけで一杯になってしまう。思わず抱きしめる力を強めると、シーナからは全く違う反応が返ってきた。


「ラルフ。……もしかしてラルフも怖い?」

「は?」

「そうなんだね? だ、大丈夫だよ。私がいるから」


 シーナはラルフから体を離すと、声を震わせたまま近くの枝を拾い、果敢に蛇に向かっていこうとする。


「あっち行って」


 がむしゃらに振り回すと、蛇は細い舌をちらりと見せた。


「やあっ」


 泣きそうになりながら枝を蛇に投げつけて、シーナは呆然とするラルフの手をとって走りだした。


「行こう、ラルフ。逃げよ」


 引っ張られるままラルフはシーナの後についていく。自分を守ろうとする小さな背中に、ラルフは泣きたくなった。彼女の中では、何年たっても変わらず自分は守るべき対象なのだと痛感させられて、心ががぐちゃぐちゃになる。


 やがてシーナの足が緩む。肩で息をしながら、心配そうにラルフを見上げる。


「大丈夫? ラルフ」

「俺より、シーナのほうがダメそうじゃない?」

「あはは。そうだね。だってびっくりした。気持ち悪い色の蛇だったよね。でもラルフが噛まれたりしなくてよかった」


 純粋に“弟”を心配する彼女を見て、ラルフは思う。

 シーナは弟を守ることに生きがいを見出している。そんな彼女にもし気持ちを伝えたら、今の家族関係はおかしくなってしまうのだろう。

 シーナから“弟”を奪うことも、“弟”として接し続けることもどちらも辛い選択だった。そう考えるとやはり距離をおくのが一番良い選択肢なのだ。


 心を決め、ラルフはシーナに微笑む。彼女は無邪気に笑い返した。



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