開戦・1
早朝、地響きがするほどの重低音が村全体を襲った。
ラルフはベッドから飛び起き、すぐに服を着替えた。酒場に出るとシーナが不安そうな様子で窓の外を見ている。
「俺、ちょっと見てくる」
「ラルフ、危ないよ」
「平気だ」
ラルフは、そのまま星見の丘を目指して走りだした。村人たちも家の中から何事かと顔を出したり、オロオロと外に出てくる者もいる。
走りながら、ラルフは大砲の音の近さを思い返す。軍部では戦闘開始の合図として良く空砲を撃つ。遠くまで指示が伝わるように、だ。その音がこんなに近いということは軍はここから一日とかからない距離にいるはずだ。
嫌な予感が止まらない。まだだ。ガイアが言っていた期日にはまだ三日ほどあるはず。
一気に駆け上がって、そこから見た景色に切なる願いは打ち砕かれる。
星見の丘から見下ろせる西の森。村から十キロほど離れた森の一部に兵士が集まっているのが見えた。緑色の軍服は景色に紛れて分かりづらいが、黒光りする大砲や騎馬兵の乗る馬の嘶きは隠しようがない。
「……なんでこんなに早く」
間に合ったのに。ちゃんと間に合うように村に来れたのに。
昨日安穏と過ごしてしまった自分を呪った。もっと真剣に逃げる算段をつけなければならなかったのだ。
おそらくガイアの裏切りがバレて、作戦を早目に遂行することにしたのだろう。その選択肢を思いつかなかったのは浅はか以外の何物でもない。
「ラルフ、一体何が起こってるんだ?」
後からやって来た村人たちも、ラルフが指差す方を見て驚愕の表情を見せる。
「急いで逃げるように村中に伝えてください。予想より早く敵兵が侵攻してます」
「昨日の話、本当だったのか」
「俺ももっと真剣に伝えるべきだった。まだ来ないだろうと思ってたんです」
「とにかく急げ!」
そこに居た数人に指示を出し、ラルフ自身も村中に伝わるよう大声で叫びながら、村中を走った。途中、取るものも取らず村を出ようとしている家族とも出くわし、昨日こんな風に動けていたらと思うと舌打ちが出た。
預かってもらっていた馬を引き取り、先に逃げる村人を見送りながら酒場へと向かう。扉を勢い良く開けると、シーナは不安げな様子で大きな鞄に荷物をまとめていた。
「シーナ。荷造りはしてるな? 早く出よう。敵が近くまで来ている」
そう言って、ラルフは自室へ飛び込んだ。昨日帰ってきてから大して荷開けもしていない。そのままの荷物を手に持ち出てくると、シーナはためらうような眼差しを向ける。
「本当に敵が来るの? どのくらいなら待てる?」
「もう一刻の猶予もない。早く逃げないと」
「でも、……私、待ってる人がいるの。ここを離れたら、彼が戻ってきても分からなくなる。もうじき、きっと帰ってくるのに」
ガイアのことだと直感で分かった。ラルフは思わず舌打ちをした。
「待っていられるほど余裕ないよ。ここにいたら死んじまう!」
どのタイミングで告げるべきだったのだろう。少なくとも今じゃない。ここでパニックになられては移動に支障が出る。昨日のうちに伝えて、一日かけて落ち着かせるべきだった。居心地のいい村の空気に甘え、先延ばしにした結果がこれだ。
とにかく今はうやむやにしてでも安全なところに逃さなければならない。
「その待ってるやつだって、危険が迫ってる村に来るはずがない」
「逆よ。彼はきっと心配してやってくる。その時に私がいなかったら? 彼を危険に晒すことになるわ」
「だからって、ここにいて死んだら意味が無いだろ。その男だって、そんなこと望んでない」
「それは……」
未だためらうシーナに、ラルフはため息を落とす。そして彼女の荷物を抱えると、腕を引っ張った。
「ラルフ、痛いわ」
「いいから。悪いが無理矢理でも連れて行く」
「……ラルフ」
彼女を強引に外に引っ張り出し、馬の背に乗せた。そしてその後ろに荷物を乗せる。留め具を取り出そうとポケットを探った時、同時に懐中時計がこぼれ落ちた。
「ラルフなにか落ちたわよ」
「え?」
「……ラルフ、それ」
落ちたものを馬上から目ざとく見つけたシーナは、眉を寄せた。ラルフは慌ててそれを拾い上げポケットに入れる。
「なんでもない。行こう」
「待って。今のもしかして」
シーナはラルフの肩に両手をかけると、一気に馬から飛び出した。バランスが崩れ、ラルフは転びそうになった彼女を支える。シーナはその隙を狙ってラルフのポケットをまさぐった。
「やめろ、シーナ」
「だって。……ほら、だってやっぱり」
シーナの手には懐中時計が握られている。彼女がずっと大事に持っていたものだ。ごまかすのは不可能だろう。
「父さんの形見の懐中時計よ。どうして? どうしてラルフがこれを持ってるの?」
「それは」
今度はラルフが言葉に詰まる番だった。問い詰められて視線をそらす。その間にも、周りの人間は言い合う二人に不審な眼差しを向けながらも村の外へと走っている。
「……説明は後だ。早く乗ってくれ、シーナ」
「ダメよ、説明して。ラルフ、ガイアに会ったの? 彼に渡したのよ、これ。ずっと大事に持っててって」
「それは……」
ラルフは言葉を逃してシーナに馬に乗るように指示するが、彼女は頑なに首を振る。最悪だ。




