森の中で・3
「……俺は休暇中で、故郷に帰る途中だったんだ。近道と思って通った道で崖が崩れて。……なんでこんな目に遭わなきゃならないんだよ」
「休暇中なのに軍服を着るのか?」
当然といえば当然のツッコミに、ラルフは唾を飲み込む。
「軍人になって初めての帰郷だ。故郷の母に見せてやるんだよ」
「あー、そりゃ親孝行なこって」
男が馬鹿にしたように呟く。小男は銃を突きつけながら薄笑いをした。
「で、どこまで聞いてたんだ?」
「何も聞いてない」
「嘘はためにならないぞ」
喉元の短剣がスッと動く、薄く皮膚に線が入ったのがなんとなくだが分かった。
「……よく聞き取れなかったんだ。あんたらがこの国の人間じゃないことだけは分かったが」
「ふん。まあどちらにせよ、顔を見られたからには帰すわけにもいくまい」
「殺す気か?」
ラルフは敢えて怯えたように長身の男を見つめた。とにかく、隙を見つけて何とかこの状況から逃げ出さなくてはならない。こんなところで死んでたまるか。
「どうする、ガイア」
男が剣士の方を振り向いた。剣士は、表情を崩さずに辺りを見回すと、自分の剣をラルフの顎先に突きつけた。
「俺が始末しよう。色々と情報を聞き出してからな。それより、お前たちは早く報告にいくと良い。開戦まで日が無いんだ」
「それもそうだ。じゃあ任せるぞ」
男の短剣が遠ざかる。しかし今度は長剣の切っ先がラルフを狙っていて、息がつける状況にはならない。
「二週間後、忘れるなよ」
旅姿の男たちは、武器をそれぞれ懐にしまい、歩き出した。その後姿は呑気な凸凹コンビの旅人にしか見えない。うまく化けるもんだ、とラルフはそんな状況じゃ無いにもかかわらず感心した。
剣士は体はラルフの方を向いていたが、視線は二人の男のほうを追っていた。逃げるなら今か、とラルフは少しずつ後ろにずれる。
「逃げなくてもいい」
ボソリと男に告げられ、一瞬ギクリとして身を固くする。男はゆっくり振り向くと、剣を手前にずらした。変な動きをしたら斬りかかられる程度の距離ではあるが、これなら身動きを封じられることはない。不審に思いながらも、ラルフは上半身を起こした。
「……話はできるか?」
剣士の声音は優しかった。ラルフは男の意図が読めず、ただじっと彼の動向を見つめた。
「軍の情報なら漏らす気はないぜ。どっちにしろ俺は殺されるんだろう?」
「ほう」
剣士――ガイアは冷笑を浮かべたままラルフを見つめる。剣を持っていない左手の人差し指を立て、静かに、と合図をする。彼に習うようにラルフも耳をすませた。男たちの足音はもうしない。森には葉ずれの音と鳥の声、どこかから聞こえる動物のざわめきが響くだけだ。
「まあ、まずは立て」
不思議なことに、ガイアはゆっくりと剣を下ろし、ラルフの腕を掴んで引っ張った。
「いてっ」
促されるまま立ち上がったが激痛が走る。どうやら落ちた時に足をくじいたのだろう。
「足をくじいたか。まあ、結構な距離を落下したからな」
男は握手を求めるように手を差し出してきた。ラルフが怪訝な表情でそれを見つめると彼はフッと笑った。
「俺はガイア。今君を殺す気はない。まあそんなに警戒するなよ」
驚いたことにガイアは人の良さそうな笑みを見せると自らの服の裾を破った。そして、それを使ってラルフの左足を固定し始める。捻挫への対処だ。それをこの男が自分にする意味が分からず、ラルフはただ息を飲むばかりだ。
「どうして、……あんたさっき、俺のことは始末するって」
「流石にそう言わないと、アイツらが納得しないからな」
「アンタ何者なんだよ」
「それを話すより先に、名前から教えてくれないか。名乗りあわなければ対等には話ができない」
ガイアのいうことはまるで教師の格言のようだった。こんな剣士がそういう物言いをすることも不思議だったが、確かに相手は名乗ったのだからとラルフは答えた。
「俺はラルフ」
「年は? あ、俺はもうじき三十になるところだ」
「俺は、二十歳だ」
話しながら、ガイアはラルフの足を手当してくれた。その間に、ラルフはガイアを観察する。
聞いた年は自分より十歳ほど上だったが、見た目にはそれほど年上にも見えない。ただ、落ち着いていて隙がない印象は受けた。黒髪で瞳は青く、手や腕には様々な傷跡があった。これまでにいろんな戦闘を経験しているのだろう。
「さあ、これで少しはましだろう。ラルフ、頼みがあるんだ。……俺と取引をしないか?」
「取引?」
「俺は国を裏切ろうと思っている。だから、お前さんの軍に情報を流したいんだ」
「どういう事だ?」
ラルフは眉を潜めた。あまりに突拍子な話だ。何かの罠という可能性もある。
ラルフの疑念のこもった眼差しを受け止めつつ、ガイアはそのまま続けた。
「君もさっき聞いただろう? カルゼン公国は、戦争の準備をしている。しかも正攻法の戦争をする気はない。公王は何人もの人間をスパイとしてザムザ国に潜入させているんだ」
「何を根拠にそんな……」
「俺もその一人だからだよ」
ガイアの瞳は真剣だった。ラルフはその話を信じていいのか迷っていたが、彼の顔をみるにつけ、天秤は信じる方へと傾いていく。
「俺のところに伝わっている作戦はこうだ。ある村を焼け落としそこに救援に向かわせる。できるだけ大規模に移動させるため、村は半壊させる予定だ。そして、手薄になったところを狙って北の順路から軍を出し首都を落とす」
先ほど立ち聞きした内容とも一致する。嘘をついているわけではなさそうだ。
「俺がその計画をザムザ国軍に流す。その代わりに襲う予定だった村の安全を確保し、俺の身を保障してもらいたい」
ガイアは説明しながら、地面に枝で簡易的な地図を書く。ラルフは判断に迷っていた。
その計画が本当に実行されれば、おそらくカルゼン公国は勝利するだろう。そうであればわざわざこの国に流れてくる必要はないはずだ。
「理由がわからないな。なぜ国を裏切るんだ?」
ラルフの問いかけに、ガイアはあっさりと笑った。
「好きな女ができたんだ」
「それだけ?」
「それだけ……かな。俺には重要なことだった。こんな気持ちで人を焦がれたのは初めてだ。彼女は、俺がこの国の人間だと信じている。そして、この国で暮らすことを望んでいる。俺は彼女と、彼女の村を守りたいんだ。落ち着いたら結婚しようという約束もした。自国を裏切る決意はとうに出来てる」
「女の為に……?」
それは軍人としてはあまりに腑抜けた理由であった。ラルフも一瞬気が抜け、迷った。こうして油断させて、軍内部に潜入する口実を作ろうとしているだけかも知れない。ここでの会話だけで真実を見ぬくことは難しい。
「もし断ったらどうなるんだ?」
ラルフが試しに聞くと、ガイアの顔からはふっと感情が抜け落ちる。
「その時は悪いが死んでもらう。さっきも言っていたろう。開戦まで二週間だ。呑気にしている暇はないんでな」
ガイアの手が再び剣へと伸びる。ラルフもようやく決意を決めた。
『何かあるときには必ず、自分の命を一番に守ること』
シーナとの約束は、ラルフの中でずっと生き続けている。どう結果が転がろうと今ここで殺されている場合ではない。
「わかった。あんたを軍に連れて行って、今の交渉をすればいいんだな」
「そう言うことだ」
ラルフに了承の意志を感じ取ると、ガイアは安心したように笑った。




