第四十七話
ごろんごろんごろん
フィーのために買った野菜が、コンクリートの床に転がり落ちました。
ごろごろごろごろ
人参が転がっていったさきには、しゃがんでいる金髪の男の子の足。
こつんとあたって止まった人参を、その男の子は拾い上げてすくっと立ち上がりました。
「柚里」
懐かしい声色。
懐かしい発音。
人参を柚里に手渡して、その男の子はこれ以上なくにっこりと笑って深々とお辞儀をしました。
「柚里、元気やったか?」
「……アキくんっ!」
柚里はアキくんから受け取った人参をまた、ごろんと足元に落として、そうして全力でアキくんを抱きしめました。
そうしないとぼろぼろと流れる涙を隠すことができなかったからです。
そうしないとアキくんがまた消えてしまうんじゃないかと怖かったからです。
「アキくん、アキくん、アキくんっ!」
「……なんや、えろう歓迎してくれんねんなぁ。こそばゆいわ」
アキくんは少し照れながら、それでもむぎゅっと抱きつく柚里の体に腕を回して、ゆっくりと抱き返しました。
「会いたかったわ……柚里」
「私だって会いたかったよ。もう、二度と会えないんだと思ってた」
「へ?なんで」
「だって、アキくんは元の姿に戻ったでしょ?そうしてフィーヨルに帰ったじゃない。それってもう『魔法を解くのにしなくちゃいけないこと』をやり終えて、魔法が解けたってことじゃないの?」
腕の中にアキくんを抱いていたとしても、そのことを考えるといまだに目をギュッと瞑って、湧き上がってくる思いを見ないで済むようにしてしまいたくなります。
こうやってアキくんを抱きしめていても、もしかしたら一瞬のことで、すぐにまたフィーヨルに戻るかもしれません。
いやそれよりも、本当は柚里が見ている夢かもしれません。
アキくんに泣き顔を見せたくなくなくて、より一層力を込めた柚里の背を、アキくんはまるで子供をあやす親のようにぽんぽんと優しく何度も叩いていました。
「ちょっと見ぃひん間に、えろう可愛らしなったなあ」
「……可愛らしいって……。アキくんからそんな風に言われたの、初めてだよ……」
「そうやった?俺、ずーっと柚里のこと、好きやってゆうてたと思うけど」
「可愛らしいっていうのと、好きっていうのは違うと思う」
「そっか。そやったら何度でも言うわ。柚里は可愛らしい。柚里は可愛らしい。柚里は可愛らしい」
「……アキくんっ!!」
「満足?」なんて言葉を本気で言ってくるものですから、泣いていたはずの柚里は耳たぶまで真っ赤になってがばっとアキくんから離れました。
「ア……キ、くん?」
「あんな、柚里。ちょっとええ?話したいことあるねん」
「……う、ん?あ、家っ!家に入ろうよ」
「うん。ありがとう。あがらせてもらうわ」
え?
アガラセテモラウワ?
柚里はアキくんの言葉に顔をちょっとしかめてしまいました。
その言葉はもう柚里の家を他人の家だといっているのも同意語だからです。
自分の家に帰る言葉ではなくて、友達の家とか、知り合いの家とか、そういった距離感のある人の家に上がるときの言葉だからです。
アキくんはもう、うちの子じゃないんだ?
どうしてそんな言葉がでてくるのか柚里にはわかりませんでした。
フィーヨルから来たんだったらまた一緒に住めるんじゃないの?
それともこれはやっぱり私の都合のいい夢なのかな。
アキくんのためにドアを開けて中に招き入れながら、柚里はまた気持ちが落ちていくのがわかりました。
「お邪魔します」
礼儀正しく挨拶をしたアキくんは、脱いだ靴をきちんと揃えて柚里に勧められるまま、懐かしい部屋に入っていきました。
懐かしさのあまりぐるりと見渡すと、部屋の隅っこにうさぎさんの入ったゲージが置いてありました。
思わず歩み寄ってゲージの前まで行くと、中に入っているうさぎさんをじぃっと見つめてしまいました。
だって、ねえ?
まるで自分がうさぎさんだったときそっくりの、ただ月の輪の白い毛がないだけのうさぎさんがいたんですから、そりゃあ驚いてじっと見ていても仕方がないですよね。
「……柚里。このうさぎは」
「あ。可愛いでしょ。ちょっと前に家に来た子で『フィー』っていうの」
「『フィー』?」
「そう。アキくんの姿とよく似てるでしょう?ペットショップで一目ぼれしちゃったんだよ。だから名前もフィーヨルから名付けたの」
てへへと照れ笑いをしていると、アキくんが急に抱き着いてきました。
さっきとはまるで逆ですね。
「俺そっくりやん、このうさぎ。一目ぼれやて?俺そっくりのうさぎに?」
「へ?…うわっ、今そんなつもりでいったんじゃないよっ?」
「そんなことゆうなんて、柚里はいじわるなんか?」
「いや、だからねっ?そんなつもりじゃあっ」
「せやったらどんなつもり?」
柚里はうっと喉を詰まらせてしまいました。
どんなつもりで言ったのかだなんて、柚里にはわかりませんでした。だって自然とその言葉が口からこぼれおちてしまったんです。だからどういうともりだなんていわれても考えてもいませんでした。
そしてこれ以上下手に考えると碌なことが無いと思い、柚里は考えることを放棄して口をつぐみました。
「そんなことより、どうして帰ってこれたの?ずっともうここにいれるの?」
「……うまいこと返したつもり?まあ、のせられたるけど」
柚里のあわてぶりにくすくす笑って柚里から離れてソファにちょこんと腰をかけました。ぽんぽんと隣の席を軽く叩いて柚里に座るように促すと、それにつられて腰をかけた柚里の手の上にそっと自分の手を重ねました。
「ちっちゃいなあ、俺の手」
「そうだね。だってアキくんは子供の姿だから」
「そうやねんなあ。子供の姿やったら柚里は俺を怖がらへんやろ。せやから子供の姿でおるねん」
「え?どういうこと?」
「柚里、怖かったやろ?ちょっとの間しか本当の姿になっただけやのに、柚里はなんや俺を怖がってたと思う。せやから今日はこの姿で柚里の前に現れたほうがええんとちゃうかなっておもてん」
「……アキくん、何いってるの?」
「本当の俺になんて簡単にもどれるようになったというか、元々の姿があって、魔法でちいさなってるってのはしってるやん?」
「そうだね。おいたが過ぎて魔法をかけられたんだったよね」
アキくんがうさぎさんの姿になったのは、やんちゃがすぎてお城を壊してしまったせい。
だから王様がアキくんの教育係兼魔法使いのマグニュスという人にに命令をして『世間を見てこい』といってうさぎの姿で国から追い出したってことだったはず。
「うん、そうそう。きっちり覚えてるなあ、関心関心」
いやそこは覚えられていたら恥ずかしいところじゃないんでしょうか。
「ほんでや。一応俺、大人になったやん?あれってや、実はマグニュスの魔法の失敗やってん。……ほんとはまだまだ勉強せな元に戻る予定やなかったらしいねんけど、マグニュスも初めての魔法でうまいこといかへんかったらしゅうて。せやからその魔法をかけ直すためにいきなりフィーヨルに戻されたってわけ」
「ほんま、やってられんわあ」なんてアキくんが笑いながら言いましたが、柚里にとっては笑いごとではありません。
マグニュスの魔法の失敗のせいで、いきなりアキくんが大きくなって、そしていきなりいなくなったのです。
「な、な、なによそれっ!」




