第三十九話
「おっさん、なにさらしてんのじゃあぁっ!!」
「王子。口が悪すぎです。
市井の民と交流が深いことは大変素晴らしいことですが、そのような言葉遣いを習得される必要はないですよ」
王子が壊す前のフィーヨルの城のなかにあった王子の部屋の居間では、なぜか鏡に向かって叫んでいるアキくんとそんなアキくんをため息交じりに見ているマグニュスがおりました。
その鏡はきれいな長方形で、周りに枠のないめずらしいものでしたが、それよりももっとめずらしいのはその鏡に映るのは目の前のものではなくて、現実の世界だったのです。
そうです。
今はまた、マグニュスの魔法が織りなす夢の世界にアキくんはいるのでした。
現実にはアキくんは柚里の部屋で眠りこけて一向に起きる気配が全くない状態なのですが、フィーヨルにいるマグニュスが『夢渡り』という、相手の夢に自分の夢から入っていける魔法を使ってアキくんの夢に入り込んでいて、意識はマグニュスと話しているために鏡の中(現実)で繰り広げられる樹の求婚にまったをかけることができずに地団駄を踏んでいるところでした。
「あんの阿呆。俺の柚里になにさらしてんのじゃ」
「ですから王子。その言葉遣いをやめてください」
「せやったら早よ向こうに戻してえな」
ぎりぎりと歯が鳴るほどにかみしめて鏡を覗くアキくんに、余裕なんてひとつもありませんでした。
夢から目覚めてソファで寝ている自分に戻ることができたなら、即二人の間に入り込んで柚里をぎゅっと抱きしめて、あの不愉快なおっさん(樹ですけどね)を二人の家から追い出すことができるのに。
そう思うと一刻も早くこの夢から覚めてほしいと願わずにはいられません。
けれどマグニュスはせっかく『夢渡り』という魔法を使ってアキくんと話せているのですから、この機会をおじゃんにするのだけは勘弁願いたいところでした。
「それは無理というものです。こうして『夢渡り』ができるのは奇跡に近いのですから。
それとも、王子が先ほど私が言ったことを実行してくださるのなら、今すぐこの魔法を解いて差し上げますよ?」
「うっ……それは、いやや……」
アキくんは急に勢いをなくしてがっくりとうなだれました。
長い金色の髪がさらさらと顔の周りに落ちてきて、アキくんの表情を隠します。
「それに『おっさん』というのも失礼ですよ。
ところで王子。あの方を本当にご存じないですか?城の謁見の間で一度だけ会われたこともありますよ」
「ううっ……覚えてへん……。それに柚里にちょっかいだすんやからおっさんで十分やし……」
「王子。いい加減にしなさい。王子はゆくゆくはこのフィーヨルの王となられる方。そのような心構えでどうします。それに私は今、『謁見の間で会われたことがある』と申し上げました。ということは、王子は公式にあの方にお会いしたことがあるということです。
……本当に覚えていませんか?」
そんなことゆうたって。
アキくんは柚里に抱きついている樹をはがして張り倒したくて仕方がないのを我慢している最中で、到底考えがまとまりませんでした。
アキくんが公式の行事に出ることは、実はまだ稀です。
とうに成人しているアキくんですから、もちろん王の横に立って皇太子という立場でいろんな国のいろんな立場の人たちと話をしたことはありますが、それでもまだ皇太子という自覚がなかったアキくんですので、相手の名前や顔を覚えることを好んではしませんでした。
その結果、皇太子という立場にありながら、外交にはとんと疎いアキくんができあがったのですが、それはそれで自業自得だったりしますので、仕方がありません。
まだまだ子供の部分を隠し切れないのは未熟な証拠。
仕方がないなんていうのは、やろうとしない人のいいわけでしかないことをアキくんは柚里から学びました。
ですから熱くなっている頭を冷やすように数回深呼吸をして、まとまらなかった頭を追いやりました。
そして柚里ばかり見ずに、もう一度確かめるべく樹をじっと見ていると……
「あ!」
「思い出しましたか?」
「思い出したっていうか、目の色が違う人やったら会うたことある」
「それは誰ですか?」
「隣国のリクシールの皇子。せやけど、目の色は深い海のような色しとったはずやで?」
「瞳の色が違うと人の印象は随分と変わるものですが、それでもリクシールの皇子と思われますか?」
「うーん。そらそうやねんけど……なんちゅうか、雰囲気?それが一緒なんやと思う」
「そうですか。雰囲気、ですか」
マグニュスはアキくんの成長に驚きを隠せませんでした。
柚里と出会うまでの王子であれば「覚えてない」といった時点でその話は終了し、もしその話を何度も尋ねたとすればとたんに不機嫌になり足音高く立ち去って行くのが常でした。
それがどうでしょう。
たった数カ月柚里と一緒に暮らしただけで、王子はまるで別人のようになっているではありませんか。
それがマグニュスには大きな喜びでもあり、同時に自分の教育の至らなさを思い知ることにもなりました。




