第三十三話
アキくんを包んでいた光が四散するとともに、また別の光がアキくんの鈴から生まれ出て、部屋中に広がっていきました。
そしてその光は壁や天井にあたるとぱらぱらとまるで雨の粒のように落ちてきて、アキくんに柚里に初めて会ったあの雨の日を思い出させました。
あー、懐かしいなあ
アキくんは雨を受けようと掌を前に差し出しました。
その手は先ほどまでのぷにぷにとした少年のそれではなく、アキくん本来の男の人の骨ばったそれでした。
えっ?
えええええええええっっ??
俺。まさか。……戻ってる?
信じられない思いで立ち上がると、確かに目線の高さが違っていますし、体が浮くような、不思議な感覚に襲われました。
手足が長く伸び、筋肉の筋もきちんと見えています。
なんで?
なんでなんでなんで??
アキくんは大人に戻った手で自分の体のあちこちを触りまくります。
丸みが無くなってすっきりした顔、首には喉仏、広くなった胸に割れた腹。
自分の顔を確認しに行こうと洗面所に向かった時には、ドアの開口部で頭をごんとぶつけてしまいました。
そうして鏡の前に立つと、そこに映ったのは先ほどまでの柔らかい輪郭の子供の顔ではなく、自分本来の青年の顔でした。
アキくんはとうとう、元の姿に戻ったのです。
「うわー。うそみたいや……」
確かに自分のはずなのに、久しぶりに見たその顔を、アキくんは不思議なものを見るようにじっと見つめていました。
どのくらいそうしていたでしょう。
辺りはとうに暗くなって、部屋の中も明りが必要になっているほどです。
それでもアキくんは鏡の前から動くことができません。
どうして元の自分に戻ったのか、どんなに考えても、どんなに自分の顔を凝視しても、まったくもって判らなかったからです。
……マグニュス
今回は夢にも何にもでてけーへんかったけど、マグニュスが知らんわけないわ!
「マグニュス、マグニュスっ!!」
空に向かって叫んでみても、フィーヨルにいるマグニュスには声は届きません。
ただアキくんの低く通る声が、部屋の中に響き渡っただけでした。
あかんっ。もうすぐ柚里が帰ってくる
こんな格好、いきなり見せたら驚くやん
その時になってやっとアキくんは自分が何も来ていないことを思い出しました。
いつもの小さなアキくんならば柚里の服も着ることができましたが、大人のアキくんにはそれは無理です。そうすると着れる服などないわけで。
うわー……どないしよ
辺りを見回すと、先ほどタオルをしまったチェストが見えましたので、そこから大判のタオルをひっぱりだして腰に巻きました。とりあえずそれしか思いつくことができません。
ってか、俺ってもううさぎに戻らへんのかな?
それともちっこい俺に戻れるとか?
せめて柚里が帰ってくるまでに柚里の見知った俺に戻らへんのかなあ
自分の本当の姿に戻れたことはとってもとっても嬉しいのです。
けれどもそれ以上に、この姿を前触れもなく柚里に見せたときに柚里がどういう反応をするのかと思うと、怖くて仕方がありません。
そうこうしているうちに、柚里が帰ってくる時間になってしまいました。
「ただいま~。アキくん、いい子にしてた?」
「電気つけようよ~?」と返事も待たずにぱちぱちと明りをつけて行きます。
アキくんは洗面所でいつ柚里に見つかるかと思うと気が気ではありません。
「アキく~ん?かくれんぼはやめようよ。『おかえり』は?」
そんなことをいっても、普段とは明らかに声色が違うので、声を出すこともできません。
どうすることもできなくて、アキくんは洗面所に座り込んでしまいました。
「アキくん?」
きらりと光る金髪が洗面所の影に見えたような気がした柚里は、「詰めが甘いなあ」とほくそ笑みながら足音を立てずにゆっくりと洗面所に向かいました。
そしてかくれんぼをしているだろうアキくんを驚かせようと、息を吸い込んで洗面所に向かって大声を出しました。
「わっ!」
「うわっ!!」
確かに柚里の思惑通りにアキくんは後ずさるほど驚きました。
けれどその声を聞いてもっと驚いたのはほかならぬ柚里でした。
だってうさぎのアキくんでも、人間のアキくんでもない、聞いたことのない男の人の声だったからです。
「ええっっ!?……誰っ!!?」
「……アキです……泥棒ではありません」
「えっ?アキくん……??」
「……そーですぅ……信じてもらわれへんかもしれんけど」
柚里はこわごわと洗面所の入り口から顔をのぞかせました。
するとお風呂上がりのような格好でぺたんと座り込んでいる金髪の男の人が上目づかいにじっと柚里を見つめていました。
半分裸のその姿に真っ赤になって、素早く顔を引っ込めた柚里です。
アキ…くん?アキくんなんだ?
たしかにあのウエーブのかかった金色の髪はそうだし、話し方もアキくんだけど、でも。
「もしかして『本当の姿』ってこと?」
まさかと思って呟いた言葉に、アキくんはコクリと頷きました。
「そうやねん。これが俺の本当の姿やねん。でも、柚里に信じてもらわれへんかと思って……」
「どうして?」
「え?なんでって言われても……なんでやろ?」
「私に聞かれてもわかんないよ?」
くすくす笑いながら柚里はこれからどうしようか考えました。
ちょっと見ただけですが、アキくんは裸のようです。服が要ります。
小さなアキくんのときは自分の服で間に合いましたが、今回はそうはいかないようです。
けれど男の人の服なんて買ったことがない柚里ですから、アキくんのサイズがわかりません。
「アキくん?ちょっと出かけてきていいかな?」
「どこいくん?」
「まだお店が空いているところがあるから、アキくんの服、買ってくる。身長ってどのくらいあるの?」
「こっちの測り方、わからへんけど。でもさっきそこの入り口で頭打った」
「え?アキくんっておっきいんだね」
柚里の対応がアキくんが思っていたよりもはるかに普通で、アキくんは拍子抜けをしました。
よく考えてみたら、しゃべるうさぎであった自分や、そのうさぎから人間になった自分にも多少は驚きはしたものの結構普通に接していてくれていた柚里ですから、大人に戻った自分にもそんなに驚きがないのかもしれなかったのでしょう。
なんや。びくついて損したわ
「いってらっしゃーい。おはようお戻り」
「うん。すぐもどるから」
ぱたぱたと柚里の小走りする音が床を伝って聞こえてきました。
そしてドアがゆっくりと音を立てずにしまる音も。
「はあっ。よかったわー。もうどないなることかと思ったわ」
家に一人残されて、それでも思っていたよりも軽傷どころか無傷で済んだようで、アキくんは安堵のあまりほおっとほおっと大きく息を吐きだして、そのままずるずると床に滑り落ちて行きました。
片や柚里はといえば。
買い物に出るために家の玄関を静かに閉めたとたん、ドアに凭れかかって目を閉じました。
そして今家の中で見た出来事を、頭の中でぐるぐると同じ場面ばかり再現をしていました。
アキくんは、本当は大人の男の人だったのです。
かわいいうさぎのアキくんではなくて、ちょっと元気すぎる男の子のアキくんでもなくて。
大人の男の人。
かああと耳たぶまで顔が赤くなりました。そして心臓がばくばくと鼓動を強めます。
どうしよう、どうしよう
実は柚里はアキくんが思っているほど冷静に対処しているわけでもなんでもありませんでした。
ただあまりのできごとに、脳が考えるのを拒否していただけのようでした。
それが一歩外に出て、家の空気とは違う空気を吸うことで、一気に理性がもどってきたのです。
どうしよう。アキくんってば、男の人だよう
どうしよう。男の人とは一緒には暮らせられないよ
うさぎであったり小さな子供であるアキくんとならば、柚里はいくらでも一緒に暮らすつもりでしたが、大人の男の人なんて、話が違いすぎました。
どうしよう、どうしよう
顔を真っ赤に染めながら、それでも本来の目的である買い物に向かいつつ、柚里は一人悩んでいるのでした。




