第十三話
柚里は耳を疑いました。
たしかに今、とんでもない言葉がアキくんの小さな口から洩れたのです。
「ちょ……ちょっとまって?」
「いくらでも待つけど、なに?」
ネックレスを受け取ってそれと同じものを返したら、フィーヨル国では婚約成立になります。
ですのでアキくんは柚里からのプレゼントを心から喜んで、お返しを返したくてうずうずとしていました。
が、ふとあることに気がついてしまいました。
「あっ!!あかんやんっ!」
いきなりアキくんが大声で叫んだので、柚里は自分のこんがらがった頭の中がきれいにすっとんでしまいました。
そしてアキくんを見てみたら、アキくんは柚里のほうではなく後ろ向きでなだらかな肩をさらにがっくりと落としてしょんぼりとしていました。
「アキくん。一体どうしたの?」
「俺……俺、あかんねん……」
大きなまあるい瞳に大粒の涙が盛りあがりました。
「俺、せっかく柚里から求婚されたのに……返されへんねん。こっちの通貨わからんよって、お返し用意でけへん」
ぽろぽろぽろぽろ
その様子に柚里は心底驚きました。
だって―――――だって柚里はアキくんに求婚―結婚を申し込むこと―した覚えがなかったからです。
柚里はアキくんを両手で優しく抱き上げました。
そして自分の膝の上に座らせて、耳と耳の間を指で優しく何度も何度も撫でました。
その間にもアキくんの涙が足元に落ちつづけ、柚里のジーンズを濡らしていきます。
「あのね、アキくん」
柚里はことさら優しく言いました。
「私、アキくんに結婚の申し込みしてないよ?」
その瞬間、アキくんの身体がこわばりました。
「な……なんで?ネックレスくれたやん……」
「ネックレスがキーなんだ?もしかして私がネックレスをアキくんに渡すと、アキくんに結婚を申し込んだことになるのかな?」
「当たり前やん!そんなんどこの世界でもそうやろ?」
柚里はちょっと呆れました。
アキくんの世界と柚里の世界では常識が違うということを、そろそろわかってもいいんじゃないかと思ったからです。
優しく背中をなでながら、思わずため息をついてしまいました。
「こっちの世界では、結婚の申し込みにネックレスは使わないと思うけど」
それに女性から申し込むというのもないけどなあと心の中で言いました。
これに驚いたのはアキくんです。
だって、フィーヨル国だろうが他の国だろうが、結婚は女性から申し込み、その時にはかならずネックレスを添えるのが常識だからです。そしてそのネックレスと同じものを相手に返すと婚約成立です。
そのことを疑ったことはありませんでしたし、子供扱いしていた柚里が実はちゃーんとアキくんを男性と認識してくれているんだと喜んでいたのに、実はそれはぬか喜びだったことがとってもショックでした。
う……うう……
嗚咽がアキくんの口からこぼれおちました。
アキくんはここに住むようになって、本当に柚里のことが好きになっていたからです。
たとえ柚里がアキくんのことを子供とかうさぎとかしか思ってくれていなくても、なんでも自分でこなそうとする、そしてこなしてしまう柚里が、心温かい柚里が、本当に好きになっていたのです。
柚里と過ごす時間は、アキくんにとって至福のものでした。
それは城の中で味わったことのないものです。
朝、柚里の足元にじゃれつくのも、柚里がとても好きだから少しでも体温を感じていたいと思うからです。
ですから、柚里から求婚のネックレスをプレゼントをされたときに本当に本当に天にも上る思いでした。
それが、間違いだったなんて。
柚里のジーンズの湿り気がだんだんと広がっていきました。
柚里は自分がとても冷たい人間になったような気がしました。けれど間違いをそのままにしておくのは後から面倒なことになります。だから敢えてきちんと言ったのですが……裏目に出たようです。
ひょいとアキくんを抱き上げて、大きな目をぎゅっとつぶって耳を垂らしているアキくんの額に軽くキスをしました。
それは泣きやまない子供に対するような、やさしいキスでした。
ちりーん♪
魔法の鐘の音がアキくんと柚里の耳に届きました。
今回もどうして鳴ったかわからない二人でしたが、これだけは言えます。
柚里はアキくんに親愛の情は持っているということを。
アキくんは悲しいながらも、それでもいいと思いました。
これから自分の頑張りを見てもらえたら、少しは俺を見てもらえるんやないかと考えたからです。
涙をひっこめて、アキくんは柚里の抱き上げてくれている手をぽんぽんと叩きました。
「ごめんな。早とちりしてもうて。……でもこれなんでくれたん?」
首をちょっと傾げて笑うアキくんにほっとした柚里は「外にいるときはこれをつけないと飼い主がいないうさぎだと思われるから」と言いました。
こちらの世界では飼っている動物に印が必要で、そのほとんどがこういった首輪になるんだということを柚里はアキくんに説明をしました。
意味がぜんぜんちゃうねんなあ。そら柚里が驚くんも無理ないな
もっともっとこっちの世界のこと、勉強せなあかんなあ
首輪という印が必要なのは仕方がないとわかっていても、『飼われる』という言葉に抵抗がなきにしもあらずなアキくんでした。
それでもこれをつけていると外に出れると教えられて、怖いような嬉しいような気持ちになりました。
「外、行く?」
柚里が優しく聞きました。
「う……うんっ!」
涙を瞳の端に溜めて、それでも笑って、アキくんは答えました。
そして数週間ぶりにアキくんの世界は広がりました。
やっとお家、脱出です(笑)