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燐の硫黄  作者: 虹藤時雨
プロローグ
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プロローグ

平安の世。

都から遠く離れた山々の奥深く、人知れず存在する村があった。

その名を硫黄村という。

村の周囲を囲む山々からは白い煙が立ち上り、風が吹くたびに独特の匂いが漂う。

その匂いを村人たちは当たり前のものとして受け入れていた。

村の中央には、硫黄神社へと続く石段と、大きな噴水広場がある。

噴水といっても、後世のような華やかなものではない。

地中から湧き出る清水を石で囲み、村人たちが集う場所にしただけの素朴な広場だ。

昼下がり、その広場の縁に腰を下ろし、二人の少年が話をしていた。

一人は和悠、もう一人は燐。

二人は幼い頃からの友人、竹馬の友だった。

「なあ、燐」

和悠がぽつりと言った。

「ん?」

「この村、おかしくないか?」

燐は少しだけ笑った。

「今さらだな」

和悠も苦笑する。

そう、今さらだった。

二人はずっと前から気付いていた。

だが、口にするのは今日が初めてだった。

風が吹き、硫黄の匂いが鼻を掠めた。

広場の向こうでは村人たちが談笑している。

平和そのものの光景。

しかし、その平和の中に確かに違和感が存在していた。

「村の人たちってさ」

和悠が続ける。

「何かを隠してるよな」

燐はすぐには答えなかった。

代わりに噴水の水面を見つめる。

揺れる水面に映る空。

その空はどこまでも青い。

「隠してる」

燐は静かに言った。

「絶対に」

二人とも、その理由は分からない。

だが分かることもある。

例えば、この村には老人が少ない。

もちろん全くいないわけではない。

だが妙だった。

若者と子供が多い。

老人もいる。

なのに、その間が少ない。

三十代や四十代が妙に少ないのだ。

和悠は幼い頃から不思議に思っていた。

しかし大人に聞いても曖昧にはぐらかされるだけだった。

「旅に出た」

「山で暮らしている」

「都へ行った」

皆、口を揃えてそう言う。

だが証拠はない。

誰も戻ってこない。

誰も手紙を送らない。

まるで最初から存在しなかったかのように消えている。

「俺の伯父もそうだった」

和悠が呟いた。

燐は顔を上げた。

和悠の伯父は数年前に姿を消している。

理由は誰も教えてくれなかった。

「燐のおじさんもだろ」

「ああ」

短い返事。

二人とも知っていた。

消えた人間は一人や二人ではない。

多すぎるのだ。

まるで村が定期的に人を失っているかのように。

「なあ」

和悠が言う。

「硫黄様って、本当にいると思うか?」

その言葉に燐は眉をひそめた。

硫黄様、村人たちが崇める神。

硫黄神社に祀られている神。

時間を司る神……

そう伝えられている。

毎年祭りが開かれ、供物が捧げられる。

誰も疑わない。

それが当たり前だからだ。

しかし、

「分からない」

燐は答えた。

「でも変だとは思う」

「何が?」

「時間を司る神って何だよ」

和悠は思わず吹き出した。

確かにそうだった。

村人たちは皆、当然のように語る。

時間を司る神。

だがよく考えれば意味が分からない。

雨の神なら分かる。

風の神も分かる。

豊穣の神も分かる。

しかし時間の神とは何なのか。

誰にも説明できない。

「それにな」

燐が声を落とした。

「神社の裏を見たことあるか」

和悠は首を振る。

「ない」

「俺、見た」

「え?」

燐は周囲を見回した。

誰も聞いていないことを確認する。

そして小声で言った。

「古い石碑がある」

「石碑?」

「字は読めなかった。でも――」

燐はそこで言葉を切った。

「でも?」

「硫黄神じゃなかった」

和悠は目を見開く。

「どういうことだ」

「知らない名前だった」

風が止まった。

広場が静かになる。

遠くから鳥の鳴き声が聞こえる。

「どんな名前?」

燐は少し考えた。

「たしか……」

その瞬間だった。

ゴォォォォ――――。

地の底から響くような音が聞こえた。

二人は同時に立ち上がる。

山の方角だった。

白煙が空へ昇っている。

村人たちは誰も驚いていない。

いつものことだからだ。

しかし和悠は妙なものを見た。

煙の向こう、山肌の上に誰かが立っていた。

人の姿をした黒い影がこちらを見ている。

「燐」

「どうした」

「今、あそこに――」

指を差した。

しかし、

もう誰もいなかった。

「誰もいないぞ」

燐が言う。

和悠は黙り込む。

確かに見たはずだった。

見間違いではない。

そう思った時。

突然、広場の噴水が波打った。

ざわり、と。

風もないのに水面が揺れる。

二人は息を呑んだ。

揺れる水面。

そこに映る自分たち。

その背後。

一瞬だけ、見知らぬ人影が映った。

振り返る。

誰もいない。

再び水面を見る。

もう影はない。

「……見たか?」

和悠が震える声で尋ねた。

燐は答えなかった。

顔色が青ざめている。

見ていたのだ。

同じものを。

二人とも。

長い沈黙が流れる。

やがて燐が呟いた。

「和悠」

「なんだ」

「俺たち」

燐は噴水の向こうに見える硫黄神社を見つめた。

古い鳥居、

長い石段。

その先にある本殿。

夕日に照らされて黒く沈んで見える。

まるで巨大な影のように。

燐は静かに言った。

「知らない方がいいことを知ろうとしてるのかもしれない」

和悠は神社を見上げる。

胸の奥に小さな恐怖が芽生えていた。

だが、それ以上に強い感情があった。

知りたい。

この村に何が隠されているのか。

なぜ人は消えるのか。

なぜ皆、真実を語らないのか。

そして、

なぜ自分たちは今まで、それに気付かなかったのか。

山の向こうで鐘の音が鳴る。

夕暮れを告げる音だった。

村人たちは家路につき始める。

いつもと変わらない平穏な一日。

そう見える。

だがその日を境に、和悠と燐は知らない。

硫黄村に隠された秘密へと足を踏み入れることになる。

千年の時を越えてなお消えない秘密へ。

そして……

硫黄神と、忘れられたもう一柱の神の真実へ。

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