1.擬似的人生リトライ
「うおおおおおおおおおおおッ?!!」
壮絶な悲鳴を上げながら、俺は落下していた。まるでジェットコースターのような速度感と、風圧が身体を襲う。
こうなる瞬間のことは覚えていない、理解しているのは踏み出した先に地面はなかったこと。そして息をする間もなく俺の身体は落ち始めたこと。
幸いなのか、不幸なのか。この穴はあまりに深い。俺が落ち始めて、もう数十秒は経っている。走馬灯もとうに流れきってしまって、もはや何も考えられない。
漠然と近づく死の気配に、怯えるばかりだ。
何か惜しいことはなかったかと、考えてみるが……普通の大学を出て、考えることもせずに一番最初に内定の出た会社で勤め。まるでボロ雑巾のように粗雑に扱われる日々。
女も出来ず、歳は既に三十を越えている。酷使に耐えかねた身体は至る所から悲鳴を上げはじめ、とうとう俺は男としての尊厳さえ失っていた。やはり、そんな人生に今更未練と言えるものなんてなかった。
既に何もかも失っていたのだから。
それでも身体は死にたくないと言うのだから、哀しいものだ。この速度だ、スカイダイビングよりも高いところからの落下なのだから、きっと眠るように死ねるはずだ。
0.00001秒にも満たないだろう苦しみが、残り60年の苦しみを終わらせてくれるなら、いっそありがたい話じゃないか。
いずれはそうしようと決めていたのだから、別に構いはしない。死神に優しく背を押されただけなんだ。
……だなんて、死ぬ心づもりをしたのに、まだ俺は生きている。なんだよ、死ぬならさくっと死なせてくれよ、まったく。
……そうだなぁ……
もし次があったら、ファンタジーな世界で冒険者とか、面白いかもしれない。しこたまアイテムを集めて、繰り返す取捨選択なんて最高だ。
ははは…死ぬ時に、昔見たラノベの設定が過ぎるなんて……。
ホントにど──────────
───ぉおおおぉ……ん。
と。鈍くて、どこか生々しい弾ける音が、静かな暗闇の中で幾度も反響して、掻き消えていく。
俺が認識できたのは、始めのドにも満たない音の断片だけだった。
◇◇◇◇◇◇
次に瞳を開くと、そこは薄暗い暗室だった。視線の先には、自分の手の他には、石壁しか見えない。
わずかな光はその壁から滲みでていて、他の光はなかった。自分の手のひらさえ輪郭を失うような、深い闇の中だった。
…あぁ、俺は死んだんだ。まっさきにそう思った。
だって、今はどこも痛くないし、むしろいつもの体の不調さえない。
でも、やけに意識ばかりはハッキリとしている。何故?……理由を考えると、ひとつ疑問を抱いた。
意識がハッキリしているのではなく、身体の感覚が曖昧なのではないかと。そう思ったら確かめたくて仕方がなくなった。あの落下の後、俺の身体には何があったのか?
「…あ”ぁッ…」
首を持ち上げて、動かない身体を見てみる。すると、俺の身体…その中でも脚が。
両足とも膝より先が、ありえない方向へとへし折れて。壊れたマネキンのように、人の形を失っていた。
喉の底から悲鳴を上げたくても、掠れた音が漏れるだけで。代わりに、漂う血の香りでむせ返りそうになる。
腹の内容物が、喉まで込み上げてきて、溢れ出そうになるが。まだ堪えられる程度だった。
痛みと、極度の緊張がそうはさせてくれなかったとも言えるが…。
……早く、意識を手放してしまいたいのに、苦しみがそれを許さない。むしろ視界はだんだん明瞭になってきていて、神経が張り詰めているのが分かってしまう。
恐ろしくて、仕方がなかった。今まではどこか他人事のように俯瞰して、達観しているフリをしていただけだということが、証明され。
迫る死に、震えていた。
死にたくない、死にたくない、死にたくない。
反芻する言葉は、逃避にもならなかった。
俺が心内と向き合っている最中、突然何かの音がした。それは水面にしずくが落ちるような音だった。
だんだんと、その音が近づいてくる。ぴちゃん、ぴちゃん、ぴちゃん。と周期的な音を立てているそれは、明らかに生き物だと分かった。
でも、俺はそんな生き物を聞いたことがなかった。
動く度に、水音を伴う生き物だなんて、まるでそれは……。
俺は、首を上げて、音の方向を見てみる。
石レンガ造りの暗室の先、仄暗い通路から何かが迫ってきていた。それは跳ねながら近づいてくる、まるで餅のような存在。
藍色の身体を持ち、体表が瑞々しく張り詰めたそれは、まさしくゲームで見た事のある姿だった。
──スライムだ。
明らかにスライム、ファンタジーの定番。それが意思を持って、こちらに跳ねて寄ってくる。
理解できない、なんでスライムがいる?そんな生物は現実に存在しないものだ、ありえないだろ。
衝撃の連続に、頭がパンクしそうになる。
しかし、そんな思考停止する時間は与えられていなかった。
「……い”ッ…?!」
突然麻痺している脚に、鋭い痛みが走った。まるで細かい無数の針で突かれているような、鮮烈な痛み。
何かと思い、脚を見れば、スライムが俺の足にへばりついていた。
半透明で青みがかった身体に、俺の脚が呑まれて、ぽこぽこと泡をたてている。その度に焼け付く痛みが骨の髄まで襲いかかってくる。
「ぅ”ああ”ッああッ”!」
──痛い、痛いッ!!
生きながら、消化されてるッ!……こんな死に方はいやだッ!!
緩やかに訪れると思っていた死が、急速に襲いかかってくる。
俺は懸命に脚を動かした。ひん曲がったかかとで、スライムの身体を蹴るも、まるで水を蹴るような感覚。まるで意味を為さない。
それでも蹴り続けた。踵の骨が見えても蹴り続けた。
まるで水中を蹴るような、手応えのない感触を何度も感じているうちに、その身体の奥にガリっと、何か硬い感触があった。
まるで、氷のような塊。
それを見つける頃には俺の脚は、まるで義足の様に、先細った形状へ融解していた。だが、それでも生きるために力を振り絞る。
「あ”ああぁッ!!!!」
きっと、それが弱点であると信じて、渾身の力を持ってスライムの深くまで脚を突き立てる。
まるで、杭で打ち抜いたような。がぁんという快音が、暗がりの中で響き渡った。
それから、スライムの身体が崩れていくのは、あっという間の事だ。
───俺は生き残った。勝った。
…………………それで?
胸の中に残ったのは達成感でも、満足感でもなく。ただ虚しさと空白だけだった、結局の所、勝っても負けても、俺は死ぬ。
もうそれは決まっていた、ただ余命を幾分か伸ばしただけに過ぎないんだ。
「……はぁ………」
戦いの後の余韻を、口から吐き出す。
もはや、痛みも感じられない。視界はどんどん狭まっていく。これが死なのだろう。
受け入れる他、俺に残された手立ては無かった。
暗闇へ、落ちる────────
……はずなのに、俺の身体に突如として異変が起こる。
脚が、熱い。
焼きごてを押し当てられているような熱さが、溶けてしまった俺の足に宿る。内側から燃えるようだった。
その熱に、俺の意識は再び蘇る。
目が飛び出るほど、視界が開けていく。赤黒く明滅する中で、俺は自身の脚を見た。急激に人の身体に復元されていく、まるで筋繊維が一つ一つ意思を持って、繋がっていくように。
そして、その全てに激痛が伴った。
「…ぁ”…はは、あははは”ッ!」
もはや、”笑うしかない”。
そして、笑いながら俺の意識は。ぷつんと。
糸が切れるように喪われ───
───────そして。
次に目を覚ました時、俺の身体には全く力が入らない。ぼーっと、天井を眺めているだけだった。
首さえ動かすのを憚られる、全身に強い倦怠感が残っていた。しかし、それだけではないことにも気がつく。
「…あし、あるよな」
喪われていた感覚が回復している。石の床に擦れる、少しざらざらとしていて冷たい感触を、確かに脚から感じていた。
立ち上がることも、難しいが、また感覚が帰ってきたことが嬉しかった。まだやれる事はある訳だ。
それが、何なのかはまだ分からないが…選択肢があるというのは喜ばしいことだ。今はこの僥倖に感謝しよう。
にしても…普通に考えれば、あの状況から生き残り、そして脚が治るなんてありえない話だが…一体俺の身に何があったんだ…?
動けないことをいいように、俺は横たわったまま少し頭を捻ってみる……が、現実的な可能性には、思い当たる節がなかった。
代わりに得ることが出来た事は…。
〈レベルが上がりました、ボーナスを選択してください〉
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・HP増強
・MP増強
・スキルポイント+1
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頭の中で響くような、ファンタジー的な幻聴だけだった。
……本当に、ラノベみたいな、展開だ。
…いや、流石に仮にそうなら最初から瀕死なんて、ありえない話すぎるな。いくら何でもハードモードが過ぎるだろ。
〈レベルが上がりました、ボーナスを選択してください〉
俺が否定し続けても、変わらずにアナウンスを繰り返す声。生きていきたければ、選べとでもいうようだった。
それなら、俺にも考えがある。
「…ステータス」
俺がそう、言葉にすると。ある意味想像通りの事象が起こる。まるで空中に浮かぶモニターのように、半透明な四角形が現れる。
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名 :雨村 樹
LV:1 職業:なし
残HP:3% 残MP:100%
《スキル》
[略奪者][一度きりの人生]
[鑑定Lv1]
《称号》
なし
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「…は、……はは」
乾いた笑いが口の縁から漏れる。これを望んでいたから笑ったのか、それとも現実が壊れていくことを嘆いているから笑ったのか、分からないが。
ただ、これを現実だと呑み込むしか、なかった。
死にかけて、やっと気がついた、”死にたくない”。それに俺は素直になる事にする、もう達観も諦めもやめてやろう。
「…ボーナスを選択する」
「HP増強」
生きるためなら、なんだってやってやる。死んだって生きてやる。
俺の中で、何かが壊れて。何かが始まる。身体に宿ったわずかな活力を糧にして、立ち上がる。
それは同時の事だった。
──────────────
「…ステータス」
震える足で立ち上がった俺は、再び眼前にステータス画面を表示した。幸い揺れる視界でも問題なく見ることは出来るようだ。
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残HP:7%
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さっきのボーナスのおかげか、僅かにHPなる数値が増えていた。これはゲーム的感覚でいうのなら、生命力だとか、そういうものだろう。
これが0になれば、死ぬ。
とても分かりやすい仕組みになっているが…現実においてはそこまで単純ではないみたいだ。
…ゲームのキャラだったら、仮にHPが残り1%になっても死ぬまでは変わらず戦えるが…。3%だった時の俺は、まともに立つことすら出来なかった。
7%の今は、辛うじて立ち上がることが出来るが…とてもだが戦えるような状態ではない。
つまり…活動するためには、HPをある程度の水準まで保つ必要がある…そういうわけだろう。
……次は、スキルについても、調べておかないとな。何ができるか分からないと、またスライムが現れた時にどうしようもない。
…おあつらえ向きに、[鑑定]だなんてスキルも持たされている訳だしな。
「……鑑定」
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[略奪者]
:敵から、奪い、報酬を手に入れる。
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[一度きりの人生]
:死を、避けられない、が、対価を得る。
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……これが、鑑定結果なわけだが。なんともざっくりとしていて…分かりにくいというか、ある意味では簡潔で助かるんだが。
これは、[鑑定Lv1]だからって事だろうか…またスキルのLvも上がってくれると助かるんだが…今はまだその段階にいないからな。
…次すべきは…そうだな。
倒したモンスターの死体を漁る…なんてのはゲームの定石だろ、しかも俺には[略奪者]なんてスキルまである訳だしな。
俺は、足元で、水溜まりのようになったスライムに触れてみる。ぶよぶよとしていて…なんとも言い難い感触だった。
それでも、調べない訳にはいかない…しばらくしゃがみこんで、スライムの死体に手を突っ込んで中をまさぐっていた。
…そして、手がねばねばしたものばかりになって、やっと見つけたものは。
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〈銅貨〉
:一般的貨幣
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たった1枚の銅貨。
そして
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〈スライムの体液〉
:可食。
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足元に残る、スライムの体液だけだった。…これを、食糧として考えてもいいのだろうか。
腹に何かを入れないと、きっとHPの回復は望めないだろう。人の体にはエネルギーは必要不可欠だ。
…… しかし…これは、流石に。
いや、悩む事はない、そうだろ。俺はこいつを殺して、俺は生き残ったんだ、そこには敬意を持たないと。
そのために…日本人たるもの、忘れてはならない…。
「…い、…いただき、ます」
生きるためと、割り切って、俺は足元の青いゼリーの山に手を伸ばした。
〈………〉
〈スキル[貪食]を取得しました〉




