二・五話
「ハァッ!」
甲高い金属音と覇気の籠った声が聞こえ、その方へと自ずと足が吸い寄せられた。
偶然にも足を運んだというのは建前。暇で、何もやる事がないので、久々に訛った身体を動かすべく王宮の裏にある騎士団専用の修練所へとやってきた。
広々とした屋根が解放的なドーム状の広場のあちこちで、若き兵士達が切磋琢磨に剣を振るい、技と駆け引きを訓練の最中で積んでいる。
懐かしい光景だ。
俺も一時はここで剣を振るって鍛錬を受けていた。
戦いを知らぬ世界から来た俺に与えられた役割は剣を振るい戦うことであった。
世界の救済。そんな大それた役目を背負わされ、この先の未来を生き抜くためにと、必死で俺は自分の実力を上げていくことに時間を費やしていた。
「なぁ、俺達も……」
無意識に問いかけた言葉は空に流れた。
ここに来る度に、俺はいつも同じ人物と剣を交えていた。そして、決まって同じ台詞を使い回していた。
今の言葉は自然と口から零れた。しかし、零れ掛けた途端に俺は気付いてしまった。
もうここに、あの日常はもうないのだと。
そう思えてくるにつれ、修練場から気が遠のいていった。
踵を返し、元来た道を戻り掛けたその時……
「入隊希望者かな?」
修練所の入り口で佇む俺を不審に感じたのか、背後で腕を組んでいた女性が肩に触れて話し掛けた。
「あれ、悠馬君……?」
「サラさん」
思いがけない顔を合わせに少々驚かされた。
この人の名前はサラ・L・ラフォルト。ラフォント王国の第二王女。
本人の情熱さを体現するかの様な深紅の髪色にキリッとした男装令嬢を思わせる燐とした顔立ち。身体の線は細くしなやかではあるものの、鋭い剣戟を放つ王国最強の女性剣士。
剣の腕だけで言えば、俺よりも遥かに上回り、技術では足元にも及ばない。
故に、以前は俺の専属コーチとして指導を受けていた。
そんな剣の師でもあるサラさんとこんな場所で思わず再会したのであった。
「元の世界に帰ったんじゃ?」
「えっと、実は事情があって帰れなくなったんです」
口が裂けても言えんよ。あなたの妹さんのせいで帰れなくなりました、なんて。
「そう……それは残念だね。ユリナは君に残ってもらいたがっていたから嬉しいかもしれないが、君は少なからず元の世界への未練があったようにも思えたから、心中を察するよ」
「いえ、そう悲観的も捉えていませんので」
「ふふっ君らしいね。それで、時間が空いて、暇になったからここへ来たのかい?」
「そんな所です」
「じゃあ、丁度いい。私と久し振りに模擬戦なんてどうかな?」
おっと、そう来たか。
王国最強の剣士との模擬戦闘なんて有り難い話だ。王宮の兵士であれば泣いて喜ぶであろうシチュエーションだが……この言葉の先に待ち受けるは未来は地雷でしかない。
「すいません。お断りします」
うん。丁重に断らせて欲しい。
サラさんとの模擬戦闘は本当にご勘弁願う。
「まぁまぁ、そう邪見にしないで欲しいな」
「だって、サラさんとの模擬戦は一回きりで終わらないでしょ」
彼女の性格は気高く、意志が強いで多くの人々に知られている。この国の随一の剣客である国王の娘として剣の才能は他の誰よりも秀でている。加えて、この国で一番の負けず嫌いとも言われ、以前の俺との模擬戦では一回だけでなく何十回も付き合わされた。因みに勝っても負けてもだ。
今現在の俺の実力をありのまま評価するのであれば、サラさんとでも負けることはほぼない。
聖剣の力で強化された身体能力は普通の人間よりも何倍もの力を引き出される。
単純な打ち合い勝負でも、力任せに振るえば多分俺は勝てる。
だから、目に見えていて仕方がない。
何とかして回避しようとごねる俺にサラさんは人差し指を立て、一つ提案を促す。
「じゃあ、負けたら罰ゲームで」
「そんな子供みたいな賭けを取り付けないでください」
「君が勝ったらユリナの喜ぶ物とか教えてあげよっかなぁ」
それは悪くない。が、まだ承諾するには至らないな。
秤が完全に傾かなければ御免被る。
「今回はちょっと……」
「ん~、仕方ない」
直ぐ後ろで控えていた側近の女騎士に目配せを送ると彼女は小さく頷く。顔と身体の向きを変え、口を大きく広げて全兵士に向けて呼び掛けた。
「これより、模擬戦闘を行います!皆様、中央を開けてください」
彼女の発した言葉が波紋の如く広がると修練所にいた兵士らは剣を振るう腕を止め、鞘に納めるとサラさんと俺の存在に気付いて歓声をあげる。
「サラ王女殿下と勇者様だ!」
「剣姫と勇者の模擬戦闘が見られるそうだぞ!」
「皆の衆、中央を空けい!」
全員の注目が俺達に向けられるとこちらを向いて「さぁ、やろうか」と言い、笑顔を見せるサラさんの背中を追う形で中央へと向かう。
完全に退路を断たれた。
どうにかして逃げたかったが、今更この無理矢理吹っ掛けられた勝負から降りる事は出来ない。
「それで勝負はどうします?」
「君の意向を組んで一本でどうかな?」
「……」
果たして、本当に一本で終わるのだろうか。と言わんばかりの顔で俺は訴えると「安心してよ。今回は一本だけだから」と肩に触れて宣言する。
「約束ですよ」
了承した俺は背を向けて五歩程歩くと向き直って剣を構える。
国の英雄である俺はこうして剣を構えるだけで修練所内にざわつかせる。
やれ、カッコイイとか。
やれ、憧れる等と言った言葉が俺の耳に届く。
やめてくれ。 俺のニヤニヤが止まらなくなる。
露骨に口角が上がってしまうのを防ぐため、片手で顔の半分を覆う。
「お二方、準備はよろしいでしょうか」
サラさん側近のメイドの女性が中央に立って合図を行う。
反対で同じく剣を構えるサラさんは「いいわ」と言うと俺も彼女に向けてコクリと頷く。
片手を振り上げ、大きな声で「始め」と合図を行うと、一瞬で修練所の端に移動した。
メイドにしては機敏過ぎるのと人間離れした身体能力に少しばかり驚いていると、合図直後に動いたサラさんは既に俺の間合いに踏み込んでいた。
「試合は始まっているよ!」
脇に目掛けて一閃を画す。
開始早々に決着がついたかと、観ている者達が思わせるくらい俺の動きは出遅れていた。
電光石火の如し先制攻撃はサラさんの十八番だとこの場に居る誰もが周知である。
少しでも反応が遅れれば敗北は確定的。
この場に居合わせた一同がそう思い込んでいるであろう。
しかし、俺を舐めてもらっては困る。
ガキィンッという甲高い金属音が修練所に響き渡った。
脇と剣の間に武器を潜り込ませ、一撃を受け止めた俺は片足を振り上げて、蹴りに転ずる。
その動作に逸早く気付いたサラさんは大きく後ろへと跳躍し、距離を置いた。
「流石だね。私の速度に軽々と付いてくるとは思わなかったよ」
「何言っているんですか。全然本気ではないくせに」
今の速さはまだ微速。
俺の異世界転移と同時に与えられた身体能力であれば、容易に間に合わせれる。
だが、本気で来られたら今の一撃で終わっていたのもまた事実。
『神速の舞姫』たる異名を持つサラさんの全速力は目で追えない所か、五感で感知出来ない。
気付けば斬られて、真っ二つに胴体を裂かれている敵を今までに何体目にしてきたことか。
故に、この場では本気を出しはしないであろうという安心感が俺の中にはある。が……
「ここは一本じゃなくて、真剣勝負って言うのはどうかな?」
うん、やっぱりこうなったか。
久し振りに自分の全力を受け止めてくれる相手を見つけたかもしれない、と内心で思っているのだろうか。
模擬戦闘という安全面を考慮した戦いでは物足りず、命を賭した戦いでなければ自分の持つ真たる実力が発揮出来ない、と間接的に伝えている。
勿論、俺が出す答えは一つ。
「いやに決まっているじゃないですか。下手したら死ぬんですよ!」
「腕の一本は覚悟した方がいいかもね」
もうヤダ。この姉妹、本当に話を聞いてくれない。
心の中で涙を流しながらも、現実面では真剣に構えを取る。
こうなったら、最後まで付き合う他ない。
それに、衆人環視の目も以上、下手な戦いは出来ないしな。
「どうやら、覚悟は決めたようだね」
溢れんばかりの熱意を燃やしたサラさんは大きく息を吸って、深く吐き出す。
「いくよ」
鋭い視線を突き付けられると同時に、サラさんの姿勢が下へと沈む。
床のタイルに亀裂が生じる程の踏み込みで、驀進。
視界の下方を走る疾風の刃を辛うじて捉え、軌跡をなぞる線の途中に向けて、上から大きく剣を振り払った。
修練所全体に耳の奥を酷く震わせる程の金属音が響き渡ると見物人らは全員が耳に塞ぐ。
反射的に瞑った目をもう一度見開くと、そこには俺とサラさんが互いに剣を交えている姿が見られる。
「ほう。素晴らしい封じ手だ」
修練所の教官と思しき人物が俺の取った行動に感心の声をあげた。
「先生、どういうことですか?」
生徒の質問に教官は簡単に答える。
「サラ様のスピードを脅威だと感じた彼は敢えて、サラ様の初撃を上から打ち止めることで、足の動きを封じたのだ」
その通り。サラさんの強みは自身の魔法属性である風と身体強化の両方を駆使した体術にこそある。
敵が追いつけない速度で動き、強烈な一撃を叩き込む。
下手に受けてしまえば、サラさんの次の動作に合わせられず隙を突かれてしまう。
なら敢えて、一太刀目で彼女の足を地に縛り付けるような状況へと追い込み、動きを封じる。
そして、力比べの勝負であれば俺は負けない。
下からの物凄い力で押される勢いに負けじと腕の筋力を思い切り駆使して、抑えにかかる。
「良い判断だね。まさか、こうやって防がれるとは……」
「なら、降参してください。俺はサラを斬るなんて真似出来ない……ですから」
いくら第二王女自ら真剣勝負を提案したとしても、知り合いのお姉さん……ましてや、ユリナの姉を斬るなんてことをしたら………後でどんな叱りが待っているか、想像したくもない。
出来れば、この場でギリギリまで追い込んで降参へと持ち込みたいのだが、俺の言葉を聞いたサラさんの雰囲気が若干変化した事に気付く。
そして、次の瞬間。思わぬ台詞が耳に届く。
「悠馬君。ユリナの裸を見たって本当?」
「……!」
その一言に魔力でも込められていたのか。
背筋が凍りつくような圧に俺は肩をビクッと震わせられた。
腕の力を抜いて、膠着状態を自ら解く。
「何処でそれを……」
「いやなに。以前、ユリナの口からそう聞かされてね。事故だと聞いてはいるが、実際はどうだったのかなって」
サラさん、それ人前で見せちゃいけない顔です。
王女の面子が変な方向に噂され兼ねませんよ。
そう冗談半分で宥めようと考えるも、それが直ぐに浅はかだったと知った。
吊り上がった鋭い眼光から殺気が凄まじい勢いで漏れ出ていた。
「勿論事故ですよ。たまたま泊まった宿が混浴でして……ほら、獣王国って混浴が基本みたいなとこありますし……」
「見たんだね」
「見たといいますか、湯船に浸かって背を向けていたし、俺も直ぐに目を背けたんで……」
「見たね」
「はい……」
詰んだ。そして、認めてしまった。
「仕方ない。私はここで君を斬る運命みたいだ」
「これ模擬戦ですよね!」
「真剣勝負だと、言わなかったかい?」
やばい。
こりゃガチだ。
サラさんは所謂、シスターコンプレックス。それも重度の。
ユリナに性の知識を御年十八歳になっても頑なに教えようとせず、むしろそういった知識から遠ざけようとする程、過保護。
この世界において十八歳で未だ清潔な貞操を守り続けているというのは珍しい。
特に貴族社会においては政略結婚が多いため、俺達みたいな歳の頃にはもう子供がいてもおかしくない。しかし、この国の三姉妹王女は未だに誰一人として結婚しておらず、しまいには次女と三女に至っては他貴族の婚姻話すらまともに聞き入れない剣術娘と魔法娘であったと国王はよく嘆いていた。
早く孫の顔がみたいと考えている国王の思惑とは裏腹に、それを阻止すべく大事な大事な純潔の妹を守ろうと裏で手を回していたのが、この人だ。
「私は君を認めている。故にユリナとの婚約機会があるのなら是非とも背中を押そうと考えている」
「なら……」
「それとこれはとは別。ユリナのあの柔らかな肌に太股に、適度な可愛いらしい膨らみを見たのは……万死に値する」
「背を向けてたって言いましたよね!?」
そんな鮮明に説明されると思い出す……おっと、これが罠であったか。
「やはり、見たんだね」
どっかのホラー映画に出てきそうな幽霊役の人が名演技を披露するかの如く、恐怖に満ち満ちた顔でサラさんは腰を低く構えた。
その動作で次の攻撃を予測した俺は一歩下がる。
「ラフォルト流【双撃・連舞】」
深く息を吸い込むと右、左と交互に連続して剣を叩き込む。
速い連撃と重い一撃が合わさる見事な攻撃に俺は出来るだけ、タイミングよく力を受け流して耐える。この技は息継ぎの間がない速さで繰り出されるため、使用者は息を止めたままになる。いずれは 限界を迎える。その瞬間が反撃の狙い目なのだが……
「ふんっ!」
息が切れる最後の一撃。下から放たれた一番重い衝撃に俺は重心を後ろに逸らされる。
上手い。
同じ威力の攻撃を何回も受けさせ、慣れた頃を見計らって相手の予想を超える一撃で敵の重心を崩させる狙い。それに完全にハマった。
「流石です。でも……」
この程度の駆け引きは初めてではない。
窮地に立たされようとも、形成を逆転出来る魔法が俺にはある。
「……え?」
聖剣の魔法を使って自身と相手の位置を入れ替える置換魔法で俺はこの攻撃を回避しようと聖剣に魔力を通そうとした次の瞬間、魔法がキャンセルされた感覚に陥る。
そのまま、床に背中を打ち付けるとサラさんは俺の首横に剣を突き刺す。
「そこまで!」
その掛け声と同時に俺の意識がハッと戻される。
「勝者、サラ・L・ラフォルト王女殿下!」
その宣言を聞いた兵士らは少し間が空いた後に、ポツリポツリと拍手が起こる。
この場にいた誰もが意外な結末を目の当たりにしたのか、王女殿下が勝利したというのに、一つの歓声も起きなかった。
「途中まで、凄かったのに……最後の方どうしたんだろう」
「なんか、魔法が不発していなかったか?」
「聖剣を持つ勇者様がそんなミスする訳ないでしょう」
と言った声がポツリポツリと聞こえる。
完全に手を抜いていた訳ではないと言えど、先程の戦いを見ればそう捉える者の方が多いだろう。完全にサラさんの顔に泥を塗ってしまった。
サラさんは剣を納め、片手を差し出すとその手を取って立ち上がる。
何か言いたげな表情で俺を見詰めるとサラさんは俺の腕を無理矢理引っ張って、修練所の端へと連れていく。
「あの……すいません。決して、手を抜いたとかいう訳では……」
「勿論。分かっているよ。ただ最後。君の魔法が阻害されたのが見えたから……もしかしたら、あの場に刺客がいるのではないかと思って連れて来たんだ」
そういう事か。
確かにその線を疑ってしまうのも無理もない。
しかし、あの場で明確な敵意を一切感じなかった。この隣にいる一人を除いて。
「心配は無用です。魔法を発動出来なかったのは俺の問題……だと思いますので」
「君の問題?」
「正確に言えば……こいつでしょう」
聖剣。
この剣はあの日以来、妙に反応を示さない。
力を使い果たしたのか、はたまた俺に愛想を尽かしてしまったのか。
詳しい原因は不明だ。
「勇者様の仰る通りかと存じます」
「メイヤ」
メイヤと呼ばれたメイドの女性じゃ事実を伝える。
「そもそも妨害魔法を発した者はあの場にいません」
「あなたがそういうのなら……」
「すいません。心配させてしまって……勝負に関してはサラさんの勝ちは変わりありませんので、俺はここで……」
「待ちたまえ」
足早に且つ自然な流れで、逃げるように立ち去ろうとする俺を一声で止めた。
「勝負に関して言う事は特にないさ。けど、まだ話は終わっていないよね?」
「……ナンノコト……デシタッケ……」
「罰ゲーム。まだ、決めてなかったよね?」
乙。
「あの件は本当に事故なんです!許してください!」
「いや、私が聞いた限りでは一回だけではないらしいな。聞く所によると、泉で沐浴を覗き見たり、旅先の宿でも同じベッドで寝ることもあったそうじゃないか」
誰だよ。こんなタレコミをこの人に教えた阿呆は!
「丁度いい機会だ。この際、詳しい説明してもらってから、私とユリナの間での距離間を今後どうするか話し合おうじゃないか」
拒否権は認めない。
黙って付いてくるべし。と、観念した俺は前を歩くサラさんと侍女のメイヤさんに板挟みされた状態で、連行されたのであった。