百二話
いつからだ。
いつから、俺は絶望を抱いた。
高校の頃、俺の知らない所で幼馴染の彼女が死んだ時か?
いや、違う。
訳も分からず、この世界に飛ばされて元の世界に帰れないと嘆いた時か?
いや、違う。
大切な仲間が次々と目の前で殺されていった時か?
いや、違う。
仲間だと思っていた人間に裏切られた時か?
いや、違う。
もう二度と愛する人を作るまいと誓っておきながら、この世界で愛した女が俺を庇って死んだ時か?
いや、違う。
じゃあいつから俺は俺に絶望していた?
何故、俺はこんなに悔しい想いを抱かなければならない?
こんなにも、こんなにもどうして俺だけ……俺だけが生き残ってしまったんだ……。
死ぬ機会は何度もあった。
一人になり、思考を放棄した俺は生や死に縋ることなく、ただひたすらに存在し続けた。成長していた身体はいつの間にか、時間が止まったかのように老いが消え、年々消えゆく記憶と共に空っぽとなった心に段々と破壊衝動が芽生えた。
時折、趣味の悪い記憶を見させられ、なにかも失った俺に対する当て付けの如く、不快感を煽り、自暴自棄にさせようとするのはもはや呪いだと感じた。
やがて、完全に悪魔と化した俺の心は決して温かみを帯びることのない、冷めたものとなった。
いや、そうする方が楽だと無意識に気付いていたのだ。
何もかも、感じなければ楽だと。
楽という言葉すらぬるい、そこにあるのは無の境地。
無イムの世界に俺の心は溶けかけていた。
そう、自分自身で勝手に思い込んでいたが、実際は違う。
心を無くし、存在を消し去ろうとする俺の腕をギリギリで掴み、引き揚げようとする者がいた。
もう居る筈のない幼馴染、もう会うことのない弟、そして陰ながら瀬戸雄二という死んだ人間を小さな炎で包み、守護する優しい笑みを浮かべた女。
そいつらのせいで俺は真なる楽園……無イムには至らなかった。
これは未練だ。
百年経とうが、二百年経とうがこの深い憎悪や後悔は消えない
そして、この絶望も消えることはない。
【それでいい】
深淵の闇にポツリと現れた黝い火の玉。
【その絶望が…憎しみあなたを強くする】
火の玉は大きく燃え上がると徐々にその身体が人の形を成していく。炎で模された不敵な笑みを浮かべた少女が温かくも、冷たくもない炎が暗闇に溶けた肉体を引き上げる。
虚ろな顔で現れた人間を前に少女はその身体を抱く。
【あなたが嫌いなもの全部壊して新しい世界を創る。その手助けを私がしてあげる】
誰だ……。
【名前……強いて言えば、そうね】
一度、身体から離れて少しばかり意思を取り戻した瞳に自身の顔が映る位置に移動する。
【レーヴァテイン。この名と共にあなたを真なる魔王に導くと誓うわ】
△
精神的空間で長々とリスフェルトと作戦会議をしていたが、現実世界で進んだ時間は一分も満たない。
その間も俺は兄貴の魔力の流れに変化がないか観察していた。
すると、兄貴の左手から黝い炎が突然燃え上がる。
魔王と化したことで魔力の性質も変化した。その影響故か、黒い炎の色にも青さが混じっていた。
右手で炎を掴む仕草を見せると三重の魔法陣が浮かび上がり、激しい業火が発せられると同時に剣の形を帯びていく。
一閃を画し、業火を振り払うと中から炎の色同様の黝い刀身が現れた。
俺の持つ聖剣とは違い、若干の曲線を帯びた細長い特徴を帯びたもの。
それは俺の記憶の中にある日本刀に近いものだった。
「炎姫刀」
精巧な作りだ。
刀身から柄に至るまでの端正な形状に目を張るものがある。
到底、魔で模した刀と言い表せない程の代物。
「精霊融合」
その単語を発した直後、兄貴の背後から炎で模した女性の姿が現れる。
そっと後ろから抱きしめるように抱擁すると全身に纏っていた漆黒の鎧の中に深い青が混ざりだす。
鎧自体の形状も変化し、炎が身体から剝がれると先程よりも軽装な形へと変貌した。
「あれはいったい……」
精霊融合。それを行ったということは兄貴に握られるあの刀は……
『あれは恐らく魔剣の一つ』
精霊王である彼女が認めるということは間違いないのだろうが、あまり自信のない言葉だった。
『原理はともかく、あれは私が認知していない精霊だよ』
認知していない?つまり、初めて見たってことか。
『いや、たった今生まれた精霊だ』
……そんなことが可能なのか?
『本来なら有り得ない。けれど、こう仮定すれば可能かもしれない』
リスフェルトの思考の共有により、言葉にする前に理解した。
『彼の持つ戒言が人格を有して精霊になった。いや、この場合は悪精霊と言うべきかな』
過去に類を見ない事例にリスフェルトも焦りを感じている。
それ程までに非常な事態であると推察した。
『多少、作戦変更しよう。下手を打てば主が危険だからね』
了解した。
兄貴を救うという点は変わらない。
リスフェルトの指摘通り、俺達の思う通りに戦いを展開出来ない事態を深く想定すべきである。
聖剣を構え、兄貴の出方を伺った途端、閃光の如き速さで真っ向から仕掛けきた。
背後や側面を取るかと予想したが、逆に一歩で間合いを詰めてきた。腰を低く構え、柄に手を伸ばすと目にも止まらぬ居合が放たれる。
反射的に聖剣を身体の前に移動させ、ギリギリの所で防ぐも足を若干浮かせる程の衝撃が下から斜め上方向へと突き抜ける。
「ぐっ…!」
「しね」
足を浮かせられた俺に容赦ない高速の連撃が見舞う。
千里眼!
片目で一寸先の未来に放たれる刀の軌道を瞬時に読み取る。
その中でも致命傷になる攻撃のみを聖剣で防ぎ、あとは腕と足、頬に掠り傷を負って済ませる。
「対応したか」
怒りを滲ませた顔で大きく薙ぎ払われる。その一撃を利用した俺は空中で姿勢を整えながら、華麗に着地を決める。
「……やばいな」
顔を挙げる前に地面に向けて若干焦りを抱く。
俺が一呼吸置く間に七連撃が放たれた。
千里眼の能力のお陰でどうにか命拾いしたが、軌道を読んでも全てを対処し切れなかった。
足が地面に着いていれば可能だったかもしれない、というのはあくまでも仮定だ。
それ以前にあの流れを生み出すまでが上手かった。
戦闘経験が俺よりも豊富な上に、あの刀の取り回しの速さ、一撃毎に重さがある点は中々に苦戦しそうだ。
リスフェルトの言った通り、下手を打てば死ぬ。
一瞬の迷いと判断ミスがこの勝敗を決し兼ねないという事実を身をもって痛感した。




