第三話:夕暮れの出会い
翌日から、俺はほんの少し鈴に優しく接するようになった。
背中を追いかけてくる足音を気にし、茶碗を渡す時に鈴と目を合わせる。
「……ありがとう、お兄ちゃん」
おずおずとしていたが、幼い笑顔を添えていた。
胸の奥が、妙に疼く。嬉しいのか悔しいのか、自分でも分からない。
俺は、幼い妹を守ると決めた。
ある日のことだ。訓練帰り、戸口で足を止めた。
小さな影が倒れている。
「……鈴?」
血の気が引き、慌てて駆け寄り抱き起こす。
頬には真新しい痣が広がっていた。
肩は小刻みに震え、声は蚊の鳴くように小さい。
「……ごめんなさい。花瓶……落として、割っちゃって……」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが切れた。
(……あいつ、殺しちゃる)
脳裏に浮かんだのは、その一言。
鈴に手を上げた男――父を、この手で殺してやると。
だが、鈴の小さな手が袖を掴んだ。
「いやだ……お兄ちゃん行かないで。
鈴と居って……一人にせんで……」
震える声に、怒りで握った拳が緩んでいく。
憎しみは消えない。でも、今この子の前で何かを壊すのは違う。
「……畑さ、野菜取り行くべ」
努めて平静に言えば、鈴は大きく頷いた。
立ち上がると、俺の後をついてくる。二人で畑へと向かう。
夕陽が木々の隙間から差し、山道を橙に染める。
鈴は背を丸め、とぼとぼ歩いていた。
その時。木立の陰から、ふっと人影が現れた。
「……ねぇ」
澄んだ声に顔を向ける。
そこにいたのは、くノ一見習いの如月だった。
由緒正しい忍びの家系、篁家のご令嬢。
赤茶色の髪を高く結い上げ、凛とした装束姿。
どこか近寄りがたい空気を纏っている。
だが、その眼差しには……――――困惑と抑えきれぬ怒りが混じっていた。
「……その子、あなたの妹さん?」
突然の問いに、俺は一瞬たじろいだ。里では男女の接触は禁じられている。
いくら向こうから声を掛けられたとはいえだ。
誰かに見られでもしたら、身分の低い俺が処罰を受けるのは明白。
「……ああ」
短く答えると、如月は鈴へ一歩だけ近づいた。
そして、そっと頬へ手を伸ばす。
「顔、どうしたの?」
柔らかな指先が触れた途端、鈴はびくっと震え俺の背へ隠れてしまう。
頬の痣は、まだ生々しい赤色を帯びていた。
「あ、ごめんなさい。驚かせちゃったわね」
如月はすぐに手を引き、距離を取ると俺に視線を戻す。
「……あなたが、守ってるの?」
その問いに俺は無言で、強く頷いた。
如月はしばし黙っていたが、やがてほんの少しだけ目元を緩める。
「……そっか。なら、よかった」
それだけ告げると、彼女は木立の向こうへ姿を消していった。
去り際、風に赤茶の髪が夕陽を受けて揺れる。
俺は黙って、その背中を見送った。……それが、彼女との最初の出会い。




