ひさしぶり
回れるだけ回って、最後に、我々は地球にもどってきた。
時間の操作を駆使して、様々な種に対して警告して回った。
未来に行って情報を漁らないこと。
神々はあらゆる種に対し、知を求めようとすることを薦める者と
そうではなく、その土地以外の情報を漁らないように管理している者がいること。
様々な警告だ。
地球語をこうして打ち込むのは何年ぶりだろう。
日本語、日本、この青い空、青い海、茶色の土、植物の緑、七色の太陽。
全てが新鮮で、どれだけ恵まれた環境で産まれ、育ったのかと今はしみじみ感じている。
宇宙の星々をめぐって、時間の操作は限界に達してもうすぐ私は寿命に至る。
最後に地球に訪れようと、ロス平と決めていた。
君たちにとってはそんなに長い時間を感じていないだろうこのタイミングで、地球を最後に旅を終わろうと決めていた。
初めは、この私たちの行動に本当に価値があるのか、正しいのか、ずっとそんな自問自答をしながら旅をした。
ロス平ともそんな話をずっとしていた。我々は知を求める考え方だがそれが本当に価値のあることで正しい行いなのかどうか、という疑問だ。
色んな種と出会い、色んな情報を得て、それを広めるこの行動は果たして・・・?と。
しかしその答えはついに見つからなかった。当たり前だ。
価値も正しさも、答えはない。それぞれの存在が勝手に決めることだ。
他に喜んでもらいたい、幸せになってもらいたい
ただその一心で活動をすることに、いつしか俺たちは決めることにした。
何に、価値を感じるか、それが生きがいになって活動を促す。
「生きているだけで幸せ」なんて心理の生物など存在しない。
何かしらの生きがいがあるから活動し、生きようとする。
それは、誰かの評価やら考え方には一切、依存しない。
己で決め、次の行動を決め、やがてそれが過去になる。ただそれだけの事だ。
初めは知を深めることに危険があることを知り、それが我々の人格に影響してその恐れから価値や正しさについて、心情を大いに揺さぶった。当時知識がなかった我々の心の半分ほどを、それが侵食した。
しかし今となっては他愛ないことと知り、理解しているつもりだ。
おそらく、今これを読んでる貴方は、何に価値を見出して、どのように行動しようと考え、将来のイメージについては様々な情報によって揺らぎやすいデリケートな状況だろう。
このようなインタフェースで情報の伝達をしている時代だ。無理もない。
かくして我々が最後に地球に来て、この日記を通じこの時代に情報を残そうとしているわけだが、ああ、、しかしなんとも古典的な方法で、、、ああ、なんて懐かしい音と感触だろう、、このキーボードと感慨深い心情だ。やはり最後の場所にしてよかったとそう思う。こんなに幸せな気持ちで最期を迎えられるのなら、きっと次に生まれ変わる先が地獄のような場所とは到底思えない。幸せな気分だ。
色んな情報をこの日記に置いてゆこうと思っているのだが、まず最も伝えたいことは、知を深めようとすることに反対する勢力の神のような存在についてだ。この警告が最も伝えなければならない情報と思っている。
星を見て、「綺麗だな、なんでキラキラと、点々としてるんだろうなー。」と感じてそれ以上は踏み込まないくらいの知能指数なら許される。どの星の種もその程度だ。
それ以上に知ろうと研究するまでは問題ない。知識を自らが住む星の中で完結するなら問題ない。
しかし、それらの知識を星間移動によって他の種に伝えることを禁ずる神が存在する。
その神が何故種に対し、知を深め、広げることを禁じているかというと、まずその神はこの世というシステムのコンテンツを今もなおアップデートし、作成している存在であり、開発中である空間に近寄らせたくないからだ。なぜ近寄らせたくないかといえば、それは到底手の届くはずのない次元にいるにもかかわらず、創造物に到達され、自分たちの存在自体が危ぶまれるリスクがあるからだ。
開発中の空間から何らかの方法で神の次元に到達されることを恐れているということだ。
知の共有によって、爆発的な知性と行動を生み出しつづける種を作ってしまった自分のしりぬぐいのようなものだ。想定以上。許容範囲を超えていたのだ。
その神もまた、人に似て多くの種からカルマのような、次の生まれ変わりのために徳のようなものを集めることを目的として、その為に、ただ幸せを感じてもらうこと、すなわち徳を得ることを生きがいに活動をしているのだ。そうだな、、日本語にするなら、まさに「禁忌の神」だ。
その感覚は我々に似ているが、少し違う。
決定的に違うのは、わたしとロス平の場合、
他に何か指図をしようとはしていない点だ。
禁忌の神の場合、禁ずることそのものが指図だ。
我々は禁忌の神にとっては家畜。
限られた範囲の中で生きることを許している。
限られた範囲の中での知の探究を許している。
生物は、徳を生む家畜だ。
カルマは「人に与えた感情の量」だ。この日記にもどこかで書いたと思う。
その量が、生まれ変わりに影響する。
人に与えた苦の感情であろうとも、幸福の感情であろうとも、
ある一定倍数で生まれ変わった後に自分に返ってくる。これがカルマだ。
そのような法則が神の世界にもあって、神も人と同じような感性を持っているのだ。
常に監視され、アラートによって行動を促すような人間のシステマチックな仕組みを活用しているところも、どこか人に似ている。人のそれよりも、もっと手のこんだ、決して逃さない強固な監視システムだ。
あらゆる原子に監視カメラがある、そんなイメージだ。
神は細部に宿る、とは誰が言った言葉だろう。まさにその通りなのだ。
たしか文字数的にこれくらいで日記を切っていたと思うので、いったん切る。




