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「炎弾、三転、射出───」
詠唱し響力を練るテオの足元に火属性を意味する赤い陣が展開し、周囲を同じ赤い光塵が舞う。
やがて光塵は三つの大きな炎の塊に収束する。
「トライファルガ───!!」
テオの声を合図に、三つの炎は意志を持ったように一斉に宙を駆ける。それに相対するようにこちらへ駆けてくるのは狼の姿をした魔物二体。
真ん中の炎が前へ出ていた一匹目の魔物に着弾。
爆発。
同時に魔物から弱々しい悲鳴があげられ、黒いモヤと化し、肌寒さを感じさせる冷たい風に消える。
続いて残り二つの炎が二匹目に着弾。こちらも悲鳴を上げて息絶えた。
しかしそれでは終わらない。
闇夜の奥から続々と同じ魔物が出現し、こちらへ駆けてくる。
その数は認識できただけでも十足らず。幸いこちらの攻撃は効いている。
しかしその魔物の狂暴さを鑑みれば十分脅威だ。テオは思わず体を後ろへ引かせる。だが戦意喪失は死を意味するのみ。泣きそうな顔はそのままに再び詠唱に入る。
「───ハイト!」
まだ夜明け前の冷える空気をビュンと切って、猛禽類を模した大きな鳥のような魔物を薙ぎ払う銀色のそれ。
使用者の動きに合わせ、龍のようにうねり、鞭のようにしなり、自在に動く鎖のようなそれはギルダーツの武器だ。
しかし相手は通常の動物とは力も頑丈さも狂暴さも桁外れな魔物。響力を用いたと言えど一度打撃を受けたぐらいではまだ沈まない。
ギルダーツが右手を薙ぐと、どういうわけか宙に浮いている鎖鞭の先端部が地をはたいて魔物を威嚇する。
「ブレイト!」
掛け声とともに鎖鞭に響力を注ぎ、号令を出す。すると鎖鞭は長い体をしならせて鳥の魔物に躍りかかる。
一、二、三撃と連続で強力な打撃がヒットし、最後に鎖鞭を巧みに操って折り重ならせ、二重の鎖でとどめの四撃目。
甲高い声を上げた魔物の翼からネズミ色の羽根が飛び散り、やがて黒いモヤとなって消え失せた。
だが魔物の数は減っていない。
戦場に関した知識のないシャルにも、ギルダーツとテオの顔に疲労の色が濃くなってきているのがわかった。
しかし自分は戦う術を持っていない。できるのはただ、
───お願い、力を貸して……。
胸の上で祈るように強く両手を握りあわせ、心の中で強く念じる。
「慈悲深き女神よ、我らに聖厳なる加護を……!」
足元に展開する円形の陣。複雑な図形で描かれた淡い金色の光を放つそれは治癒の効果を持つ響術を意味するもの。
「キュアリィ───!!」
陣が一際強く光り、シャルの頭上に同じ色をした光の玉が現れる。それは二つに別れると、戯れるようにくるくると舞ってから、それぞれテオとギルダーツの中へ溶けこむように消え失せた。
顔や手足に負っていた傷が癒え、顔色がわずかに生気を取り戻し、二人は構え直す。
しかし代わりに、シャルの表情が苦しげに歪められ、その場に頽れるように座り込んだ。
「シャリオン様、無理はなさらないでください」
「……いえ。私にはできることは、このぐらいですから……」
平気そうに笑いはしたが、辛そうに胸を押さえ、額は汗ばんでいる。慣れない旅と、強い疲労を伴う治癒術の行使が負担になっているのだろう。
一刻も早く魔物を掃討し、彼女を休ませなくては。
「テオくん、右手はお願いします」
「はい!」
術を打てるだけの体力は回復しても、長引く戦闘による目には見えない精神的な疲労と、それからくる焦りが三人の身体を蝕んでいた。
兵たちの注意を引き、盾となって自分たちを逃がしてくれた白夜と合流出来ずに一夜が明け、まだ陽が昇らぬ薄暗いうちから白夜との合流を目指して森を歩けば、そう経たないうちに魔物たちと遭遇。まったくもって不運なことだ。
「くっ……!」
集中力も徐々に低下し、振るう鎖の軌道がぶれて狙った急所にうまく当たらず、対峙した狼型の魔物はまだ倒れない。
そのとき、その後ろにいた同じ姿形の魔物のうち一頭が突然跳躍し、ギルダーツを飛び越えていった。
「しまっ……!? シャリオン様!!」
「っ!」
肩越しに後ろを振り返り叫ぶと、未だその場から動けずにいるシャルが弾かれたように顔を上げた。
この手の魔物は狡猾だ。ギルダーツの後ろで弱り疲労しているシャルを先に駆る方が効率が良いと考えたのだろう。
体を縛る恐怖を振り払い、逃げなければとシャルは手足に力を込めるが、うまく立てない。
「しゃ、シャルさ───うわっ!!」
シャルの窮地に気づいたテオも助けようと術を起動させかけたが、させるかとでも言うように目の前の魔物に体当たりで突き飛ばされた。
「グルルゥ……!!」
「あ……、や……!」
おもむろに鋭い牙を見せ、喉を唸らせて威嚇する。
死への本能的な恐怖に体が震え、立つことも出来なかった。
そして前足の爪を立て、魔物がシャルに飛びかかる。
───必ず守ってみせるから。
細い腕で頭を庇いながら、シャルは脳裏によぎったその背中に向けて、祈りとともにその名を叫ぶ。
「白夜くん───!!」
刹那、まだ陽も昇らぬ薄暗い闇夜のなかで、青白い稲妻が駆け抜けた。
同時に恐怖に強ばらせていた体が引き寄せられる。
「きゃっ!?」
一瞬にして視界が黒に埋まるが、その隙間からはこちらに牙をむいていた魔物が体を稲妻に貫かれ倒れ伏せる様子が見えた。
「ギャウンッ!?」
甲高い悲鳴をあげた魔物は横たわったあと、ピクリとも動かなくなる。
一瞬のできごとに、呆気にとられていたシャルは数十秒を要してようやく事を理解すると、自身の肩を抱く隣の人物を見上げた。
黒で埋め尽くされた容姿に、鋭く前を見据えるよく見知った横顔。だが、口にくわえられたサンドイッチのせいで緊張感は無い。
それでもシャルの表情は華やぐ。
「びゃ、くや……くん……!」
「うん。間に合った」
感情の起伏が乏しい方である彼は、サンドイッチを手に胸を撫で下ろす安堵の表現をただわずかに口角を上げるのみで表した。
「まったく、相も変わらず手のかかる連中だな」
呆れ果てた、と声色で語るのはフードの中に潜っているルシルだ。
「……結局、貴方ですか………」
安堵から涙を流しながらも笑うシャルと、それをサンドイッチをかじりながらも無表情に近い顔で見下ろし、優しい手つきで頭を撫でてやる白夜。
ギルダーツの表情が陰り、握り込んだ指が、血色を白くして手のひらにくい込む。
「うわああああっ!?」
けたたましく耳に飛び込んでくる悲鳴。
首を回せば、この場にいた大多数の魔物の群れが次は二番目に小柄なテオを標的に定めて飛びかからんと周囲を囲っていた。
「テオくん!」
「テオ……!」
これだけの数の群れだ。少しでも食料が欲しいのだろう。それとも親玉への献上品か。
いずれにせよあの数ではテオが危ない。助けようとギルダーツが鎖に響力を回し、サンドイッチを口に押し込んで白夜が駆け出す。
が、それよりも早く、
「伏せていてくれ」
目尻に涙をためるほどの恐怖とパニックのなか、どこからか聞こえた言葉に縋り、テオは両手で頭を押さえしゃがみこむ。
頭上でなにか大きなものが空を切った。次いで赤い衝撃波が地を抉りながら数体の魔物を吹き飛ばす。
宙を舞った魔物たちは地に落ちたり木の幹に体をぶつけて沈黙。
周りから音が消え、テオはおそるおそる目を開け、頭を上げる。聞こえた声は白夜やダグラスのものではない。
では、今のは……?
「君、ケガはないか」
優しく問いかけてきたのは、大きな剣を手に佇む青年だった。
スラッと背が高く、どうやら腕のたつ武人のように見受けられるが、あまり目にしない白髪とその随分と整った印象的な容姿に覚えはない。
「……は、はい……」
助かったはいいが、はたして彼は誰だろうかとテオはその場で頭を抱えて伏せたまま呆然と青年を見上げる。
すると、わきから今度はイノシシの姿に類似した魔物が牙を見せながら唸った。
「ガゥゥッ!!」
「ぴぎぃいぃいっ!?」
伏臥体勢だったにも関わらず、テオは活きのいい魚のように飛び跳ねる。
魔物が蹄のついた右足で地面をこする。通常のイノシシと同じ、突進の構えだ。
「君はここにいろ」
テオを一瞥し、カイナは前に出る。
対抗するようにこちらへ突進する魔物目掛けて、横に一度、そのまま流れるように今度は縦に大剣が空を斬る。
こめられたカイナの響力が目に見える衝撃波となって放たれ、十字を成したそれは土を抉りながら地を這い、真正面からそれをまとも受けた魔物は派手に倒れ込み地に伏せた。
間髪入れず、今度は背後に迫る殺気に振り返りざま大剣を振るう。ガキン、と音を立てて硬いなにかを受け止めた。
勢いに押されて引いた体を前へと押し返し、大剣越しにその正体を見る。相手は大きな熊の姿をした魔物だった。カイナよりも一回りと半分ほど大きな巨体に、低く唸る口から見え隠れする牙は鋭く長い。
ギチギチと剣をこすっている魔物の爪はきっと牙と同じく鋭く、一度その爪で引っかかれでもすれば一溜りもないだろう。
迂闊に動けば餌食だ。ならば、とカイナは意識を集中させる。彼の足元に音もなく浮かび上がる赤い光を放つ陣は響術の行使によるものだ。
それを見たギルダーツの目がレンズの奥で鋭くなる。
カイナは大剣の柄を握る手に力を入れ、魔物の爪を弾くと、飛び退りながら短く叫ぶ。
「爆ぜろ───!」
彼が退いても場にとどまり続けていた陣はその言葉に応えるように一際強く、眩しく、光を放ち、中心から火の粉を巻き上げ、爆発。
まともにくらい、少々よろけてはいるが魔物は戦意を喪失していない。しかし立ち上る黒煙に視界を奪われ、魔物はカイナを見失っているようだった。
その隙を逃さない。黒煙に姿を隠し、正面から一息に斬りかかった。不意を突かれた魔物は死に際の悲鳴をあげるや否や黒いモヤへと姿を変え、破裂するようにして霧散した。
難なく二体の、それも大きな魔物を斬りふせてみせた青年を、テオは呆気に取られながら、ギルダーツは訝しげな眼差しで見据える。
すると、背後で土が擦れる音。グフグフと息を吐く獣の声と気配。
「!」
「ひっ!」
さきほどの猪をかたどったような魔物がまだ消え失せていなかった。蹄のついた細い腕で伏せていた巨体を支えあげると、ふるふると頭を振って意識を鮮明にし、やはり手前で弱々しく震えるテオを獲物に捉える。
鋭い牙を備えた口を大きく開け、地をも揺らすような咆哮をあげて、放たれた一矢の如くテオへと向かっていく。
「逃げろ!」
カイナが言いながら駆け出すが、間に合わない。