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その姿は間違いなく人ではないが、魔物ともどこか違う。ただ見たところ戦う気もないようだった。
しかし突如現れた見たことのないそれに、カイナは目を見開き呆然とする。
すると見返したのが気に入らなかったのか、なんとも形容し難いそれが目を細めて低く言う。
「おい、いつまで我の下僕に触れている。とっとと離れろ小僧」
「あ、ああ……」
我に返ったカイナは先に白夜に自分の外衣を着せてから、毛布を引き寄せて小さな体を包んでやり横に寝かせてやる。
「おい。そこまでしろとは言っていない」
「女性の体で裸はいただけない。せめてなにか羽織らせておくべきだ」
そうだ。夕食をまだ摂っていないし、ついでにこの子の腹にもなにか入れてやろう。
そう考え、カイナは少ない荷物から小さめの鍋や板、包丁を取り出し、それからいくつかの野菜と干し肉を板の上に並べていく。野菜と言っても、ほとんどが旅の途中で見つけた山菜ばかりだが。
けっ、とでも言いた気に鼻を鳴らし、白いそれは横たわる白夜の肩にちょこんと座った。
「言っておくが、くれぐれも無闇に我の下僕に触るんじゃないぞ」
料理に慣れているのか、適度な大きさに切って鍋に放り込み、水を入れて、焚き火に被せるように立てたスタンドに吊るして火にかけるその手際は非常に良い。
沸騰するのを待っている間に、自分の即席コーヒーを淹れながらカイナは笑みをこぼす。
「なんだ。慕っているのか」
下僕と呼ぶわりには白夜を守るように近くに寄り添っているそれがだんだんかわいらしく見えたきた。
「ハッ。戯れ言を抜かすな。こやつは我がいなくてはなにもできない無力な人間風情であるがゆえ、手がかかるだけだ」
「私の名はカイナだ。貴殿は?」
「貴様に教える名などないが、下僕がここにいる間は致し方あるまい。我をルシルと呼ぶことを特別に許可してやるぞ、小僧」
「それはありがたい」
コーヒーを啜り、ちらりと横目に白夜を見る。
汗は引き、強ばっていた表情も和らいでいる。しかし顔色はやや青白かった。
「下僕が気になるか?」
「アルタの体の傷はなんだ。偶然ついたで片付くような程度じゃないだろう」
「貴様に答えてやる義理はない」
バッサリと切り捨てられる。白夜もだったが、ルシルも妙に警戒心が強い。
まあ確かに、なにか複雑な事情は抱えているようだが、これ以上は会話も続かないだろう。諦めて今後の進路方向を地図と相談することにした。
この森へは北方向から入ったので、南西方向へ抜けてそのまま半日も歩けば街があるはずだ。夜明けとともに出立すれば夕方になる前に街につくだろう。
「おい小僧。一番近くの街まではあとどれほどかかる」
「夜明けに経てば遅くとも昼過ぎには着くはずだ。しかしお前達は───」
「その前に、あいつらを見つけるのが先だ」
カイナの言葉を遮ったのは意識が戻った白夜だった。
のそりと上体を起こすが、まだ本調子ではないらしく右手で頭を押さえている。
「起きたか。今回は早かったな」
「それよりもなぜ出てきた。ルシル」
「お前が倒れなければ我がわざわざ姿を現す必要も無かったさ。お前に死なれては困る」
む。と白夜が顔をしかめて押し黙った。
「悪かったよ」
いささか不服そうに言いながら、肩に羽織っていたカイナの外衣を彼に向かって差し出す。
「礼を言う。返すよ」
上体を起こしたことで毛布が剥がれ、再び白夜はほとんど裸の状態になっていた。異変が起きる前であったならまだしも、今の状態では直視することも出来ず、顔は向けずに返した。
「……服が乾くまで毛布と一緒に着ていろ」
「オレは大丈夫だ。何だったら毛布も返すけど、」
「おいルシル。なんとかしろ」
「こいつは食事以外のことに無頓着なやつだ。お前こそ、なにを意識しているのだ?」
あきらかにバカにしたような、嘲笑うようなルシルの物言いにカイナの眉間にシワがよる。
二人が構わずとも、礼節を重んじるカイナにとっては大変都合が悪い。
「頼むから着ていてくれちゃんと袖を通して前も閉めてくれ!」
彼の勢いに押され、意味もわからないまま渋々再び外衣を着込み、毛布に包まった。
「……ぶかぶかだ」
「好都合」
余りに余った裾を揺らして遊んでいると、柳眉をぴんと立てたカイナがピシャリと言い放ち、コーヒーを啜った。
怒ったような彼の様子に首をかしげながら、なにげなく袖口を鼻腔に近づけてみた。
「…………いいにおい。落ち着く」
左ではカイナがため息を、右ではルシルが声を押し殺して笑っていた。
と、そのとき、その場に転がり込む間の抜けた音が、一つ。
「……腹、へった……」
腹部に手を添え、白夜は切なそうに呟いた。
カイナはやはりかと微笑みながら、湯気を出し始めた鍋の蓋を取り、レードルでかき混ぜる。
白夜は横から湯気とともにふわりと漂ってきた野菜の香りに気づき、顔を向ける。とそこには、ぐつぐつと煮立つ鍋があって。
「食っていい……?」
「まだ味ついてないぞ」
目を輝かせる白夜に少し待て、と言い渡したカイナは手早く味をつけ、味見をして、木製の丸い深皿に盛り付けて同じ木製のスプーンと一緒に手渡した。
スープだろうか。橙色に色づいた透明な汁の中に小さく切られた干し肉と草みたいなものが入っている。
「熱いから、火傷に気を付け……」
「熱い」
「早い」
忠告を聞かずに早速口をつけたのか、言い終わる前に呟いた白夜は犬のように舌を出して顔を顰めていた。
「だから気をつけろと言いかけていたんだが……?」
「腹がへった」
「……。まだあるから、ゆっくり食べるといい」
こくんと頷いて、白夜はスープを食べ進める。
ちゃんと落ち着いて食べる姿を確認してから、カイナも皿を出し、よそって食べ始める。
「迂闊だぞ白夜。一服盛られていたらどうするのだ」
険しい顔つきのルシルが脇から顔を覗かせる。だが、今の姿が小さくて愛らしいせいか、それほど怒っているようには見えない。
「大丈夫。おいしいよコレ。ルシルも食うか?」
「いらん」
拗ねた子供のように、ぷい、と顔を背けたルシルは白夜にもたれかかって腰を下ろし、目を閉じた。
「おかわり」
「ああ。いいぞ」
ひもじそうにスプーンを咥えて皿を差し出した白夜はまだまだ空腹のようだ。食べ盛りの子供のようだと微笑みながら、カイナは皿にスープをよそってやる。
「なあ。カイナはなんで旅してるんだ?」
「ん?そうだな……。旅が好きで、ついでに少し探しものをしている」
「なにを探してるんだ?」
おかわりの盛られた皿を受け取り、白夜は問いかける。カイナは困ったように唸った。
「……ちょっと、な」
「ふーん」
大した意図の無い気まぐれの質問だったらしく、あっさりと興味をなくした白夜は口を閉ざしてスープをがっつく。いくらか温度が下がり、食べやすくなったのか食べるペースが早くなった。
「おかわり」
「もう少しゆっくり食べろ……」
突き出された皿を受け取りながら苦笑して、おかわりをよそう。無表情に近い顔からはあまり感情を読み取れないが、しかし、設備の無い野営ゆえの簡素な料理でも喜んでもらえたのならなによりだ。
「では、アルタの旅の目的はなんだ?」
「ごちそうさま。おやすみ」
「おい」
返された言葉は返答ではなかった。振り向くと、空になった皿をカイナの近くに置いて、毛布にくるまって既に横になっている白夜の姿があった。顔も体も向こうを向いているあたり、答える気は毛頭無いようだ。
「食べてすぐに横になると、体に良くないぞ」
「自由になるためだ」
唐突に、ハッキリと告げられたソレがさっきの問いの答えであると理解するまでにほんの数秒を要した。
「少なくともオレは、自由になるため、生きるために旅をしている」
その言葉の裏には、なにかが潜んでいる。それはきっと胸に燃ゆる野望のように不屈の、しかし揺るぎない、信念のようななにかだ。
「キミは、自由を願っているのか……?」
寝てしまったのか、またしても答える気が無いのか、白夜が言葉を返すことは無かった。
「自由、か……」
自身の左腕を見下ろしながら、カイナは小さく呟いた。




