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迷ったのだと、認めざるを得なかった。
まだ日が高いうちに森に入ったというのに、気づけば既に日は傾き、青かった空が橙へと色を変えているにも関わらず、探し物はおろか森の出口に辿り着く兆しも見えない。
範囲こそ広いもののこの森はそこまで深くないはずなのに、自分が今森の中のどの辺りにいるのかすっかり把握できていない現状にカイナはため息をついた。
「仕方が無い……。野宿だ」
傾いた日はあっという間に沈む。
へたに動き回ってさらに迷うよりも、まだ少し手元が明るいうちに野営の準備に取り掛かる方が得策だ。
敵襲に備え、背後を取られぬよう木に背中を向けて防御しながら、焚き火の準備に取り掛かった、そのとき───。
「誰だ!」
すぐ近くで、なにかの気配がした気がした。
臨戦態勢をとり、周囲を警戒する。息を殺し、気配を殺して、感じた気配の根元やその正体を探る。
少しの間、辺り一帯が静寂に包まれた。
そして、ガサ、と近くの茂みが音を立てて揺れた。
「そこか!」
響鳴術を発動。赤い光を散らしながら陣が展開し、なにも無かったはずのカイナの右手にひと振りの大剣が輪郭を成し、姿形を露にする。
彼自身の背丈とほぼ同等のそれを、茂みに向かって振り下ろした。
小気味いい音をてて茂みが真ん中からななめに切れ、葉を散らしながら崩れ落ちる。しかし、人や魔物を切ったような手応えは無かった。
だが同時にバシャンと大きなものが水の中に落ちたような音が耳に届く。となると、相手は人だったかもしれないし、魔物だったかもしれない。
けれども殺気は感じられなくて、違和感を覚えながら茂みの向こうを見やる。
そこには、浅い川のなかに尻餅をついたまま固まっているずぶ濡れの、少年と青年の中間ぐらいの男が一人。水に驚いたのか、それとも冷たい水を被ったことが不快なのか、顔をわずかにしかめさせ、無言のままにそこにいた。
「───本当にすまなかった」
頭を傾けて、カイナは誠心誠意謝罪した。
罪状はわざとではないとはいえ、いきなり得物を振り回して人を驚かせ、川に落としたことである。
「別に。気にしてない」
対し、白夜は彼に背を向けたまま、濡れたマントと服を脱いで絞りながら抑揚の無い声で返す。ジャーと水が下へ落ち、飛沫が少しの土砂を抱えて白夜の靴先にかかる。
大体絞れたら、木の枝に洗濯物のように引っ掛けてやる。だいぶシワが寄ったが、仕方ない。
その姿を見ていたカイナが不意に目を見開いた。
自身よりも細身の体の至るところに大小様々な痛々しい傷痕が散らばっていた。それも、偶然ついたようなものではなく、あきらかに人為的な傷痕ばかりだった。
すべての服を干し終えた末、今の白夜はほぼ全裸に近かった。風邪をひくからと、カイナは隣に腰掛けた彼に使い古した薄い毛布と湯気を立てる淹れたての即席コーヒーを手渡す。
「私はカイナ。旅の者だ。君は?」
問われるが、白夜はすぐに答えなかった。彼を警戒しているのだ。
ギルダーツと歳が近いように見えるから、年の頃はおよそ二十代半ばというところか。ややクセの強い髪は雪のように白く、対し切れ長の瞳はルビーを思わせる紅。すっと通った鼻筋の下にある形のいい唇は常に笑みをたたえている。ようするに、整った顔立ちをしていた。
かなり着古しているように見えるシャツとパンツに砂埃や土汚れが目立つブーツを履いて、上には黒のジャケットを着込んでいる。
旅人という通り、なるほど動きやすそうな服装をしている。
コーヒーをずずっと啜りながら口を開かず途端に疑心に満ちた険しい顔つきでこちらを見る白夜に、カイナは首をかしげる。
「どうした?」
「……アンタ、騎士団や帝国につながりはあるか?」
「特に無いが……」
唐突になんだと、怪訝そうな表情で語っていた。
その言葉が本当だとも限らない。彼が本当に旅人であり、善人である保証は無い。
不意打ちをくらうのはごめんだ。白夜は慎重に考える。
「……アルタ。同じく旅人だ」
即興の偽名を名乗ると彼は素直によろしく、アルタ。と親しげに名を呼び、笑った。
しかし、白夜にとって気がかりなのは名前ではなかった。追手を振り切って逃げたはいいが、シャルたちと合流できていないのは非常にまずい。
ギルダーツとテオがいても、騎士団に見つかればどのみち多勢に無勢だ。
「聞きたいことがある。ここに来るまでの道中、森の中でオレに近い背格好のガキ二人と茶色の髪の男一人の三人組を見かけなかったか」
自分だってそう歳を重ねていないだろうに、口悪くガキという白夜にカイナは苦笑をこぼす。
「すまないが見かけていない。連れがいるのか?」
「見ていないならそれでいい」
無愛想な返事を返して、白夜は毛布とコーヒーを脇に置き、腰を上げた。
何をする気なのかと見ていれば、まだかなり水気を帯びた服を再び身につけようとする彼にカイナは思わず叫んだ。
「今乾かし始めたばかりじゃないか! 寒いなら毛布に包まって───」
「ここでお前とのんきに喋ってる場合じゃない。もう行く。コーヒーはなかなか美味かったぞ」
「せめて服が乾くまで待て!」
駆け寄って水浸しの服に伸ばされる手を掴み、止めた。このまま服を着て先を急いでも体を冷やして体調を崩すだけだし、夜は魔物も活発に動き始める。一人では危険だ。
なにがあったか知らないが、どうしてそんなに先を急ぐのか。
今しがた出会ったばかりの相手ではあるが、それでも思わず身を案じ引き止めてしまうのはカイナの性だった。
「そんな時間は無い。もしアイツが捕まって連れ戻されたら、あのときの約束が───ぐっ!?」
不意に、白夜が言葉を切り、苦しそうに胸を押さえてその場に崩れ落ちる。
あきらかに様子がおかしい。カイナはその肩を支えながら一緒に膝をついた。
「おい!? どうした!?」
「うっ……! あ……あぁ……!!」
苦しそうなうめき声を出し、震える傷痕だらけの体に汗が滴り始める。
彼が右手で押さえている箇所はちょうど心臓があるあたりで、右手が邪魔で良く見えないが、その箇所にはなにかの陣が刻まれているように見えた。
───くそっ! アレ《・・》か……!
体中を無数の槍で貫かれ、火あぶりにされているような強烈な痛み。味わうのはこれが初めてではないが、吐き気さえしてくるこの強烈さにはいつまでたっても慣れない。
「う、うぅ……!! ゲホッ! ……ゴホッ!」
痛みを吐き出そうとするように咳き込むと、代わりにこぼれ出た赤い血が花にも似た形を作り出す。
鎮めようと陣がある辺りを爪を食い込ませて抉りとらん勢いで握るが、痛みは収まらない。
「アル、タ……?」
傍でカイナが名を呼ぶが、その声は信じられないようなものを見たような反応だった。
それもそのはず。この痛みが襲い来る時は、決まって白夜の体にある一定の変化が起きるのだ。
例えば、首に沿って肩につく程度だった髪が肩下まで伸びたり、ビキビキと生々しく不快な音を立てて細身だった体が傷痕はそのままにさらに細く、小さくなっていく。
「……っ、はぁ……!!」
やっと、やっと痛みがひいていく。
呼吸は大きく乱れ、大量の汗が滴る顔は痛ましいほどに青い。脈動が頭を叩いて揺さぶられているようだ。立ち上がろうとするが、体はいうことを聞かずにふらつくだけだった。
うまく動けず、半ばカイナの胸に倒れ込む。
「アルタ!? しっかりしろ! アルタ!!」
揺さぶられる体にもう力は入らなかった。カイナの声に答えることも出来ず、白夜の意識は闇に沈む。
胸にかかる重みが増したことで、彼、アルタが意識を手放しことが分かった。
しかしこれはいったいどういうことか。
カイナは改めて彼の身体の変化を観察する。
ついさきほどまでは肩につく程度だった彼の黒髪が目の前で肩下まで伸び、ただでさえ男にしては細めの印象を受けた体躯が、さっきよりもさらに細くなっている。
「アルタ……?」
その肩を支えて自身の体から離すと、同時にカイナが硬直した。
線の細い顔立ちはごくわずかに丸みを帯びており、さらに見間違いでなければ、彼の体の胸部に、さきほどまでは無かったはずの控えめな女性的な膨らみが二つ。肩口からするりと流れ落ちてくる黒髪はさっきと比べてあきらかに伸びている。
おかしい。どう考えてもおかしい。
さっきまともに彼の体を見たときはそんなものは無かった。彼は男性であったはずだ。
しかし、今の目の前の彼はどう見ても女性だった。
この子はいったい、何者なのか。
「案ずるな。これがいつものサイクルだ」
どこからともなく聞こえた声。それは白夜の声ではない。
では誰の声だ?
周りを見渡すが人影はどこにもない。
「放っておけばそのうち目を覚ますだろう」
今度はハッキリと聞こえた。右からだ。
首を回してそちらを向けば、浮遊するちいさな白いそれが、一人。ふてぶてしくちいさな腕を組み、フンと鼻を鳴らしてこちらを見ている。




