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「───くそ!どこに行った!?」
「まだ近くにいるはずだ! 探せ!」
茂る木々が陽を遮り、森の中を、なにかを探して辺りを見回しながらドタドタと慌ただしく駆けて行く者が複数。
砂をばら撒くように散らばって駆けて行くその者達は全員が統一して支給品の浅葱色の騎士団服に、頭には兜を、体には身を守る鎧を身につけていて、走る度ガシャガシャと騒々しい音がする。肩を覆う鎧と団服の背面には、旗と、その柄に絡みつく龍の装飾が施されていた。それは帝国の騎士団であることを表す紋章だ。
そして彼らの手には、両刃の片手剣に槍や斧など、それぞれに馴染んだ武器が握られている。
木と茂みの影からその様子を見ていた男、ギルダーツは今のところ気づかれていないことに安堵し、ため込んでいた息を吐きだした。
コートを着込んだ高い背丈に、きっちりと整えられた濃い茶色の髪と眼鏡の奥で鋭くなっている緑の双眸が、まだ三十に満たないにも関わらず冷静で理知的な印象を抱かせる。
「シャリオン様、彼らがこちらを見失っているうちに、このまま逃げましょう」
ギルダーツが正面にいる少女に言う。
まだ幼さの抜けきらない小さな顔立ちは不安に曇り、すぐに首を振りはしなかった。
「でも、まだ白夜くんが……」
肩下まで伸びた艶のあるエメラルドグリーンの髪に丸い翡翠の瞳は不安に揺らぎ、白く細く、小さな手を胸の上で重ね、来た道の先を見つめる。しかし、立ち並ぶ木々のあいだに、その姿を見つけられない。ケープコートを纏った小さな体が泥だらけになっても、彼女が案じるのは自身の身の安全などではなかった。
今頃、彼はまだここよりも離れた地点で何十といたはずのあの騎士兵たちをたった一人で食い止めてくれているはずだ。あとで必ず合流すると約束してくれたが、それでも心配でならなかった。
「大丈夫ですよシャリオン様! 白夜さんは誰にも負けない強いお方です!」
そうシャリオンの隣で拳を握って、テオは彼女を励ます。長い藍色の髪からのぞく宵の空に似た瞳は尊敬と信頼に輝いていた。
シャリオンとあまり変わらない小柄な背丈をローブに隠し、必要最低限のものを詰めた簡素だがやや大きめの道具袋を肩から下げている。
まるで子供が大好きな憧れのヒーローを鼻息荒く語る時のような、説得には程遠い抽象的な言葉だが、それでもその言葉は少なくとも自分たちにとっては紛れもない事実であると、シャリオンは昔から知っている。
テオのどこか自信に満ちたような笑顔につられるように、シャリオンもまた口元を綻ばせた。
「……はい。ありがとう。テオくん」
そうだ。大丈夫。彼は、誰にも負けない。自分たちを残して、死んだりなんてしない。
彼はきっと、あの約束を守ってくれる。
「───いたぞ!こっちだ!」
不意に大きな声が聞こえて、シャリオンは我に返る。
目の前の茂みのなかで、さきほどまでこちらを見失っていたはずの騎士兵たちが逃がすまいと急いでこちらを取り囲んでいた。油断して長話が過ぎたらしい。
「お逃げください!」
叫んだギルダーツが前に飛び出し、右手を前に突き出した。すると、音もなく彼の足元に眩い緑の光を放つ円形の陣が浮かび上がる。
響鳴術と呼ばれる、精霊の力を借りて行使する人智を超えた秘術である。
「吹き荒れろ旋風───、ウィンドゲイル───!!」
ギルダーツの手を中心に旋風が吹き付け、数いる騎士兵の三人ほどが思い思いの悲鳴をあげながらなぎ倒されていく。
「こっちへ!」
テオがシャリオンの背中を押して駆け出す。
しかし、
「おとなしくしろ!」
いち早く感づいたのか、騎士兵の一人が回り込み、二人の行く手を阻んだ。槍を構え、動くなと制す。その隙に新手の騎士兵が駆けつけ、二人を囲った。
シャリオンは慌てて振り返った。ギルダーツもまた残りの騎士兵たちに距離を詰められて身動きが取れず、悔しそうに歯噛みしていた。
「そこまでだ。おとなしく投降せよ」
ガサガサと草木を踏み分けて不遜な物言いと共に騎士兵たちの後ろから歩いてきたのは、彼らとは異なる作りの青緑色の団服を着た、パールグレイの髪の青年だった。
獲物を追い詰めた獣のような目で三人を見る双眸は右が琥珀色、左がエメラルドグリーンと左右で異なっている。
「ぜ、ゼノ・アルデ・ヴァーミリオン……!」
顔から血の気を引かせたテオが呟いたそれは、目の前で残虐な笑みを浮かべる青年の名だ。自らを世間知らずであると認知しているシャリオンですら知っている。
弱冠二十二という若さで騎士団の第二師団長を務めあげるほどの実力を持ち、帝国内外問わず名を馳せる帝国有数の武人だ。
すると青年はゆっくりと首を動かして周囲を見渡すと、腕を組み訝しげに眉をしかめた。
「……おい、アイツはどこだ?」
アイツ。ここにいるはずが姿が見えない人物。
誰のことを指しているのか、シャリオンたちはすぐにわかった。
「俺は命令でお前たちを捕らえただけだ。俺自身はお前たちに少しも興味はない。俺が用があるのは、───白夜だけだ」
狂ったような、歪んだ笑みをうかべて、こいつらを捕らえよとゼノが口を開きかけたそのとき、シャリオンとテオの正面にいる騎士兵に向かって青い稲妻が降り注いだ。
「うわあっ!?」
慌てて飛び退く。今度は二人の後ろを抑える騎士兵に稲妻が地響きのような音を立てて襲いくる。兵士たちは警戒し武器を構えながらも後ずさった。急いで頭上を振り仰ぐが、あるのは茂った木々の頭の間から見える青空。稲妻を放つ黒雲どころか雲一つ無い。
「まさかっ、響鳴術か……!!?」
「雷を操る響鳴術など聞いたことが───!?」
兵たちの言葉を遮ってなお、稲妻は止まない。次はギルダーツを抑える騎士兵たちやゼノに向かって青い光の剣の雨が降る。
ゼノは舌打ちをしながら飛び退った。
「これは……!」
「はい! 白夜さんです!」
自分たちを守るように兵たちとの間に絶え間無く降る青の光。シャルは目を丸くし、テオが顔を輝かせる。
三人を逃すわけにはいかない兵たちが臆しながらも稲妻に向かって武器を振るう。しかし実体のない相手に物理攻撃など無効だ。
とそこに、一際強い蒼雷が轟音とともに地面に突き立てられた。
「うわぁっ!!?」
「きゃっ!?」
「くっ!!」
眩い光に兵たちだけでなくテオやシャル、ギルダーツまでもが反射的に目を閉じる。
「がっ!?」
「なんだ───ぐあっ!?」
間髪入れず、その光からなにかが飛び出し、目にも止まらぬ速さで騎士兵たちに飛びかかると、騎士兵たちは次々とその場に膝をついていく。
「ギルダーツ! 二人を!」
一度目の前に着地し、フードの下から短くも急かすその声が誰のものか、すぐに判別がついた。
「白夜くん!」
「シャリオン様!お早く!」
すぐさまギルダーツはシャルとテオを半ば引きずりながらその場を離れる。
それこそ稲妻のごとく現れた白夜の撹乱により敵は総崩れだ。その隙を逃してはならない。
「来たな、白夜! 奴らを捕らえよ!」
狂気の笑みを浮かべてゼノが笑う。
白夜はこちらへ向かってくる新手の騎士兵たちを見据えると、右手を広げて前へ突き出す。
すると、再び足元にさきほどと同じ蒼く光る大きな陣が浮かび上がった。
「相手はただの人間、それも雑魚ばかりだ。ほどほどにするがいい」
フードの中から囁くように耳打ちする声に白夜は静かに頷く。
「蹂躙せよ、雷霆───!!」
ジジジ……、と白夜の周りを複数の筋のような細く蒼い稲妻が舞う。
やがてそれが三つに集束し大きく太い雷に形を変えると、地を抉りながらまるで意志を持ったように不規則にうねり、動き始め、向かってくる騎士兵たちに牙を向いた。
騎士兵たちは稲妻に追い立てられ、次々と悲鳴をあげ、ある者は餌食となり、ある者は逃げ惑い始めたりと戦意を喪失していた。
手っ取り早く白夜を狙おうと考えた者もいたが、武器を振りあげれば彼を守るように稲妻が立ちはだかり、近づくことすらできなかった。
この隙に、白夜は身を翻してこの場から離れていく。
「馬鹿者ども! 大罪人が逃げるぞ!」
ゼノが叫んだ。しかし、なかばパニックを起こしている騎士兵の耳に、彼の言葉が届くことは無かった。
使えない連中めと毒づきながら、遠ざかる白夜を追いかけようとするが、同じように稲妻に阻まれ追跡はかなわなかった。
「咎人白夜。必ず、この手で捕らえてみせる」
白夜が去って行った方向を見据えながら呟いたゼノは、獲物を見つけた獰猛な獣のような目をして舌先で唇を舐めた。