第27話 鋼鉄と火薬
「全員、撤退!」
命令を下すと、部隊が後退を始めた。
撤退令を出すしかなかった。
ピクシーを死なせ続けるだけでは、
あちらの数が増える一方だ。
損害が出ること自体、すでに十分つらい。
死んでさらに敵を強くするなんて——それだけは耐えられない。
しかし二体のアンドリアス・サピエンスは、そう簡単に引き下がらせてくれなかった。
部隊が退くのを見た瞬間、前に跳んだ。
大きく裂けた口を開き、長い舌を同時に打ち出し、両手でそれぞれ掴む——
撤退が間に合わなかったピクシー六体が引き摺り落とされた。
アンドリアス・サピエンスは自分では食わなかった。
捕まえたピクシーを背後に放り投げ、
まだメタモルフォーゼしていない幼体に分け与えた。
幼体たちが我先に飲み込み、
そして一体ずつ、成長を始め、
メタモルフォーゼした。
チャット欄に吐き気の顔文字が埋め尽くされた。
『また増殖してる!』
『この戦法、気持ち悪すぎる。こっちの部隊を使って自分たちを強化するとか!』
『おい、それ言うとマスミへの悪口になるぞ!』
『配信者どうするの、もうピクシー出せないじゃん!』
『若菜、顔色やばくない?』
「皆さん……」
若菜が声を落とした。
「アンドリアス・サピエンスの数は……八体です。
一体でも十分厄介なのに、今は八体います」
八体。
ざっと確認して、数を把握した。
状況を改めて整理する。
『幼体はまだ増えてるの?』
『増殖のパターンは掴めた?倒しきれるの?』
「マスミ」
サチが俺の隣に寄ってきて、
慎重な声で言った。
「ちょっと聞いて」
「どうした?」
「風霊鳥の歌声が聞こえなくなってる気がする」
一瞬止まった。
上を見上げた。
霧が濃く、空はほぼ真っ白だった。
でも風霊鳥はまだいる。
存在は感じ取れる。霧の中で輪郭がぼんやり動いているのも見える。
口は動いている、翅も羽ばたいている、
歌もまだ歌っている——
ただ、声が届いてこない。
「何らかの方法で音を遮断した」
俺は言った。
「バフが解除された」
『そんなの言われなくても!』
『絶対あの霧が原因だよ!』
『アンドリアス・サピエンスがメタモルフォーゼしてから、霧がずっと濃くなってるじゃん!』
『若菜!カメラを上に向けて!風霊鳥がまだいるか確認したい!』
若菜がすぐにカメラの角度を上に指示した。「皆さん、今映像を上に動かそうとしてますが……霧が濃すぎて、よく見えないです」
確かに、
最初のアンドリアス・サピエンスがメタモルフォーゼを完了してから、この霧は目に見える速さで厚みを増し続けている。
霧はあいつらが作り出しているもの。
もうほぼ確実だ。
だから名前に「霧」が入っているんだ。
風霊鳥はどんどん高く飛び去っていく。
本能的にこの霧を避けているようで、
下りてくる気配はない。
「フェアリー」
聞いた。
「風霊鳥に降りてくるよう命令できるか?」
フェアリーが俺の横に浮かび上がり、
眉をわずかに寄せた。
「できなくはないけど、あの霧の中に入ったら歌声が安定するかどうか、保証はできない」
「霧が音を抑制するものなら、無理やり入らせても効果は出ない。それに……」
ユウキが俺の反対側に立ち、深紅の剣を片手に握ったまま、落ち着いた声で続けた。
「あのアンドリアス・サピエンスたち、
風霊鳥を見る目が食欲を帯びてる気がする」
確かに。
アンドリアス・サピエンスと
フォッグシェル・サラマンダーの何体かが、上空の鳥を食いたそうな目で見ているのを俺も目にしていた。
風霊鳥の問題は一旦保留して、
目の前の八体に意識を戻した。
バフなしでも問題ない。
さっき動きを観察したが、
幼体よりはるかに機敏になっているとはいえ、まったく対処できないほどではない。
まず試してみる。
知恵の書から妖精女王の首飾りを呼び出し、喚風杖と組み合わせて、
一番近くのアンドリアス・サピエンスに風刃を放った。
HP-5
やはり魔法まで大きく弱体化している。
霧が打ち消しているのはバフだけじゃなく、
魔法そのものだ。
力を込めて放ったのに、
空気の中で何かに一層ずつ削り取られていくような感覚だった。
渙の泉庭——「渙」とは散じること。
この階層の名前が、もしかしたら仕組みを示唆していたのかもしれない。
次にミストキャノンに切り替えて、
一番近い標的に向けて引き金を引いた。
HP-3
もっと悪い。
ミストキャノンは水分を動力源にしている。
この水気に満ちた霧の中なら、
威力が上がって当然のはずなのに、
現実はその逆だった。
『水砲がここでは一番弱いの?』
『あの霧、視界を塞ぐだけじゃなくて魔法そのものを無効化してる!』
『この仕様マジで理不尽、水属性の魔法を水霧で潰すって!』
「マスミ」
若菜の声が届いた。
「攻撃方法を試してるみたいだけど、
観客みんな聞いてる——純粋な物理攻撃は有効かもって」
「試す価値はある」
実は俺も同じことを考えていた。
風呼びの杖は魔法駆動。
ミストキャノンは魔法駆動。
雷霊鳥の電撃は魔法駆動。
化身そのものだって、知恵の書の能力だ。
「フェアリー」振り返って聞いた。
「切風翎は純粋な物理か、
それとも魔法の成分がある?」
フェアリーが一秒考えた。
「製作時に魔力を注入してあるし、飛行軌道も魔法で制御してる。
厳密には純物理とは言えない」
「ユウキ、お前の剣は?」
ユウキが勇気の剣をわずかに持ち上げて見た。
「剣の能力も魔力も、
今は抑制を受けてる感覚はある」
口調は平静で、まるで天気を報告するようだった。
「でも剣そのものは——鋼は鋼だ。
斬り込む重さは消えない」
「それで十分だ」
右手を伸ばして、
観の門から一組のピクシーを呼んだ。
六体が力を合わせて細長い金属の物体を運んできた。
なかなか苦労しているようだった。
それはサブマシンガンだった。
観の門に侵入してきた武装勢力から取り上げた武器だ。
「ふん、人間というモンスターを倒して得たドロップ品だな。
残念ながら経験値はもらえなかったけど」
まあ、全員を俺が倒したわけでもないが。
このサブマシンガンはピクシーたちがここまで運んできた現代の産物だ。
魔法なし、特殊能力なし、
ただ人間がより効率よく互いを殺すために鍛え上げてきたもの。
『サブマシンガン!?!?』
『マスミ、それ持ってきてたの!?』
『観の門で没収した武器!ついに出番が来た!!』
『そうそう、あの傭兵たちが置いていったやつ!忘れてた!』
『非魔法・純物理!これが最後の手段なの!?』
若菜の声が一気に跳ね上がった。
「皆さん!見えてますか!あれは——あの侵入者たちが残したサブマシンガンです!マスミくんがここまで持ってきてた!マスミくん、先見の明がありすぎる!」
先見の明があったかどうかは言わない。
今はただ試してみるだけだ。
これらのサブマシンガンには、
実は別の使い道も考えていたのだが。
受け取って、マガジンを確認した。
弾はまだ十分ある。
銃口を一番近くのアンドリアス・サピエンスに向けた。
そいつは頭を下げて地面を見回し、
大きな裂け口を少し開けて、次の標的を探しているようだった。
引き金を引いた。
タタタタタ——
アンドリアス・サピエンスの鱗甲の上に火花が散った。
そいつが頭を上げ、俺の方を向いた。
もし表情というものがあるとすれば、
その顔には「これは何だ?」と書いてあった。
HP-280、HP-310、HP-290……
「有効だ」ユウキの声は平静を保っていたが、少し力が抜けたのが分かった。
「しかもかなり効いてる」
「魔法より全然強いじゃん」
サチが嬉しそうに言った。
「やっぱり霧は銃弾を止められないんだ!」
「霧が散らすのは魔力だ」俺は言った。
「銃弾は鉄だ。霧がいくら濃くても、
金属を空中で消すことはできない」
『物理vs魔法!結果は物理!』
『マスミ、武器商人としての目利きは正しかった!』
『観の門にまだ山ほどあるんだから、もっと持ってきてよ!』
『若菜、泣いてる?なんか目を拭いてない?』
「泣いてないです」若菜の声がわずかに揺れた。
「ただ……目がちょっと疲れて。
マスミくんが戻ってこないかと思って……」
アンドリアス・サピエンスが攻撃源を特定した。
八体のうち三体が俺の方に向かって動き始めた。
三メートル半の体躯が霧の中を歩くたびに、地面が微かに揺れた。
裂け口が開き、
長い舌が打ち出しの体勢を取った。
銃口を次の標的に切り替えた。
「ユウキ、左翼を頼む」
「了解」
ユウキが一歩横にずれ、深紅の剣を横に構えた。
刀身にはあの微かだが安定した光が宿り、
迫り来るアンドリアス・サピエンスに正面から向き合っていた。
「バフなしの状態だ、気をつけろ。
フォッグシェル・サラマンダーよりレベルは上でも、アンドリアス・サピエンス相手はまだ分からない」
サチとユウキのステータスを確認した——
福原幸
Level 7 EXP 240 / 6400
HP 364 / 364
MP 130 / 130
反応 15
筋力 13
霊感 14
運 16
剣持祐希
Level 6 EXP 640 / 3200
HP 310 / 310
MP 108 / 108
反応 14
筋力 15
霊感 11
運 12
二人とも状態は万全だ。
あとは知恵の書にアンドリアス・サピエンスのデータを登録できれば、もっと戦況を掌握できるようになる。
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