第24話 魚か、それともオタマジャクシか?
「全軍、狩り開始だ!」
俺の号令と共に、ピクシーたちが緑の波濤となって転移の裂け目から溢れ出し、
上陸した四足の怪魚群へと真っ向から突っ込んでいった。
地上におけるあいつらの動きは、
哀れなほどに鈍い。
一歩進むごとに地面と格闘しているかのようで、足の裏と泥の間から「ベチャリ」という不快な音を立てている。
移動速度はせいぜい、足首を捻った老人がジョギングしている程度だ。
だが、あの装甲は伊達じゃない。
とにかく厚い。
一匹の槍ピクシーが突撃し、
装甲に覆われた頭部に長槍を突き立てたが、鈍い音と共に弾き返された。
【HP -2】
槍ピクシーは一瞬呆然とし、自分の槍と、
目の前の無傷に近い生物を交互に見つめた。
『刺さらない!?』
『この鱗甲、鋼鉄製かよ?』
『やばい、陸の上でも勝てないのか?』
「慌てるな」
俺が声を飛ばす。
「弱点を探せ」
風霊鳥の強化バフのおかげで、
俺たちの反応と霊感は大幅に上昇している。
弱点の分析速度も段違いだ。
目、鰓裂、そして関節。
装甲は頭部と体幹の大部分を覆っているが、
この三箇所だけは剥き出しだ。
「投石部隊は目を狙え!
風術師は風刃で関節を斬れ!
槍ピクシー、鰓裂を突け!」
命令が下ると同時に、
ピクシーたちは即座に動きを修正した。
筋力を強化された投石の威力は、
もはや以前のそれとは別次元だ。
放たれた石弾の風切り音は、
まるで斉射された弾丸と何ら変わりない。
一発の石弾が怪魚の左眼を正確に射抜き、
眼球が瞬時に陥没する。
怪魚は低く短い悲鳴を上げ、
その巨体を横に倒した。
反対側では、
風刃が関節の隙間に斜めに滑り込み、
そこからどす黒い液体が噴き出す。
支えを失った足が力なく折れ曲がった。
『あ、これで行ける!』
『弱点特効! 弱点特効だ!』
『甲殻類のボスをハメてる気分!』
祐希は俺の指示を待たず、
すでに地を蹴っていた。
「万全の準備の勇気」が発動したのか?
その能力の影響下にある深紅の長剣が、幽かに明滅している。
剣身からは、実体の定まらない揺らぎのようなエネルギーが放たれていた。
彼女は正確に鰓裂の位置を見極め、
一撃で剣を貫通させると、そのまま捻り、
引き抜いた。
【HP -347】
怪魚が沈む。殺傷力が高すぎる。
祐希は剣を手に入れたばかりの、
まだレベル1のはずだぞ!
だが、その一匹を仕留めた瞬間、
祐希の体が光に包まれた。
「知恵の書」がページをめくり、
俺たちの前にステータス画面を提示する。
剣持祐希 Lv 2 EXP 60/200
HP 134/134 MP 35/35
反応:6
筋力:6
霊感:6
運:6
自由分配ポイント:2
「すごい、強いね!」
サチが隣で拍手しながら、
ぴょんぴょんと跳ねて喜んでいる。
「祐希さんかっこいい!
その剣もすごく似合ってるよ!」
祐希は剣身に付着した怪物の体液を鋭く振り払い、得意げにサチへ親指を立てて見せた。
「『万全の準備の勇気』……俺たちの準備が整えば整うほど、この剣は未知の強化能力を提供してくれる、ということか」
俺はその剣を見つめ、どうすればその真価を完全に掌握できるのか思考を巡らせた。
同時に、俺は能天気な彼女に目を向ける。「ただ見てるだけじゃなくて……」
言葉は厳しくないが、促すようなトーンで続けた。
「側面の警戒を怠るな」
「見てるよぉ!」
サチは警棒を握り直し、真剣に左右を見渡す。
「あ、あそこの一匹、
水の中に逃げようとしてる!」
だが、フェアリーがすでに二匹のピクシーを差し向け、側面から逃げ道を塞いでいた。
「とっくに気づいていますよ」
フェアリーが俺の肩のあたりまで浮上し、
少し自慢げな口調で囁く。
「マスミ、ご心配なく」
若菜の声がライブ通信の向こうから聞こえてきた。
その声のトーンは、
さっきよりも明らかに一オクターブ高い。
「皆さん見ましたか!?
祐希警官の『勇気の剣』、
攻撃力がとんでもないです!
詳しい能力はまだ不明ですが、
これほど頼もしい武器はありませんね!」
チャット欄はすでに大荒れだ。
『剣が光ったのが見えたぞ』
『勇気の剣って、前は光を吸い込むよう深紅じゃなかったか?』
『あの光の強さが上がってる。「準備」の度合いで段階的に解放されるスキルか?』
『「覚悟の勇気」とか「未知への勇気」はどうなるんだよ!?』
『誰かこの能力をまとめてくれ!』
俺にはチャット欄を詳しく追っている余裕はなかった。
戦況が、あまりにも順調すぎるからだ。
順調すぎて不安になる。
四足魚の管状の口は、
水の中では強力な水砲を撃てた。
だが陸に上がれば、弾丸のない銃も同然だ。
装甲も水中ならアドバンテージだろうが、
陸上ではただ体を重くする枷にしかなっていない。
なら、奴らはなぜリスクを冒してまで上陸してきた……?
その疑問が脳裏を離れない。
戦えば戦うほど、
俺の警戒心は反比例して高まっていく。
「一旦ストップだ!」俺は声を上げた。
「知恵の書、こいつを登録しろ」
書物が飛来し、空白のページを見開くと、
一番近くにある死体へと覆い被さった。
金色の文字が浮かび上がる。
フォッグシェル・サラマンダー
Lv 4 EXP 160
HP 580 / MP 25
反応:5
筋力:13
霊感:11
運:3
弱点:目、鰓裂、関節。
特記:全身を覆う鱗甲は極めて高い防御力を誇る。
「勇気の剣」と「幸運の指輪」が起動しているせいか、知恵の書の解説が以前より詳細になっている。
俺はその「フォッグシェル・サラマンダー」という名前を、じっと見つめた。
「サラマンダー……?」
祐希も横から覗き込み、眉を微かに動かした。
「これ、両生類なの?」
「鰓のある両生類……」
その言葉を脳内で反芻し、次の瞬間、
背筋に冷たいものが走った。
「鰓がある両生類は、幼生だ」
若菜の声が電話の向こうで、
不意に静まり返った。
「待って、真澄くん。それってつまり――」
「こいつらは『オタマジャクシ』なんだ!」
俺は言った。
「正確には、それに相当する存在だ。
こいつらはまだ、子供なんだよ」
チャット欄の弾幕が、
二秒ほど完全に停止した。
視聴者たちも、その事実を咀嚼する時間が必要だったのだろう。
そして、爆発的な議論が始まった。
『は? フォッグシェル……これが幼体……??』
『じゃあおとなはなんなんだよ!?』
『子供の時点で二メートルもあるのかよ!』
『終わった。これ完全に終わったわ』
『配信者さっき言ってた「スピードクリアしてやる」っての、フラグだったんじゃねーの?』
サチが手を挙げ、
真剣に考え込んだ末に困惑した声を出す。
「ねぇ、これが子供なら、
大人は……どのくらい大きいの?」
「今は二メートル前後だが……」
俺は転がっている数体の死体を見やる。
「もしサンショウウオの成長比率と同じだとしたら……」
計算はしなかった。
いや、できなかった。
この生物がどれほど巨大化するのか見当もつかないが、「幼生ですでに二メートル」という事実だけで、十分に総毛立つ。
フェアリーが俺の傍らで、静かに呟いた。
「主様、この種の名には『フォッグ』という言葉が含まれています」
俺はハッとして、もう一度その名前を確認した。
フォッグシェル・サラマンダー。
「シェル」はわかる。
あの重厚な装甲のことだ。
だが「フォッグ」は……。
俺は周囲を見渡した。
この階層の名は「渙の泉庭」。
空気はもともと濃厚な湿気を帯びており、
足を踏み入れた時から水霧が立ち込めていたのは気づいていた。
「フェアリー、お前はこの種について何か知っているか?」
「私の知る情報は、
主様とさほど変わりません」
彼女は言った。
「主様に出会うまで、我らピクシー一族はせいぜい『益の回廊』までしか到達できませんでした。風霊鳥の関門を越えることができなかったのですから」
何でもフェアリーに頼る悪い癖は、
そろそろ直すべきらしい。
若菜の声が受話器から聞こえてくる。
その口調は、
先ほどまでの興奮が嘘のように沈んでいた。
「真澄くん。この迷宮の霧……
これって天然のものなのかな?」
若菜の疑問は、
そのまま俺の疑問でもあった。
俺は回廊の深部を見据える。
水霧は河面から立ち昇り、
さらに奥へと這うように広がっている。
もしこの生物が霧を操り、
霧の中を自在に移動できるとしたら――
この泉庭に満ちる霧は、
すべて奴らが作り出した「環境」なのか?
祐希が剣を握り直した。
彼女は何も言わなかったが、
俺と同じ結論に達しているのは分かった。
「掃討を続行する」俺は声を平坦に保った。
「今のところ、こちらにアドバンテージがあることに変わりはない。
ただし注意しろ。単独行動は厳禁だ。
霧が濃いエリアには絶対に踏み込むな」
「了解」祐希が即座に頷く。
「わかった!」サチも続き、警棒を握る手に力を込めると、俺の方へと一歩寄り添った。
若菜が視聴者に向かって言った。
「辺り一面、霧だらけです……。
皆さん、覚えていますか?
さっきあの河を越えた時、霧が立ち込めたのはいつからだったでしょうか」
チャット欄が沈黙する。
やがて、一人の視聴者が一行のメッセージを打ち込んだ。
『この層に入った瞬間からだ。
ただ、あの時はもっと薄かったはずだ』
若菜の声が掠れた。
「……私も、そう記憶しています」
俺はその事実を胸に刻み、
ピクシー軍団に岸辺に残った数匹の幼生の仕留めを命じた。
「真澄くん……なんだか、
霧がどんどん濃くなってきてない?」
サチは、隠しきれない不安が混じっていた。
あのフォッグシェル・サラマンダーたちは、
今も変わらず鈍重で、遅いままだ。
……だが、何かが違う。
EXPの増加速度が、
目に見えて落ちてきている。
それはつまり、
俺の部隊が敵を排除するスピードが、
確実に削がれているという証左だった。
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