7月、測りなおした距離
土曜日、朝からそわそわと落ち着かない気持ちで授業を受けていたら、そんな日に限ってたくさん当てられた。正当率8割。まじめに予習していたおかげで、上の空でもなんとかなった。
4時間目の終わりを告げるチャイムが鳴るなりものすごい早さで荷物をまとめ出すわたしを、恵那が不思議そうに眺めていた。
「柚、やけに急いでない?」
「映画観に行くの!」
勢いよく答えたわたしに、首を傾げる恵那。
「時間やばいの?」
「……そんなでもない」
冷静になると、そこまで急がなくても待ち合わせには十分間に合う時間だ。
拍子抜けした恵那が面白そうに笑うので、じとっと見ておいた。
待ち合わせ場所は学校の最寄り駅の改札前、駅ナカに通じるスペースの端っこ。
少し早足になっていたようで、約束の時間よりだいぶ早く着いた。
焦らせてしまっては申し訳ないので、着いたよ、の連絡はもう少し後にする。
駅はそこそこの人出だった。土曜日のお昼だからか、行きかう人はなんだか皆穏やかな顔つきで、構内全体が明るい。
夏服の薄い生地のセーラー服を、乱れてもいないのに整えるように触れる。
5分前になったら連絡しよう、と思っていたら、約束の時間の10分前に、待ち人は姿を現した。
下校する見慣れた制服たちの向こうに、見慣れた顔が見える。
改札へ向かいながら視線を動かしている様子に気づいて、小さく手を振った。
「やなぎん!」
彼の視線が一瞬わたしをとらえて、すぐにすっとずれて。そんないつもの様子に、思わず笑みが浮かんでしまう。
早歩きで近づいてきて、ちょっと困ったように彼は言った。
「……早いね」
ぶんぶんと首を横に振る。
「ちょっと早く終わったの。気にしないでね」
わたしが勝手に早く来ただけだ。
納得してくれたかはわからないけれど、やなぎんは小さく頷いた。
映画館のある駅は、学校の最寄りからわたしたちの住む駅とは反対方向に一つだけ行った、いくつかの路線との接続があるターミナル駅だ。
改札を出て、大きな通路を映画館のある方の出口へ向かって歩きながら、喧騒に負けないよう大きめの声を出す。
「お昼どこにしよっか? 何か食べたいものある?」
「……特には。でもそこまで時間があるわけじゃないし、待たなくて済みそうなところにしよう」
希望はないみたいだけど、現実的な案が返って来た。
上映時間までは一時間無いくらい。確かに、食事が出てくるまでに時間がかかりそうなところだと、早食い競争をするはめになりかねない。
「それなら映画館の近くまで行っちゃってから探そうか」
「うん」
人の波を縫って歩き、映画館のそばのファミレスに入る。駅から少し離れているからか席はまあまあ空いていた。
ご飯を食べている間、もともと無口なやなぎんはさらに寡黙になる。
わたしも黙々と食べた。お腹が空いていたから目の前の食事に集中するのは全く苦にならないけれど、つい目の前のやなぎんを見るとはなしに見てしまう。
彼は視線に気づかず、淡々と食事をしている。ように最初は見えた。
少し見ていたら気がついた。やなぎんの視線は、テーブルの上に貼られた期間限定メニューに釘付けだ。
もう少しでお皿が空になりそうだったので、時間を確認する。まだ余裕がありそうだった。
時間を確認したわたしに気づいて、やなぎんが目線をあげた。一瞬視線が合う。
「やなぎん、デザート食べたいの?」
テーブルの上のメニューを指さして聞くと、彼は怪訝そうに瞬きした。
そして、首を横に振る。
わたしが不思議そうにしていたからだろう。もぐもぐしながらしばらく考えていたやなぎんは、やがて納得したような顔をして飲み込んだ後、説明した。
「目が暇だったから、とりあえず読んでただけ」
目が暇。なるほど。わたしがやなぎんを見ていたのと同じ感じで、メニューを読んでいたってことかな。
「……沢渡さんは、ない? お菓子食べるとき、袋の裏の説明書きとか原材料名とか栄養素とか読んだり……」
「え、ない……」
ひとつ、新たな生態を知った。
無事に時間に余裕をもって食事を終え、映画館へ移動する。
やなぎんが自動発券機でチケットを発券してきて、渡してくれた。
代わりにチケット代を渡す。
入場開始まではあと数分。映画館のロビーの隅で待つことにした。
お腹がいっぱいだから、ポップコーンはなし。
「いつも映画のとき、ポップコーン食べる?」
「たまに」
「どっち派?」
「キャラメル」
「あ、わたしも!」
即答だった。
やなぎんはキャラメルポップコーンがかなり好きらしく、通り過ぎる人が持っているのをほんのちょっとだけ目で追っている。
「わたしは食べられそうにないから買わないけど、買ってきてもいいよ?」
「今回はいい。……集中したいし」
すごい、本気だ。
でもなんとなくわたしも似たような気持ちで、いよいよ近づいてきた時間にそわそわと落ち着かない。
「楽しみだね! わたし懐かしくて1巻読み返してきた」
そう言うと、やなぎんは嬉しそうに目を細めた。
「僕も読んだ」
「結構細かいところ忘れててさ……新鮮な気持ちで読めたんだけど、やっぱり面白いよね」
「うん」
やなぎんが楽しそうに頷く。
そこで、入場開始のアナウンスが流れた。顔を見合わせて、チケットを持って列に並ぶ。
長く感じる予告編にすら少しワクワクして、とうとう映画が始まった。
***
暗かった場内に、オレンジ色の光がぼんやりと灯っていく。
あっという間だった。
面白くて、懐かしくて、頭の中で想像していたシーンが、想像よりも素敵な演出で映像として目の前に映し出されていて。
「……良かったね」
「想像以上だった」
ロビーに戻ってくるなり、どちらともなく言いあう。
「映画館で観ると、やっぱり音が良くて没入感がすごい」
感じ入ったようにそう言ったやなぎんは、グッズ販売コーナーの前で迷うように足を止めた。
レジの奥のショーケースに並ぶパンフレットを見て、ふと呟く。
「パンフレット買おうかな」
「……劇場限定サントラ、まだあるかな」
ほとんど同時に、やなぎんもそう言った。
予想外の物の名前に、思わず聞き返してしまう。
「サントラって?」
彼はちらりとこちらを見て、少し恥ずかしそうに答えた。
「サウンドトラック。映画で使われてた曲を集めたCDのことで……実は、好きな作曲家が担当してたみたいで」
好きな作曲家!
目を丸くしたわたしに何を思ったか、そんな必要ないのに言い訳のような説明が続く。
「あんまりスタッフとか調べてなかったんだけど、オープニングでもしかしてって思って、途中の……あの、最初の事件のとこの曲で確信して、エンドロールでやっぱり名前があって……」
半分くらい言っていることがわからないけれど、一生懸命話していることはわかって、頷きを返す。
「今回だと、謎解きの前に主人公が犯人と知らずに会話する緊迫したシーンがあったよね? そのシーンで流れてた曲とか……あと地味にオープニングが良かった。冒頭からシームレスに入ってくのも静かな感じだけど作品にあってて、映像も音にはめててすごく良かった……」
普段自分からあまりしゃべらないやなぎんが嬉しそうに話している様子が、なんだか新鮮で。
「ちゃんと主張してて印象に残るのに、セリフとかストーリーを邪魔してない。あとから曲を聴いたらシーンごと思い出せるような、単なるBGMじゃなくて曲単体としての力があるのが、さすがだなって………………あ……ええと、ごめん」
「ん? なにがごめん?」
「喋りすぎて……」
見てわかるほど落ち込んでいる彼に、わたしの方が慌ててしまう。
「えっいいよそんな、楽しいよ」
「いや、沢渡さんは楽しくはないでしょ」
「てことはやなぎん、楽しいんだ」
「……」
黙ってしまった。
「わたし、パンフレット買ってくる。やなぎんも、そのサントラ、あったら買っちゃおうよ」
ほっとしたように笑ったやなぎんに、わたしもにっこり笑みを返した。
お互い目当てのものを買って、上機嫌で映画館を出る。
家の最寄り駅に帰り着くまで、思いつくままに映画の感想を話した。
やっぱりいつもよりしゃべってくれるのが、面白くて嬉しい。
駅からの帰り道、いつも別れる郵便局の前の道への角を曲がったとき、なんだか急に現実に戻ってきたような気持ちになった。
楽しい時間って、本当にあっという間だなあ。
そんなことを考えて少しだけ口数が減ったわたしに、やなぎんもいつもみたいにあまりしゃべらなくなって。
「沢渡さん、今日……誘ってくれて、ありがとう」
「どういたしまして?」
改まってお礼を言われて、照れくさくなってしまった。
照れ隠し丸わかりの返事をするわたしに、やなぎんは気まずそうに言う。
「……あの。最近の態度、良くなかったと思って……やっぱり」
「え? なになに、何の話?」
話の行く先が見えなくて、戸惑う。
「……勝手に、こう……小学生の頃と変わらない感じに思ってたから」
それはわたしも、やなぎんに対して感じたことがあるけれど。
でもやっぱり、変わったなと思うこともたくさんあった。
わたし、やっぱりそんなにお子様なのかな……。
「あ、いや、子どもっぽいって言いたいわけじゃなくて」
考えが顔に出ていたのか、やなぎんはわたしの表情を見て少し慌てている。
そして、すうはあと大きく深呼吸をして、次の言葉を口にした。
「……ご、合コンって聞いて、勝手に……僕とは違うって、遠ざけた」
しばらく、静かな住宅街にわたしたちの足音だけが響いて。
数秒、わたしはやなぎんの言ったことの意味を考えた。
たぶん、もっとたくさん考えてることとか感じてることがあったのだろうけど、やなぎんの言いたかったことはなんとなく伝わるような。
「気にすることないよ、らしくないってわたしも思うし」
わたしらしいってなんだろう、とは自分でも思うけど、とにかくわたしもここ最近は慣れないことをしてる自覚がある。
「それに、彼氏のかの字もないからね、いまだに!」
急に大きくなった声に、やなぎんは困惑を隠さずにわたしを見る。
へらっと笑って、わたしは続けた。
「友達に言われたよ、普通合コンに参加するのは彼氏彼女が欲しい人だから、そこまでいかなくてもなんかしらの進展がある相手が一人もいないのは逆にすごいって」
こんなこと言われても反応に困るだろうな、とはわかっても、なんだか引っ込みがつかない。
「みんなどうやって好きな人見つけてんだろ」
そこまで言って、ふと思いついた。
「あ、ねえ、やなぎんは好きな人っている?」
質問してから、恥ずかしくなってきた。
この話の流れでこれを聞くのって、相当恥ずかしいことのような気がする。
でももう言ってしまったことはもとに戻せない。
やなぎん、長考。
「……………………………………い、ない」
か細い声で返って来た答えに、なぜか安心しているわたしがいて。
「……そっか。どうやったらできるのかねぇ」
「さあ……?」
やなぎんの戸惑った声が、やけに耳に残った夕方だった。




