シーン9 コロンブスの執務室
シーン9 コロンブスの執務室
コロンブスの執務室は変わらず質素だった。写真立ても壁に掲げた賞書も観葉植物も私的なロッカーすらない。室内には窓を背にして置いてある平凡なグレーのスチールデスクと対の椅子、中央に黒のビニールレザー張りの3点ソファーとダークブラウンのローテーブルがあるだけで、入口から見た左右の壁沿いにはスチール性の書類収納ラックが、スペースを惜しむように並んでいる。この国の門番たる部隊を率いる男の部屋はまるで資料室のようだ。
ここは半年前、要が原隊復帰を認められた部屋であり、遠くは、部隊存続の危機を招いた当時の統括を退任させるのに賛同を求められ、合意した部屋であった。
この部屋を訪れる度に要は、コロンブスの高潔さを思う。だからこそ、コロンブスに付いて行けると思う。組織の頭が普遍的な価値観を持っていなければ、その組織はバランス感覚を失い、事の見定めを誤り、現状維持の怠慢はヒエラルキーを腐らせる。長に私怨、私欲、自己顕示があってはならない。
一人掛けソファーに深々と座ったコロンブスは要に振り返り「座れ」と声をかけた。姿勢を正した要は「いえ、自分はここで結構です」いつもと変わらないやり取りをしていると、ドアがノックされ、威厳ある声で「入れ」とコロンブスが返すや、入室してきたのはベータ長・サラマンダーだった。
「デカい図体で、動線ふさぐな」要を追い越しながら、そう言ったサラマンダーはコロンブスの左隣にある一人掛けのソファーにドカリと座るなり、要に振り返って「お前がそこに立ってると、俺たちの首が捻れっはなしの会話になる。迷惑だ。座れ」と言った。
コロンブスはこれまで僕を向かえ入れる時、始終、デスク前の椅子に座っていた。今日、ソファーに座っていたという事は、最初からサラマンダーの参加は決まっていたという事で、遠い昔、影法師の如くコロンブスの背後に立っていたサラマンダーは今も変わりなく、コロンブスの腹心中の腹心で懐刀という事で、だからコロンブスはソファーに座っていた理由か・・・と、要は会得した。
サラマンダーの出現に、要は宗弥のことで良くない話だと直感する。こちらも同等であろう報告をすると思いながら、鉛にも似た重い心で要は「失礼しました」と言い、まずは2人の話を聞くと決めて3人掛けのソファー中央に座る。
相変わらずのグレーのスーツを着たサラマンダーが、要を直視する。そして「長いコンテナ船での生活、すまなかった」と開口一番いきなり言った。聞いた要は無言の視線をサラマンダーに向け、サラマンダーは「お前の報告書、アルファー各自の意見書等々の関連書類に目を通した。大変だったな」誠実な口調でそう言い重ね、気に入らない要は意図的に視線を伏せて時間を使い、間をとってコロンブスの目を見た。
あの書類には全てが記してある。アルファーの突入部隊への参加、国連の介入、液体デイバイスの完成、富士子の病状回復、コンテナ船での生活、ユートピア国の工作、どれもが、何もかもが、外に漏れれば威力満載メガトン級のスキャンダルを撒き散らすネタの宝庫だ。累は富士子にも及ぶ。要はそう思わずにはいられなかった。しかし、感情をあらわにするわけにはいかない。この国の門番たる部隊に所属している要だ。しかも先鋒アルファーのチーム長だ。
自分を見つめる目に、要に、コロンブスは「今回、スパルタンが言い出した事はあの事案から始まっている。事情を知る必要があった。だから、サラマンダーに資料を開示した。あの書類は今も機密指定に変わりない」と説明し、要はそう話したコロンブスの目をなお無表情に見つめ、間を取るかのようにコロンブスはテーブル上のマグカップに手を伸ばし、ゆっくりと飲む。そしてコトリッと音をさせてマグカップをテーブルに置くと、コロンブスは口火を切った。「フレミングが自室で打っているのは打電だ。私が現場に出ていた頃のものだ。内容は“ スパルタンとの接触完了“ と打っている」、聞いた要は目を見開く。
コロンブスの表情に変化はなく「詰問室でスパルタンが右手の人差し指で机を打っていたのを覚えているか?スパルタンは当時のコード2つを使い分けている。1つはフレミングが自室で打っているそれ、もう1つは私へのメッセージだ。私へはこう打った。“ コロンブス、俺とフレミングを解放しろ。情報の値段は20億。さもないと生物兵器を起爆しろと指示する“ だ」コロンブスは事もなげにそう言った。
サラマンダーが口を開く。「フレミングは身体の、多分、あの様子だと膝頭に埋め込んでるな。純粋なだけなのか、素直なのか、単純過ぎるよな。監視されてる事を気に留められないほど追い詰められてるのか、やけくそで我々にワザと見せてるのか、考えが足りないのか、全く読めん。フレミングは不思議な思考回路をしてるな、イエーガー。フレミングが膝頭に埋め込んだブツが何かわかるか?」と言うや、サラマンダーは左耳を撫でた。
要は驚きのままに「内耳モニター」と口に出す。その答えを聞いたサラマンダーはニコリと笑い「ご名答。機密も機密の内耳モニター。使用してるのは我が国だけだ。どこから入手したか、今部下に調べさせてる。心あたりはないか?」と聞く。うつむき、要は思案する。
内耳モニターは点番をタグ付けされ、本陣の金庫に厳重に管理保管されている。その金庫の扉はコロンブスをはじめ、総務部長、本陣警備部長、3人の承認がなければ開かない。その承認方法も、機密扱いだ。いくらなんんでも宗弥が金庫から持ち出すのは不可能だ。
どこで…手に入れた…。・・・・あっ!!!・・・まさか!・・そんなわけがない・・クソ!!!・・・「新潟」と呟く。
再びニッコリと笑ったサラマンダーが「俺もそう踏んでいる」と言うと、サラマンダーのスマホが鳴った。左耳にスマホをあて、話を聞いているサラマンダーの顔から笑みが消えてゆく、最後に「そうか、わかった」と言って電話を切った。
そして要の目にピタリと視線を合わせ「お前が口にした通り、新潟に送った内耳モニターの内の4つが、偽物と擦り替えられていた。その1つに、フレミングのDNAが混入していたそうだ。4つともフレミングが盗んだと考えていいだろう。それともなにか、他にも盗んだやつが居るって事かな、イエーガー。心当たりは⁈まんまとやられやがって、アルファー総員の目は節穴って事でいいのかな、イエーガー。どうなんだ、イエーガー」口調は穏やかだったが、その声には毒でもまぶしたかのようなエグ味があり、要を削る。鬼の形相のサラマンダーが焼き尽くす目付きで「お前のチームはどうなってる!クソったれ!!!」と怒鳴り、コロンブスが「フレミングは、1年半前から私の直属だ」と割って入る。
無表情を貫く要は「私の管理不足です。申し訳ございません」と言うや2人に深々と頭を下げた。顔を上げた要は「部隊長が現役だった頃の全ての打電を、機密に関わるならばせめて、今スパルタンが使っている2つの打電だけでも、アルファーに開示して頂けないでしょうか?まずはフレミングとスパルタンが何を打電しているか、解読して理解しなければ手の打ちようがありません」低く、抑えた声で訴えた。立ち上がったコロンブスはデスクに歩み寄り、机上に置いてあったファイルを右手で取り上げて起立していた要に手渡した。
両手で受け取った要に、コロンブスは恐ろしく厳粛な眼差しを向け「このファイルには、私の時代の世界共通打電が6種類が入っている。今も国際会合等々で顔を合わせる武官と書類には出来ない話をする時に使っている。留意してくれ。それからイエーガー、フレミングの処分は一つだ。やれるか?」と聞く。「感謝します。フレミングの件も承知しております」と答えた要の表情は、地雷原に足を踏み入れたかのように険しい。
やれるか
やれるか
ヤレるか
殺せるか
発した方も聞いた方も、どちらもツラいが、裏切り者は見せしめねばならぬ。
コロンブスが「座れ、報告とはなんだ?」暗い真顔で聞く。
座り直し、ファイルをテーブルにおいて背筋を正した要は「アルファーは、スパルタンとフレミングを脱獄させて潜伏します。そして内情を探り、敵の計画を瓦解させます。その間お二人は知らぬ、存ぜずを通してください」、「どうやって、スパルタンを信用させる?」と聞いたサラマンダーはニヤリと笑い、その表情はどこか楽しげだった。
要はその表情はなんだと内心で憤慨しながらも、無関心を顔に貼り付けて「チャンス以外のアルファーは、スパルタンの選抜訓練を受けて特戦に配属されています。いわば師弟関係です。スパルタンは今でも、私たちを手下だと思っています。もう一つ、今のスパルタンは自分の命と信念を対価という金に変えて、天秤にのせています。そこを満足させればつけ込める隙は、多分にあると思います。手錠を私たちの前で外し、安全ピンを見せたのも我々に警告する意味合いもあったと思いますが、自分の力を誇示したいと思う気持ちにスパルタンは負けたのです。価値観が俗物的です。必ず取り込んでみせます」、「へぇー、そうなのか。まぁー、アルファーの精神を持つフレミングも取り込まれたし、相思相愛といくだろうな」要を挫く言葉を選ぶサラマンダーはどこまでも手厳しい。
要は続ける。「ご報告ですが、フレミングがスパルタンに渡したであろう安全ピンを成分分析した結果、富士子救出作戦時に使用したフックと判明しました」ひどく澄んだ口調で話す要は、却って痛ましい。
「とういうことはなにか!!!!フレミングは武器保管庫からフックを盗み出して!ここで!!この本陣内で!安全ピンに加工してスパルタンに渡したという事か!!!」激高したサラマンダーに要は無表情に頷く。「クソ!!クソだな!!クソったれだな!!本陣建物内でそんなこと!してただと!!クソ!!クソったれが!!」サラマンダーの怒火は収まらず声を高めて要を罵り、とどめを刺すかのように毒を吐く。要は「フレミングの入館記録に照らし合わせて、保管庫の監視カメラ映像を再確認してください。日を費やしてカメラ位置をずらしているか、カメラ自体に細工したかのどちらかです。不自然を探ってください。証拠として使える、使えないどちらにしても、我々は真実を知る必要があります」と進言する。聞いたサラマンダーは要を睨むや、「うるせえ!!クソッタレ!!!」と言い放ってベータ通信担当Dに電話し始め、今のやりとりを話し出す。
腕組みをしたコロンブスは、思案している。
一時が流れ、考えるコロンブスを目を伏せて待つ要にコロンブスは視線を向け、その気配を肌で感じ取った要は顔を上げた。目が合ったコロンブスは「スパルタンが話していた生物兵器の計画を、どう思った?」と聞く。
「スパルタンは自分の巧みさを周囲に見せつけたいが為、アドリブを好みます。ですから、盾石富士子さんの拉致にも失敗し、我々に捕縛される結果になりました。それが今の計画につながっていたとしても、大まかで、もしかしたら、何も、生物兵器も、存在していないのかもしれません。あったとしてもその計画は、おそらく緻密性に欠けています。今まさに絵を描きながら、フレミングを使って色を塗っている状態ではないかと推察します。それにスパルタンは謙虚ではありません。風潮したいのです。自分はここにいると。スパルタンが特化しているのは変質者並みの粘着性です。サヤに対する歪んだ愛情表現の闇、フレミングに対する周到なやり方を考えてみてもそうです。そこに今、部隊長に対するメッセージの伝え方が加わりました。スパルタンをここに閉じ込めていては、事はフレミングを使って奴の思い通りに進行していきます。フレミングは優秀です。間違いなく実行して行けます。それに私は、、、これ以上を、、フレミングに、、、、やらせたくはありません」重く、喉を詰まらせながらも、要は思いの丈を言い尽くす。
下を向いて、気持ちを立て直した要は声を改め「申し訳ありません。私情が入りました。スパルタンを解き放って、その言動を詮索したく、アルファーはそのスパルタンに従ったとみせて、密かに先手を打ってゆく。我々は公に、スパルタンを釈放するわけにはいきません。ですからアルファーが、単独でスパルタンとフレミングを脱獄させます」2人を説得する要の表情に苦渋が走る。
「チームメンバーの意志は⁈承諾してるのか?不測の事態が起きた時、アルファー各自は責任を問われ、チームの解散もあり得るんだぞ」と言ったコロンブスの横顔に、視線を向けたサラマンダーは「もう、チーム内で話はついてますよ。だからこそ、こうしてイエーガーはあなたに話をしてる」と軽快に言い、「そうだろう?」と要の顔を見た。
無機質な表情で要は、2人に頷く。
 




