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国守の愛 第3章 red eyes ・・・・  作者: 國生さゆり    


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シーン10 嬉し涙はあふれるもので、悔し涙はむせぶもの


   シーン10  嬉し涙はあふれるもので、悔し涙はむせぶもの



 しくも要は富士子が避難ひなんしたけやき坂・ハイアットホテル2428号に宿泊していた。そう、要はこの部屋に意図的にチェックインしているのだ。たった一晩、富士子が泊まったという理由だけでこだわらず、気分の風がおもむくままに私生活を生きてきたはずの男が、この部屋に執着しゅうちゃくを持った。



 この一年半、東京に居る時、僕はここを寝ぐらにしている。今回で4度目だ。



 コロンブスとサラマンダーとの面談を終え、コロンブスの執務室を退出した要は憮然ぶぜんとした心持こころもちで廊下を歩きながら、脱獄だつごく計画にそなえ、地下駐車場で待機たいきしていたチャンスに “ 休憩室に戻ってくれ“ とメッセージを打った。休憩室でやる気をたぎらせていたファイターは、入室してきた要の顔を見るなり「時間をくれと言われたな」とさっし、「そんなにわかりやすい顔をしていたか⁈」とさも心外と、反発が浮く声で聞いた要に、ファイターは「ああ、俺たちに分かる程度にな」なだめるようにこたえて立ち上がり、要に歩み寄って大きな手で、要の左肩を思いやるように2度叩く。強烈な生命力を感じさせる目でファイターを見上げた要は「打開策が、早急に必要だ。手遅れになる」と低くも通る声で意思を響かせた。ファイターは「わかってる。忍耐だ、イエーガー」とスナイパーの冷静さでつぶやいた。



 ファイターにうなずき「耐えがたい」と言った要は、大きく深呼吸して[送る。イエーガーからトーキーとターキー。チャンスが上がってきたら、コロンブスとの面談内容を説明する]と内耳モニターに入れ、すぐさま通信室のトーキーから[了。館内の監視カメラ映像の分析が最優先でおこなわれています。ですがいまだ、どの部屋で安全ピンを製作していたか確認できずです。なお、武器庫の監視カメラの画角が日に0.3㎜ずつ動かされていました]と返信が入り、要が[了。フレミングらしい緻密ちみつさだな。僕たちは書籍庫をこのんで使っていた。参考にしてくれ]と入れると、入れ替わるように、同じく通信室にいるターキーから[送る。ターキーから総員。フレミングの妹さんの身辺調査を、現在ドイツに派遣されているオメガチームに依頼しました]と入り、要はファイターと目を合わせ[了。前回と何か違う点が出たのか?]と聞く。ターキーは[ベルンにはいますが、引越しています。時期が気になりました]と言った。



 偶然・・か・・・・理由があったのか・・また一つ、気がかりが増えたと考えつつ要は[そうか、わかった]とささやくように口にする。音もなく戻って来たチャンスは要の前に立つ。たわむほどにくちびるむすんだチャンスに、要は“言いたいことはわかっている”と言うようにうなずいて、面談内容を話し始めた。



 スパルタンが宗弥に打電している事。宗弥が内耳モニターを使い、外部の誰かと交信していること。スパルタンがコロンブスにおどしをかけ、20億円要求している事。事務的に話すことを心がけたが、それでも今日一日で新たに判明した宗弥の邪道は根深く、個々の怒りをえ、精神的な疲れを通り越してチームの気魂きこん疲弊ひへいさせた。



 何よりも、新潟分屯基地に移送されていた予備の内耳モニターを宗弥が盗み出していた件にショックを受け、されど、誰しもが、同じこころざしもとに行動していると、信じて疑わなかったあの状況下での装備品の窃盗、模造もぞうなど考える余地は無く、切迫状況下での任務遂行に集中していたあの時に、行動を起こしていた宗弥の不誠実はチームに超ド級の衝撃を与え、その爆風は散々たる個人の感情をぎ倒し、絨毯爆撃じゅうたんばくげきでもらったかのように、各自の心を更地さらち化して放心させた。



 あらゆるアンテナを張り、総員の感情をとらえた要は「いいか、これは啓示けいじだ。真の精鋭になるかいなかのアルファーへの試練しれんだ。無念の煮湯におぼれてはならない。いずれフレミングの所業しょぎょうは知れ渡る。この件がおさまるまで、アルファーの行動は外からのぞき見られる始末しまつになった。はっきり言って、クソッタレの状況じょうきょうだ。総員に告ぐ。より一層の慎重さを持って事にあたれ。やれる事から一つずつ片付けてゆく」紅き気迫を声にして、各自にモチベーションを求める。



 いどむと決めたファイター、チャンスの鋭い眼光4つに、コロンブスから手渡されたファイルをかざした要は「まずは座って、この打電を頭に入れよう」と言った。



 ファイルを広げ、1ページ目の資料紙を取り出した要は熟読してファイターに渡し、頭に入れたファイターはチャンスへと手渡す。回し読みに40分かかり、記憶したコードを使って3人はサイドテーブルを、コツコツと右手の人差し指で打ち合って会話し、途中参加のトーキーとターキーも加わり、全員で2時間ほど没頭ぼっとうする。手応えを感じた要は「ファイター、コロンブスにファイルを返却してくれ」と頼み、「今日は解散しょう」と言って椅子から立ち上がった。



 立ち去る要の背にチャンスが「イエーガー」と声を掛けたが、要は立ち止まらず「すまん」と言い残してドアを開けた。


  一人になりたかった。



 宗弥は特戦の中でも、最高位の男だった。献身的な医師でもあった。軽快で頼もしく、博愛の精神を持って任務にあたり、任務と医師としてのバランスに悩んだ時期もあったが乗り越え、チームのムードメーカーで親友だった。



 その宗弥の最悪が立ち上がり、2度目の今日、完全に失った。要の心はズタズタだ。



 ホテルの部屋に入り、Uの字チェーンを掛けて鍵を閉めてる。クソとののしる気力さえ無く、無力に崩れ落ちた。



  涙がにじむ。



 新潟での日々は懸命だった。本陣から上がる情報を精査し、思案して、最善と思うことを選択した上で、立案した強襲作戦の訓練に心血をそそいでいた。



 何を考えていたんだ、宗弥。人の悪意に乗せられ、利用されて、行き場を無くした馬鹿野郎。真綿で首を絞める自滅を選んだ。最悪だ。付け入られるすきを作ったおろか者。



 涙がレンズになって視界がぼやける。あの日、ローバーの車内で宗弥と会話した。あの時の宗弥の顔は・・・いつわりだったというのか・・大丈夫だと安心した僕は宗弥の変化に気づけなかった。宗弥は絶望を豚のように太らせ、己をもえさにしてなりがらせていた。



 暴発した宗弥がたくみだったのか、己がボンクラだったのか。


 いる。

 後悔しかない。


 メッセージの着信音が鳴る。

 スマホを取り出して、クリックする。



 “ あの、お忙しいところごめんなさい。お電話してもいいですか?声が聞きたくて、すみません“ 富士子からだった。要は暗記している番号をスマホに打ち込み、1コールで出た富士子が「もしもし、あの今、お話ししていても大丈夫ですか?」と聞く。「ええ、話せます。仕事をえて帰り着いたところです」と湿しめった声で答えてしまっていた。

 


 富士子はその悲壮ひそうに息を飲み「何かあったんですか?」と問う。



 「すこぶるとはいきませんが、生きてます。すいません、こんな、なんか、間抜けな返答で」泣きながら笑って答える要に、清潔な孤独を感じた富士子は「どちらにいらっしゃるんですか?」と率直そっちょくに聞く。要はみちびかれたようにホテルの名をげ、部屋番号を伝えた。迂闊うかつだと思いながら。



 「今から、そちらに伺います」きっぱりとそう言った富士子は通話を切った。

 


  要はノロノロと立ち上がり、シャワーを浴びる。

  他意はない。

  しっかりとした自分を、取り戻すためにだ。



 20分後、衣服をあらため、ルームサービスを頼む。



 チャイムが鳴る。要がドアを開けると、瞳にうれいをるがせた富士子が立っていた。その顔を見た要の心情に後悔と優しさが交差する。青い影を背負う自分を、富士子には見せたくなかった。心配させるだけだとわかってはいた。すまないと思うその一方で、ただ、ただ心の底から充足感が満ちてく。安堵につつまれ太古の昔から知っていたような気持ちになる。



 あの頃より伸びた尾長さんの前髪から、水滴がこぼれ落ちた。意思をたたえていた漆黒の瞳に悲しみが居座っている。目のふちが赤い。私はその赤色をよく知っている。この1年半の週末の朝、鏡に映っていた私の目だ。そんな眼差しで、あなたは私を見ている。何があなたをそうさせたのだろう。癒したい。富士子はその一心にまる。



 要を見つめたままの富士子は「押しかけるような事して、申し訳ありません」と言い、要は「迎えにも行かず、すいません」と謝り、富士子を見つめる要は「よかったら、入ってください」と言って先に歩き出した。



 大きく一歩踏み出した富士子は「なんだか、タイムスリップしたようです。この部屋、あの時のままです」と言葉にして思う。再会して数時間なのに気持ちは静かだと。



 要は「どこでも、好きなところに座ってください」と若干投げやりな口調で言い、その言いように富士子は要の前に回り込んで要の顔を見上げ、微かに微笑んだ要の表情は富士子に迷い子を思わせる。



 頬にれてなぐさめたく、勝手に動き出しそうになった右手の手首を富士子は左手でそっと握ってひかえさせ、窓際の椅子に腰掛ける。話したい事が、知りたい事がたまらなくある。だが、そんなあれこれとしたことなんて今はどうでもいい。天涯孤独を語るような顔つきの要に、富士子は黙って寄りうを選んだ。



 奥の椅子に座り、テーブルを挟んで富士子と向き合った要は、富士子の顔を一時いっときの間、無言で見つめ「元気でよかった」と言い、「あなたも」かろうじて、そう答えた富士子は涙ぐみそうになる。しかし今、要を前にしてもう涙はいらないと、十二分に流して来たと思えば、夕立のあとのような清々しさが心に吹くのを感じた。



 「連絡もせず、すみません」と言った要を、み切った目で見つめていた富士子は「お帰りなさい」と絹布けんぷのような柔らかさで言い、要は「帰国するたびに、あなたを見ていました」と言ってかすかに笑う。



 「ずるくないですか。あなたばかり、いつも」と言った富士子の表情は柔らかく、甘い、「すみません。色々、はっきりとは言えないことが、僕には多すぎる。こうやってあなたと向き合うとあらためてそう思います」要の実直な物言いに富士子の胸がすく。



  チャイムが鳴る。



 肩をピクリとさせた富士子に、要は「ルームサービスです」と言って立ち上がり、ドアに歩み寄って開けた。



 銀のトレーをテーブルに置いた要は腰掛け、富士子の前にノンカフェを置き、テーブル中央に輪切りのレモンが浮かぶ水のピッチャーとグラス2つ、砂糖スティックをととのえるように並べ、自分の前にエスプレッソとチョコレートケーキがのる2つの皿を置いた。窓ぎわの壁にトレーを立てかけて皿からラップと丸皿カバーを器用に取り去り、ノスタルジアにチョコレートケーキを見つめている富士子の前に置く。



 「食事はちゃんと摂っていますか、綺麗なお姉さん」要が静寂の中で聞く。富士子は「ええ、あなたは?」と微雨びうたたずまいで聞き返す。緩やかな想いがかよう言葉をわす。



 「今日は昼と夜を取り損ねてしまいました」と正直に答えた要に、富士子は軽やかな仕草でフォークを手にすると、チョコレートケーキをすくって要の前に差し出し「糖質は頭をクリアにします。どうぞ」と言い、「僕はねこではありません」と笑う要に、「よくご存じで、どうぞ」と言った富士子の笑顔は美しく、要が見惚れていると富士子はフォークを前に出す。



 パクリと噛み付くように食べた要の口内に懐かしい味わいが広がり、情を刺激された要は「すみません」とつぶいてうつむいた。



 風のように立ち上がった富士子は要の両足の間に座り込み、要の右太ももの上に両腕をのせ、その腕に顔を預け「こういう事あなたにできるなんて、不思議です。あなたと妄想の中で生きていたからでしょうか。とても自然にできました」と言って要を見上げ、「帰って来てくれて、ありがとう」と言った富士子の顔を見た要は、目頭が熱くなり「僕は・・あなたを、あなたの夢を何度も・・・」その先は言葉にならず、第二関節もたくましい、ゴツゴツとした右手で両目をおおい天をあおぎ見た要に、富士子は「これからも、そばにいます」と言って微笑んだ。





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