シーン34 侘しく笑う
シーン34 侘しく笑う
シャワーを浴びて水色のシャツと紺色のチノパンに、衣服を改めた要は詰問室の裏部屋にいた。その目で捉えるは世田谷でCIAのトムに撃たれ、捕縛された男・A。心拍数、血圧、発汗の数値は聴取が始まった30分前と変わらずフラットだ 。Aは鎮痛剤を投与され、部分麻酔で保存的治療を受けている身だから数値は当てにならないといえる。されど要はその佇まいに妙なものを嗅ぎ取っていた。
Aは詰問室に入室しても室内を見回すこともなく、知っていたかのように椅子に座った。膝の傷は相当痛むだろうに身動き一つせず、ただ、ただ大人しく腰掛け、目の前に座るサラマンダーに視線を注いでいる。トムはなぜ膝を狙った・・真横から膝蓋骨を削るように正確に撃ち抜いている。精度の高い射撃力だ。ならば、他にやりようがあっただろうに・・アリシアに特別な感情を持っているのか・・・そのトムは今アメリカ大使館に出向いているが、トムは‥今、何を考えている。目を配っていなければ。
トムに撃たれたこの男は左足を、一生引きずって歩くことになるだろう。外に出る事が出来ればの話だが・・たとえ帰国できたとしても、我が国で5体もの死者を出した事件現場にいた。太陽の下でのびのびと自由気ままとはいくまい。なのに・・この男には余裕がある。こういう場所に、雰囲気に、馴れている。要はそんな心象をAに持った。
そこへ要の右隣に立つカンマルが「椅子に腰掛けないで、大丈夫ですか?」と声を掛ける。鏡前のデスクにPCを置いてAの行動分析をしていたトーキーが、要の横顔をチラリと見た。いつもの覇気が感じられない。トーキーは内心でそう思う。
Aを見たまま「大丈夫だ」短く応えた要は一呼吸つく間に思案して、「トーキー、DNA検索で何か出たのか?」とゆるりとする口調で聞いた。トーキーが「まだ何も」と答えると、要は「そうか・・・名無しの権兵衛のままか。この男、馬鹿に落ち着いてるとは思わないか・・。他国でも…同じ経験をしているのかも知れない。この詰問室の設計は、我が国オリジナルのものか?」と考えを口に出し、トーキーはキーボードを弾くように打ち始め「基本設計は、イギリス情報機関のそれを参考にしているという噂を聞いた覚えがあります」とPC画面を見ながら応え、本陣スパコンから写真を見つけ出すや「あっ」と短い声を上げた。
その声色に聞き覚えのある要は反射的に歩み寄ろうと、身体を反転させたが、その意志に身体はついていけず、左足のつま先が床に引っかかった。咄嗟にカンマルの左肩を左手で掴んだ要を、カンマルも瞬時に動いて要の左肘を左手で支え、トーキーは椅子から秒殺で立ち上がり、その2人の神速さに、要は犬歯を見せて破壊的に笑う。そして「すまん。まるで、じいさんだな」と零した。
「とにかく座ってください」と言いながら、トーキーは座っていた椅子を転がして要のそばに置き直し、「ありがとう。そうさせてもらう」好男子のスマートさで応えた要は腰掛けて、側に立ち眉間を固くしているトーキーの顔を見上げ「それで、何を見つけたんだ?」と柔らいだ声で聞く。
「ああ、そうでした。これ見てください」PCを机から取り上げたトーキーが、画面を要に見せる。全く同じ構造、素材、何1つ変わらない写真が画面に映し出されていた。
画面からAに忍び寄るように視線を上げた要は[送る。イエーガーからコロンブス。イギリス情報機関に知り合いはいらっしゃいますか?]と問いかける。[ああ]と返答したコロンブスに、要は[Aの顔写真を送って、問い合わせしてみてください。身元が判明するかもしれません] 物腰柔らかく要請を出した。[了解した。体調はどうだ?]と聞いたコロンブスに、要は[足がゼリーのようです]と 晴れやかな正直さで応え、コロンブスは[そうか、ゆっくり休ませてやれず、すまない]と言った。そのスパッとしないコロンブスの言いように勘が働いた要は[あと、20分もすれば身体が順応します。ご心配には及びません。何かありましたか?]とさり気なく聞く。
お見通しかと、部下の鋭さに口元を緩めたコロンブスは[世田谷から逃走したフィアット500Xを、シータが砧公園駐車場で発見した。後部座席に置いてあったリュックから、ロシア製ハンドガンVdsv2丁、予備弾倉2、パスポート2種類が出てきた。走り書きのメモに“ 要、こいつはSVRの工作員、通り名はフレド。バードサンクチュアリーにいる”と書いてあったそうだ。公園内を捜索してる。お前の名があったことから、フレミングからのメッセージだと推測している]青光りする声でそう答え、“殺したか“と直感した要は言葉を失い、内耳モニターを聞いていたトーキーは絶句し、カンマルは要に注目する。詰問室のサラマンダーは、鏡越しに見えるはずのない要にチラリと視線を送り、Aを後ろから威圧するように立っていたファイターは、しめやかな視線を床に落とした。
[工作員が行方不明となればロシアは暗躍して、その経緯と理由を知ろうとするだろう。SVRがフレミングを探し出す前に、我々はフレミングと接触して意思疎通をはかり、その意志を、もう一度確認した上で、SVRにフレミングを信用させねばならなくなった。同時進行でフレミングの振る舞いの一部始終を、証拠映像を示してSVRに通告する選択肢も打つ。要はフレミングをロシアに売るという事だ。今その段取りをつけてもいる。総員、フレミングが正気か否か、敵か味方かで状況は大きく変わり、流動的にどちらかの選択を迫られる可能性もある。留意しておけ。イギリスの件も急がせる。以上だ]嵐の前触れを告げるような底冷えのする声と、切り回すような口調で意力のコロンブスは語り、一方的に切り上げた。
「クソ」と呟いた要は[送る。イエーガーからサラマンダー、私も室内に入っていいですか?]と入れ、サラマンダーはAを見たまま微かにうなずき、[感謝します]と言った要は立ち上がりつつ「カンマル、丁の様子を見て来てくれ」と頼む。「いえ」、「いいからいけ」譲らない要はカンマルの目を見続け、席を立ったサラマンダーは鏡のそばに立ち[送る。サラマンダーからカンマル。いけ。裏のDから情報を抜いてこい。恩赦を餌にピッコロが揺さぶってるはずだ。こっちと違って、丁はあと10分もすれば必ず落ちる]と口内発声で指示する。要は上手いもんだとその顔を見て思い、カンマルは鏡越しのサラマンダーを不服げにガン見して[了]と応えて、要とトーキーに背を向けた。
その背に要は微笑する。若い息吹は着実に育っていた。そう思えば安心できた。
トーキーはウォーターサーバーに歩み寄り、紙コップに水を注ぎ入れて要に差し出し、右手で受け取った要は「ありがとう」と枯れがちの墨筆のような声で言い、一気に飲み干して正に水を得て「行って来る」とスッキリとする声で言い、サーバー横のゴミ箱に、右手で握り潰した紙コップを投げ入れた。ストライク。幸先がいい。そう思った次の瞬間、ハタとそんなことでも縁起を担ぎたくなるほどに、体が弱っているという事かと自答していた。一足飛びに飛躍した要の思考が壁にぶち当たる。要は気づかぬうちに、トーキーの顔を見ていた。
その表情を見たトーキーは大きく頷き「いつも通りにイケます」と力強く言い、うなずいてもう一度「行って来る」と言った要は、トーキーから与えた安息感に支えられて歩き出した。
その後ろ姿を見送ったトーキーは[送る。トーキーからオルガ。こっちに上がって来てくれないか]と入れ、[了]と答えたオルガの声に、[イエーガー、チャンスです。そちらに行く許可をください!お守りはもう沢山です!!]チャンスがうなるように割り込んだ。即座に[送る。イエーガーからチャンス、許可できない。出動があれば連れてゆく。今は備えて治療に専念しろ]熱っぽくも低い声で、要はチャンスに語りかけた。トーキーが割って入る。[送る。トーキーからチャンス、アルファーの為だと思え]自分でも驚くほどの冷徹な声だった。僕は怒りを抱ている。そう思い至ったトーキーが己の心に気づいた瞬間、[送る。ターキーからトーキー、兄さん着実に一歩ずつ、好転して進んでる。心配ない]とターキーから入り、大きく息を吸い、苛立ちを交えた息を吐き捨てたトーキーは、気持ちを入れ替えて[了解]と返した。
★
音もなくドアを開けた要が入室すると、振り返ったAは要の目に視線を合わせて“ソウヤとの会話に何度も登場した男はコイツか“と直感する。
要はその眼差しに「僕のことを宗弥から聞いていたか?」とカマをかけた。Aの瞳が僅かに揺れた。“イケる“そう確信した要は、Aの視線を捉えて畳み掛ける。鏡に背を向けて机に両手をつき、Aを見下ろして「宗弥から僕は、お前の話を聞いていない。宗弥は僕の兄弟だ。なぜ、宗弥はお前の話を僕にしなかったと思う。わかるか、それはお前が、宗弥の恥だからだ。あいつはああ見えて繊細で、献身を絵に描いたような男だ。誰に対しても平等を重んじる男だ。お前にもそうだったはずだ。その宗弥が、お前の存在を僕に隠した。なぜなら!お前と自分との関係を、表に出したくなかったからだ!!お前は宗弥の大切な人をネタにして宗弥を脅したのか⁉️厄介事を持ち込んだのか⁉️宗弥に恫喝的な交渉をしたのか⁉️宗弥に何をした!!答えろ!!」、一点を見つめていたAが歯の隙間から「母さんの話をしただけだ」と低く、重い言葉を吐く。
要が「母さん⁈」聞き返す。
「お前、日本語上手いな。訛りもない。どこで習った?ユーラシア大陸系だろう」サラマンダーが人のいいおじさん顔で聞く。
隙のない利口さが溢れ出る目でサラマンダーを見たAに、サラマンダーは「お前、宗弥に似てるな」その目を見つめて言った。Aの目尻にシワが寄る。口角を上げて笑ったのだ。決まりだ。その表情を見たトーキーは[至急!!コロンブス、SVRへの警告、待ってください!Aはフレミングの兄弟です。迅速な調査を願います。Aが母親の話をフレミングとしたと証言しました]と入れ、[わかった。早急に調査させる]コロンブスはのっぺりとした声で承諾し、左隣に立つ生田の顔を見た。生田が動く。身辺調査に穴があった。あってはならないミスだった。コロンブスの目に鋭さが宿る。
「お前と宗弥は兄弟なのか・・・」そう呟いた要に、Aは顔を向け「お前の名はカナメ。ソウヤの親友。ソウヤはお前を裏切ったと悔いていたよ」切実な声だった。
「そんな話、クソどうでもいい」と遮ったサラマンダーが一気に話す。「いいか、宗弥はフレドという奴を殺した。お前の部下か、上司だった奴だ。お前はSVRの工作員なんだろう。お前は宗弥に母親の話をして、SVRに寝返らせた。お前は宗弥を、うち、スパルタン、SVRの3重スパイに仕立て上げた。おかしくもなるよな。宗弥はイカれたんだよ。自分の立ち位置が不安定になれば人間、誰だってイカれる。宗弥はお前の仲間を殺した。この世界、情報が巷を走るのは表の世界よりも早い。宗弥はお前の組織に追われて、間違いなく殺される。その組織の一員だったお前は、どういう手段を取るか、嫌というほど見て来たよな。さて、どうする?全てを話すか?俺たちに。それとも宗弥を見捨てるか?お前が選べ」悪魔のサラマンダーが甘く囁く。
「えっ・・」と言ったきり、言葉を忘れたAに、要は「宗弥をSVRから守るには、お前の後ろ盾が必要だ。だが、お前は負傷した。僕たちが手伝ってもいいと言っているんだ。全てを今ここで話す。それが条件だ」親密さを感じさせる声で説得する。
要とサラマンダーの吐いた言葉を吟味するかのように左肘を机につき、手のひらで額を支えて考察した13分後、Aは陥落した。
Aは紅に沈む夕日を思わせる侘しさを漂わせ「俺の名前はガイダール・トロンスキー。予備役だった俺は2年前、SVRに呼び出された。父の安全と引き換えに、特戦群所属のソウヤをSVRに引き入れるよう命じられた。ソウヤの事は父から聞かされていた。父は日本文学を研究していたから、日本語が流暢に話せたし、この国の伝統文化、礼儀に精通していた。祖国は父を日本に留学させた。だが、それは建前で、本当の目的はバブル期に乗じて、高騰していたこの国の不動産売買をさせるためだった。儲けた金を、祖国に送金させるのが目的だ。日本で暮らすのが夢だった父は、祖国からの申し出を快諾した。ロシア主催の文化交流会で、父はソウヤの母親と知り合い、本気の恋に落ちた。その頃、ソウヤの親父は中東に単身赴任していたらしい。母は俺を産んで、父は俺を引き取って帰国した。大人になって考えたんだ。俺を産まない選択肢もあっただろうし、2人でロシアに駆け落ちする方法だってあったはずだと。なのに、どうしてかな、2人は別れを選んだ。父が日本で築いたコネクション、資金、組織形態は引き継がれ、今はマキシムが日本支部の責任者だ」と話した。要は話し始めたトロンスキーの側を静かに離れ、壁際に立つファイターの左隣へ移動し、腕を組んで右頬を右手の人差し指で打ち、トーキーに暗号電文を打つ。内容は“トーキー、マキシムのモンタージュを作る。こっちに来てくれ“
思いに浸るトロンスキーに、サラマンダーは「それで」と問いかけて先を促す。
「マキシムは海外派遣地で知り合ったスパルタンを使って、液体デイバイスの開発者を拉致したが、お前たちに奪還された」、「待て、誘拐を依頼したのはユートピア国だ」サラマンダーがトロンスキーの矛盾に横槍を入れる。「マキシムは祖国とユートピア国を両天秤にかけてたのさ。高値をつけたユートピア国を選んだだけだ。だから自分で実行せず、スパルタンを使った」トロンスキーは当たり前だろうとでも、言うような口調で説明する。
ファイターは要の横顔を視線だけで見た。白目に青き筋が昇りつつあった。それでも無表情を貫くイエーガーは、フレミングの処遇を最優先においている。そう察したファイターは視線を前に戻す。
トロンスキーは自虐の笑みを浮かべ「この国は豊かなんだよ。お前たちは純粋な気持ちで任務に向かえるだろうが、俺たちは違う。官品の横流しで一儲けするの延長線上に、任務がある」と付け足した。
ノック音が響き、トーキーが入って来ると、サラマンダーは「トーキー、モンタージュが出来たら一報くれ」と言いながら席を立ち、要を見るや「ここはお前に任せる」と言って歩き出し、無言の要はサラマンダーと共にドア外に出た。
ドアを閉めた要に向き合ったサラマンダーは「言いたいことは、丁が誰から、red eyesを受け取ったかって事か?」と聞く。「マキシムから、red eyesを受け取ったんです」要は絹のような滑らかさで返す。
「そうだ。だが、スパルタン逮捕で、我々から踏んだくるはずだった金が消えた。だから丁は世田谷を襲撃した。しかしながら、マキシムとやらの方が一枚上手だったな。フレミング、トロンスキー、フレドの3人を世田谷に移動させ、丁にガセネタを掴ませて襲わせた。マキシムはフレミングを使って丁を始末した。フレミングはこの国の影、特戦群所属だ。5体もの死体と合わせりゃ、こっちが腰砕になるとでも思ったんだろうよ」と言ったサラマンダーの口調もビロードのように柔らかい。
要は単刀直入に本題に入る。「マキシムとトロンスキーを、据えかえる工作は出来ないでしょうか?トロンスキーを日本支部の責任者にすれば、宗弥の件も、この事案の後処理も、後々の情報交換も寛容です」鞘から刀を抜く時のような気迫が乗る口調だった。
要の瞳を見たサラマンダーは「元気だね、お前」と楽しげに笑い、瞬時に目を細めた要に、サラマンダーは「いいかもな、それでいこう。まずはマキシムの特定とフレミングの行方だ。コロンブスと打ち合わせして来る」と言うや、青年の如き爽快さで廊下を走り出した。
その姿を見て要は思う。とっくに、サラマンダーはそのつもりだったか・・・・と。また、踊らされた。やはり天分サラマンダーは食えない人だ、と。




