序列二位と獣人の兄妹
オルディア魔術学院。 それは王国でも屈指の歴史を持つ建造物。
王国を、ひいてはこの世界をも救った大英雄――桜ノ宮雪花の協力の下に設立された、異世界の文化をいち早く取り入れたことでも有名な、魔術師の育成を主とした教育機関だ。
今日、アルファリア王国がリハヴァイス大陸内でも魔術の技量が一際高い大国として名を轟かせる基盤を作った学院であり、常に時代の最先端の魔術が学べる最高峰の学び舎として近隣諸国にも名高い。
現在、王国で有名な魔術師のほとんどがこの学院の卒業生であるという確固たる事実――アルカやアリシアさんなど――が存在し、それゆえにこの学院は魔術を極めんと志す者たち全ての憧れとなっている。
そんな誰もが憧れるだろう魔術学院。
その玄関口たる正門は、北区から中央区へと向かう途中の坂を東へ進んだ先にある。
正門までは長い橋が伸びており、下には涼し気な音を奏でる川が存在する。
正門をくぐり抜けると、そこに見えるのは魔術学院校舎の壮麗な威容。
設立当時から今に至るまで変わることのない、白を基調とした壁は今でも美しく、どこか神聖な雰囲気さえ感じる。
屋根は少し暗めの青い色をしており、その対比でさらに白さが際立つほどだ。
見るだけで圧倒されそうな校舎、そのさらに奥には高くそびえ立つ白き塔。
壮麗な威容を誇る学院、その中でも一際異彩を放つその塔の頂上付近には四つの柱と三角錐状の尖った屋根が一つ。
柱と柱の間から見える屋根の下には大きな鐘があった。
おそらく、あれが先程鳴っていた鐘なのだろう。
色は遠すぎるためはっきりとわからないが、青銅色をしているように見える。
「ライクくん? 私も最初はそうだったから気持ちはわからないでもないですけど、今は見惚れてる場合じゃないですよ? いくら問題ないとはいえ、早く講堂に向かわないと」
校舎の方を見上げる俺を急かすように、フェリス先輩は言う。
事実、今はこんな風にしている場合ではなかった。
彼女は俺の制服の袖を、少しだけつまむようにして引っ張ってくる。
「あ、すみません。 初めて見たもので、つい。 どっちですか?」
「もう、こっちですよ? さあ、行きましょうっ」
彼女はなおも俺の袖をつまむように持ち、引きずるように引っ張っていく。
「ちょっ、先輩!? 伸びます、伸びちゃいますから! 一度離してくださいっ! ちゃんとついて行きますから!」
俺は慌てた素振りで彼女へと抗議する。
そんな彼女は、まるで俺の袖をつまんでいたのが無意識だったかのように驚いた表情を見せた。
「え? あっ、ごめんなさい。 つい引っ張ってしまったようですね。 完全に無意識でした。 ごめんなさいね」
「い、いえ。 元はと言えば、俺が見惚れてたのが原因ですから……むしろ、俺の方こそすみません」
そう言って軽く頭を下げる。
と、その時。
「フェリスーッ! フェリス会長ーッ! どこにいるーッ!」
靴と地面とが強く擦れた音と共に若い男性の微かに怒気を感じる声が聞こえてきた。
どうやら時間になっても現れないフェリス先輩を探しに来た人が、こちらの方へと駆けてきているようだ。 校舎の壁に設置された時計を見るに、鐘の音が聞こえてから三分程過ぎている。 恐らくこの足音の主は酷く時間を大事にするタイプの人らしい。
「ここですよーっ! 遅れてすみませーんっ!」
フェリス先輩は建物の陰から現れた件の声の主に対し、同じく叫ぶような大きな声で返事を返す。
若い男性の声の主は先輩の声に反応し、自分の見ていた方とは逆の方向にいた俺たちに向かって走り出した。
「貴様は何をしているッ! 開会前の打ち合わせの時間だろうが! 全く、お前は生徒会長としての自覚をだな……ん? 誰だ、その隣にいる男は」
怒気を撒き散らすように話す彼は、さも今気づいたという風にこちらを向く。
(あ、俺気付かれてなかったのね……)
そんな他愛無いことを考えつつも、すでに怒りの感情を露わにしている彼をこれ以上怒らせないためにすぐさま自己紹介をする。
「は、初めまして。 新入生の桜ノ宮雷紅です。 すみません、俺のせいで遅れてしまったんです」
「なにぃ!? 貴様のせいだとッ! 入学初日から遅刻とは何事だ!」
怒気を纏う彼の顔はとても整っており、女性が十人いれば九人ほどは見惚れてしまうのでは、と思ってしまうような綺麗な顔立ちをしている。
短く整えられた髪は金色に輝き、背丈は俺よりも少し高いくらい。
Tシャツを押し上げるようにして浮かび上がる筋肉を見るに、かなり鍛えているのが分かった。
彼は細身の体にもかかわらず、肉体はがっしりとした筋肉の鎧を纏っているようだ。
姿勢の良い立ち方に、口調から垣間見える真面目そうな性格。
どこか騎士のような雰囲気すら感じる。
そんな彼は俺が遅刻したせいで、その対応をしていたフェリス先輩が遅れたのだと思ったらしい。
俺の一言により、怒りの矛先はこちらへと向かってしまった。
「す、すみません……」
彼のあまりに強い口調に、少しおびえるようにして謝ってしまう。
「声が小さいわッ、たわけッ!」
彼は怒りに肩を震わせ、なおも怒鳴るようにして俺を責め立てる。
「もう、ジョシュアくん落ち着いてください、ね? それとライクくんも、なんで自分のせいだなんて言うですか。 私が話してたのが原因なんですから、責任は私にあるんです。 さっきもそう言いましたよね?」
静かに、そして重く響くようにして聞こえる声は、俺の鼓膜を揺さぶる。
彼女は鮮やかな赤く長い髪をたなびかせ、肩を少し震わせていた。
体からは魔力が漏れ出ており、淡い光を纏っているが見える。
(やばい、なんか怒らせたかもしれない……)
俺はジョシュアと呼ばれた男性に怒鳴られた時よりも強い怒気を感じ取り、何を言えばいいかわからなくなる。
「ラ・イ・ク・くん? 聞こえませんでしたか?」
「い、いえッ! 聞こえてます、はいッ!」
彼女から発せられる怒気に若干言葉を詰まらせながらも返事をする。
俺の態度がおかしいと思ったのか、彼女は少し気の抜けたような表情を見せた。
かと思えば、すぐに怒気を含む色へと塗り替えて言葉を紡ぐ。
「ん? ……まあ、聞こえていたならいいですが、責任は私にあります。 いいですね? わかりましたか?」
「はい、自分が間違ってました! すみません!」
すかさず彼女に向かって頭を下げる。
俺の返事を聞いた彼女は満足そうに微笑みをこちらへと向けた。
「ジョシュアくんもです。 彼が遅れたのは私に責任があります。 いいですね?」
俺がうなづいたのを見届けると、彼女はジョシュアと呼ばれた男性に向き直り、威圧するような声音で問いかける。
「あ、ああ……すまない」
彼は少し戸惑いの色を見せてはいたものの、しっかりと謝罪の言葉を口にした。
ただ、フェリス先輩はそれだけでは満足していないようで、静けさの中に荒々しさを湛えた声でなおも言葉を放つ。
「……私に、だけですか?」
「――ッ!? いや、彼に対してもだ! え、えっと。 桜ノ宮くん……だったな? 先程は勘違いで怒鳴ってしまってすまない。 ……許してもらえるだろうか」
彼は整った顔立ちが崩れてしまったと感じさせるほどに強烈な驚きの表情を浮かべ、慌ててこちらへと向き直り謝罪の言葉を紡いだ。
最後の言葉を言うときに見せた表情は、誰の目から見ても申し訳ないと思っていることが理解できるほど。
(この人、根はかなり良い人じゃないか? 仕事に真面目に取り組んでいただけなんだろうな……)
むしろこちらが申し訳なく思ってしまうほどに、彼の気持ちはよく伝わってきた。
「はい、許しますよ。 というか、結果的に遅くなったのは事実ですし、この話はもうおしまいでいいですよね? フェリス先輩」
「ええ、そうですね。 これ以上話しても時間を取ってしまうだけでしょうし、そうしましょう。 ジョシュアくんもいいですね?」
「ああ、構わない。 ただ、自己紹介だけでもさせてくれ」
そう言って彼は俺へと向き直り、姿勢を正した。
「桜ノ宮くん、改めて名乗らせもらう。 俺は三年のジョシュア・フォン・アギニス。 フェリスの補佐として副会長を務めている。 貴族……騎士の家系の出ではあるが、気にせず接してくれ。 以後よろしく頼む」
彼――アギニス先輩は言葉と共に、こちらへと右手を差し出してくる。
(……アギニス? まさかこの人、あの近衛騎士団団長の息子か?)
チラリと脳裏をよぎった記憶の断片。
聞いてみたかった気持ちもあるが、今はその時ではない。
俺はそんな気持ちを胸にしまい込み、別の言葉を口にする。
「ではこちらも改めて。 桜ノ宮雷紅です。 こちらこそ今後よろしくお願いします。 アギニス先輩」
俺はアギニス先輩の右手を握り、再度自己紹介をした。
しかしなぜか彼は眉をひそめて悩まし気な表情をしている。
何か失礼なことを言ってしまったのだろうか。
「……すまない、出来ればジョシュアの方で呼んでくれないか? あまり家名は好ましく思っていなくてね」
彼は少し申し訳なさそうな声音でこちらに提案してくる。
どういう理由からかはわからないが、何かしら家名に思うところがあるらしい。
「あ、そうなんですね。 わかりました。 ではジョシュア先輩と」
俺は彼の提案を受け入れ、再度彼の名前を言う。
そうすると彼は悩まし気な表情から一変し、明るい色を取り戻した。
「ああ、そうしてくれ。 では時間も押しているし、そろそろ向かおうか。 会長、それで構わないな?」
「なんだか仲間はずれな感じが多少しなくもないですが……今はそれで構いません。 急ぎましょう」
フェリス先輩は若干放置ぎみだったことに少し愚痴を零したが、今はそれどころではないと思いなおしたようで先を急ぐように歩き出す。
俺は二人の先輩に引き連れられ、すぐそこまで迫っていた講堂へと急いだ。
◇ ◇ ◇ ◇
受付で持ってきていた荷物を預け、フェリス先輩に事情を伝えてもらい講堂へと入った俺は、辺りを見渡した。
講堂の中には、すでに多くの新入生が用意されている椅子へと腰かけていた。
俺は空いている席を探して頭を左右へ振り、壁際にあった誰も座っていない席を発見する。
すぐさまそこへとあまりうるさくならないように――新入生のこそこそと話す声は大きかったが――小走りで向かい、その席の隣に座っていた男性へと声をかけた。
「あの、すみません。 隣、座っても大丈夫ですか?」
「んぁ? ……ああ、空いてるから大丈夫だ」
彼はつい今しがた起きたというように、少し寝ぼけたような表情で目をこすってこちらを見上げた。
どうやら入学式が始まる前だというのに、ひと眠りしていたらしい。
視界に映った彼の口元は少し濡れていた。
俺はすぐさま彼に対して自分の口を指して彼へと伝える。
「あ? あぁ、悪い。 みっともないところ見せたな」
彼は制服の袖でその跡をぬぐうと、苦笑いを浮かべ済まなそうに言ってきた。
「いや、かまわないですよ」
俺は軽く彼へと笑いかけながら席へと腰を下ろす。
するとなぜか彼は眉間に皺を寄せてこちらを見てくる。
「んー、別にそんな固いしゃべりじゃなくていいぞ? 俺は気にしねぇし」
どうやら俺の話し方が気になっていたみたいだ。
彼の言葉に甘え、普段通りの言葉で返す。
「あ、そうか? なら普段通りで話させてもらう」
「ふっ。 そっちの方が何倍もいいね。 人間自然体が一番だぜ? はははっ!」
彼は少し大きめの笑い声を上げる。
周囲は少し驚いたように、突然の笑い声に彼の方を見た。
しかしすぐに興味は失せたのか、自分たちの会話を再開し始める。
(……なんだか色々とすごいやつだな)
どうも彼は色々と豪快な性格をしているらしい。
服装を改めて見てみると、面倒くさがったのか、徹底的にだらしなく着崩していた。
彼自身の雰囲気と相まって、どこか野性味を感じる見た目をしている。
髪は短く明るめの茶色。 顔はどことなく大人びており、瞳は青く、少し影が落ちたように暗い。
耳は一般的な人の物とは違い、髪と同じ色の毛に包まれた犬耳。
尻尾は少し逆立ったように尖っている。
そう、そこにいたのは犬の獣人族の少年だった。
「兄さん、黙ってください。 もうすぐ入学式が始まるんですよ? おとなしくしないと怒りますからね」
彼の言葉に反応し、彼を挟んで隣に座っていた女性が口を挟む。
兄さん、という発言からして兄妹らしい。
彼女は怒ると言っているが、その表情には何の色も見えない。
(無表情な女の子だな。 ……感情が表に出にくいタイプなのか?)
そんな無表情な彼女の顔は彼とは違い、上品な顔立ち。
美しさを湛えた長い髪は、彼とは異なる薄い紫色。
耳は少し垂れており、耳の先は髪の色とは違って少し白っぽい。
垂れた目の彼女の瞳は、彼と同じく暗めの青。 その眼差しから優し気な印象を受け、野性味を感じる彼とは本当に兄妹なのかと疑ってしまうほど。
少し小柄な彼女の制服の胸元は控えめに押し上げられている。
女子用の制服、その太ももの途中までを覆うプリーツミニスカートから伸びる足は、白く透き通るような肌が眩しい。
同じくスカートの下から顔を出す尻尾は、彼とは対照的な落ち着いてふんわりとした毛並みをしていた。
「悪い悪い。 そんな睨むな、な?」
どうやら彼には彼女が睨んでいるように見えているらしい。
さすが兄妹といったところだろうか。
「もう、しょうがない人ですね。 ……ところでそちらの方は?」
彼女は体を少し傾け、こちらを見つめながら聞いてくる。
「ん? そういや誰だっけか。 名前なんていうんだ?」
疑問に頭をひねるようにして、彼は俺へと問いかけてきた。
「あはは。 自己紹介がまだだったな。 俺は桜ノ宮雷紅。 まだクラスはわからないが、今後も仲良くしてくれるとありがたいな」
少し笑いかけ、今後も仲良くできればいいなと思いながら右手を差し出した。
それに彼は応え、同じように右手を差し出してくる。
「おう、よろしくな。 俺はヴェイグ。 ヴェイグ・リジェスタだ」
「ああ。よろしくな。 ヴェイグでいいか? 俺もライクでいいからさ」
「あいよ、いいぜ。 っと、こっちにいるのが妹のエレノアだ」
そう言って彼は妹――エレノアと呼ばれた少女の方を指さした。
「ご紹介に預かりました。 兄さんの妹で、エレノア・リジェスタと言います。 不甲斐ない兄共々よろしくお願いしますね、桜ノ宮さん」
彼女は座ってではあるが、とても美しい所作で軽くお辞儀をこちらへとしてくる。
どこからどう見ても、兄のヴェイグとは似ても似つかない貴族のご令嬢のように綺麗なお辞儀だった。
「ああ、よろしくね。 というか、ライクでいいよ?」
俺のことを苗字で呼んでくる彼女に対し、遠慮しないようにと下の名前で呼ぶように提案する。
「……そうですか? ではお言葉に甘えまして。 改めてよろしくお願いします、ライクさん。 私のこともエレノアとお呼びください」
彼女は折り目正しい態度と言葉で返してくる。
そんな彼女の言葉に甘え、俺も彼女の前を呼ぶ。
「うん。 えっとじゃあ、エレノアさんでいいかな」
「さん、は不要ですよ。 同じ新入生なんですから気にしないでください」
男同士というわけでもないし敬称は付けておいた方がいいかと思ったが、どうやら別に気にしなくてよかったらしい。
俺は改めて彼女の名前を呼んだ。
「あはは、じゃあエレノアって呼ばせてもらうな?」
「ええ、そうしてください」
彼女が言葉を言い終えると同時に、講堂内に設置されているのだろう音響関連の魔道具から声が聞こえきた。
その声によって、ようやく俺たち第400期生の入学式が始まる。




