第三話「初エンカウント」
ジェットコースターに何回も乗ったような吐き気に襲われ、風間は「うえっ……」と情けない声を出した。めまいも酷く、うつ伏せ状態のまま起き上がることもできない。
まるで胃の中を引っかき回されたような感じだ。ハードワークや上司との関係で悩んだことはある。が、どんなにストレスを感じても、これほどまで酷い吐き気に襲われたことはなかった。ただの胃痛なら治るのだろうが、ここまで酷いと胃薬だけで治るのだろうか。
そう思いながら、風間は目を開けようとする。途端に、物凄い突風に煽られた。目を開けることができず、風間は飛ばされないように両手でしっかりと体を支える。
そこでようやく風間の記憶が戻りはじめた。自分は室内にいたはずだ。そんな自分が突風を受けるわけがない。それに手元の感触も自室のカーペットとは違うものだ。
ゲームクリア直前に光に包まれた覚えはある。あの光に包まれた途端、自分は意識を失ったのだ。では、意識を失って自分は今どこにいる?
吐き気がすこしずつ収まってくる。風もすこし弱くなってきたようだ。自分の身の安全を確認した風間は、状況を確認しようと恐る恐る目を開いた。
「うおおおおっ……」
そして、驚きの声だけが出た。風間の目の前には、壮大な風景が広がっていたのだ。
まずは雲ひとつない真っ青な空が視界に飛びこんできた。遠方には雪で覆われた高い山があり、頂上は雲に隠れている。その山から視線を下に落していくと、赤レンガの家が所狭しと建っているのが見えた。カラフルな屋根がいくつも見えるのは、簡易店舗が並ぶ商店街だろうか。そんな家々や店舗の間から、ツクシのように高い塔が出ているのが見えた。あれは教会なのだろう。
そして、風間の目の前にはゲームで見たのと同じ、西洋の城の象徴ともいえる大きな塔ベルクフリートがあった。その塔からは城の特徴でもある、頂点が凹凸の城壁が別棟まで続いている。城の壁に隠れてよくは見えないが、奥には礼拝堂もあるようだ。その隣にあるのは兵士たちが住む建物だろうか。現代ではあまりお目にかかれないような景色を見て、風間はそうぼんやりと考えた。
しかし、再び突風に煽られると、ようやく冷静さを取り戻してくる。
「ははははっ……なんだよ、これは夢か? 冗談だろう。誰か俺を起こしてくれ」
ここはどこなのか。自分は何故ここにいるのか。あまりにも複雑で、理解も追いつかず、変な笑い声しか出ない。取り敢えず、自分がいる場所を確認する。そこで、風間は自分がもっと最悪な状態にいることに気づいた。
風間がいたところは、巨大な木の上だったのだ。枝葉がしっかりしているので危険な場所にいると気づかなかったのである。今いる場所は安定しており、落ちずにすんでいたのである。
ベルクフリートが近くに見えることから、ここは地上から推定二十五メートルくらいの高さだろうか。とてもではないが、自力で木から降りられる気がしない。というより、下を見るのが怖くてやめた。ということは、ベルクフリートに飛び移り、徐々に下を目指していくしかない。
「無理無理無理っ! 俺は運動系じゃなくて文系なんだよ。お願いだから、もうすこしましな選択肢を与えてくれ!」
助けを呼ぼうにも、人の姿が見えない。というより、助けを求めて言葉が通じるのであろうか。それに、こんなところにどうやって登ったのかと不審がられるに違いない。
そこで風間は助けを求めることをあきらめた。どんなに説明しても「そこまで登れたのだから降りてくることができるだろう」と言われるのがオチと思ったからだ。
「取り敢えず、ベルクフリートに飛び移ろう。華麗に飛べる自分を想像しよう。けど、飛び移ってからどうする? 次に飛び移れそうな場所はどこにもないぞ」
それに一度飛び移れば、ここに戻ってくることはできないと風間は思った。どうにかできないかと周りを見回す。すると、木の幹に太いツルが絡まっているのが見えた。
風間は見つけたツルを引き抜くと、自分の体重を支えられる強度なのか引っ張って確かめる。何本か束ねれば問題はなさそうだった。
まずはベルクフリートの上に飛び移る。そして、束ねたツルを頂点に掛け、綱の代わりにして下に降りる。出来たら人に見つからないほうがいい。何故なら、ここは城だからだ。城内に許可なしに入っていたら、侵入者と見られて投獄されるに違いない。
「よし、イメージはできた。いくぞ」
飛び移る時にツルを落さないように、しっかりと体に掛けて固定する。飛び移る距離は余裕がありそうだが、足場がどうなっているのかわからない。風間は木から一本太い枝を折って拝借した。
木の上なので助走距離は限られている。突風が吹かないことを願って、意を決して一気に飛んだ。そこからは、世界がスローモーションのように動いた。
風間は飛んで改めて自分がいた場所の高さを知った。もし、この高さを確認していたら、恐怖で飛べなかったのではないだろうか。人も家もまるで玩具のように小さく見える。ただ、それを長く見る余裕はない。神に祈りつつ、無事に着地することに集中した。
ほぼ、飛び降りるに等しい跳躍だったので、着地した瞬間、脚全体に衝撃が走る。痛みで顔をしかめた途端、風間はベルクフリートの傾斜で滑って体勢を崩した。
この高さから落下したら確実に死ぬだろう。極限の精神状態から風間の冷静な判断が導き出される。
「こんなところで死ねるかよ!」
先程、拝借した太い枝をストック代わりにして、わずかな隙間に突き刺したのだ。倒れる寸前に行うことができた奇跡の技だった。
「はあ……やればできるもんだな。自分で自分を褒めたい」
体勢を立て直した風間は安堵の息を吐く。一生分の運を使ったのではないかと風間は思った。しかし、いつまた突風が吹くかわからない。風間は素早く束ねたツルを頂点に引っ掛けると、下に人がいないか確認した。
次に目指すのは居館と思われる屋根の上だ。綱の長さは十分たりそうなので安心した。
先程のベルクフリートへの移動よりも、綱で下に降りるほうが難易度は低いと感じた。
慎重に。綱をつかむ手の力を緩めないことだけに集中して降りていく。この難関をクリアしたら、更に自信がついているはずだ。風間は居館の屋根に辿り着く前に、次の行動を脳内で構築していた。
「ギュニィッ」
その時だ。突然、頭上から聞いたこともないような鳴き声が聞こえた。
猫のような鳥のような甲高い鳴き声に、風間は見ないほうがいいと思いつつも確認してしまう。すると視界に、ゆっくりと降りてくる生き物が入ってきた。
「ニギュアッ!」
顔はキツネ。背中には鳥のような翼。愛らしい瞳なのだが、口からは微かに炎が漏れている。風間は、それが何なのかすぐにわかった。
「フォックスバード!」
ここにくる前にプレイしていたゲームに登場するモンスターと姿が酷似している。フォックスバードが登場するフィールドは序盤の森の中だったはずだ。
そして、フォックスバードの得意とする攻撃は「火焔」。威力は小さいが、その攻撃はひとマスを越えてくる。
「ちょっ、待て! 俺はお前の敵じゃないから、エンカウントは――」
風間がそう言っても聞いてはもらえなかった。フォックスバードは口から炎を吐いて、風間を容赦なく攻撃してくる。慌ててフォックスバードの攻撃範囲から逃れようと、風間は綱をつかんでいた手の力を緩め、降りるスピードを一気にあげた。
本来なら、これで助かっていたのだろう。しかし、フォックスバードが吐き出した炎は、風間の唯一の移動手段である綱に直撃していた。
「ちょっ……その展開は予想してなかっ!」
炎で焼かれた綱が、風間の目の前で一本二本と断裂してゆく。そして、最後の一本も、風間の祈り虚しく焼き切れてしまっていた。
「おっわっ……うわああああっ!」
激しい落下感に襲われ、風間は大声を上げる。居館の屋根までの距離は六メートルといったところだろうか。
死の直前、人は走馬灯のように過去を思い出すというが、風間は近づいてくる居館の屋根を見ながら、どうやったら助かるのかだけを考えていた。
「けど、これは無理っ!」
とにかく目は守らなければいけない。顔を両手でガードしながら、風間は居館の屋根に直撃した。激しい痛みを感じるとともに、居館の屋根が壊れる音が響く。
そこでようやく風間は迫りくる死を実感した。死んでしまうのか。風間はそう覚悟したが、直後に同じような落下感を味わっていた。居館の屋根を突き破り、更に階下へと落下したのだ。
絶望からの絶望。居館の屋根に落ちるだけなら、まだ助かる見込みはあった。しかし、その屋根を突き破り下に落ちている。この高さから落ちたら誰だって命はない。
地面に叩きつけられた自分は城内の者に見つかり、侵入者の死体として捨てられるのだろう。風間はこの時点でようやく走馬灯というものを――。
「はぶっしっ!」
見ようとした瞬間に、柔らかいものに弾き飛ばされた。先程の落下感が嘘のように今度は体が弧を描き、仰向け状態で落下する。
しかし、その落下も一時で、大きな水音とともに水の中に沈む。いや、これは水ではなく湯だ。上下がわからずに慌てて湯を掻いた風間だったが、それほどの深さではないことに気づき、体を起こした。
そして、全身ずぶ濡れ状態となった風間の目の前には――。
驚いた様子で見る全裸の金髪少女の姿があったのだった。




