五 母と娘と。
説明会の後、智美の部屋で母娘水入らずの時間が取られていた。
二人きりになると、智美はぽつりぽつりとこれまでの事を語った。輝美は娘の語る、自分が知らない経験を信じられない思いで聞いていた。
光が丘地震に巻き込まれ、大量の死体が転がる暗闇の中をさまよったこと。機動兵器に乗り込み、少なくない数の敵を撃破したこと。戦闘のプロフェッショナルである軍人の危機を救ったこと……。
架空の世界の話としか思えなかった。しかし、我が娘が淡々と冷静に語る恐ろしい事実の重みは、輝美を押しつぶすように襲い掛かってきていた。智美を守ってやりたかった。しかし、自分の力の及ぶところではない。
智美は、もう親である自分の手の届かないところで、自分の考えで生き抜いて来たのだ。輝美は突然そう察知した。たった十日あまりで、娘はすっかり見違えてしまった。
輝美の目から一筋、涙がこぼれた。
今まで智美にだけは絶対に見せまいと誓っていた涙。しかし、一度流れてしまった涙はもうとどめようがなかった。
輝美は、声をあげて泣いた。
母親が泣いていた。
颯爽として、凛としていて、いつも人生を謳歌している母親が、目の前で泣いていた。
智美の記憶の中に、母親が泣いている姿などなかった。
もしかしたら、自分の見ていないところで泣いていたのかもしれないな、と智美はぼんやりと考えた。
智美の心に驚きはあったが、ショックという程ではないのが不思議だった。
母に対しての感情、信頼が変わったわけではない。母はやっぱり母だ。変わってしまったのが智美の方である事は、智美本人にもよくわかっていた。母の庇護から完全に切り離された日々は智美の視野を圧倒的に広げたのである。
前のように何も考えず、母のもとで安心して過ごす生活に戻る事は出来ない。その気持ちが母に伝わっているという確信が、智美にはあった。その決心の固さが伝わっているからこそ、母はそれを許せない自分の気持ちとの間に押しつぶされ、何も言葉を発することが出来ないのだ。
母の出す結論がどうであっても、智美は自分の決意を変えるつもりはなかった。
母はひとしきり泣いた後、ハンカチで涙を拭い、智美に笑顔を作って見せた。
「智美ちゃん、色々大変だったのね。ママ何も知らなかった……」
「ごめんね、ママ。心配かけちゃって……」
こんな普通の言葉では言い表せない気持ちが、母娘の間に通じていた。
母はまだ自分の感情の整理がついていないのか、今後の事についてはまだ口には出さなかった。
「お化粧直さなくちゃね。すごい顔になっちゃってるわ、ママ」
輝美は気分を変えるように明るくそう言った。
「洗面所はこっちだよ」
智美に案内されて、輝美は洗面台で念入りにメイクを落とし始めた。
「で……。あれはどう言う事なの? 智美」
たっぷり時間をかけてメイクを落とし、タオルで顔を拭いながら、輝美は問いかけた。
「え……?」
智美は何のことかわからず、きょとんとして聞き返す。
「さっきの男の子。速水君」
「あ……あー……」
智美は眼を泳がせながら言いよどんだ。
先ほどの説明会が一通り終わった後、輝美に声をかけてきたのは勇夫だった。
「あの! 俺、いや、僕、速水勇夫といいます。このたびは、俺、僕のせいで智美さんを危険な目に合わせてしまい、申し訳ありませんでした!」
勢いよく深々と頭を下げる勇夫。
「あなたのせい? どういう事!?」
輝美の声は思わず高く鋭くなった。
「それは、あの、俺、僕が……」
「ママ! それは私が説明するから! 早くいこ!」
しどろもどろになっている勇夫から引き離し、智美は輝美を自室へ連れてきたのだった。
さて、どう説明しようか。
智美は忙しく頭を働かせていた。すべてをきちんと説明するとしたら、地震に巻き込まれた喫茶店へは勇夫に呼び出されて行った事を話す必要があった。そのあたりの勘が鋭い母の事だから、説明するまでもなく予想はしているだろう。だが、敢えて智美の口から説明させるのが、母のいつものやり方だった。
そもそも智美は恋愛がらみの事を母親に隠すタイプではない。むしろどんな事でも相談してきた方だ。しかし、今回に限っては、智美にとっても話しづらい原因が二つあった。
まず第一は、勇夫からの呼び出しが、今回の件に智美が巻き込まれる原因となっていることである。もちろん勇夫に悪意があったわけではないし、予想する事も不可能だったわけだが、親としては勇夫に対して悪い印象を持ってしまうだろう。
そしてもう一つは、それまで智美が、母に勇夫の話をしたことがなかったという点だ。気になる男の子の事は全て包み隠さず母親に話していた智美としては、今まで話題に上った事もなかった勇夫が深く関わっているという事が気恥ずかしかったというのもあった。
特に気になるわけでもなく、クラスメートの一人でしかなかった勇夫が、濃密な十日あまりを過ごすうちに大きな存在になっていった。最後には理解してくれるだろうが、今の状態で誤解なく説明できるか、智美には自信がなかった。
「智美ちゃん、最初から説明してちょうだいね。あの速水君って子が言ってた事、どういう事なの?」
重ねて追及してくる母。
智美は覚悟を決めて、全てを話しはじめた。




