二 紅茶とコーヒーと。
新暦518年5月27日8:17。
今野華夕が目覚めた時、部屋の中は薄暗かった。カーテンの隙間から差し込む朝日は強く、壁に反射したその光ですらまぶしく感じる。ベッドサイドのストゥールに、女性下士官が座っていた。
「おはようございます……」
年齢相応の仕草で目をこする。華夕は自分が涙を流しているのに気付いた。夢の内容は覚えていなかったが、怖い夢か悲しい夢でも見たのだろう。あるいはその両方かもしれない。
「今野さん、おはようございます」
女性下士官が笑顔で答える。整備中隊所属の技術曹長補だ。宮司が華夕のためにサポートにつけた士官候補生で、技術士官学校在学中の生徒である。名前は出海彩華、21歳。
「今、カーテン開けますね。朝食はどうされますか?」
出海はゆっくりとカーテンを開けた。レースカーテン越しの優しい光が室内に満ちる。
「ん……っ……」
華夕は、少しまぶしそうに目を細めた。
「起きぬけですし、紅茶でもお淹れしますね。今野さん、紅茶好きだって伺ってますので」
出海は鼻歌を歌いながら牛乳を沸かしてミルクティを淹れ始めた。出海自身が紅茶好きなのだろう。茶葉も取り寄せたディンブラである。ハチミツとシナモンスティックも用意していた。
上品な紅茶の香りに、華夕はベッドから降りて出海が淹れる紅茶を覗きに行った。
「私の淹れる紅茶、わりかし評判いいんですよ。すぐ持って行きますね」
華夕は出海の笑顔に笑顔で答えると、素直にテーブルについた。蜂蜜入りのシナモンミルクティー。出海のリサーチは完璧だった。華夕が最も好んでいるのは、まさにそれだったのである。
宮司恭範技術壱尉が執務室を訪れた時、大榊弘明航空壱尉は前日の戦闘記録を検討していた。
華夕が収集したデータや映像、戦闘後に各パイロットから提出された報告、そして戦果。
データの信憑性は疑いようがないが、大榊にはどうしても納得しがたいものがあった。彼の常識からは逸脱しすぎていた。敵を引力で引き寄せ、殴って破壊するなど、まるで漫画ではないか。
しかしそれが真実なのは間違いない。自分自身の目で見ているし、データにも矛盾なくはっきり現れている。だが感覚的に納得できない……。大榊の思考は出口のない螺旋に追い込まれてしまっていた。
「大榊ィ、入るぞ!」
宮司の無骨な声がした時には、彼は既にデスクのそばまで来ていた。大振りの缶コーヒーを一本大榊の前に置き、自分も音を立ててキャップを回した。
「分析の結果が色々出てきてる。他にもいくつか報告があるぞ。概ね良い知らせだ」
「いただきます」
大榊は自分の前に置かれた缶コーヒーを手に取った。ミルクは入っていないが甘いコーヒー。大榊はリラックスしている時はブラックのコーヒーしか飲まないが、何かを考えている時は甘いコーヒーが欲しくなる。考え事が大きく重くなればその分甘いコーヒーを好んだ。部下の間でも、大榊がどのコーヒーを買っているかで事の重大性がわかるとささやかれている。
宮司が買ってきた一番甘いコーヒーは、今の大榊にはありがたいものだった。
「合体後の三機についてはデータにまとめてある。
まず鳥型特殊航空機【トライアイン】。GコンとIコン装備。
Iコンってのは、つまり慣性制御システムで、とんでもない機動力を持ってる。瞬間的に飛行のベクトルを変化させることが出来るから、あり得ない軌跡を描いて飛ぶ事が出来るんだな。今んとこ武装はない。あの翼を含め、機体性能そのものが武器になってると言えるな。
で、人型特殊機動兵器【トライツヴァイ】。GコンとA/Rコン装備。
また、機体出力が群を抜いて高い。A/Rコンでターゲットを引き寄せたり遠ざけたりすることが出来る。その機能と機体出力を組み合わせたら、昨日のあの戦い方は正解だな。たいしたもんだ。
最後に獣型特殊車両【トライドライ】。GコンとPコン装備。
そして、センサー類や通信性能が桁違いだ。今回の戦闘データもほぼ全てこの機が収集している。華夕ちゃんに適している機体だな。Pコンによって気圧や水圧を制御でき、水中や地中での行動も可能な万能車両だ。昨日は戦闘に参加していないが、気圧を操作して竜巻のようなものを起こしていた」
宮司は、自分の端末の画面を大榊に見せながら説明した。
「まぁ、【Tシリーズ】についてはこのくらいしか解っていない。これ以外でデータとして出てるのは、具体的な数字くらいだ。あとは開発者に聞くしかねえな」
宮司は盛大に苦笑してみせる。
「でだ。【敵】のスペックについてもだいぶ解ってきた。やっぱりあの強さは通信性能に起因するようだな。センサーの類はこっちと大して変わらない。通信と言っても単なる電波通信で、有効半径は20mそこそこといったところだ」
宮司の説明に大榊は口を挟まず、予断を持たずに聞いていた。既に知っている内容であっても、新たな要素が含まれているかも知れなかったし、もう一度聞くことで新たな発見が生まれるかも知れないからだ。今は急ぐより、じっくりと検討するべき段階であった。
「ただし、この20mそこそこの通信機能が大きく明暗を分けたって事だな。
人間が乗ってる以上、航空機が20mそこそこの機間距離で運用できるわけがない。
だが連中はAIによって完全な統制が取れているからな。20m以内の距離を保って編隊行動を取るのは簡単だろう。飛行速度も遅いしな。
だから全機が通信によるネットワークを組んで有機的に動けるってわけだ」
鷹城明が言っていた事が数字によって裏打ちされたわけだ。彼我の戦闘力の差は明確になったが、現状の防警軍ではそれを補うことは難しかった。【Tシリーズ】に頼らざるを得ない状況である事に変わりはない。
「なるほど……」
大榊は缶コーヒーを一口飲んで考え込んだ。敵の攻勢は打ち破った。だがそれだけだ。大量生産の無人機が十数機おしゃかになっただけだ。【敵】にしてみれば、生産拠点にもなりうる筑波を制圧しているわけで、ほとんど痛手はないだろう。
筑波の奪還。【敵】地への攻勢。和平と言う事になれば攻勢はなくなるかも知れないが、軍としては備えておく必要があるだろう。どちらにしろ筑波の奪還は必須だ。
さすがに【Tシリーズ】のみで筑波の奪還を完遂することは不可能だろう。かと言って防警軍に何が出来るのか……。




