(3)
「遅いでござるな。皆人殿」
時刻は紅の光が世界を染める夕暮れ時。
竹ぼうきを片手に神崎家の門前を掃除する伊吹は、不安げに呟いた。
「もう、やられちまったんじゃないのか。あのへなちょこ」
「な、なんてことを言うでござるか。九王っ」
塀の上で縁起でもないことを言う九王に、伊吹が声を荒げる。
「まだ、この町に敵の気配はないでござるよ。大丈夫、皆人殿は無事でござる」
「じゃ、何であのスカタンは帰ってこねぇんだ。千草の言う時間はとっくに過ぎてんだろ」
「う、ぅぅ。そ、そうでござるが」
九王の言う通り、千草の言った時間を大幅に過ぎたにも関わらず、皆人は帰って来ない。
「み、皆人殿も健全な男でござる。軟弱ではござるが、女子と戯れることもあるかも、でござるよ」
「一晩同じ部屋で寝ていた伊吹にまったく手も出さないあいつだぜ。絶対にあり得ないな」
「そ、それは。拙者に魅力がないだけ……で……」
尻すぼみに小さくなる伊吹の返答に、九王が「はぁ」っと溜息を漏らす。
「あのなぁ、伊吹。世界中の美女をモデルに、統計を取って作られたフォルム・容姿のお前だぞ。魅力なんて、バリバリに決ってるだろ」
「バリバリ、でござるか」
「ああ、バリバリだ」
「人んちの前で、何騒いでんだ。お前ら」
逆光に顔を隠す皆人が、漸く神崎家の門に現れた。
「皆人殿」
「ちっ」
正反対の態度を見せる伊吹と九王。九王は舌打ち、伊吹は皆人へと駆け寄る。
「遅かったでござるな。何してたで……ござ……」
「ん?」
皆人へと駆け寄って行った伊吹の足が急速にその勢いを失った。
その後ろ姿に怪訝な顔をする九王。答えは、すぐに分かった。
逆光で見えにくかったが、皆人は明らかに怒っていた。といっても、無表情は変わらない。が、その鉄仮面の下から染み出す憤怒は、九王ですら竦むものだった。
「おい」
「は、はひっ」
感情の感じられない皆人の声色に、ピシャッと伊吹の背が伸びる。
「邪魔だ。さっさと家に入るぞ」
「そ、そうでござるな」
あはははは、愛想笑いを浮かべる伊吹を一瞥すると、皆人は無言のまま門を開けた。門に飲み込まれる後ろ姿。昼に千草に洗濯してもらった道着を冷や汗でべっとり濡らした伊吹が、説明を求めるように九王を見る。だが、説明を求める眼差しは伊吹と同じだ。
暫し放心状態の伊吹だったが、すぐに我に返ると手早く後片づけを済ませ、すぐに皆人の後を追った。皆人の気配は、皆人の部屋から。
一瞬躊躇ったが、意を決っして伊吹は部屋の扉をノックした。
「皆人殿。……あの」
「鍵なら空いてるぞ」
暗に入ってもよいという答えに、伊吹は慎重に部屋の戸を開ける。扉の向こうに見えたのは、部屋の真ん中に置かれたテーブルに向き合う皆人の背中だった。
「そんなところで突っ立ってねぇで、入るなら入れ」
「は、はい」
皆人に促され、伊吹は更に部屋の中へと足を進める。
伊吹はベッドに腰掛けたところで、漸く皆人が何をしているのかを知った。机の上に広げられた四十枚のカード。床に置かれたカードの束。未開封のカードパック。
「皆人殿、これは」
「ああ、デッキの改造だ」
皆人は、伊吹と戦うための新しいデッキを作っていたのだ。
しかし、腑に落ちない点がある。伊吹は恐る恐るではあるが、皆人に質問した。
「皆人殿。なんでそんなに怒っているのでござるか?」
「ん。俺が怒ってるかって?」
鬼も睨み殺しそうな、鋭い視線を伊吹に流す皆人。伊吹はなんとか踏みとどまったが、肩に乗ってた九王はそのあまりの迫力にベッドに転げ落ちてしまった。
暫し伊吹を睨らみ続けた皆人は、何を思ったのか無言のまま不意に立ち上がると、パソコンの電源を入れ何やら操作し始めた。
「コレ、見てみろ」
「何でござるか。んん!? ふむふむ、『消えたカード。モエモンを買い占める黒い集団』。皆人殿、コレは」
「ああ、どうやら。本気でお前たちの言うことを信じれそうだ」
パソコンの画面に映し出されていたのは最新にニュース記事。それによると、今日だけで全国のコンビニ・おもちゃ屋等からモエモンのカードが買い占められたとのことだった。
「全国のカード買い占め。こんなことしでかすのは、栗天山だな」
「ふむむ、敵もさる者でござるな。」
納得したように頷く伊吹に、不機嫌なままの皆人は再び元に位置に座り直した。
「残ってたのは、馴染みの古い堅気の店だけだ。その他にもいろいろ調達したけどな。お陰で、随分遅くなっちまった」
腰を落ち着けた皆人は再び無表情に戻ったが、その不満は言葉の端からありありと伝わってきた。苛立ちからか、珍しく口数の多い皆人だったが、その後は終始無言。皆人の隣に座る伊吹に目もくれず、黙々と勝ってきたパックを開け中身をチェックする。
そっと目を机に向け、カードのパックを確認する伊吹。開かれているのは、和風イラストの、伊吹や和風キャラのサポートカードを多く収録する『雅』と、闇のドラゴンのイラストが描かれた、ライフや リスクを対価として力を得る『ブラック・ジン』のパックだ。
時折、レアカード、必要なカードが出たときだけ僅かに眉を動かすが、それ以外は寧ろロボットのように作業を進める皆人。そんな沈黙に耐えきれなくなったのは伊吹の方だ。
「しかし、うれしいでござるよ。皆人殿」
「……何がだ?」
自分への呼びかけに、皆人は視線を机に向けたまま、感情のない声色で答えた。
「皆人殿がやる気になってくれたことに、でござるよ。拙者も、腕が鳴るでござる」
《蓮華》を腰から引き抜き、僅かにその刀身を鞘から覗かせる。鏡の如き銀色に輝く刀身に映るのは、日常のおとぼけキャラではない、侍としての伊吹の好戦的な笑みだ。
だが、そんな伊吹に対する皆人の反応は意外なものだった。
「何勘違いしてんだ、お前は? 俺はやる気になんてこれっぽっちもなっちゃいないぞ」
「え?」
思わずと言った感じで伊吹が言葉を漏らす。
「な、何を言っているのだ、皆人殿。現に、皆人殿はこうやって勝つために牙を磨いているではござらぬか」
「それが勘違いだ。俺は、別に勝つ気なんてこれっぽっちも持っちゃいねぇよ。ただ、負けねぇために準備しているだけだ」
声色が変わらないだけに、皆人の言っていることは本当だろう。しかし、これに対して怒ったのは、伊吹でなくそれまで毛づくろいに勤しんでいた九王だった。
「何言ってやがんだ。勝負は勝つためにするのが鉄則だろ。なんで勝ちにいかねぇんだよ。馬鹿じゃねぇのか? つーか、昨日は勝ちに行くって言ったろ」
「五月蠅いぞ。ボケ鴉。昨日は昨日だ」
「何だと。この腑抜け」
「はぁ……」
九王の罵りに、皆人は別段気分を害したわけでもなく、溜息交じりに説明し始めた。
「いいか、モエモンの要はFPとMPのポイントをいかに使うかだ。その点で言えば、俺たちのポイントは共に零。いくら伊吹が白兵戦に強かろうが、勝ち目はほとんどない」
そこでいったん皆人は言葉を止める。九王が何か言いたそうにしていたが、伊吹に抑えられ今はただその腕の中でジタバタしているだけだ。
黙って真摯の眼差しで話を聞く伊吹に、皆人はさらに続けた。
「昨日はカード運が良かった。けど、今後もそれで勝てるとは思えない。負けないためにはどうするか? 答えは簡単、勝つことじゃなくて生き延びることだけを考えればいい」
「それは、いささか消極的な考えではござらんか? 皆人殿」
黙って話を聞いていた伊吹だったが、ここは退がれないと口を挿んできた。
「確かに、拙者たちの戦況は苦しいものでござる。しかし、初めから勝利を視野に入れなければ勝てる戦も勝てないでござるよ」
「勘違いするな。俺は勝たないつもりもない。拾える勝負は拾う。よし、こんなもんだろ」
半ば強引に話に区切りを着けた皆人は、伊吹に机のカードを見るように言った。
「皆人殿、これは」
「そうだ、新しいデッキだ。ただ、今までのデッキから大分いじってある。今から説明するから、お前も頭ん中にいれとけよ」
「承知」
「まず、必要コストの多い上級カードをかなり切り捨てた。切り札は少ない。その分、ノーコスト、ローコストのカードを多くした。この意味がわかるか?」
「拙者たちのポイント不足を補う、でござるな。どちらにしろ長引けば不利。勝負は短期決戦でござる。しかし、皆人殿。一つだけいいでござるか」
「なんだ?」
「先刻のような、自分の身を削るようなカード。あれは控えるでござるよ」
伊吹の忠告を皆人は黙って聞く。
「知っての通り。今回の闘いはカードの効果が現実になるでござる。身を削り対価を持って力を得るカードは強力ではござるが、必ずしも優位に働くとは限らないでござる。なにより、皆人殿の身体が持たないでござるよ」
最期の方は忠告というより懇願に近い。
伊吹が見た新しいデッキには、それらのカードがかなりの枚数投入されていた。
「皆人殿……」
机に置かれた皆人の手に、伊吹の手が重なる。
その手は暖かく、ホログラムとは思えないほどの温もりが感じられた。
「デッキ。カードは全部覚えたか?」
「皆人殿っ!」
「覚えたな」
皆人は伊吹の忠告を受け入れず、危険カードを大量に入れたデッキをセットした。
「おいおい、勇猛と無謀は違うぞ」
「黙ってろ、ボケ鴉。そう思うなら、俺に無茶させねぇようにお前たちが戦えばいいだけの話だろ。これは、あくまで保険だ」
皆人は口早に話を切り上げると、テキパキと残ったカードを片づけ勉強机へと向かった。
「邪魔だけはするなよ」
そう言い残して、皆人は完全に伊吹と九王を意識の外へと追いやった。こうなっては耳元でどんなに騒いでも意味のないことは昨日のうちに九王が実証済みだ。
「ちぇ、なんでぇい。人がせっかく心配してやってんのに、あの態度は何だ」
「九王は人じゃなくて鴉でござろう」
「んぐっ」
たしなめられた九王が、物凄い形相で伊吹を睨みつける。
しかし、睨みつけた伊吹が笑っているのを見て、九王はポカーンと口を開いた。
「何笑ってんだ、伊吹」
「ん? ああ、いや何。ささ、皆人殿の邪魔をしてはならぬでござるよ。九王、拙者たちは千草殿のとこへ行でござるよ。夕飯の手伝いでござる」
「な、おい。こら」
暴れる九王を抱き抱え、伊吹は最後にもう一度だけ皆人の背中を見てから部屋を後にした。部屋を出ても伊吹の謎の頬笑みは絶えない。
「おい、本当に何笑ってんだ?」
九王の質問に、伊吹はまるで親に褒められた子供のように笑って答えた。
「ただ、嬉しかっただけでござるよ?」
「嬉しい? おいおい、本当にどうかしちまったのか?」
「……はぁ。九王、お主もう少し人の心を読めるようにならねばならぬでござるよ」
「ふへぇ」
小首を傾げる九王に、伊吹はただただ笑うだけだった。