第五話 放たれた虚数ウィルス
『虚数時空間防衛隊』とは、日本の虚数時空間を守るために組織された部隊である。
■部隊の構成
・隊長 : 山崎良平
・副隊長 : 坂井陽太、石川美佳
・第一部隊 : 坂井陽太の率いる部隊。5人の隊員からなる。
・第二部隊 : 石川美佳の率いる部隊。5人の隊員からなる。
■タキオンを使用した武器と装備品
(1)虚数センサー : 虚数時空間に居る者やタキオンを使用した製品に反応する。
(2)虚数グラス : 虚数時空間に居る者やタキオンを使用した製品を特定できる。戦闘能力も計測できる。
(3)虚数銃 : 虚数時空間に居る敵のみを攻撃できる。銃弾が敵に命中すると大規模な虚数電流が流れ敵を感電させる。
(4)虚数ボディスーツ : 虚数時空間での運動機能を著しく向上させる。現在までにレベル1からレベル4のものが開発済みである。
(5)虚数レーダー : 上空の特異点やタキオンを使用した製品に反応する。
虚数戦闘機による激しい襲撃から数週間。嵐の前の静けさのように、敵国による日本の虚数時空間への侵入はピタリと途絶えていた。しかし、嵐は静寂の裏で牙を研いでいた。
ある深夜。静まり返った自室のベッドで眠っていた陽太は、枕元に置いた虚数グラスから響く甲高いアラーム音で跳び起きた。グラスを装着すると、視界の隅に赤い警告インジケーターが点滅し、研究センターの山崎の声が鼓膜を叩く。
「札幌の上空に虚数トンネルが作られた。坂井、すぐに出動してくれ!」
「はい!」
ベッドから跳ね起き、深夜の街を研究センターへと急ぐ。地下ドックの冷ややかな空気の中、レベル4の虚数ボディスーツに身を包む。射出孔へ立つと、陽太は一気に跳躍した。
夜の空気を切り裂き、垂直に一気に上空1000メートルへ。眼下に広がる街の明かりが瞬く間に小さくなっていく。高度を保ったまま身体を水平へと倒すと、全身から虚数エネルギーの青白い光が放たれた。強烈なGとともに加速し、空気を置き去りにしてマッハ2の超音速飛行へ移る。夜風を置き去りにし、陽太は一直線に札幌を目指した。
札幌上空へはわずか20分ほどで到達した。眼下に広がる碁盤の目状の夜景の上空、高度1000メートル付近に、穴の奥が気味の悪い黄色い光を湛えた虚数トンネルが開いていた。まるで夜空にぽっかりと開いた悪魔の目のようだ。
「山崎さん、虚数トンネルを発見しました。しかし、直径は30センチほどです。敵や兵器が出てくるには小さ過ぎるように思います」
「そうだな……。だが油断するな。まだこれから大きくなるのかもしれん。あるいは、そのトンネルから武器を使って攻撃するつもりなのかもしれん。警戒を怠るな!」
「はい!」
陽太は間近で虚数トンネルを注視し続けた。しかし、不気味な黄色の光を放つ小さな穴は、30分が経過しても拡がる気配を見せない。やがて光が衰えると、虚数トンネルは縮小していき特異点となり、虚数グラスからも反応が消えた。陽太は一応、辺りを飛行して何も異常が無いことを確認すると、肩の力を抜いて研究センターへの帰路についた。
その数日後の深夜。今度は仙台の上空に虚数トンネルが作られ、緊急連絡を受けた陽太が出動した。しかしこれも札幌の時と全く同じだった。直径30センチほどの黄色い光が30分ほど漂った後、何事もなかったかのように消失した。
その後も、東京、名古屋、大阪、福岡——日本の主要都市の上空で、嘲笑うかのように小さな虚数トンネルが次々と現れては消えていった。だが、直接的な攻撃も、兵士の侵入も一切ない。
「山崎さん、最近の敵国の動きは何が狙いなのでしょうか? ただの威嚇にしては無意味すぎます」
モニタールームで腕を組む山崎に、陽太は尋ねた。
「分からん……。藤本博士にも解析を頼んだが、首をひねるばかりだ。だが、理由のない行動をする相手ではない。何か致命的な罠の準備かもしれない。今後も訓練を継続しつつ、いつでも出動できるように準備していてくれ」
「はい!」
謎の現象から1ヶ月ほどが経った頃。日本全土を、正体不明の影が覆い始めていた。理由なき高熱、胸をかきむしるような激しい咳、そして急速に悪化する肺炎——謎の感染症が爆発的に蔓延し、街の病院はパンク状態に陥っていた。
そんな緊張感が限界に達したある日、全隊員へ向けて藤本博士からの緊急招集がかかった。研究室のドアを押し開けると、数々のモニターに囲まれた博士が、血走った目で振り返った。
「大変じゃ! この感染症は自然発生したものではない……敵国がばら撒いたウィルスの仕業じゃ!」
「なっ……敵のウィルス!?」
陽太は絶句した。
「先月、大都市の上空に現れたあの小さな虚数トンネルじゃよ。奴らはあの穴を使って、空中からウィルスを散布していたんじゃ!」
「しかし博士! 出動した際、俺の虚数グラスには何の反応もありませんでした!」
「サイズじゃよ……! ウィルス一粒一粒が小さすぎて、当時のセンサーの解像度ではノイズとして処理されてしまっていたんじゃ」
「ですが……」
陽太は疑問をぶつける。
「虚数トンネルを通れるのは、タキオン粒子を装填した装備や物質だけのはずです。生体物質であるウィルスがどうやって……?」
「奴らはウィルスそのものの表面にタキオンを吸着させる技術を確立したんじゃ。『虚数ウィルス』とでも呼ぶべき代物じゃな。敵のタキオン応用技術は、こちらの想定を遥かに超えて進化しておる……」
「待ってください。それなら、そのウィルスは虚数時空間にいる俺達にしか感染しないはずでは?」
藤本博士は悔しそうに歯噛みし、ホログラムモニターを操作して拡大されたウィルスを示した。
「虚数グラスの感度を極限まで上げて分かったことじゃが……恐ろしいことに、このウィルスは虚数時空間で散布された後、4つが結合することで実時空間の物質へと相転移する性質を持っておったんじゃ。数学で『虚数 i を4乗すると実数の 1 になる (i^4=1)』のと同じメカニズムじゃよ! 敵はこの性質を利用して、実世界の人間へ感染する兵器を送り込んだのじゃ!」
「そうなのですか! 大変だ!」
あまりの悪質さに、陽太は拳を強く握りしめた。
「ああ……。じゃが、ひとたび実時空間のウィルスとなってしまっては、虚数空間を主戦場とする我々の装備では直接除去できん……。我々にできるのは、これ以上新たな虚数ウィルスを侵入させないことじゃ。次から虚数トンネルが開いたら、即座に虚数銃から高圧の虚数電流を撃ち込み、トンネルごとウィルスを焼き切って強制閉鎖させろ。電流ならば虚数状態のウィルスも死滅するはずじゃ」
「了解しました!」
目的を果たしたからか、それ以降、日本上空に新たな虚数トンネルが作られることはなかった。しかし、すでに国内に解き放たれた病魔は、猛烈な勢いで人々を蝕み続けていた。病床は埋まり、街からは人影が消え、医療現場からは悲鳴が上がっている。ワクチン開発も急ピッチで進められていたが、完成には半年以上かかると言われていた。これ以上、指をくわえて待っていれば、国が滅びかねない。
研究センターでの全体会議で対策が話し合われていた時、陽太は意を決して発言した。
「敵国が虚数ウィルスを自ら開発し、ばら撒いたということは……自国への感染を防ぐため、奴らはすでに完成されたワクチンを所有しているはずです。そのワクチンを奪うために、敵国の虚数時空間へ侵入しましょう!」
「坂井、正気か!?」
山崎さんは身を乗り出し、机を叩いた。
「敵の本拠地だぞ! 補給もバックアップもないアウェイに乗り込むなど、自殺行為だ!」
「ですが! 日本のワクチン完成を待っていたら、何万人の命が失われるか分かりません。多くの人を救うには、敵から奪う……それしか手はありません!」
山崎さんは苛立ちと苦悶の表情を浮かべ、頭を抱えた。
「……確かに、国内の惨状を見れば一刻の猶予もないのは確かだ。だが……もし敵地で捕獲されれば、救出部隊すら送れんのだぞ」
「覚悟の上です。俺1人で乗り込みます」
「待って。私も行くわ!」
静寂を破って立ち上がったのは、石川さんだった。陽太は驚いて隣を振り向く。
「石川さん……!?」
「私はこれまでの訓練で、レベル3の虚数ボディスーツで戦えるようになったの。絶対に陽太の足引っ張りにはならない、戦力になれるわ。他の隊員たちはまだレベル1だから無理だけど……私なら行ける!」
「敵国に乗り込むんですよ!? 捉えられたら命はありません!」
「分かってるわよ!」
石川さんは陽太の目を真っ直ぐに見つめえ返した。
「私は、この国と人々を守るために虚数時空間防衛隊に入隊したの。日本がこんな目に遭っているのに、指をくわえて見てるなんてできない。自分の命を懸けてでも、任務を遂行するわ!」
その瞳には、一切の迷いも恐怖もなかった。固い決意を感じ取った山崎さんは、長く重い息を吐き出すと、ゆっくりと頷いた。
「……分かった。では、『坂井と石川による敵国への潜入、およびワクチンの奪取』——これを次の正式任務とする! 2人とも……必ず生きて、ワクチンを持ち帰って来てくれ!」
「はい!!」
重く引き締まった空気の中、2人は深く頷き合った。敵のワクチンを必ず奪ってみせる!陽太は固く決意した。
(第5話 終わり)




