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二人はベンチから立ち、公園を出て自販機の横のゴミ箱に缶を捨てる。
「――金田、あの漫画賞に出したほうがいいよ」
「え? あれ? 『バカが吠える』」
「うん。ほんとに、傑作だったし、あんなすごい漫画さ、みんなも読まなきゃもったいないから。絶対賞取れるよ、あれなら」
「そうかー? まーそうだなー……桧原がそういうんなら出すかー。でもまーだやっぱ画力が足りてねーんだよなー」
「そこは私も手伝うし。それにさ、これからどんどん描いてって、絵もうまくなって、それで漫画家にでもなった時にさ、また描き直せばいいし」
「そういうのもあんのかー。確かにそれ考えるとうまくなる目標もあっていいかもなー」
「でしょ? ――私もさ、描くから。漫画。描いて、できたらあんたに見せるから。私も、私にとっての、あんたに読んでもらうためだけに描く漫画」
「おー。んじゃ返事だな」
「返事?」
「手紙と一緒だろ。漫画の返事。俺の漫画に対してよ、漫画でな。なんかそー考えると手紙っつーよりラップバトルっぽいなー。バトルじゃねーけど。けどま、楽しみにしてるぜ。どんな漫画だろうとよ、お前が漫画描くってことが俺にとっては一番だかんな」
「……うん。ありがとう。私をまた、漫画に戻してくれて」
こんな私を、好きになってくれて。
「おうよ、あたりめーだろ? 俺は桧原のおかげで漫画描けたんだからな! その恩返しだよ。もらったもん返しただけだな。そうやって全部分け合ってこーぜ」
金田はそう言い、ニカッと歯を見せて笑う。
桧原の家に戻ってきた。桧原は上着を金田に返し、部屋からとってきたバッグを渡し、見送る。そうしてまた自室に戻る。自分の部屋に、また一人。
けれども、もうそこであっても、自分は一人ではない。
桧原は一つ息をつき、椅子に座る。ふと視界に、角が折れた『チャンプ』が入る。数日前に金田が置いていったもの。そういえば、まだ今週のチャンプを読んでなかった。そんなことは今までになかった。せっかくだし、というより読まないなんてありえないから読まなくちゃ、と桧原は手に取り。ページをめくる。
ページをめくる。めくっていく。心が、動く。全身に温かい血潮が流れていくのがわかる。漫画は面白い。ほんとに面白い。私も、いつか、こんな漫画を……
そうしてめくっていくと、一つの漫画にたどり着く。新人の読み切り。そういえば、金田がなんか熱く語ってたっけ。絶対読めって。やばいって。桧原は好奇心をそそられながらページをめくる。すぐに興奮がやってくる。感情が沸き立つ。感動で、埋め尽くされる。
なにこれ。すごい。ほんとにすごい。熱すぎ。熱苦しすぎ。こんな、エネルギーしかないような漫画。これで新人? こんな、ほんとに、これが描きたくてしかたなかったって漫画。
最後のコマを読み終える。桧原は、ふーっと息をつき顔を上げる。そうしてもう一度、とページを戻る。そこで、その漫画のタイトルを改めて目にした。
『俺バカだからよくわかんねーけどよ』
――ハハッ、こんなの、ほんとにあんたのことじゃん。
桧原は笑い、チャンプを机の上に置く。
そうして自分もまた、漫画を描くために机に向かうのであった。
*
それはある意味返歌を思わせた。平安時代の恋文。歌のやり取り。それを漫画でやっているだけ。
物語もキャラクターも自然に出てきた。とはいえそれは作り物ではない。ほとんど自分、自分たちそのもの。自分の経験そのもの。それを今、漫画にしなければと思った。嘘偽りなきもの。いっさい繕わぬ自分自身。抗うことなど出来ずに表れてしまう自分。それに抗わず、繕わず、そのままに。
これは自分自身。自分の経験。自分の感情。逃げていた自分。見ないようにしていた自分。それをありのままに、描く。今の自分にできることはそれしかないのだから。
大丈夫。金田は、全部受け入れてくれる。全部受け入れてくれた。そのままの自分を、漫画に描くしかない。そんな漫画だって、笑っておもしれーって言ってくれるに決まっている。
たった一人のためだけに漫画。ただ世界に自分たち二人だけのために描く漫画。だからこそ、それは届く。刺さる。万人にとっての面白いになる。どうなるかなんてわからない。けれども、できるのは信じることだけだった。
桧原は描いた。これまでとは違う。どこか穏やかな気持ち。描いているものがこんな感情に溢れているのに、それを描いている自分はどこまでも楽しいしかない。嬉しいしかない。ただ動かされるがままに描くだけ。
そうして一ヶ月が経った。学校にも戻っていた。意を決しバイトも始めた。いや、だって結婚、というか一緒に生きてくなら、生活してくなら、働けないとヤバすぎるし……などという理由もあったが、経験のため。金田一人に頼らずとも生きてけるようにするため。彼と、対等になるため。
そうしてその日ようやく、最後の仕上げを終わらせた。その日は丁度、夏に二人で描いたあの漫画の「授賞式」の日でもあった。
*
「よー桧原。準備できてっかー」
「うん。でもその前に、漫画。描き終えた」
「おー! あの漫画かー!?」
「うん。時間あるから、読んでもらいたいんだけど」
「もちろんだぜー! そのために集合早くしたんだなー」
金田はそう言い、紙に印刷された桧原の漫画を読む。その表情は、これまでと違いただ面白おかしく読むというものではない。笑いはない、真剣な表情。しかしその顔には、金田の感情がありありと映し出されていた。
「――桧原よー、これ紙に印刷してるってことは今日持ってく感じ?」
「うん。できたら、田中さんに渡すつもり」
「そっかー。てことは賞に出すってことだよな」
「まあ、一応ね。これはもちろん、あんたに読ませるためだけに描いたものだけど、でもこれは漫画だから。すべての漫画はより遠くに行きたいって願ってるはずだし、その想いにちゃんと、私も応えたいし」
「そっか……これよ、ぜってー賞とるぜ」
「そう?」
「あー。ヤベーなマジで。傑作だよ。こんなんさ、ぜってー一番いい賞とるに決まってんじゃん」
「そう……それで、あの、それが私の、あんたのあの漫画に対する返事っていうか、私の気持ちで……」
「そうだなー……でもまー、全部わかってたぜ俺は」
「え?」
「桧原がこーいうやつだっていうのもさ、こーいう漫画描けるっていうのも、こんなめちゃくちゃおもしれーヤベー漫画描けるっていうのもよ。だからまあ、今更っちゃ今更だけど、よーやくじゃねーの?」
「――ハハッ、あんたはほんと……何偉そうに言ってんのよ」
「えらそーにも言うだろそりゃー。だってよ、俺は桧原の漫画の最初の読者なんだし、最初のファンなんだからな!」
「――ネットにはもっと前からファンいるけどね」
「言うかーそれ!? そうじゃねーだろー。まーいーけどよ。とにかく俺は、お前の漫画マジで好きだかんな」
「……私も。私こそあんたの漫画の最初の読者で最初のファンだからね」
「それも俺のほうが先だかんなー」
「はは、それ言う?」
「言うぜー。まーでもよ、ようやくだよな。色んな意味でよーやく一歩目だぜ。まー随分前な気もすっけどよ、こーやって授賞式とか実際行ったらさ、また別だろうしな」
「そうね……いよいよ、いよいよ始まるってみたいなもんだもんね。本物の、プロの漫画家を目指す人生が」
「おうよ。一緒になろーぜ漫画家! ちょー売れっ子漫画家夫婦にさ! チャンプで夫婦で連載とかしたらしじょー初じゃねーの? 知らねーけど」
「はは、かもね。まーその前に、結婚する前にどっちも連載するかもしれないけど」
「じゃーそん時は決まった時に結婚だな!」
「ハハッ。ほんと、バカみたいな夢」
「かもなー。でもよ、わかってると思うけど、」
『俺バカだかんな』
二人はハモってそう言い、笑い合う。
「だよね」
「決まってんだろー。俺バカだけどよ、これははっきりわかってんかんな」
金田はそう言い、ニッと笑う。
「信じねー限り夢なんて叶わねーからよ。俺は信じてんぜマジで。俺も桧原も漫画家なれるって、サイコーにおもしれー漫画描けるってさ。バカだからこそよ、現実なんて知ったこっちゃねーでマジのマジで信じてっかんな!」
「――それは私も一緒。私も、バカだからね」
桧原はそう言い、笑う。金田もそれに笑みを返す。
二人は部屋を出た。階段を降り、桧原の家を出る。
そうして二人は手を繋ぎ、夢に向かって歩きだした。




