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影の庭園  作者: 最後に残った形


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# 第40話:非道なる揺り籠、抗う魂


奪い取ったヘリの轟音が夜の闇を切り裂き、その振動が仁科蒼真の胸に微かな緊張となって響いていた。操縦桿を握るのは真琴だ。彼女の指先は、以前にも増して精密で、もはやただの高校生のそれではない。隣に座る由紀は、タブレット端末の画面に表示された航空写真と施設の見取り図を食い入るように見つめている。二人の横顔は、夜の帳とヘリの計器灯に照らされ、どこか神聖な輝きを放っていた。


「目的地まであと十分。高度を下げて、施設北側の森林地帯に隠蔽着陸する」


由紀の冷静な声が、ヘリの騒音の中でもはっきりと聞こえる。彼女の指示は常に的確で、この数週間で、蒼真は由紀が並外れた戦略眼と洞察力を持っていることを嫌というほど思い知らされていた。そして、その知性が、父親という巨悪と戦うために惜しみなく使われていることに、蒼真は静かな感動を覚えていた。


「了解。このヘリ、思ったより高性能で助かるよ。まあ、真琴様の手にかかれば、どんなオンボロでも飛んでいくけどね」


真琴が冗談めかして言うが、その表情は真剣だ。彼女の瞳は、操縦席の計器類と夜空を交互に見つめ、一瞬たりとも気を抜かない。彼女は今、以前の自分とは比べ物にならないほど強くなっている。ハッキング能力に覚醒し、システムそのものを書き換える力を持つようになった真琴は、もはや『影』の無自覚な監視人だった頃の影をどこにも感じさせない。それは、蒼真と由紀が彼女の覚醒を心から喜んだ理由でもあった。


「ありがとう、真琴。でも油断は禁物よ。ここは父が極秘裏に進めていた研究施設。セキュリティも異常なほど厳重なはずだわ」


由紀の声には、僅かに苦い響きが混じっていた。父親への複雑な感情が、その声音の奥に隠されていることを蒼真は感じ取っていた。それは憎悪だけではない。かつては慕っていた父親への失望と、自身が権力闘争の駒にされそうになったことへの痛み。由紀の心は、今も静かに波打っているのだ。


蒼真は深く息を吸い込み、吐き出した。冷たい夜の空気が、肺腑に染み渡る。

「覚悟はできている。由紀、真琴、二人を危険な目に遭わせるわけにはいかない。無理だと感じたら、すぐに引き返す」


彼の言葉に、由紀が振り返った。碧眼が真っ直ぐに蒼真を捉える。

「蒼真くん、そんなことは言わないで。私たちはもう、引き返せないところまで来たのよ。それに、私たちはあなたの足手まといなんかじゃない。あなたは私たちの隣にいてくれればいい。私たちは、あなたの力を信じているわ」


真琴も小さく頷いた。

「そうだよ、蒼真。一緒にここまで来たんだ。これ以上、一人で背負い込むなんて言わせないからね。私がシステムを黙らせて、由紀が道を切り拓く。蒼真は、私たちを守ることに集中して」


二人の揺るぎない眼差しが、蒼真の心に温かい熱を灯す。かつて一人で全てを抱え込み、孤独に逃げ続けていた自分とは違う。彼らは、蒼真にとって掛け替えのない「光」であり、「人間らしさ」を取り戻させてくれた存在だ。この光を、この人間らしさを、彼はもう二度と手放したくないと強く思った。


「……ああ、わかった。信じる。二人を、そして俺たちを」


蒼真は小さく微笑んだ。ヘリの振動に合わせて、三人の手が、夜空の下で力強く握り合わされた。


ヘリは音を最小限に抑え、広大な森林の奥深く、深い渓谷の底に隠された研究施設を目指して降下を始めた。由紀の示す位置は、まさに衛星写真にすら映らないような、徹底的に隠蔽された場所だ。施設は巨大な地下構造を持ち、地上部分は岩山に擬態したような、いかにも秘密組織の拠点といった様相を呈している。


真琴が着陸態勢に入り、巧みにヘリを森の奥深くに潜り込ませる。巨大な木々が盾となり、ヘリの姿は完全に覆い隠された。夜の闇と鬱蒼とした木々の影が、不気味なほどの静けさを生み出している。


「着陸完了。ヘリのシステムは完全にシャットダウンした。外部からのスキャンにも対応済み」


真琴が言い終えると、由紀が再びタブレットを操作し、施設の詳細なマップを表示した。

「入り口はいくつかあるけど、最も警備が薄いのは、非常用搬入口よ。ただし、それはあくまで表向き。真琴、セキュリティを突破できる?」


「任せて。この程度のシステム、今の私なら遊びだよ」


真琴はにやりと笑うと、携帯端末を取り出し、指先を踊らせ始めた。彼女の指が触れるたびに、画面に複雑なコードが奔流のように流れ、施設全体を覆うセキュリティシステムを瞬時に解析していく。


「見つけた。メインフレームへのバックドア。ふっ、甘いね、お父様。娘の私が本気を出せば、こんなもの、赤子の手をひねるようなものさ」


由紀の父親に対する皮肉めいた真琴の言葉に、由紀は微かに唇を噛んだ。それでも、彼女の目は揺るがない。

「流石ね、真琴。蒼真くん、準備はいい?」


蒼真は、全身に漲る力を感じながら、頷いた。五感は研ぎ澄まされ、夜の闇に潜む微細な物音や空気の振動すら捉えている。


「いつでも」


三人はヘリを降り、施設の非常用搬入口へと向かった。そこは岩肌に隠されたような小さな扉で、一見すると何の変哲もない。しかし、真琴が携帯端末で操作を終えると、扉を覆っていた岩がスライドするように開かれ、奥から冷たい空気が流れ込んできた。


中へと続く通路は、無機質なコンクリートで固められ、天井からは不気味なほど暗い照明が、通路の奥へと伸びている。かすかに漂う消毒液のような匂いが、この場所の異様さを物語っていた。


「ここから先は、私がセキュリティを完全に掌握する。監視カメラ、センサー類は全て無効化。警備員の配置もリアルタイムで把握できる」


真琴の言葉に、由紀が素早く反応した。

「助かるわ。ただし、システムを操作している痕跡は残るはず。いつまでも隠蔽し続けることはできないわ」


「わかってる。だから、急ごう」


蒼真は先行し、慎重に足音を殺しながら進む。彼の五感は、暗闇の中でさらにその威力を発揮していた。通路の先、角を曲がったところで、二人の警備員の気配。彼らは銃を構え、定期的に巡回している。


「蒼真くん、左の通路から二名。武装はアサルトライフル、麻酔弾ね」


由紀の声が、耳元の通信機から聞こえる。真琴が警備員の情報を瞬時に解析し、蒼真に伝えているのだ。


「麻酔弾か……。手荒な真似はしたくない」


蒼真は決意を固めると、壁に身を隠し、呼吸を整えた。彼の能力は、超人的な身体能力を統合したもの。スピード、パワー、格闘技術、五感拡張。全てを極限まで引き上げれば、警備員二人など物の数ではない。しかし、彼は『影』の非人道的なやり方に反発して逃げ出した身だ。必要以上の暴力は避けたいという思いが、常に彼の心にあった。


警備員が角を曲がり、蒼真の潜む場所へと近づいてくる。一人は冗談を言いながら、もう一人は警戒を怠らない。彼らは、まさかこんな深部まで侵入者がいるとは夢にも思っていないだろう。


蒼真は一瞬で影から飛び出し、音もなく二人の警備員の背後に回り込んだ。彼らが反応するよりも早く、片手で一人ずつ、首筋に手刀を打ち込む。正確無比な一撃は、神経を一時的に麻痺させ、意識を刈り取る。警備員はうめき声一つ上げることなく、人形のように崩れ落ちた。


「よし、無力化完了。物音は?」


「なし。完璧だった、蒼真くん」


由紀の声に安堵の色が滲む。真琴も「さすがだね」と呟いた。蒼真は警備員の体を壁際に運び、意識が戻らないように念のため拘束した。彼らが目を覚ましても、すぐに動けるようにはならないだろう。


通路をさらに進むと、いくつもの分かれ道が現れる。真琴が示すマップに従い、三人は迷うことなく核心部へと向かっていく。途中、いくつかの研究室のような場所を通り過ぎる。ガラスの向こうには、培養液に浸された奇妙な物体や、拘束具に繋がれたまま意識のない人間のような影が見えた。蒼真の胸に、冷たい怒りがこみ上げる。


「これは……」


由紀もその光景に顔を歪めた。

「これは、能力者研究の一部だわ。父が言っていた……『影』を真に掌握するためには、能力を完全に解明し、制御下に置く必要がある、と」


真琴は、その非人道的な光景に怒りを滲ませる。

「なんてことだ……。人をモノみたいに扱って……! こんな実験が、ずっと秘密裏に行われていたなんて!」


蒼真は、過去の自分が『影』にいた頃の記憶をフラッシュバックさせた。自分もまた、彼らの実験台の一人だった。力と引き換えに、人間らしい感情や自由を奪われようとしていたのだ。あの時、霧島隆一が自分に警告していなければ、自分も今、あのガラスの向こう側にいたかもしれない。


「許せない……」


蒼真の低い声が、静かな研究施設に響き渡った。その声には、怒りと、そして強い決意が込められていた。彼が『影』を憎む理由は、何も彼らが自分を追っているからだけではない。彼らが、人間性を踏みにじる非道な行いを平然と行っているからだ。


「目的は、父の権力掌握のための機密情報と、この研究施設の能力者データよ。それが、父を牽制する唯一の手段」


由紀の言葉に、蒼真は静かに頷いた。彼女の痛みは理解できる。しかし、ここで感情に流されてはいけない。


最深部に近づくにつれて、警備は格段に厳しくなっていた。レーザートラップ、音響センサー、そしてより強力な武装を持った警備部隊。しかし、真琴の覚醒したハッキング能力は、それら全てを無効化し、三人に安全な道を示してくれる。


「見つけた! ここだ、メインサーバー室。ここには、父の全ての情報と、この施設で得られた全ての研究データが集約されているはず」


真琴が、厳重なセキュリティで守られた巨大な扉の前で立ち止まった。扉の周囲には、見えないエネルギーシールドが展開されている。


「エネルギーシールドか。真琴、これは?」


蒼真の問いに、真琴は一瞬顔を曇らせた。

「これは、ちょっと厄介だね。システムからの直接操作だけじゃ突破できない。物理的なエネルギー源を叩かないと……」


その時、背後から複数の足音が近づいてくるのが、蒼真の五感に捉えられた。

「侵入者発見! 繰り返す、侵入者発見! メインサーバー室前で交戦せよ!」


警報が鳴り響き、施設全体に緊張が走った。真琴のハッキングが露見したのだ。複数の警備員が、通路の奥から銃を構えて現れた。彼らはこれまでの警備員とは違い、戦闘訓練を受けたプロフェッショナル部隊だ。


「真琴、由紀! 扉の突破を頼む! ここは俺が食い止める!」


蒼真は叫び、由紀と真琴を扉の陰に隠すと、単身で敵兵に立ち向かった。彼の身体能力は、もはや人間離れしている。銃弾が放たれるよりも早く、蒼真は敵兵の懐に飛び込み、その全てを叩き伏せていく。


高速移動で敵の視界から消え、背後から襲いかかる。超怪力で銃を叩き折り、兵士の体を壁に叩きつける。彼の動きは、嵐のように激しく、しかし的確だ。だが、今回は麻酔弾ではない。彼らは実弾を撃ってくる。蒼真は、致命傷を与えないよう、ぎりぎりのところで力を制御していた。


「この野郎! まさかSランクが潜り込んでくるとは!」


敵部隊の隊長らしき男が、苛立ちを露わに叫ぶ。蒼真の素早い動きと圧倒的な力に、彼らは翻弄されている。


その間にも、真琴は必死でエネルギーシールドの解除方法を探っていた。

「くっ……! エネルギー源は、この部屋のどこかにある! でも、外部からは特定できない!」


由紀は冷静に周囲を見渡す。

「待って、真琴。この部屋の構造図を拡大して。メインサーバー室の床下……この位置に、不自然な配線があるわ」


由紀の指示に従い、真琴が床下構造図を表示させると、確かに奇妙な配線が複雑に絡み合っているのが見えた。


「これは……緊急時のエネルギー遮断装置。父が権力掌握のために、あらゆる情報を独占しようとしていた証拠ね」


由紀は確信に満ちた声で告げた。

「蒼真くん! メインサーバー室の床、この位置を叩き割って! そこにシールドのエネルギー源があるはず!」


蒼真は、由紀の指示を聞きながら、迫りくる敵兵の群れを次々と無力化していく。敵の攻撃を避け、反撃に転じながら、由紀が示した位置へと移動する。


「了解!」


彼は、敵兵を蹴り飛ばし、床に降り立つと、由紀が示した正確な一点に、渾身の一撃を叩き込んだ。彼の拳が、コンクリートの床を紙のように打ち破り、金属の配線と、複雑な機構が露出する。


その瞬間、メインサーバー室を覆っていたエネルギーシールドが、閃光を放ちながら解除された。


「やった! 真琴、今よ!」


由紀の声に、真琴は力強く頷くと、開かれた扉の向こうに飛び込み、メインサーバーへと接続を始めた。彼女の指先が、キーボードの上を猛烈な勢いで駆け巡る。


「くそっ、阻止しろ! 絶対に情報を渡すな!」


敵隊長が叫び、残った兵士たちが蒼真に集中攻撃を仕掛ける。蒼真は、由紀と真琴を守るように、サーバー室の入り口に立ちはだかった。


彼の瞳に、かつての無表情な影はもうない。そこには、仲間を守るという強い意志と、不条理な力に抗う決意が宿っている。彼は、もはや自分の能力を隠す必要も、臆することもなかった。この力が、大切なものを守るための唯一の手段なのだと、彼は知っている。


「邪魔はさせない……!」


蒼真の全身から、オーラのようなものが立ち上る。それは、彼の能力が完全に解放された証だ。彼の動きはさらに加速し、力は増幅される。一瞬で十数人の敵兵を蹴散らし、メインサーバー室への道を完全に封鎖した。


真琴は、その間にもサーバーから次々とデータを引き出していく。彼女の覚醒した能力は、もはや『影』のセキュリティシステムなど、意味をなさなかった。白咲瑛司が独占しようとしていた機密情報、能力者研究のデータ、そして『影』の内部構造に関する詳細な情報が、怒涛の勢いで真琴の端末に吸い上げられていく。


「よしっ! データ、全てダウンロード完了! これさえあれば、あのお父様も迂闊には動けないはず!」


真琴が端末を掲げ、喜びの声を上げた。その顔には、達成感と、過去の呪縛からの真の解放が表れている。


由紀は、蒼真の隣に立ち、敵兵が次々と倒れていく様子を冷静に見つめていた。

「蒼真くん、十分よ。私たちは目的を達成したわ。これ以上は、ここで戦力を消耗する意味がない」


「しかし……」


蒼真は、まだ敵兵を完全に無力化しきれていないことに不満を覚えたが、由紀の言葉にはっとさせられた。そうだ、感情に流されてはいけない。ここは彼の個人的な復讐の場ではない。由紀と真琴を守り、目的を達成することが最優先だ。


「撤退するわ。真琴、緊急脱出経路を確保して!」


「了解! 任せて!」


真琴が再度端末を操作し、施設の奥深くに隠された緊急脱出用の隠し通路を開放する。蒼真は、残った敵兵の攻撃を全て受け止め、由紀と真琴をその通路へと押し込んだ。彼自身も、最後の一人を無力化すると、通路の奥へと飛び込んだ。


「くそっ、逃がすな! 追撃しろ!」


敵隊長の叫びが背後から響くが、三人は振り返らない。通路は暗く、その先は森の奥深くに繋がっているようだった。


「今回の目的は達成できたわ。これで父も、迂闊には動けないはず。そして、このデータは……『影』そのものを揺るがすものになるわ」


由紀は、真琴の端末に表示されたデータを見つめながら、静かに言った。その声には、安堵と共に、重い決意が込められていた。


蒼真は、暗闇の中を走る由紀と真琴の手を、強く握った。二人の体温が、彼の掌に伝わってくる。彼らはもう、彼にとって守るべきだけの存在ではない。共に戦い、共に未来を切り開く、かけがえのない仲間だ。


「まだ終わったわけじゃない。だが、これで一歩、前に進めたな」


蒼真の言葉に、由紀と真琴は顔を見合わせ、小さく頷いた。

「うん。私たちの戦いは、まだ始まったばかりだよ、蒼真」


「でも、もう一人じゃない。三人でなら、どんなことだって乗り越えられる」


三人は、夜の森の中へと駆け出していく。背後からは追撃の気配が迫るが、彼らの足取りは迷いも揺らぎもない。非道な研究施設の暗闇を抜け出し、彼らの目指すは、真の自由と解放、そして「人間らしさ」を取り戻した新しい世界だ。その旅は、まだ始まったばかり。だが、三人の絆があれば、どんな困難も乗り越えていける。蒼真の心に、これまで感じたことのない、確かな温かさと強さが満ちていた。

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