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影の庭園  作者: 最後に残った形


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# 第36話:東京の闇、覚悟を乗せて


夜の帳が、都会の喧騒を覆い隠すように深く降りていた。煌々と輝くネオンサインが、漆黒の空に無数の傷跡のように刻まれている。仁科蒼真、白咲由紀、そして星野真琴の三人は、その光の届かない路地裏を、影のように滑るように進んでいた。アスファルトの冷たい感触が靴底から伝わり、空気にはまだ湿った土の匂いが残っている。つい先ほどまで身を隠していた廃墟のひんやりとした壁の感触が、まだ蒼真の手のひらに薄く残っているような気がした。


「このルートなら、人目につかず『影』東京支部の外周まで到達できるはずよ。真琴、周辺の監視カメラの死角は?」


由紀の凛とした声が、周囲の薄暗い空気に溶け込む。彼女の銀髪は夜闇に紛れて見えにくかったが、その瞳に宿る碧眼の輝きは、微かな光を拾って鋭い意志を宿しているのが分かった。由紀は手に持ったタブレットを操作しながら、真琴に問いかける。真琴は、自身のタブレットに表示された地図とリアルタイムの監視映像を瞬時に照合し、指先でいくつものアイコンを素早くタップした。


「ええ、問題ないよ、由紀。この路地は完全に死角。ただし、あの雑居ビルを抜けるまでは気をつけて。光学センサーが三か所設置されてる。それに、空中には定期的にドローンが巡回してるみたい。多分、市販のものに偽装してるけど、動きが不自然だね」


真琴の声は、緊張をはらみながらも、確かな自信に満ちていた。彼女の表情は、いつもの明るい学園生活からは想像もできないほど真剣で、画面に集中する横顔は微動だにしなかった。彼女が『影』の無自覚な監視人だったという事実は、真琴自身を深く傷つけた。しかし、その罪悪感を乗り越え、今では彼女のハッキングスキルと分析力は、蒼真たちにとってかけがえのない武器となっている。彼女の決意が、その指先の速さと正確さに表れていた。


蒼真は二人の背後を警戒しながら、五感を極限まで研ぎ澄ませていた。夜の都会は、見慣れない様々な「気配」に満ちている。車の排気ガス、飲食店の喧騒、路地裏の猫の足音、そして……遠くから微かに聞こえる、訓練された人間の気配。それは、この街のどこかに潜む『影』の残滓だ。あるいは、すでに自分たちを追跡している、新たな追手かもしれない。


「大丈夫か、蒼真?」


由紀が振り返り、心配そうな眼差しを蒼真に向けた。蒼真は無言で頷いたが、由紀は彼の瞳の奥に、わずかな躊躇と、深い決意が入り混じった感情を読み取ったようだった。


「私を危険に晒すこと、まだ悩んでいるの?」


由紀の問いは、蒼真の心の深層に触れるものだった。由紀の父親である白咲瑛司が、由紀を『影』の権力掌握の駒に利用しようとしていることを知った時、蒼真は由紀を巻き込むことに激しい抵抗を覚えた。しかし、由紀は自らの意志で蒼真と共に行くことを選んだ。彼女の強さと覚悟は、蒼真の孤独な戦いに光を灯し、彼に「仲間」という希望を与えた。


「……お前たちを、危険な目に遭わせたくないだけだ」


蒼真は絞り出すように言った。彼の声には、抑えきれない苦悩が滲んでいた。かつて一人で戦い、能力を隠し続けてきた蒼真にとって、仲間を守るという感情は、何よりも強く、そして重いものだった。力を解放すればするほど、彼らも危険に晒される。そのジレンレンマが、蒼真の心を深く抉っていた。


「私たちはもう決めたんだよ、蒼真。一人で背負い込まないで。私と由紀がいる。二人で、いや、三人で一つだよ」


真琴が力強く言い切った。彼女の言葉は、まるで固く閉ざされた蒼真の心の扉を叩き開くかのように響いた。真琴は蒼真の隣に並び立つと、小さく微笑んだ。その笑顔は、かつての屈託のない友人のものでありながら、今は、揺るぎない覚悟と信頼が加わっていた。


「そうよ、蒼真。私たちはあなたの力が、決してあなたを孤独にしないことを知っている。その力は、私たちを守るためにある。そして、その力で、私たちと共に未来を掴むためにある」


由紀もまた、蒼真の目をまっすぐに見つめた。彼女の言葉は、蒼真の心に深く温かい光を灯した。蒼真は、自分のために危険を顧みない二人の存在に、胸が締め付けられるような感覚を覚えた。同時に、一人では決して味わうことのできなかった、強烈な連帯感と、何よりも大切な「居場所」を感じていた。彼はゆっくりと息を吐き出し、決意を新たにするかのように、強く頷いた。


「……分かった」


その短い言葉に、蒼真のこれまでの迷いと、仲間を信じる覚悟が込められていた。


三人は、さらに奥へと進んだ。雑居ビルが立ち並ぶエリアは、夜でも人通りが少なく、まさに潜入にはうってつけの場所だった。真琴は巧みな指さばきで、光学センサーの周波数を特定し、一時的に機能を停止させる。一瞬、チカッとセンサーの赤い光が明滅し、すぐに闇に溶け込んだ。


「よし、突破。次のエリアは……うん、ここもクリア。あ、ちょっと待って」


真琴が突然、画面を凝視した。彼女の額に、うっすらと汗がにじむ。


「どうした、真琴?」


由紀が素早く反応した。蒼真も、周囲の警戒を強める。


「ドローンの巡回ルートに、わずかな変更があった。予測よりも三〇秒早く、次のドローンが来る。このままじゃ、私たちの姿が感知される可能性がある」


真琴の言葉に、由紀の表情が引き締まる。たった三〇秒。その一瞬が、命取りになる。


「回避は可能か?」蒼真が低い声で尋ねる。


「ギリギリ……でも、この路地を全力で駆け抜けなきゃ。蒼真、由紀、急いで!」


真琴が叫ぶと同時に、蒼真は由紀と真琴の手を掴んだ。


「しっかり捕まれ!」


蒼真の筋肉が隆起し、地面を蹴る力が全身に伝わる。次の瞬間、三人の姿は夜の闇に吸い込まれるように、猛スピードで路地を駆け抜けた。風を切る音が耳元で鳴り響き、真琴と由紀の髪が激しくなびく。蒼真の『総合超人能力』による高速移動は、もはや人間の限界を超越していた。数メートル先の景色が一瞬で目前に迫り、あっという間に遠ざかっていく。真琴の指示通り、路地の角を曲がり、次のビル影に身を隠したところで、上空を巡回するドローンのモーター音が頭上を通り過ぎていった。


「……セーフ!」


真琴が息を弾ませながら、安堵の声を上げた。由紀もまた、わずかに息を乱しているが、すぐに冷静な表情を取り戻す。蒼真は、二人が無事であることを確認し、ゆっくりと呼吸を整えた。


「油断はできない。こんな場所でさえ、これほど厳重な警戒が敷かれている。東京支部は、想像以上に堅牢だ」


由紀が現状を分析する。その言葉は、これから挑む戦いの過酷さを物語っていた。


三人はさらに数ブロック進み、ついに『影』東京支部の周辺に到達した。そこは、一見するとただのオフィスビル街だったが、蒼真の研ぎ澄まされた五感には、異様なまでの警戒網が感じられた。ビルの屋上には不自然なアンテナが林立し、地下からは微弱な電磁波が放出されている。そして、何よりも強いのは、訓練された能力者たちが放つ『気配』だった。まるで巨大な獣が獲物を待ち構えているかのように、街全体が静かに息を潜めている。


「真琴、ここから内部システムへの侵入を試みる。くれぐれも注意して。相手はプロ中のプロよ」


由紀が指示を出すと、真琴は頷き、カバンから小型の端末を取り出した。複雑な配線をビル外壁の通信ポートに接続し、キーボードを叩き始める。その指先は、まるでピアノの鍵盤を奏でるかのように滑らかだ。


「うん、分かってる。でも、由紀のデータがあれば、きっといける」


真琴は、由紀が父親から得た『影』の機密情報を元に、セキュリティシステムの脆弱性を探り始めた。蒼真は周囲の警戒を怠らず、いつでも動ける体勢で二人の作業を見守る。しかし、次の瞬間、彼の五感が危険を察知した。


「伏せろ!」


蒼真の叫びと同時に、ビルの屋上から複数の閃光が放たれた。それは、『影』の能力者が放つ特殊な拘束弾だった。蒼真は由紀と真琴を両腕で抱え込み、超高速で数メートル横に跳躍した。彼らがいた場所には、白い煙が立ち上り、アスファルトには溶解したような跡が残る。


「くそっ、見つかったのか!?」


真琴が悔しそうに顔を歪める。


「いや、違う。これは偶然のパトロール部隊だ。だが、我々の存在を察知した以上、すぐに増援が来る」


蒼真は、屋上から飛び降りてくる数名の人物に視線を向けた。彼らは漆黒の戦闘服を身に纏い、手には特殊な銃器を構えている。そして、その中には、他の兵士とは異なる、独特の『気配』を放つ人物がいた。低ランクながらも、確かに能力者だ。


「蒼真!向かってくるのは五人。そのうち二人は能力者よ!右側のビルから回り込もうとしている二人は、おそらく狙撃手。左の三人は正面から。その中に、電撃を操る能力者がいるわ!」


由紀の的確な分析が、蒼真の耳に届く。彼女は冷静に状況を判断し、真琴の端末に敵の配置と能力の情報を入力していく。


「真琴、周辺の照明を全て落として!敵の視界を奪うんだ!」


蒼真の指示に、真琴は即座に反応した。


「了解!……よし!周辺ブロックの電力系統にハッキング成功!一瞬、時間が稼げる!」


真琴がエンターキーを叩くと、まるで示し合わせたかのように、周辺一帯の街灯が突然消え、ビル群の窓明かりも瞬時に失われた。東京の夜景が、一瞬にして漆黒の闇に包まれる。


「今だ!」


蒼真は叫び、由紀と真琴をビルの影に押し込んだ。自身は闇の中を高速で駆け抜ける。


「狙撃手からだ!由紀、真琴、ここは俺に任せろ!」


彼の姿は、闇に溶け込む影そのものだった。屋上から飛び降りてきた『影』の兵士たちが、突然の停電に戸惑い、視界を失う。その一瞬の隙を、蒼真は見逃さなかった。


屋上の狙撃手二人に、蒼真は超高速で接近した。一人はライフルのスコープを覗き込み、もう一人は通信機で状況を報告しようとしていた。蒼真は、その両者の間に割り込むように跳躍すると、それぞれに掌底を叩き込んだ。


「ぐっ……!」


鈍い音と共に、二人の狙撃手が意識を失い、屋上へと倒れ込む。蒼真は彼らが持っていたライフルと通信機を破壊し、即座に次の標的へと視線を移した。


地上では、残りの三人が警戒しながら闇の中を進んでいた。そのうちの一人が、蒼真の『気配』を察知したかのように、腕から青白い電光を放った。それは地面を這い、蒼真の足元へと迫る。


「蒼真、気をつけて!電撃能力者よ!」


由紀の声が、暗闇の中で響いた。蒼真は電撃を紙一重でかわすと、一気に能力者の懐へと飛び込んだ。


「ちぃっ!」


能力者は驚き、腕を振り上げて電撃を放とうとするが、蒼真の拳の方が速かった。鋼鉄の如き拳が能力者の腹部にめり込み、その身体は弓なりに反って吹き飛ばされる。残りの二人の兵士が、蒼真に向けて銃を乱射し始めた。しかし、蒼真の高速移動の前には、銃弾は意味をなさない。彼はまるで幻影のように残像を残しながら、銃弾を避けて兵士たちの死角へと回り込む。


「はぁっ!」


蒼真の回し蹴りが、一人の兵士の顔面にヒットし、ヘルメットが弾け飛ぶ。もう一人の兵士は、恐怖に顔を歪ませながらも、最後の抵抗とばかりにナイフを抜いて襲いかかってきた。しかし、蒼真は軽くその腕を掴むと、ひねり上げ、あっという間にナイフを奪い取る。そして、そのナイフを自分の手で握り、敵の喉元に突きつける。


「……もう、終わりにしろ」


蒼真の低い声が、闇に響いた。その声には、冷徹な響きと、しかしどこか人間らしい、終わらせたいという切実な感情が込められていた。兵士は恐怖でガタガタと震え、ナイフを取り落とした。蒼真は、彼らの意識を刈り取る寸前、脳裏に由紀と真琴の顔が浮かんだ。彼らは、蒼真がただの破壊者ではないことを知っている。彼が、守るために戦っていることを知っている。


「……動くな」


蒼真は最終的に兵士を殺すことはせず、手刀で首筋を打ち、気絶させた。この瞬間、蒼真は、かつての自分とは違うことを確信した。あの頃は、敵は排除すべき対象でしかなかった。だが、今は違う。守るべきものがあるからこそ、力を使う。そして、不必要に命を奪うことへの抵抗が、確かに彼の中には存在した。それは、由紀と真琴が彼に与えてくれた、「人間らしさ」の証だった。


「蒼真!無事!?」


真琴の声が、照明が戻った夜の街に響き渡る。ハッキングによる停電は長くは続かなかったようだ。由紀と真琴が、ビルの影から駆け寄ってくる。蒼真は、倒れた兵士たちを一瞥し、そして二人へと向き直った。


「ああ、大丈夫だ。全員無力化した」


蒼真は、由紀と真琴の無事な姿を目にして、ようやく安堵の息を吐いた。彼の心臓が激しく脈打っている。それは疲労からくるものでもあったが、それ以上に、仲間を守り切ったことへの達成感と、彼らの存在が自分に与える力の大きさを改めて実感したからだった。


「すごい……本当にすごいよ、蒼真!一人で、全員を……!」


真琴が興奮したように蒼真を見上げる。その瞳には、畏敬の念と、そして確かな信頼が宿っていた。由紀もまた、蒼真の肩にそっと手を置く。


「あなたの力は、私たちの希望よ。ありがとう、蒼真」


由紀の優しい言葉に、蒼真の心の奥底に宿る孤独が、少しずつ溶けていくのを感じた。彼は由紀と真琴の手を、ゆっくりと握りしめた。その温かさが、彼の心を満たしていく。もう、一人ではない。この温かさを守るためなら、どんな『影』とも戦える。


しかし、安堵も束の間、真琴の端末から警告音が鳴り響いた。


「まずい!このエリアに『影』の大規模な増援部隊が向かってる!私たちがここにいることが完全にバレたみたい!」


真琴の声が焦りを帯びていた。画面には、いくつもの赤い点が、こちらへ向かって急速に接近しているのが表示されている。


「やはり、一筋縄ではいかないか……」


由紀が呟く。その表情は、依然として冷静だが、その瞳には困難な状況への覚悟が宿っていた。


蒼真は、由紀と真琴の手を強く握りしめたまま、前を見据えた。夜の都会の奥から、無数のサイレンの音が響き渡る。その音は、まるで『影』という巨大な組織が、三人に牙を剥こうとしているかのようだった。


「行くぞ。……まだ、作戦は始まったばかりだ」


蒼真の言葉には、確固たる決意が込められていた。彼の『総合超人能力』は、まだその真の全てを解放していない。だが、由紀と真琴と共に戦うこの「力」は、彼を孤高の存在から、「人間」へと引き戻してくれる。彼らは、この東京の闇を駆け抜け、『影』の心臓部へと、覚悟を乗せて突き進む。彼らの戦いは、まだ始まったばかりなのだから。

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