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影の庭園  作者: 最後に残った形


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# 第14話: 秘密の螺旋、護るべき光


放課後の喧騒が遠ざかり、聖徴学園の廊下は人影もまばらになっていた。窓から差し込む夕陽が、磨き上げられた床に長く影を落としている。仁科蒼真は、いつものように誰とも目を合わせず、最小限の歩数で下駄箱へと向かっていた。だが、その足取りは普段よりわずかに重い。それは、数日前、由紀の問いかけを冷たく突き放したことに対する、言いようのない後悔と、同時に迫りくる新たな脅威への警戒心からだった。


「仁科君!」


背後から、瑞々しい声が響く。心臓がわずかに跳ねたが、蒼真は表情一つ変えず、振り向かないまま立ち止まった。振り返れば、そこには銀色の髪を揺らし、碧眼を潤ませた白咲由紀が立っていた。彼女の顔には、まだ困惑と、ほんのわずかな傷つきが見て取れた。


「……何か用か、白咲」


絞り出すような声が、自分でも驚くほど冷たく響く。由紀は小さく肩をすくめ、一歩、また一歩と蒼真に近づいてきた。その距離が縮まるたび、蒼真の五感は警鐘を鳴らす。由紀の周囲に纏わりつく、微かな能力者の気配。それは、以前よりも明らかに増大していた。まるで、由紀が蒼真の秘密に近づけば近づくほど、彼ら『影』の網がより一層強固に張られるかのように。


「あのね、仁科君。この前は、その……ごめんなさい」


由紀は伏し目がちに呟いた。蒼真は戸惑った。謝るべきは自分の方だ。彼女の純粋な問いかけを、あんなにも突き放したのは。


「……お前が謝る必要はない」


「でも、仁科君は、私を避けようとしてたでしょう? それなのに、私がしつこく問い詰めたから……。私、仁科君のこと、もっと知りたいって思ったから……」


由紀の声は小さかったが、そこに込められた感情は、蒼真の心の奥底に染み渡るようだった。知りたがれば、由紀は危険に晒される。その真実を伝えることはできない。蒼真は拳を固く握りしめた。


「俺に構うな。それがお前のためだ」


そう言い放ち、蒼真は再び歩き出そうとした。だが、由紀は彼の制服の袖をそっと掴んだ。その指先が触れた瞬間、彼女の微かな体温が蒼真の神経を駆け巡った。


「嫌よ」


由紀ははっきりと言った。彼女の碧眼が、まっすぐに蒼真を見つめる。


「私は、仁科君のことが知りたい。それに、仁科君が私を護衛してくれているって、私、薄々気づいてるのよ?」


蒼真の背筋に、冷たいものが走った。まさか、そこまで気づかれているとは。彼は五感を研ぎ澄ませ、周囲に不審な動きがないか探る。由紀の周囲の監視者たちは、蒼真と由紀の会話にわずかな警戒を示しているようだった。


「何を馬鹿なことを……」


蒼真は振り向き、由紀の手を振りほどこうとした。だが、由紀の指は意外なほど強く、蒼真の袖を離さない。


「馬鹿じゃないわ。この前、私は自転車にぶつかりそうになったでしょう? あの時、誰かが私の背中をそっと押してくれたの。でも、振り返ったら誰もいなくて。それに、私がカバンを落としそうになった時も、誰かの視線を感じて、咄嗟に持ち直せた。あれは、仁科君でしょう?」


由紀は確信に満ちた声で続ける。蒼真は息を呑んだ。確かに、何度か彼女の危機を、能力を使わずに、あるいは極めて限定的な能力の応用で、それと悟られないように回避させたことがあった。だが、それを由紀がそこまで鮮明に認識していたとは。彼女の観察眼は、想像以上に鋭かった。


「私、知ってるのよ。仁科君が、私の周りの不審な人たちを、いつも監視していること。まるで、私を守ってくれているかのように。だから、もう突き放したりしないで……お願い」


由紀の声が、懇願に変わった。その純粋な信頼と、自分を理解しようとする姿勢が、蒼真の心を深く揺さぶる。彼は由紀の手を振りほどくことをやめ、ただじっと由紀を見つめた。彼女の瞳の奥に、少しの不安と、それ以上の、蒼真への信頼と温かさを見出した。


「……俺は、お前を危険に巻き込みたくない」


蒼真は、それだけを言うのが精一杯だった。由紀はふわりと微笑んだ。


「大丈夫。私、強いから」


その言葉に、蒼真の心に温かいものが広がった。由紀の言葉は、まるで彼の凍り付いた心を溶かすかのように、じんわりと浸透していく。しかし、同時に、彼女を狙う『影』の脅威を思い出し、その温かさとは裏腹に、背筋に冷たいものが走る。由紀を護るためには、やはり自分は彼女から距離を置くべきなのか。しかし、由紀はそれを拒絶する。この矛盾を、どうすればいいのか。蒼真は、答えを見つけられないまま、ただ由紀の手を掴まれたままでいた。


その日以来、由紀は蒼真に積極的に話しかけるようになった。昼食時、廊下、図書館。蒼真がどれだけ素っ気ない態度を取っても、彼女は諦めなかった。蒼真は、由紀の行動によって、周囲の監視の目が一層厳しくなっていることを感じていた。特に、彼女の父親である白咲瑛司の息がかかった監視者たちの動きは、以前よりも組織的で露骨になってきている。彼らは、由紀の動向を蒼真との接触を中心に報告しているに違いなかった。蒼真は、由紀が危険に晒される可能性を常に警戒し、彼女の視界に入らない場所で、常に五感を最大限に研ぎ澄ませていた。


「おい、蒼真!」


そんな緊迫した日常の中、唯一、蒼真の緊張を和らげてくれる存在がいた。星野真琴だ。放課後、蒼真が図書館で自習していると、真琴が明るい声で話しかけてきた。


「なんだ、星野」


「なんだ、じゃないだろ! 今日の部活、見に来いって言っただろ? しかも、今日の俺、ホームラン打ったんだぞ! それもソロじゃなくて、逆転スリーラン! 見てたか?」


真琴は興奮気味に、蒼真の隣の椅子に勢いよく座り込んだ。蒼真は、真琴の無邪気な笑顔を見ていると、張り詰めていた心の糸が少しだけ緩むのを感じる。彼の周りには常に『影』の影が付き纏い、能力を使うことの禁忌が重くのしかかっていた。しかし、真琴といる時間は、彼をただの高校生「仁科蒼真」に戻してくれる、唯一の安息だった。


「見てない。だが、おめでとう」


素っ気なく答えたつもりだったが、真琴は満面の笑みを浮かべた。


「だろー? でも、お前、最近変だよな。なんか、いつも上の空っていうか。白咲も、お前のこと気にしてたぞ。『仁科君、最近元気がないみたいで心配だわ』って」


真琴の言葉に、蒼真は再び胸の内がざわめくのを感じた。由紀が自分のことを心配している。その事実が、彼を嬉しくさせると同時に、彼女を危険に晒しているという罪悪感を募らせる。


「……別に、なんでもない」


「ふーん。まあ、お前がそう言うならいいけどさ。でもさ、あんまり白咲を困らせるなよ。あの子、すっげえお前のこと見てるから。なんか、お前が冷たい態度取るたびに、ちょっと悲しそうな顔してるんだよな」


真琴は、無意識のうちに蒼真の核心に触れるような言葉を投げかける。蒼真はごくりと唾を飲み込んだ。真琴は、彼を監視する『影』のエージェントである可能性が高い。だが、彼自身はそれに全く気づいていない。彼の言葉は、純粋な友情と、そして無自覚な情報収集の両方の意味を持つ。蒼真は、真琴の屈託のない笑顔を見つめながら、彼の言葉の裏に隠された意味を読み取ろうとした。しかし、真琴の表情には、何の裏もない。ただ、親友を心配する顔だけがあった。


「星野……」


「なんだよ?」


「……お前は、馬鹿だな」


蒼真は、思わず笑みがこぼれそうになった。それは、彼が『影』を逃亡して以来、ほとんど見せたことのない、人間らしい感情だった。真琴は、なぜ蒼真が笑いそうになっているのか分からず、きょとんとした顔をしている。


「なんだよ、急に」


「なんでもない。俺は、お前との関係が深まることで、確かに人間らしい感情を取り戻しつつある。だが、それが、皮肉にもお前を危険に晒すかもしれない。俺は、お前の無邪気さが、いつか誰かに利用されるかもしれないと危惧している。だが、それをどうすることもできない。俺は……」


蒼真は、そこまで言いかけて口を閉じた。真琴は首を傾げている。


「何をブツブツ言ってんだよ? まあいいや。なあ、今日さ、ゲーセン行かない? 新作の格ゲー、めちゃくちゃ面白いらしいぞ!」


真琴は明るく誘ってきた。蒼真は少しだけ考えた。由紀の護衛は、常に彼の最優先事項だ。しかし、たまには、この重荷から解放され、真琴のような「普通の高校生」として過ごす時間も必要だと感じた。


「……ああ、いいだろう」


蒼真の答えに、真琴は満面の笑顔を浮かべた。その笑顔は、蒼真の心に温かい光を灯した。


放課後、真琴とゲーセンで時間を過ごした後、蒼真は由紀の護衛へと戻った。薄暮が迫る街は、昼間の喧騒とは異なる、静かな空気に包まれている。蒼真は、由紀が友人たちと別れ、一人で帰路につくのを確認すると、慎重に距離を保ちながら、彼女の背後を追った。


由紀の周囲には、相変わらず複数の「影」の監視者が潜んでいた。彼らはそれぞれ、目立たない私服に身を包み、ごく自然な歩調で由紀の周囲を行き交っている。中には、イヤホンで誰かと連絡を取っている者や、スマートフォンを操作しているフリをして周囲を窺う者もいる。蒼真の五感は、彼らの微細な体温の変化、心拍数、そして何よりも、能力者特有の微弱な「気配」を正確に捉えていた。


(学園祭の準備が本格化するにつれて、監視が強化されている。由紀の父親、白咲瑛司の動きが活発になっている証拠だ。あるいは……俺の能力漏洩が、彼らに確実な手がかりを与えたか)


蒼真は、自身の失態が由紀を更なる危険に晒していることに、深い焦りを感じていた。彼は路地裏の影に身を隠し、由紀の進む道に不審な点がないか、常に先回りして確認する。


由紀が通りかかる交差点。信号が赤に変わったちょうどその時、一台のトラックが猛スピードで交差点に進入しようとしているのを蒼真は察知した。運転手はスマホを操作し、前を見ていない。このままでは、信号無視で横断歩道を渡り始めた由紀と衝突する。


(まずい!)


蒼真の脳裏に、由紀の無邪気な笑顔がフラッシュバックする。彼は、能力を使わずに、しかし確実に由紀を救う方法を探った。ほんの一瞬の判断だった。彼はトラックが由紀に衝突する直前、ポケットから小石を取り出し、全速力でその小石を投擲した。それは、常人では到達し得ない速度で飛んでいき、トラックの運転席の窓に当たった。ガチャン、と小さな、しかし驚くほど響く音が、静まり始めた街に響き渡る。


運転手は驚き、咄嗟にハンドルを切り、急ブレーキを踏んだ。タイヤが激しくスキール音を立て、トラックは由紀のわずか数メートル手前で停止した。由紀は突然の音に驚き、恐怖でその場に立ち尽くしている。監視者たちは、何が起こったのか把握できず、周囲を警戒しながら由紀に駆け寄ろうとする。


由紀は、振り返った。しかし、そこに蒼真の姿はない。彼は、トラックが停止した瞬間に、交差点から離れたビルの屋上へと跳躍し、身を隠していた。彼の心臓は激しく高鳴っていた。わずかな能力の発動。しかし、この程度であれば、彼らの能力感知器に引っかかることはないだろう。


(だが、由紀は、また何か不自然なものを感じ取ったかもしれない)


蒼真は、夜空の下、ビルの屋上から由紀の無事を確認した。監視者たちが由紀に駆け寄り、彼女に話しかけている。由紀は、まだ動揺しているようだが、無事だった。その姿を確認し、蒼真は安堵の息を吐いた。


夜が更け、街の灯りが星のように瞬く頃、蒼真は学園周辺から由紀の自宅があるエリアまで、広範囲にわたる巡回を行っていた。彼の五感は、暗闇に紛れる不審な動き、微細な音、そして能力者の残す独特な「気配」を余すところなく捉える。最近、『影』の動きはさらに活発化していた。特定周波数の電波妨害が散発的に起こり、特殊な能力感知器の残滓が空気中に漂っているのを、彼は敏感に感じ取っていた。それは、彼らが蒼真の痕跡をさらに絞り込み、大規模な作戦を準備している証拠だった。


(霧島隆一……ついに本腰を入れてきたか)


蒼真は、元上司の冷徹な顔を思い出す。彼は蒼真を捕らえるまで、決して諦めないだろう。そして、もし由紀が彼の正体に深く関わってしまえば、彼女の安全は保証されない。


蒼真は、由紀の自宅が見える丘の上で立ち止まった。窓から漏れる温かい光が、彼の胸を締め付ける。彼女の明るい笑顔、そして彼を信頼しようとする碧眼。それらが、彼の心を照らす光となっていた。


(もう、由紀から目を離すことはできない)


たとえ、それが自分を『影』の追跡からさらに危険な状況に追い込むことになろうとも。たとえ、由紀が自分の秘密を知ることで、彼女自身が脅威に晒されることになろうとも。彼は、彼女を守ることを決意していた。


蒼真は、空を見上げた。満月が、冷たい光を投げかけている。彼の能力は、世界をひっくり返すほどの力を持つ。しかし、その力を隠し、普通の生活を送ることは、彼にとって何よりも大切なことだった。だが、由紀という光が現れたことで、彼はその「普通」とは異なる、新たな選択を迫られている。


(この力は、誰かのために使うべきなのか。あるいは、俺の秘密は、彼女を巻き込むべきではないのか)


葛藤は尽きない。しかし、彼の心には、確固たる決意が芽生え始めていた。それは、由紀の笑顔を護るためならば、いかなる代償も厭わないという、強い決意だった。彼の孤独な戦いは、由紀との絆を深めることで、新たな局面へと加速していく。そして、『影』の魔の手は、彼らのすぐそばまで迫っていた。

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