93 絵画と金のワゴン
二人の行為が終わったようで、レイヴとラズベリーが棚の奥の方から出てきた。私は辺りを見てはいたが、この部屋にはまだ誰も近づいていない。
「ねえ」レイヴがラズベリーに聞いた。「どうにか侵入したのは動物か何かだったとか言ってくれないかな?」
「ちょっと待って。」ラズベリーはノアフォンで誰かに連絡をした。「お父様?どうしたの?……ええ、うん、え?……違う、違うったら!」
どうしたのか、ラズベリーは血相を変えてしまった。
「…………例えそうだとしても、私は何も悪くありませんわ。だってこの結婚生活が耐えられないもの!だって……!」
レイヴと目が合った。彼は死んだような目をしている。ラズベリーが意外と頼りにならない、やばい、という据わった目つきだった。
「今?今は……わたくしのコレクションルームにいますわ。ええ、ええ。一人ですの。今度ほら、ヴィノクール美術館で印象派展がありますから、それに貸し出しする絵画を……ええ。」
ラズベリーは我々に向かってウィンクをした。本当かよ、本当に大丈夫なのかよ、切実に問いたい。
私はレイヴにハンドガンを渡そうとした。でも彼は首を微かに振って、私にハンドガンを押し付けてきた。えええ……。
ラズベリーは通話を終了させて、我々に言った。
「今のうちですわ。今お父様に伝えて、私は一人だと伝えましたの。」
「え?」レイヴが言った。「いやいや、今の完全にラズベリーが誰かを無断で入れたって思われてるよね?俺でも分かるんだけど。それで、どうやってここから出ればいいの?無理でしょ、もう。」
「…………ならば私が印象派展の絵画をワゴンに積むから、レイヴはその間に隠れて、一緒に屋敷から外に出ましょう?あなたは消えて。」
「え?」消えてと言われた私は戸惑った。
「ですから、姿を消して、私達に付いてきてと言う意味ですわ。暴言ではありません。」
「あ、そうですよね。」
私は姿を消した。ラズベリーは早速部屋の隅に置いてある金色のワゴンに印象派展の絵画を積み始めた。レイヴが彼女に聞いた。
「本当に印象派展があるの?あまり嘘っぽいこと言うと、ばれそうだけど。」
「あります。絵画を貸す予定というのも本当ですわ。……問題はわたくしがあなたをワゴンで運んで押せるかどうかですけれど。」
「あ、そうだよ。俺スリムだけど筋肉あるから重いかも。」
「……そうですわね。」
ラズベリーはワゴンに丁寧に絵画を四枚積んで、レイヴのことを手招いた。彼は真ん中の隙間に入ったが、狭すぎてしゃがめない。でもしゃがまないと頭が飛び出てばれてしまう。
レイヴは広告を肩からぶら下げたサンドイッチマンのようなスタイルでラズベリーを見つめた。
「どうすんのこれ……バレるだろ。」
閃いた私は言った。
「そのまま卍型に足と手を曲げたら?古の壁画のように。」
「えーまじかよやってみる!」
レイヴは片膝を下につけて、もう片方の足を曲げたまま丁寧にしゃがんだ。腕はどうでもいいのに、何故か彼は律儀に卍型の形に体を曲げたので、格好がちょっと笑える。
「ふふっ」
「笑わないでよ。でも俺これだと踏ん張れるかどうか……運ぶ時になるべく揺らすなよ?」
ラズベリーは頷いた。
「任せてくださいませ。廊下に出たら、あとは屋敷のエレベーターで下の階へ行き、正面の階段のそばにはスロープもありますから。」
「それならいいや、じゃあよろしく。」
ラズベリーは大きくて白い布を全体にかけた。これで外からは絵画だけがあるように見えている。これなら出れそうだと思った。
彼女はすぐにガラガラとワゴンを押し始めた。私は彼女が通りやすいようにドアを開けた。彼女は「礼を言いますわ」と言ってから通り過ぎた。
廊下にはうじゃうじゃとボードン兵がいて、ラズベリーが視界に入ると彼女に向かって頭を下げた。彼女は手を軽くかざして、顎を高くしたまま通り過ぎた。すごいお嬢様ライフだ。
吹き抜けには階段があって、その下の方から「カタリーナ!」と男性の太い声が聞こえた。ラズベリーが立ち止まると、階段の下から赤いガウン姿の太った鼻髭のおじさんが慌てた様子で出現した。
彼は有名なので知っている。ハロルド・ボードンだ。財閥で一番の権力者であり、ラズベリーの父だ。
彼は額から汗を流して、ゼエゼエと呼吸をして、ラズベリーに話しかけた。
「お前、何か隠し事をしているだろう?さっきの会話だって、嘘に決まってる!」
しかしラズベリーはツンとした態度のまま、ハロルドに冷ややかな視線を送った。
「わたくしが嘘をついているですって?わたくしはついていませんわ。そんな暇もありませんの。」
「何を言っている!?裏口の警備を減らしたのはお前だろう!?大ごとになる前に正直に話せ……!」
ハロルドの大声を聞いて、周りにいた兵が視線を向けた。しかし彼が「見るな見るな」と手で追い払う仕草をすると、兵たちは視線を逸らした。
そしてラズベリーに言った。
「もしやまた、カンパニーの人間に会ったんじゃないのか?正直に言え。言っとくが、お前が結婚したのはあのシードロヴァだ。二人は結婚したと言うのに、まだ未だにお前がこの家に住んでいるのを不思議に思って、彼の性格を調べさせてもらった。まああれでは仕方あるまい。しかし彼の妻だというおかげで、お前はノアズにも圧力をかけられるんだ。いいか?いくらあの男の心が凍っているとは言え、もしお前が浮気をしたら、それを理由に離婚なんてことも考えられるだろうが!この結婚は絶対に終わらせてはいけないものなんだ!」
「ですから、わたくしは何もやましいことなどしておりません。」
「だったらどうしてさっき電話で、浮気しても仕方ないというようなことを言ったんだ?」
「……それ程に何も幸福感のない生活だということですわ。だからと言って、私が他の男性と関係を持つことなんてありませんの。」
「ああそうかい、それならいいが、」ハロルドはラズベリーに近づいて、小声で言った。「いいか?水面下で、計画は進んでいる。お前はシードロヴァを支配し続けろ。奴は研究が出来ればあとはどうでもいいんだ、その環境を用意してあげれば文句は言わない。あとはFOCの人間に頼んで、ニコライを消してもらう。」
FOCに頼む?私は首を傾げた。ボードンとFOCは敵対組織なのに、どうして頼める?ハロルドは続けた。
「どういう意味か分かるな?」
「分かりますわ。でもわたくしは権力さえあれば、あとのことには興味はありませんの。」
「今に興味を持つさ、全てが手に入るんだからな。お前がシードロヴァと結婚できたのは大きい。ニコライを消しても奴が残るのなら、ノアズは力を持ったままだ。ニコライを消してから、奴も消す。」
「わたくしの夫を消すというのですか?」
「夫ではない。ただの通過点だ。奴までいなくなれば自然とお前がこの世界のトップに立てる。」
「わたくしが?ですが彼には……。」
「なんだ?」
「いえ、彼には、」ラズベリーが言葉を選んでから言った。「……魔工学の御加護がありますから、簡単にはいきませんと言いたかったの。」
「ふん、そんなのはプロに頼めばいい。この世でお金で買えないものはないからな。そしたらお前がこの世の女王となる。調べたが、あいつには他に家族はいない。万が一何処かにいたとしても、ノアズには血縁継承権制度がない、優遇はされるだろうが血だけであの地位を引き継ぐことは出来ない。優秀でなければいけない。」
ラズベリーは黙った。彼女は多分、嘘をついた。本当は彼には妹がいると言いそうになったけど、魔工学の御加護にすり替えたんだ。彼女は本当は、シードロヴァに妹がいるのを知っている。でも言わなかった。
これは大変な会話を聞いてしまっている。もしかしたらその内、大規模な戦闘が起きるかもしれない。
「だた殺せばいいわけではない。市民の目があるから、自然な方法でやらなくてはいけない。ああ、そのためにFOCのあいつが必要だった。なんだっけ、バリーだ。」
私は目を見開いた。バリーは、裏切り者?
「バリーに命じて殺してもらった、アリシアだったか、あいつがゴーストになって……はっはっは、信じられん話だが、FOCを手伝っているらしい。今すぐにパッカリと二つに割れてもおかしくない、可哀想な組織に手を貸してるんだ。健気だが、哀れだな。」
変な動悸がした。ハロルドがバリーに私を殺せと命じたの?私の気持ちが通じたように、ラズベリーが彼に聞いた。
「どうして彼女を、やれと?」
「……バリーは俺に忠誠を誓ってる。これを見ろ。」
ハロルドはトップスの裾をめくって、ポニョポニョした脇腹を見せた。そこにはくまちゃんのタトゥーがあった。あの時、シャワールームで見てしまった、バリーのものと同じだった。
「馬鹿なことに、俺に憧れる気持ちから、これと同じタトゥーを奴は体に入れてしまったらしい。普段は隠していたが、アリシアにシャワーで見られたと。彼女がこのタトゥーの意味に気付いたら危険だ。だから消した。それよりも、誰も屋敷に入れていないんだな?じゃあ何故警備を手薄にした?」
「スリルですわ。わたくしにはスリルが必要ですの。」
「そうか、お前は感受性が豊かだからな。」
ハロルドは微笑んだ。不気味な笑みだった。




