9 赤くテロテロな素材
枯れた花、いや、切り干し大根……と例えた方がいいだろうか、天使が背もたれに乗っているベンチに座るイオリは、力無くぐったりと座って無言のままだ。
あれ以上サラを追いかけるのは無理だと分かったイオリはアルバレス家の中庭のベンチで生気を失っている。私はその隣でちょこんと座っている。
りんりんと虫が泣いている。秋に鳴く虫。風鈴のような音色で風情があって良いけど、出来ればもうちょっと頑張ってライブのような盛り上がりを見せて、隣の失恋男を元気にしてほしい。
「アリシア。」
「え?」
私はイオリを見た。彼はどこに焦点を合わせるでもなく、虚な目をしていた。
「一つ聞きたい……何故、俺に、ついてきたんだ?」
「知らない。」
「知らないだと……?」
イオリがギュンと私を睨んだ。黒い瞳は、夜空のように綺麗で、吸い込まれそうだった。そんな瞳に睨まれても全然怖くない。
「だって、引きずられてここまで来た。理由は知らない。でも、多分だけど……。」
「多分?何だ?」
「私の予想だけど、多分、ついて来いって言ったからだと思う。」
「誰が?」
「イオリが。」
するとイオリがベンチから降りて、徐に私の目の前に立った。何をするのかとじっとイオリを見つめていると、彼は急に私の首を掴んできた。
「俺はな……付いて来いと言ったんだ!憑いて来いではない!あああああああ!」
「ちょ、待って」
「アリシアあああああ貴様ァァあああ!」
どえらい力で首を絞められてとても苦しい私は、そうだ、透ければいいんだと思い付いて、スッとステルスモードに入った。両手で首を絞めてたイオリは勢い余って、両手をパチンと合わせて、体のバランスを崩してベンチに突っ込んでいった。
私はベンチから降りて、ベンチに顔を突っ込んだまま動かないイオリのお尻を見た。ポケットに長財布が入っている。つい、盗ってしまいたい欲求が出たが、イオリは仲間なのでそれをとる事はしなかった。
私は再び体を現してから、イオリの背中にとんと手を置いた。
「大丈夫、真実を話せば分かってくれると思う。」
「真実……?」イオリはか細い声を捻り出している。「何を話そうと、三階の窓に浮遊してたお前が生きていないこと自体分かり切ったことなんだ。お前がここから去らない限り、俺はサラと一緒になれない。」
「そうは言われましても。」
「……。」
それからイオリは何も言わなかった。暫くベンチに顔を突っ込んだまま動かなかったが、家の一階の明かりがつくと、彼が徐に顔を上げて、とぼとぼと邸宅に向かって行ったので、私も付いて行った。
驚いたのは、彼が玄関を開けるとエプロン姿の使用人の女性が出迎えてくれたことだ。髪の毛は黒く、ゆったりとウェーブがかかっているセミロングヘアで、頬にはシワが刻まれていた。
独特な鋭い目つきのわりには優しそうな声色をしているその女性が、イオリにこう聞いた。
「あれ?サラちゃんはどうしたの?もう帰ったの?まさかあなた、失礼なことを言ったんじゃないの?」
「……。」
イオリは無言で彼女のそばを通り抜け、階段を上がって行ってしまった。気になって振り返ると、使用人の女性は怪訝な顔でじっとイオリを見ていた。
使用人にしては親しそうな話し方をしていたな……と顎に手を当てて私は階段を上がり、さっき窓から覗いていたイオリの寝室へやってきた。
するとイオリが自分だけ入ってドアを閉めてしまった。いやいやいや、と私はドアをスッと通り抜けて中に入った。
イオリがベッドに突っ伏していた。ダークブラウンのベッドフレームに、赤い色の布団だった。シーツも赤だった。しかもシルクっぽい光沢感がある。
……思ったよりもセクシーなベッドだった。カーテンがベージュという無難な色だから油断してた。そうかそうかこれはなんとも鼻血が出そうだと考えていると、イオリがぼそっと言った。
「女は、苦しむ男を見て喜ぶんだ。」
「そ、そうかな。私は喜ばない。」
私は姿を現してから、ベッドに座った。イオリはぐるっと体を回転させて仰向けになると、枕を使いながら私を見つめてきた。光の無い目だった。
……気まずい。うん、気まずいなぁこの視線は。そうだ、私はイオリに聞いた。
「サラはとても、なんていうか、妖美だね。」
「ああ。」
「イオリにぴったりだね。」
「どうもな。」
「……怒ってる?」
「ああ。」
私は姿を消した。すると姿を消してるにも関わらず、イオリが枕を私に投げてきた。つい当たってしまって、「プギャ」と声が出てしまった。
「……仕方あるまい。サラには俺の方から、通じるかは分からんが、説明する。」
「うん……二人は、付き合い長いの?」
イオリが鼻でため息をついた。まあ私が聞くことでは無いかもしれないけど、つい聞いちゃったからもう遅い。姿を現して、イオリが投げてきた枕をギュッと抱きしめた。
「付き合って半年だったか、それくらいだ。」
「へえ。イオリから告白したの?」
「俺が告白するような人間に見えるか?」
「見える、けど。」
「……。」
黙ったイオリがベッドから降りて、ベッドの横にあるドアを開けて、中に入って行った。近づいて覗くと、中はウォークインクローゼットだった。
ビジネス用なのかシャツやスラックス、スーツばかりがハンガーにかかっている。奥には革靴のコレクションの棚もあった。どれも高級ブランドのものばかりだ。
この部屋にあるものだけで、私のトレーラーハウス以上の価値はありそう。苦笑いしながら近くの黒いジャケットの裾を触ってみると、肌触りが滑らかで、じっと目を凝らして生地を観察してみると、見たことない程に糸と糸が精妙に折り重なっていた。
肌触りが安物のそれとは全然違う。いつまでも触っていたくなる。ジャケットを優しく撫でていると、物色しているイオリが私に言った。
「何故そんなに触るんだ?」
「あ……ごめんなさい。」
「いや、構わない。ただ気になってそう聞いただけだ。気にするな。」
イオリは優しい人だ。もしこれが私の夫だったら、自分の物に触っただけで、私に怒鳴っただろう。そしてトレーラーハウスから私を追放する。例えそれが、嵐の夜でも。