11 ぼんやりと浮かぶ顔
結局一睡も出来なかった。そういう体質になったのかもしれない。疲労感はなく、頭もスッキリしている。もう寝なくてもいい体質になったのだろう。
窓のカーテンが朝日でどんどんと明るくなって、私は自分が消えてしまうんじゃないかと不安になった。でもそれは杞憂で、カーテンが陽の光で輝いても、それを開けても、私の体は消えなかった。
……こんなにしぶといゴーストって他にいるんだろうか。もしかしたら街で見かける人の中に、私と同じ人がいたのかもしれないなぁ。
「おい、」
「え?」私は振り返った。
「……眩しい。まだ起きる時間ではない。」
「あ、ああ。」
頭まで布団に埋まったままのイオリがそう言うので私はカーテンをまた閉めた。すると丁度その時に、サイドテーブルに置いてあるイオリのノアフォンのバイブレーションが音を立てた。アラームの音だった。
……そんな数秒まで惜しんで寝るものかな。またカーテンを開けると、イオリが「んー」と唸りながら身体を起こして、ボサボサに跳ねた髪をわしゃわしゃと手で触っている。
「おはようイオリ。」
「まだいるのか……ワンチャン朝日でどうにかなると思ったが……おはよう。」
そんなブスッとした不機嫌な猫みたいな顔をして暴言吐いちゃって。でもちゃんとおはようって返してくれた。もうここまで来るとイオリに懐いている自分がいる。
イオリは普段着のままで寝てしまったのが不快なのか、むすっとした顔でシャツのボタンを取り、開けっぱなしの状態で部屋から出て行った。
私も付いて行った。彼のシャツから覗いた筋肉質のお腹が脳裏に媚びついている。ちょっと変態になってきた気がする。
「今からシャワー浴びるから、お前は洗面室で待っていろ。」
「うん。」
イオリは三階の廊下の端まで行くと、白い扉を開けた。すると商業施設ばりの大きな鏡と、洗面台が三つも並んでいて、全て自動の蛇口だった。
彼はシャツを脱いで、壁にある謎の金属製の取手を引いた。パカっと開いて、その中に脱いだものを放り込んだ。なるほど、ダストシュートの洗濯物バージョンか。中々普通のご家庭では見ない設備だ。
「……。」
「どうしたのイオリ。」
「……あまり見ないでもらいたい。」
「あ、ああ。」
私は背を向けた。スルスルと脱ぐ音がして、ガチャっとお風呂場のドアが開く音がして、すぐにシャワーの音が聞こえた。
いいなぁ、豪邸に広々としたお風呂場。こんなのが自宅なら旅行しなくても毎日が旅行だよ。私のトレーラーハウスなんて、狭っこいシャワールームがあってお湯の出もとても悪いし、お手洗いなんか……思い出したくもない。
いいなぁ、ちょっとお風呂場の中を覗きたいなぁ。私は透かしガラスのドアに近付いた。頭を流しているイオリのシルエットがぼんやりとドア越しに霞んで見えている。
中から嗅いだことのないような、石鹸のゴージャスないい香りがしている。私はドアに顔をくっつけてみた。あーいいなぁ、このドアも高級そうな浴槽ドアだ。どこもかしこもいいなぁ。
「ぬ、ぬああああああああ!」
「え?え?」
中のイオリが驚いて転びそうになっている。私は怪我したか心配になって、つい開けそうになったが、怒られると思ってそれはやめた。
落ち着いたイオリがドアをバンと叩いた。
「……いいか、誰かが入っている風呂場のドアに顔を近づけるんじゃない。それはお前が思っている以上にこちらに恐怖を与える行為なんだ!一瞬、出たかと思っただろが!」
「出てるよ、出てる。」
「ああ、もうっ……分かっている!!!俺と一緒にいるなら二度とゴースト感を出すな、いいな!」
「おっけーです。」
なんだ、怖がっちゃって。イオリったら本当に面白いんだから。私はマットの上に体育座りをして、イオリのことを待った。
できれば彼には、生きている時に会いたかった。会って、友達になりたかった。それは出来ないか。イオリはノアズで、私はスナイパーだ。生きている時に出会っていたら、確実に逮捕されてた。
こうなることでしか、知り合えなかった関係なんだと思うとちょっと切ないけど、でも出会えて感謝してる。今が一番楽しいから。
「おい……タオル。」
「はいはい、タオルですね。」
私は立ち上がって、タオルを忘れた可愛いイオリのために、棚に積まれている真っ白でふんわりとしたバスタオルを手に取った。
「……長年連れ添った妻のような受け答えをするな。」
「たまたまそうなった。はいどうぞ。」
「どうも。」
ドアの隙間からタオルを入れるとイオリが勢いよく取って中で拭き始めた。犯人はティーカップの中が終わるまでの関係かもしれないけど、それまでこうしてそばにいていいのなら、何か、イオリの手伝いをしたいな。
ちょっと好きだけど、イオリには大切な人がいる。だからそばで支えられるだけでいい。
「何が好きだ?」
「えっ?イオリの?」
「……俺のどの部分が好きとは聞いていない。どうしてそうなるんだ。そうじゃなくて、食べ物で何が好きだ?」
「あ、そっちか。食べ物食べ物……生きてる時は、そうだなぁ、ダークホースの生肉が好きだった。」
「ダークホースって森によく出るモンスターか……見た目が腐った馬のような、別名ゾンビ馬。」
「見た目に反して美味しい。」
「どんな生活をしてきたのか、不安になる回答だった。まあ、俺はモンスター肉を使った料理はしない。」
「イオリは料理するんだ。」
「ああ。」
ガラッと扉が開いて、バスタオルを巻いたイオリが出てきた。髪の毛の分け目が無くなって、前髪が全部垂れて、ウェーブのかかっている毛先は濡れて束が纏まっていた。
……見ちゃうよね。そりゃ見ちゃうよ。
「その様子、眠れもしないのなら、食事も取れないだろう。ああ、いつまでここにいるんだか。」
イオリは洗面台の引き出しからメンズ用の化粧水を取って、パッパッ顔につけた。いつまでここにいるんだと言われてちょっと傷ついた私は、身体を縮こませて、イオリに少し頭を下げた。
「イオリ、一緒にいてごめんね。」
彼は顔に化粧水を擦り込ませて、鏡越しに私を見た。
「フン……。」
それだけかい。まあ確かに、急に知らない人間がくっついてきたら嫌か。少しがっかりしていると、イオリが歩き始めた。
そして廊下へのドアを開ける時に少し立ちどまった。
「……この世で一番上手い朝食を教えてやる。」
「え。」
「食べられたら、食べればいい。その身体が消えるまで、毎日。」
「でも、消えるまで一緒にいてもいいの?」
「……いいから、こう言っている。」
全然こっちを見ないでそう言ったイオリは廊下をスタスタと歩いて行った。私も急いでドアを閉めて、彼について行った。今の言葉が嬉しくて、胸の中がうるさくて、私は自分の胸をどうどうと撫でた。




