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響は少女が飛び去っていった空をいつまでも眺めていた。
心が清々しい。こんな気持になったのは初めてのことだ。
「申し遅れました。私、茉莉穂乃果と申します」
制服の少女は響の横顔を見つめながら言った。その声に響はやっと振り返った。
「ボクは草薙響。キミは中学生?」
「はい、そうです。陸奥中里中学の2年生です。草薙様、助かりました。ありがとうございました」
穂乃果は深々と頭を下げた。
「『様』は止めてくれ。あんなことならいつでも」
と、言ってから、響は再びシマッタと思う。今回のことはともかく、迂闊なことを言って、次にまた先日のようなことになってしまってはどうしようもない。
「きっとあの子もいつかは浄化されることでしょう」
「いつか?」
「はい、妖かしとしての生涯を終えた時」
「大丈夫なのかな?」
ふと心配になった。さっきは穂乃果の頼みで、つい手を貸してしまったが、本当に問題はなかったのだろうか。
「何がですか?」
キョトンとした顔で穂乃果が訊く。
「……ボクの力は人を不幸にする」
「不幸? どうしてそんなふうに思うのですか?」
少し驚いたように穂乃果は響の顔を見つめた。
「人は恨みによって妖かしとなる。ボクの力はその手助けをしてしまう。恨みをはらすだけの力を与えてしまう」
穂乃果はますます不思議そうな顔をした。
「妖かしとなることは不幸なことではありませんよ」
「そうなのかな? 妖かしになった者は、恨みや呪いを振りまいて人を不幸にするんじゃないのかな?」
「恨みや呪いを振りまく? 妖かしが? そうなんですか?」
「違うの?」
「そもそも、人と妖かしと何が違うんですか?」
「何がってーー」
響はどう言葉にすればいいかわからなかった。人と妖かしが違うことなど、当たり前のように思ってきた。
「恨みを持つのは人だって同じです。妖かしだから恨みを持つわけでも、妖かしだから憎しみを晴らそうとするわけではありませんよ。いや、むしろ人間のほうがその恨みは複雑で根が深いんじゃないでしょうか」
「それなら妖かしとは何なんだ?」
「妖かしは……生命の先にある存在ではありませんか?」
「生命の先?」
「人間も動物も、命のあるものは全ていつか死を迎えます。その先に『妖かし』という存在が待っている。もちろん死を迎えてそのまま輪廻の輪にのることが出来るならそれが一番良いのでしょう。でも、深い想いを持って、それにのれない者もいる。そのために『妖かし』という段階が必要なんです」
穂乃果は自分に言い聞かせるかのように言った。中学生で、これだけ命について語れるというのは、やはりそういう浄化の力があるからかもしれない。
「でも、妖かしは恨みを晴らすだけの存在だろう?」
「そんなことありませんよ」
「どうしてそんなことが言える? さっきボクの手によって妖かしになったあの子だって、誰かを傷つけることになるかもしれない」
「そんなことにはなりません」
「なぜ? どうしてそんなにハッキリと断言出来るんだ?」
穂乃果はジッと響きを見つめていたがーー
「よくわかりませんね」
そう言って首を捻った。「でも、あの子はそんなふうにはなりません。私、正直言って難しい理屈はよくわからないんです。ただ、皆が幸せな気持ちになれるのは何かなって考えるんです」
「幸せなんて人それぞれじゃないのかな。それに誰かの幸せが、誰かの不幸になることだってあるよ」
穂乃果は驚いたように響を見つめ、少し考えるような仕草をした。
やがてーー
「そういうこと考えるのって楽しいです?」
「いや、楽しいとかそういうことじゃなくて」
「じゃあ、考えてもしょうがないじゃありませんか」
「しょうがない?」
「だって、私は神様じゃありません。未来が見えるわけじゃありません。今、自分が正しいと思っていることを、誰かが幸せになれることをしたいだけです」
その穂乃果の言葉に響は驚いていた。
この子は何を言っているのだろう? 穂乃果は自分と似たような力、いや、それ以上の力を持っているというのに。
まるで何も考えていないかのようにも感じられるが、むしろ、全ての答えを凌駕しているようにも思えてくる。
「神様じゃないかもしれないけど、じゃあキミの力は?」
「私はただの巫女です。神巫女です」
「神巫女?」
「妖かしのため、人のため、それが『妖かしの一族』。そして、それを祈るのが私の役目です」
「妖かしの一族?」
「そうです。私は一条家に仕えています」
「一条家?」
「ご存知ありませんか? 八神家の一つであり、妖かしや人を守ることを生業としています」
知らないと思いながら、その名前をどこかで聞いたことがあるような気がした。いや、記憶の底にそれは間違いなくあるはずだ。だが、それを思い出せない。
「それなら教えてくれないか。実は先日、ボクの力で一人の妖かしが生まれた。その妖かしは生きていた頃の恨みで暴走しているみたいなんだ」
穂乃果はそれを驚いたように聞いていたが、少し考えてから言った。
「では、相談してみたらいかがでしょうか?」
「誰に?」
「その制服、陸奥中里高校のものですよね。二宮瑠樺さんをご存知ありませんか?」
響は大きく頷いた。
自分のやったことは、自分で責任を取らなければ。