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番外編  吟遊詩人と希望の賛歌

書籍版『ハーシェリク 転生王子と白虹の賢者』の番外編。


ジーンの過去を垣間見る物語です。



 流れの吟遊詩人トーンは、夕方が近づく噴水広場で、一人の少女を見つけた。


 年は十歳ほどの、磨かれた銅貨のような色の髪を持つ、痩せた少女だった。噴水の縁に座り、ぼうっとしている。


 周りを見回しても人はまばらで、直に夜が訪れる。ここは大国グレイシス王国の王都だが、子どもが暗くなっても絶対安全と言い切れるほど、治安がいいわけではない。


 トーンには遠くの故郷に妹がいる。少女が妹の幼い頃と重なり、ついトーンは話しかけてしまった。


「お嬢ちゃん、こんなところで何しているんだい?」


 急に話しかけられ、ビクリと肩を震わせた少女。トーンを見て、すぐに視線を逸らすと、呟いた。


「……家に、いちゃいけないから」

「でも暗くなるよ? 危ないし、帰らないと」


 少女はトーンの言葉に、無言で答える。その様子に、トーンはしょうがないなぁと思った。

 思春期の子どもが、親と喧嘩して、家に帰りたくないことはよくあることだ。


「じゃあ、お兄さんと遊びに行こうか」


 遊んで満足したら、家に送っていこうと思い、トーンはそう言った。そんな彼に、少女は胡乱げな視線を送る。


「……知らないおじさんに、ついていっちゃだめって」

「おにいさん! 僕はまだ二十代だからね! ……やっぱり老け顔かなぁ」


 トーンはため息を漏らし、己の輪郭を指でなぞる。

 職業柄、容姿には気をつけているが、彫りが深く老け顔で、年齢よりもかなり上に見られることがある。

 それで得したこともあったが、損したこともあった。


「僕はトーン。流れの吟遊詩人だよ。とりあえず名前教えてくれる? お嬢ちゃん」

「……ジーン」

「可愛い名前だね」


 トーンは怖がらせないよう、にかっと笑ってみせた。


 そうしてトーンは、ジーンを仕事帰りの人々で混雑し始めた、花街近くの馴染の酒場まで連れてきた。

 テーブル席に座れなかったため、カウンターに並んだ二人。注文したジュースと具だくさんのスープを、最初は遠慮しつつも、お腹が空いていたのか勢いよく食べるジーン。

 そんな彼女を、トーンは茶を飲みながら横目で観察する。


(あまり、表情がない子だなぁ)


 勿体ないとトーンは思う。痩せすぎてはいるが、顔の造りは整っている。ちゃんと食事よ睡眠をとり、服を買い与えれば、見違えるだろう。


 そんなトーンに、酒場の店主が話しかける。


「おいトーン、女に騙されすぎて、ついに幼女に走ったか」


 その言葉にトーンは茶を噴き出す。隣でジーンが、トーンと店主の顔を見比べて、首を傾げていた。


「違うし! 騙されてもないし、走ってもいない!」

「え? この前、貢いだ女の子に、本命がいたって嘆いてなかったか?」

「く、人の古傷を抉るなよ……」


 いいなと思った女性に贈り物をしていたら、なぜか異性の相談を受けて、撃沈したことは記憶に新しい。

 そのときの失恋の痛手は、この酒場で浴びるように酒を飲み、自棄のように演奏し、歌って踊って騒いで癒した。だが、まだ癒しきれていない、心の傷である。


「悪い悪い。あ、演奏頼めないか? 今日の担当が急遽休みになっちまってな……一曲でいいから」


 店主のまったく心の籠っていない謝罪を受け入れ、トーンは商売道具であるバイオリンを手にする。


 普段は、日を決めて複数の酒場や小劇場、広場を回っているが、こういう突発的な依頼は珍しくはない。

 情けは人の為ならずというが、こういったことから人脈が広がり、別の仕事に繋がったりするのだ。


 トーンはジーンに少し待っていろよ、と言って、酒場の小さな舞台にあがった。

 既に酔って囃したてる客たちに手を振り、トーンは陽気な曲を奏で始める。

 客たちの合いの手に調子に乗り、結局五曲ほど演奏し、トーンは拍手を受けながら舞台を降りる。


 出迎えたのは、ジーンのキラキラした榛色の瞳だった。


「僕の演奏、気に入ってくれた?」


 会って初めて、彼女の子どもらしい表情を見ることができたトーンは、嬉しくなって得意げに言った。


「すごい! すごく音が綺麗だった!」


 彼女は、興奮冷めやらぬようで、言葉を続ける。


「おじさんは、他にも弾けるの?」

おにいさん・・・・・。もちろん、これで稼いでいるからな。他の曲だって、ピアノだってギターだって、なんだって弾けるぞ。ジーン、興味あるのかい?」


 トーンが問うと、尊敬の眼差しを送る彼女は、少し間を置いてからコクリと首を縦に振った。


 そのあと、どんな曲があるか、どんな物語が流行っているか、楽器についてなどのトーンの話を、ジーンは聴き入った。

 一時間ほど経ったところで、トーンは店主に報酬を貰うため、ジーンに待っているようにいいながら席を立つ。


「トーン、これ報酬な」


 そう言って店主が銀貨五枚を渡そうとし、トーンはそのうち三枚を受け取った。元々一曲の予定だったのに、五曲演奏したのはトーンの勝手だったからだ。トーンがそう言うと、食事代はなしで、と話がついた。


「そういやお前、あの娘のことを知っているのか?」

「ジーン?」


 トーンが首を横に振ると、店主は知らなかったのか、と呆れた顔で言った。

 俺も詳しい話は知らないが、と前置きして、トーンに話し始めた。


「あの子の母親は、花街の娼婦でな。もともとはいいところのお嬢さんで、お貴族様の屋敷で働いていたらしい。で、主人に手を付けられてあの子を身籠って、奥様に追い出された上、実家からも勘当されたそうだ」


 なぜ店主がそのことを知っているかといえば、彼の妻である女将が、妊娠していたジーンの母を手助けしたそうだ。それに赤銅色の髪と整った容姿を持つ、旦那のいない母子は、当時近所でいろいろと噂された。


「母親も、あの子も、お貴族様の事情に振り回されて、かわいそうだよ」


 そう同情する店主に、トーンは彼女の家の住所を聞いて、酒場を後にしたのだった。


 トーンはジーンの手を引き、花街を抜ける。道中少女趣味ロリコンと思われ、好奇の視線にさらされたが、トーンはじっと耐えた。ちなみにそれは彼の被害妄想である。


 そして、かなり古めかしい家に辿りつき、扉を叩いた。

 中から咳き込む声が聞こえたかと思うと、扉が開かれ、少女と同じ髪色の女性が現れた。ジーンの母親なのだろう。店主が言った通り、やややつれてはいるが、美人だなとトーンは思う。

 母親はトーンを訝しげに見たあと、すぐ横で縮こまっている娘を見て、瞳を吊り上げた。


「ジーンッ! あんたって子は、こんな時間までどこをほっつき歩いているの!」

「お、お母さん……」


 母の怒りの籠った大きな声に、ジーンは肩を震わせ、トーンの手を離す。


「ごめ、ごめんなさ……」

「私に心配させるなって、何度言ったらッ」


 さらに怒鳴りつけようとする母親。だが後半は、咳き込み言葉にならない。ジーンが慌てて、母親に駆け寄った。


「お母さん、大丈夫!?」

「……煩い! さっさと家に入って!」


 だが母親は、心配したジーンを家の中に引き込み、追いたてる。ジーンはちらりとトーンを見たが、家の奥へと消えていった。

 そんな少女を見送り、トーンと母親の間に、微妙な空気が流れる。


 その空気を打ち破ったのは、母親だった。


「お見苦しいところを、お見せしまして……」

「いや、こちらこそジーンを勝手に連れ歩いてしまって……あ、決して邪な気持ちではないですから!」


 トーンは慌てて釈明をする。その様子に母親はクスクスと笑った。さすがは客商売。愛想が完璧である。


 ふと母親が暗い表情になり言った。


「私が体調崩して、あの子に傍に寄らないようにと言ったんです。そうしたら、家にいてはいけないと思い込んだらしくて……」


 憂いた表情で言う母親。トーンは一瞬、娼婦である彼女が同情を引くために、娘思いの母親を演じているのかとも考えたが、それなら扉を開けた瞬間にそうするだろう、と考えを改める。


 娘が帰ってこないが、自分は体調を崩して探しに行けず、心配してヤキモキしていたのだろう。

 それに、店主が言う通りなら、複雑な事情の家庭だ。母子の様子を察するに、二人の関係は、良好だと言えないのだろう。

 生活が困窮していることも、母親やジーンの食事の様子を思い出せば、予想できた。


「僕はトーン。流れの吟遊詩人です。こう見えても二十代です」


 いきなり自己紹介を始めたトーンに、母親は首を傾げる。そんな彼女にトーンは言葉を続けた。


「もしよかったら、僕が王都にいる間、ジーンを貸してくれませんか? 興行の雑務を手伝ってもらえれば、助かるんです。もちろん報酬も払いますよ。あ、僕は少女趣味じゃないですから、安心してくださいね! ちゃんと帰りも送り届けます!」


 トーンは勢いよく喋り、母親が質問する隙もあたえず、そのまま許可をもぎ取ったのだった。





 翌日、トーンはジーンを連れて出かけた。


 広場で演奏した際に、観客から投げられた小銭の回収や、演奏する酒場や小劇場への伝言を頼んだりした。夜は安い酒場や食事処で食事をし、土産に母親の食事を持たせて、小遣い程度の金を渡し、ジーンを送り届けた。

 流れの吟遊詩人であるトーンだが、その程度の負担は大したことがない。


 ジーンを送り届けると、母親は娘が部屋の奥に消えたあとに、恐縮し、しきりにお礼を言っていた。

 そのお礼の内容は、いつもジーンに関することだったため、そのうち母子の関係が改善すればいいな、とトーンは思った。


「お前、本当にお節介でお人好しだな」


 自分の子どもでもないにもかかわらず、ジーンとその母親の世話を焼くトーンに、馴染の酒場の店主は呆れて言ったのだった。




 数日後、小劇場での演奏を終えたトーンは、ジーンから物言いたげな視線を受けて、首を傾げた。


「トーンおじさん……」

「おにいさん」

「私にも、音楽ってできる?」


 ジーンが今度は首を傾げる。


「もちろん。興味ある?」


 トーンが問うと、彼女は間をおいて、コクリと頷いた。


「じゃ、教えてあげる」


 トーンの言葉に、彼女は初めて、微笑んだ。




 そしてジーンと出会って一か月。

 彼女の母親が回復して仕事に戻り、母子に普段の生活が戻ってきたことを確認した上で、トーンは旅に出ることにした。

 彼の生業は流れの吟遊詩人。町から町へ、国から国へ、歌いながら新しい音楽を求め旅する音楽家だ。

 大きな国の首都には長く留まったりもするが、永住することはない。それに新しい音楽を仕入れなければ、次第に客から飽きられてしまうからだ。


 既に馴染の酒場や小劇場には挨拶を終え、ジーンの母親にも昨日報告した。

 そして今日、旅立つ前に、ジーンに挨拶をした。ギリギリになってしまったのは、トーンも彼女との別れが惜しかったからだ。


「トーンさん……いつ、帰ってくる?」


 結局おにいさん呼びではなく、さん付けになったトーンは、ジーンの問いに首を傾げる。

 各国を回るから、数年単位になる。それにこのご時世、運悪く旅路の途中で命を落とすかもしれない。


「うーん、どうだろう? ああ、泣くな泣くな!」


 今にも泣きそうに顔を歪めるジーンに、トーンは慌てる。そして提案した。


「じゃあ、次会うまでの約束。曲を作っておいてくれ。皆の心が温まる曲がいいな」

「温まる、曲? それってどういう曲なの?」


 トーンの抽象的な言葉に、ジーンが瞬きし、首を傾げる。

 トーンは彼女に音楽の才能があると直感した。それも作曲や作詞の才能だ。

 この一か月、楽器の演奏はもちろんのこと、楽譜の読み方や曲の作り方を教えれば、曲というにはまだ稚拙で未熟だが、それでも才能が光るものを作った。


「それはジーンが考えるんだ。できたら僕が、世界中に広めてあげる。そしたら、音楽でいつも一緒にいられるだろ?」

「……うん!」


 笑顔で答えるジーン。彼女に見送られ、トーンは王都を旅立った。


 それが、トーンが見た最後の彼女だった。






 グレイシス王国王都にある教会の傍の墓地。

 トーンは、とある石碑に、花束を置いた。石碑には、ジーン・バルバッセと刻まれている。


「約束、だったのにな」


 石碑を撫でながら、トーンは呟いた。


 別れてから約三年後、王国首都を訪れたトーンは、ジーンが住んでいた家へ向かった。だがその家は別の者が住み、前の住民は死んだと聞かされた。馴染の酒場の店主に聞けば、自分が旅立って半年ほどで母親が病気で亡くなり、ジーンは父である貴族の家に引き取られたと聞いた。


 トーンはもう少し留まればよかったと後悔しつつ、会うことはできないが、貴族の父親に引き取られたなら、飢えることなく幸せだろうと思い、安堵した。


 そのときは王都には一か月ほど留まり、再度旅立った。


 さらに三年後の春、王国を訪れたトーンは、侯爵令嬢が事件に巻き込まれ、亡くなったことを知った。


 名を聞き、トーンはその侯爵令嬢が、あの赤銅色の髪を持つ少女だと、わかった。


 なぜ、六年前に別れてしまったのか。今になって激しく後悔した。


 ふと、背後に草を踏む音が聞こえ、トーンは振り返る。


 そこには、金髪碧眼のとても見目麗しい、育ちの良さそうな貴族の子どもと、護衛だろう剣を佩き、花束を持った青年がいた。


「あなたは……?」


 子どもの問いに、トーンは自分が流れの吟遊詩人であること、ジーンの古い友人であること、そして彼女との約束について、すべてを話した。

 なぜ話してしまったのか、わからない。彼女を知る人と思い出を共有したかったのかもしれない。


「そうですか、ジーンの音楽の……」


 彼はトーンの話を聞き終えると、考えるように一度瞳を閉じる。そして開くと、トーンに言った。


「トーンさん、その約束、私が果たさせてもらってもいいですか?」






 花街の傍の酒場で、吟遊詩人はその日最後の曲を演奏していた。


 その曲は、穏やかな春の訪れを連想させる、心が温まるような曲だった。

 いつもなら合いの手や野次、口笛が吹くなか、皆が耳を澄ませ曲に聞き入り、トーンが演奏を終えると拍手が巻き起こった。


 アンコールが客たちから望まれたが、トーンは丁寧に断わり、舞台から辞す。


「おい、トーン、今のは新曲か? どこの国のだ?」


 馴染の店主が声をかけ、彼は曖昧に笑いながら頷く。


 この曲は、あの金髪の子どもから教えてもらったものを、仕上げた曲だった。

 彼は、ジーンが作った曲だと言った。


 トーンは、彼は誰なのか、なんとなくだが予想がついた。


 侯爵令嬢のジーンと知り合いで、幼いながらも一般人とは一線を画した美貌。

 そして、旅先で知った『光の王子』の噂や、今回の教会が起こした事件を解決した人物。

 しかしトーンは、彼の正体を知ろうとは思わない。


「いい曲だな。歌詞はないのか? 題は?」

「歌詞はないが……だけど、そうだな」


 店主の言葉に、トーンはしばし考えて口を開く。


「題は、『希望の賛歌』というのはどうだろう」


 


 やがて歌詞のない『希望の賛歌』は、世界中に広まる。


 しかし、皆に愛されたその曲の作曲者は、誰も知らない。



 ただ、かの英雄ハーシェリクも『希望の賛歌』を好んで口ずさんだと、後世伝えられた。





流れの吟遊詩人トーンおじちゃん(笑)の語りでした。

ジーンが侯爵家に行くまでのお話で、ちょっとだけ次の『光の英雄』の番外編ともリンクしていたりします……してたはず?


三巻はページの都合で本編を読みやすいよう整理しつつ削り、なんとか番外編のページを捻出。

なかなか苦労した覚えがあります。なお削るのしんどいし、前編後編2冊で出したい(加筆めっちゃするし)とお願いしましたが、却下されました……ケッ(-_-メ)


トーンおじちゃんも再登場してもらいたいですね。

まあ機会は創るものとも……


では!


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― 新着の感想 ―
流れの吟遊詩人トーンおじちゃんんんんん…… もしもジーンが困窮してしまったとき彼が近くに居れば……と思ってしまいますが、その場合侯爵家には別の手勢が居てあの子の大事な姉は居らずハーシェリクに出会うこと…
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