第十章 ノエルとヘーニルと儀式 その二
ヘーニルの熱意と狂気の籠った瞳に、ハーシェリクはうんざりしたように息を吐いた。
「やめてくれる? あなたにその呼称で呼ばれたくない。」
ヘーニルとは対照的な冷めた視線、そして冷めた声でハーシェリクは答える。
その呼称は彼らしか使うことは許さない。自分を信じ助けてくれる彼らからの言葉を汚されているような気分になった。
更に冷めた声音のまま、ハーシェリクは詰問するように言葉を続けた。
「あなたが必要としているのは、貴族達が騒ぎにくい王家という正当性のある血筋と、平民を母に持ち国民に受け入れられやすい王子だ。私自身じゃない。」
(それに血筋だけじゃない……虎穴作戦が裏目にでたな。)
ハーシェリクは内心付け加える。
虎穴作戦はほぼ成功と言っていいだろう。作戦通り虎穴に入り虎児を得た。大臣側も教会側も引き寄せることに成功したのだから。だがそれ以上に効果があった。自分達が行ったことは想像以上に国民に受け入れられすぎたのだ。某元将軍のように各地の問題を片付けて、関係者には固く口止めしたが全員の口をふさぐことはできるわけがない。
吟遊詩人達は王子が仲間を引き連れて世直しをする物語を謳い、旅の劇団は各地で王子達の冒険譚を演じる。子供達も王子や従者になりきりごっこ遊びをする。
ハーシェリクが考えていた以上に人々は圧政に苦しみ、変革を望んでいたのだ。
そして国は少しつつだがいい方向に変わりつつある。
もし今、自分が教会の力を得て旗頭となり立ち上がれば、それなりの確率で革命は成功するだろう。
「そこまで解っていらっしゃるのなら……」
「断る。絶対に革命の旗印になんてならない。」
ヘーニルの希望に満ちた言葉をハーシェリクは遮った。
革命が起こった場合、処刑台に送られるのは王族、つまりは自分が一番守りたい家族達の可能性が高いのだ。それなのに自分が旗印になるはずがない。
「おやおや。」
ヘーニルが聞き分けのない子供を窘めるかのように肩を竦める。
「貴方ならわかると理解していると思ったのですが。」
「いえ、あなたは解っていたでしょう。私の答えを。」
だからあの罠なのだ。
「操作系魔法。」
ハーシェリクの言葉にヘーニルがピクリと反応する。その反応をハーシェリクは見逃さなかった。そして自分の予想は当たっていたのだ。
「やはりあなたは神癒系魔法の使い手でもあるけど、操作系魔法も使える。あの罠も私をいいように扱う為の布石だったというわけ。」
出かける直前、ユーテルがハーシェリクに助言をしたのだ。
「あの男、僕と同じ匂いがするんだよね。」
それは毒舌ドS腹黒ということですか、というセリフをなんとか飲み込みハーシェリクは次の言葉を待つ。心を読まれたのかにっこり笑うユーテルが怖かったが、頑張って平常心をキープしたのは言うまでもない。
「彼はたぶん操作系魔法を使うよ。元々神癒系魔法の内治癒魔法は緻密な魔力操作が必要な魔法だ。あれほどの治癒魔法が扱える人間なら、操作系魔法が使えても不思議ではないし。」
そしてユーテルは心配そうにハーシェリクの頭を撫でながら言った。
「操作系魔法中でも精神操作魔法や呪法は人の弱さに漬け込む魔法。少しのスキさえ命取りになる……だから気を付けるんだよ。」
そのユーテルの予感は的中した。腹心達と離れ一人きりとなった自分の心細さ、そして自分さえ気が付かなかった心の奥に存在した願望を再現した精神操作魔法は、魔力と言う防御の術を持たないハーシェリクに直撃した。クラウスがいなかったら、ハーシェリクはそのまま幻に囚われ帰ってはこられなかったかもしれない。
「あなたは私が断ることを解っていたから罠を張った。あんな罠を張っている時点で、いくら耳触りのいい言葉を並べられてもあなたの言葉は全て薄っぺらい。」
ハーシェリクの拒絶の言葉に、今度はヘーニルはため息を漏らす。
「聡明なあなたなら解って頂けると思っていたんですが。」
「聡明? 私はさほど頭よくないよ。」
ただ普通の人より経験と知識を持っているだけ、とハーシェリクは心の中で付け加える。
(ここまでは予想通り。)
途中罠に嵌るという失態を除き、ここまでは予想通りだがまだハーシェリクには引っかかることがあった。
「ねえ、教会の戦力だけで本当に革命ができると思っているの? この王国の軍だけで世界統一なんてできると本当に思っている?」
ハーシェリクが射抜くように言葉を続ける。
まだハーシェリクの中には複数のピースが残っている。そしてそれが自分に危険信号を告げていた。この狂信的だが計算高い男がその辺りを計算していないとは思えない。なにか彼が持つ絶対的な切り札があるはずだ。
「他に何を隠している?……シロさんになにをしようとしている?」
さきほどからシロは地面に描かれた模様の上から動かない。いや、動けないのか。彼はいつものツンツンした表情はなく、怯えた子供の様にこちらを見ている。
ハーシェリクはシロに対してずっと違和感を感じていた。
王子である自分を懐柔する為に派遣されたなら、もっと愛想がよく媚びたりするのではないのか。だが彼は愛想なんて皆無、王族だからといって絶対媚びず、あの女性とも見間違うような美貌で相手を威圧していた。まるで野良猫のように高圧的な態度をとりつつ周りを警戒していた。威圧し警戒し人を攻撃することで自分を守っているようだった。そのくせ視線が合えば怯えたように視線を逸らす。シロは自分やヘーニルのように器用ではない。ハーシェリクはなんとなく、シロは教会側に所属はしていても薬事件や陰謀などには無関係ではないのかと思っていた。
それは現在の状況を見れば一目瞭然だった。
(やはりシロさんは利用されたということか。)
ヘーニルのやり方にハーシェリクは虫唾が走る。彼は決して表には立たない。アルミン男爵のこと然り、シロのこと然り、そして自分を旗頭として革命を成そうとすること然り。
「シロさんも、あなたのいうところの犠牲ということ?」
ハーシェリクの言葉にヘーニルは何も答えない。その沈黙が肯定だった。
二人の会話を聞いていたシロは、自分の視界がぼやけていくのがわかった。
この人だけが自分を助けてくれた。
この人だけが自分を求めてくれた。
誰からも化け物と蔑まれ続けた自分を、彼だけは手を取ってくれた。
(別に、利用されてもよかったのに……)
たとえそれが神々に刃向うことだったとしても、全人類から憎まれたとしても、自分の命さえ差し出すことだったとしても、言ってくれさえすればなんでもしたのに。
だけどヘーニルは最初から自分を信じていなかった。
信じていなかったから、呪法で自分を支配した。
(結局、私は誰にも信じてもらえなかった……)
頬に涙が伝う。それが悲しみからなのか、憎しみからなのか、それとも諦めからなのかシロにはわからなかった。ただただ涙が流れた。
「ま、もういいか。あなたがどう考えていようとどうでもいいし。」
それは先ほどよりもうんざりしたような王子の声だった。そして真正面からヘーニルを睨みつける。
「シロさんとジーンを解放しろ。この国に危害を加えようとするなら……私の目的の邪魔になるなら排除するのみ。」
彼は正面からヘーニルに言い切った。凛とし堂々とした姿が、シロの流れていた涙を止める。
「……目的とは?」
ヘーニルの言葉にハーシェリクは微笑む。先ほどのように冷たさもなく、子供の様に無邪気でもない。不敵な微笑を湛えつつ言った。
「全て……私が願うこと全て!」
家族、国民、国……そして世界。
理不尽で誰かが泣かない世界、努力が報われる世界、真面目な人間が、誠実な人間が報われる世界。
万人が幸せになることは難しいだろう。人の幸せは人それぞれだから。だけど、万人が明日に希望を持つことは可能なのではないだろうか。そんな国を、世界をハーシェリクは望んでいる。
自分でもわかっている。とても甘い考え方だと。綺麗事だと。だけど何事も思わなければ始まらない。
「ヘーニル、あなたは言ったよね。大勢を救うには犠牲が必要だって。それは私も理解している。」
どんなに努力をしたとしても犠牲がでてしまうことがある。だけどそれは結果だ。ヘーニルのように犠牲が出る前提とは異なる。犠牲という言葉で美化しているが単に諦めているだけなのだ。
「最小限の犠牲で世界の多くの者を救う? 最初から犠牲がでることを諦めている人間が多くを救うなんて片腹痛い事いうのやめてくれない? それにそれは犠牲とは言わない。生贄っていうんだよ。」
「では逆に犠牲なしで国や世界が救えると? なんて非現実的で甘いことを言う……貴方のやり方でこの腐敗した国が救えるのですか?」
ヘーニルの声は呆れ交じり、だが怒りも混じった声だった。ハーシェリクはその言葉を真正面から受け止める。
「誰になにを言われようともそれが私の望んだことだから。誰かの為じゃない、自分がやりたいことだから。私は私が望む全てを手に入れる。」
家族の為、国民の為、国の為……誰かの為という言葉はとても心地よい。
だがハーシェリクは思う。父を助けたい自分の為、家族を守りたい自分の為、国民が笑っていてもらいたい自分の為。決して他人の為ではない。何かを切り捨てることができない、ほっとけない自分が望んだことであり、全て自分の為なのだ。
「……なんとも強欲な。」
「強欲? 結構!」
ヘーニルの言葉にハーシェリクは高らかに宣言する。
「諦めて生贄を差し出し多くを救うのあなたが正義というなら、私は全てを手に入れる強欲な悪でいい。」
諦めるのは全てを出しきった後でも遅くはない。だが諦める前にやるべきことがある。変えられることがある。ならそれに向かってただ進むのみ。
そう言い切ったハーシェリクを見て、ヘーニルは諦めたように首を振った。




